杉本信行著 「大地の咆哮 元上海総領事が見た中国」(PHP研究所)

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8月3日、前上海総領事の杉本信行氏が肺がんで亡くなった。
2004年11月に末期がんの診断を受け、治療を受けながら本書を著作した。

合計14年の中国駐在経験と膨大な資料をもとに、あらゆる面で中国の過去と現状を描いている。

岡本行夫氏も「この本は現在の中国を分析するものとして世界中で書かれた多くの著作のうちでも屈指のものだと思う。現代中国の真の姿をこれほどよく分からせてくれる本に出会ったことはない」としている。

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2006/2/21中国バブル説」で中国の需要の見方に関して、以下の通り述べた。

「特に需要面が問題で、グラフ(METI予測)から見てもこの数年の需要の急増を延長しているのが分かる。根拠の一つには13億人という膨大な潜在需要の存在と思われる。
しかし実際には三大成長エリア、広東、長江デルタ(上海)、渤海湾(北京、天津、大連)の3億人を現在のマーケットと考えるべきである。これと残りの10億人の所得格差は著しく大きい。

中国では戸籍が農民と都市市民に分かれており、農民は大学を出るなりしないと都市に住むことが出来ない。そのため多数の農民が出稼ぎの形で都市に流入し、低賃金で働いている。いってみれば、農民の犠牲の上で、都市市民の現在の繁栄ができているといえる。
最近は中国政府も西部(農村部)の開発に力を注いでいるが、これも実際には農村部の官吏が安い価格で農地を取り上げ、転売して儲けており、農地を失くした農民は生活が困窮しているといわれている。

将来は別としてこの数年をとってみると、これら10億人の需要を当てにすることはできない。」

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杉本氏はこの本の中で詳細に中国経済を分析し、上記の見方を裏付けている。また、高い経済成長率の実態も明らかにしている。

 

「第10章 搾取される農民」

戸籍登録条例によると、中国語で「農村戸口」と呼ばれる戸籍を持つ者が農民と定められている。対して、都市に住む者、あるいは農村に住むが行政に携わる役人は「城鎮戸口」を持つ。
仮に、農村戸口の女性が城鎮戸口の男性と結婚しても女性の戸籍は変わらず、生まれる子供も農村戸口となる。

この都市住民と農民の違い、城鎮戸口と農村戸口の違いは、天と地ほどの開きがある。

 「農民には生産手段として、国から一定の土地の使用権が認められている。ただし、その土地使用権を得ていることで、社会主義制度の下に都市住民が享受している年金、医療保険、失業保険、最低生活保障などの社会保障が受けられない。

 「都市住民に比べて所得が著しく低く、しかも、行政サービスをまったく受けられない農民の方が、税金、公共料金、教育費などの負担率が断然高いのである。これは所得再配分うんぬん以前の段階で、まるで
『生かさぬよう殺さぬよう』に農民から年貢を搾り取った、江戸時代の農村政策のようだ。
 そして最近の大問題は、農民の命といっても過言ではない彼らの
土地が奪われていることだろう。」

 「都市と農村の表面的な所得格差は、統計的に3倍程度と公表されているが、実質的な格差は、その10倍、すなわち30倍ほどあると内々報告されている。」

 「都市との格差を拡大させた要因の一つに、政府が農産物の買い付け価格を引き下げたことがある。・・・99年までほぼ5億トンを維持する豊作が続いた。在庫過剰を招いた政府が農産物の買い付け価格を引き下げ、農民の収入が減少、まさしく豊作貧乏を地で行くこととなった。」

 農民の負担には「農業税」、「合法的な費用徴収」、「非合法の制度外徴収」がある。

 「
農業税
 米、麦などの食料作物と、綿花など経済作物に農業税、これ以外の果物、お茶、水産物など(タバコを除く)には農業特産税をかけられ、農民が自分の耕地内に住宅を建てると税金がかかる。家屋や畜舎などの賃貸額にかかってくる契約税がある。

 「
制度内費用」は地方政府の権限で農民から徴収する合法的な税金以外の費用で、「五統三提」と呼ばれる。
 「五統」とは、郷鎮政府が徴収する教育費、退役軍人慰労費、民兵訓練費、道路建設費、計画出産管理費の5種類の費用
 「三提」とは、郷鎮政府の下部の生産大隊である村民委員会が農民から徴収する費用で、結局、村民委員会の役人の人件費のこと。

 「制度外費用」は、郷鎖政府や村民委員会が、五統三提に組み込めない種類の費用を農民から無理やり徴収するもので、道路費用、電力費用、学校建設費用、結婚交渉費用、住宅建設管理費用など。

 そのうえ農民は『両工』と呼ばれる二種類の義務労働を課せられている。一つは防波堤建設、二っ目は道路や学校建設である。農民はそれらの建設のために無償で労働力を提供しなければならない。

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別資料によると、土地を失ったり、出稼ぎのために都市に出る農民は「外地人」と呼ばれ、差別されている。

・職業選択の自由は農民戸籍者には存在せず
  上海市の94年条例では23職種にはつけない(3Kの仕事と低賃金職種のみ)
・子女に対する教育差別(公立小中学校に入れない)
・賃金差別
・都市に流入する農民工に課せられた諸費用
  暫住証、寄住証、身分証明書、就業証、婦人に対する2ヶ月1回の不妊検査証など
・都市戸籍者への各種補助金が与えられない
・社会保険上の差別
  年金、失業保険、医療保険、労災保険、生活扶養金が農民工には与えられない
・その他 

杉本氏は「中国のおおいなる社会矛盾の元凶である戸籍制度については、調べれば調べるほど義憤にかられてくる」とする。

なお、貧富の差を問題とする外部からの指摘に対し、中国側からは「高度成長の中で単純労働者の賃金が10年近くも上がらないのは、外国企業がこれら労働者を搾取しているからだ」と貧富格差の責任を外国企業に転嫁する批判的意見が表面化してきているという。
同氏は「近いうちに具体的なチャイナリスクとしてより顕在化してくるだろう」とみている。

 

杉本氏によると、中国の指導部が現在頭を悩ませている最大の懸念は、対外政策よりも国内政策で、なかでも「三農問題」といわれる「農村の貧困」、「農民の苦難」、「農業の不振」である。すでに中国社会、中国の政治体制を揺るがしかねないほど深刻化している。都市部の発展に比例して、農民の不満、共産党政府に対する怒りは高まっている。

しかし、中央政府の指示を地方が無視することも多く、どうしようもない状態である。

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「第13章 中国経済の構造上の問題」では以下のような問題を指摘する。

投資と消費のアンバランス

 全社会固定資産投資の伸びに対し、社会消費品小売総額の伸びは半分以下。 

 消費の伸びが減速したのは98年以降であるが、農民の収入が急減したことに加え、都市部においても朱鎔基内閣が国有企業の住宅保障制度の廃止や、医療保険などの社会保障機能を分離し、3年以内に再就職できない余剰人員をリストラするなどの大胆な経済改革を推進したため、国民の将来に対する不安が一挙に高まり、国民の貯蓄率は46%まで高まった

 日本同様、年金制度は実質破綻状態に陥っており、遠くない将来、1人が8人の面倒を見なければならないという試算もあるほどで、そのため、将来の不安から、貧困者のみならず一般の給与所得者の間でも消費を控える傾向が強まっている。

なぜ不動産バブルとなったのか

 任期5年の党大会のサイクルの中で結論を出す必要に迫られている指導者たちにとり、5年間で成果をあげるために一番てっとり早いのは、工場や住宅建設を中心とする固定資産投資を積極的に行うことにより経済成長率を上げることで、経済成長率を高めることが、国家レベルから地方レベルまでの各指導者の至上命題となり、その達成度が評価基準になった。消費が伸びなくてアンバランスであろうが、固定資産投資を伸ばせば一定の成績を上げられることから、彼らはそうした政策に走らざるを得なかった。

 不良債権の処理についても、貸出総額(分母)のうちの不良債権(分子)を減らすことが本来の姿なのだが、彼らは経済成長という至上命題を与えられているため、逆に分母を増やして、結果として不良債権比率を下げようとした。
(注 どこかの国の社会保険庁と同じ発想である)

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このほか、「深刻な水不足問題」として一章を割いている。

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付記

 

中国 2006年から農業税を全面撤廃 2600年の歴史に幕  

中国政府は2006年から農業税を全国規模で全面的に撤廃した。これにより、2600年にわたって続いてきた中国の農業税制度が姿を消した。温家宝総理が2004年政府活動報告で打ち出した5年以内の農業税撤廃を前倒しで実現したもの。

2005年には全国で「牧業税」と「農業特産税」(タバコ除く)が全面的に撤廃されたほか、28省の全域と3省の計210県・市で農業税が撤廃されている。2004年に232億元だった農業税収入は2005年は約15億元に減少した。

2005年は「三農」(農業、農村、農民)問題解決のための中央政府支出が3千億元を超える見通し。

 

なお、農業税の廃止に伴い、地方の幹部が、一人っ子政策違反者への罰金の強化など、いろいろな理由をつけて別途収入の増大を図り始めたといわれている。

 

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