ペトロラービグ起工式

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住友化学とサウジ・アラムコの50/50JVのペトロラービグが3月19日に起工式を行った。
総投資額85億ドルの
石油精製と石油化学との統合コンプレックス開発計画がいよいよスタートする。2008年後半のスタートを目指す。

サウジ・アラムコ(当時はペトロミン)は1980年代にギリシャのPetrolaとの50/50JVでラービグ製油所を建設した。しかし、能力325千バレル/日に対し280千バレル程度しか稼動せず、重油中心で採算も悪かった。
1995年にアラムコは改善投資に反対するPetrolaから持ち分を買い取って100%出資に切り替え、その後400千バレルに能力をアップした。
同社は採算向上と地域振興のため、同社としては国内で初めての石油化学に乗り出すことを決め、提携相手としてSABIC、ダウ及び住友化学と交渉、最終的に住友化学を選んだもの。

2004年5月、アラムコと住友化学は共同でFSを実施することを発表、その後、建設費の大幅アップが問題となったが、2005年8月、合弁契約を締結した。

事業内容は以下の通りで(図をクリックしてください)、Rabig 合弁会社の社名はRabigh Refining and Petrochemical Company (略称Petro-Rabigh、既存製油所をJVに移管し、石油精製2次処理設備を新設しガソリンを新たに生産するとともに、エタンクラッカーと流動接触分解装置(FCC)、さらにポリエチレンやポリプロピレンといったポリオレフィンを中心とするエチレンやプロピレンの誘導品の生産プラントを新設する。POについては住友化学の新法を採用する。
既に日揮がFCC、プロピレンを、三井造船がEG、PO製造プラントを受注している。

現在、同製油所の原油はYanbuからタンカーで運ばれているが、エタンは東部のガス田とYanbuを結ぶEast-West Pipelineの原油パイプの1本をエタン用に転用しRabighまでの支線を新設する。Rabighmap

建設費は世界的な新増設ラッシュで高騰し(電力・工業用水建設費の融資などの範囲拡大もあって)、当初予想の43億ドルから85億ドルに上昇したが、「中東のエタン価格は百万BTU当たり 0.75~1.5ドル。トンに換算して37~74 ドルだが、ナフサの470ドルに比べれば、6分の1 から10分の1 という安さだ。原油やナフサ価格は常に変動するがエタン価格は安定している。原油価格が上がればそれだけ有利になる」(住友化学)。
各銀行も「原油価格急落も含め何十通りもの状況を想定したが、キャッシュフローは十分確保できる」(融資関係者)とみている。

2000年2月にアラビア石油がサウジアラビアに約40年間保有し続けた油田権益を失ったが、「サウジ・アラムコのもつ日量40万バレルという製油所の規模は日本の年間石油輸入量の約10%に当たり、エネルギーの安定確保をめざす日本にとっては決して小さくはない。半分はジャパン・オイルということになる。」(住友化学)

政府もこれに大いに期待しており、プロジェクト・ファイナンス契約の総額58億ドルのうち、国際協力銀行が25億ドル(サウジ政府系は10億ドル)を融資する。
また日本貿易保険も、本プロジェクトを「競争力ある原料の安定供給とスケールメリットを生かした収益力の高い事業」と評価し、住友化学が拠出する資本金・親会社融資・その他、丸紅・日揮・伊藤忠商事の用役供給事業、納入業者のEPC・機器輸出契約への貿易保険等、中長期保険に限っても約24億米ドルというサウジアラビアにおける過去最大、1案件としても過去最大の貿易保険引受を行うことを決めている。

唯一の懸念はサウジアラビアの政治情勢(テロを含む)にからむリスクである。
住友化学は政情の安定しているシンガポールでシェル・グループと共同で第2エチレンコンプレックスのFSを行った。2007年の操業開始をめどに、シェルのリファイナリー設備があるブコム島
にナフサを原料にエチレン年産100万トン規模のプラントを、誘導品プラントをジュロン島に建設する計画である。
これを捨てて(シェルは単独で実施することを決定)サウジに進出するのは、このリスクを勘案しても、産油地での価格及び量の安定した原料でないと今後の石油化学はやっていけないという判断があったと思われる。

中東戦争が勃発し、第一次石油ショックが発生したのが1973年10月であるが、その数年前に三井(物産)、三菱(商事、油化)、住友(化学)に、それぞれ、石油化学工場建設の要請があった。
・1968年、イラン石油化学公社総裁が三井物産に油田排ガス有効利用について協力要請
・1970年、サウジ・ペトロミン総裁が三菱商事・三菱油化に石油化学事業具体化のための協力要請
・1971年、シンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請

当時は3計画の中でイラン計画が最も有望とみられていた。原油が豊富で、バーレビ国王の下で政治的に最も安定していた。次が同じく産油国での事業であるサウジ計画で、シンガポールについては原料も需要もなく、何のための事業かと疑問をもたれていた。

結果的にはイラン計画はイランの革命とオイルショックでの建設費高騰、更にイラン・イラク戦争により撤退のやむなきに至った。こういう結果になるとは当時は誰も予想していなかった。海外投資のリスク評価の難しさである。
(高杉良の「勇者たちの撤退―バンダルの塔」はイラン革命で日本人全員がイランから引き上げるまでを東洋曹達からの出向者の目でみているが、そのなかで、日本の外交官でただ一人、イラン革命をその数年前に予想していた人のことに触れている。しかし、革命政府も本計画に熱心であり、破綻の原因は長期にわたるイラン・イラク戦争である。ただ、これも革命がなかったら起こっていなかったかも分からない)

次回以降で、それぞれの計画の概要と結果(現状)をみる。

コメント(1)

ラ-ビグが決まったので、住友化学は、シェルのシンガポ-ル、ブコム、エチレン100万トンのプロジェクト、2009年?からは、手を引いたということですね。ブコムはシェル単独で、エンジニアリングはTECが受注ですか。住化は両方やるのはしんどいし、ナフサより、エタン、PCSはあるし、それにしてもシェルは、資金豊富だあ。石油会社は違うネェ!
ヘッドコ-チ

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