日本の最初の石油化学計画

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前回に戦前の話を書いたので、今回は日本の最初の石油化学計画について書く。

日本のエチレン第1期計画は次の4つである。

  立地 エチレン スタート 計画書提出 設立
三井石油化学 岩国 20千トン 1958/2 1956/1 1955/7
住友化学 新居浜 12千トン 1958/3 1954/12  
三菱油化 四日市 22千トン 1959/5 1955/12 1956/1
日本石油化学 川崎 25千トン 1959/7 1954/10 1955/8

しかし、これよりはるか以前、1950年に壮大な石油化学事業計画を通産省に提出した会社がある。日本曹達である。

たまたま、同年初めに同社の日比野部長(のち専務)が生産性本部のアメリカ産業調査団に加わり、アメリカの石油化学を調査した。
その結果、①世界の化学工業の大勢は石油化学工業の方向に進んでおり、これが日本の産業を興す原動力になろう、
②日本曹達は
日本で唯一のエチレン系製品の製造会社で、石油化学をやるのに最もふさわしい、
として技術陣が総力を挙げて計画を作成した。

計画は以下の通りであった。

立地:新潟県二本木工場
事業総資金:11億4千万円
原料:灯油または軽油(2,000kl/月)
製品および能力(月産トン)
    能力
エチレン系 エチレン   371
酸化エチレン   85
エチレングリコール   70
各種セロソルブ
(EGのモノエーテル)
  50
ポリエチレングリコール   50
二塩化エタン(EDC)   20
エーテル   50
その他誘導品   35
プロピレン系 プロピレン   203
イソプロパノール   120
ソープレスソープ
(合成洗剤)
  150
ブチレン系 ジオクチルフタレート   30
芳香族 ベンゼン   130
トルエン   60
キシレン   20
                            (日本曹達70年史)
 

同社の計画の特徴は、米国のエタン利用ではなく、石油を分解してオレフィンを、また副生油から芳香族を回収するという、現在のナフサ方式の先駆的計画であること、熱分解と芳香族分離は技術導入を行うが、誘導品については全て自社技術であるということである。熱分解は米国バジャー技術の導入を考えた。

ーーー

日本曹達は中野友禮が1920年に設立した会社である。彼は京大助手時代に中野式食塩電解法(水平隔膜式電槽)の特許を取得し、日本の電解法苛性ソーダの企業化第1号の程ヶ谷曹達(のち保土ヶ谷曹達)に参加したが、その後日本曹達を設立し、新潟県中頸木郡の二本木工場で苛性ソーダと晒粉の生産を始めた。
その後、「リング・チェーン式経営法」(芋づる式)で無機化学、有機化学に事業を広げていき、日曹コンツェルンを形成した。

有機化学では軍の要請で四塩化炭素、六塩化エタンを製造、次にエチレングリコールを生産した。
製法はエチルアルコールを熱分解してエチレンガスをつくり、塩素と反応させてエチレンクロルヒドリンにし、それから酸化エチレン、エチレングリコールをつくった。

これにより、当時、二本木工場でエチレン100トン、酸化エチレン80トン、エチレングリコール40トン、ニ塩化エタン30トン、クロルヒドリン350t(いずれも月産)などの生産実績があった。

ーーー

1950年8月、この事業計画を受けた通産省通商化学局では、石油化学事業第1プロジェクトとして全面的支援を約束した。

日本曹達は事業資金11億4千万のうち、政府資金(復興金融金庫)を4億5千万円申請した。難航の結果、通産省の支援により3億円の融資が決定した。復興金融金庫の融資は民間銀行の協調融資がつくことが条件となっていた。

ところがメインバンクの日本興業銀行がどうしても融資に応じず、最終的にこの計画は頓挫した。

栂野棟彦氏の 「昭和を彩った日本の石油化学工業」によると、興銀は当時の日本曹達の経営姿勢(特に営業姿勢)を問題にした。特需景気のなかで、古くからの商社や問屋を排除して高値でさえあればどこでもという営業姿勢をとっており、いずれ破綻する、石油化学事業はきちんとした営業体制でやるべきだというのが興銀の考えであった。

もし、この計画が実現していれば、日本の石油化学はどうなっていたであろうか。

日本曹達の計画は日本の化学業界を驚かせ、各社が検討を始めた。

ーーー

なお、日本曹達では1953年に東京ガスの千住工場の重油熱分解による都市ガス副生エチレンをボンベで二本木に輸送し、EO、EG等を生産する計画を立てたが、MITIが公益事業者による副業規制を表明したため断念した。

その後、日石化学のエチレン生産開始で、タンク貨車(ボンベ84本積載)でエチレンを二本木に輸送し、酸化エチレンを生産した。
しかしこれは競争力がないため、
丸善石油化学への参加を決定、日曹油化工業を設立して、Scientific Designからの技術導入で1964年に五井でEO、EGの生産を始めた。(当初、日本曹達51%、日本レイヨン:現ユニチカ 15%、新日本窒素肥料34%出資、1967年日本曹達100%)

その後は以下の通り。

1969年 EG需要家の帝人が日曹油化に参加
1975   四日市工場稼動
1985  五井工場を分離して丸善石化との折半出資の日曹丸善ケミカル設立
1999   日曹丸善ケミカルが丸善石化の100%子会社に
2000   日曹油化(工場:四日市)と日曹丸善ケミカル(工場:五井)が合併、丸善ケミカルに
2005  丸善石化が丸善ケミカルと丸善ポリマー(HDPE、元日産丸善ポリエチレン)を吸収合併

資料:日本曹達70年史
    栂野棟彦 「昭和を彩った日本の石油化学工業」

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