仏食品メーカーのダノン、中国で「ブランド流用」で合弁企業と対立

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仏の食品メーカーのダノン Danone が出資する中国の合弁企業「杭州娃哈哈集団」Hangzhou Wahaha Group の炭酸飲料水「娃哈哈」(Wahaha)のブランド使用をめぐって、ダノンと中国側相手の対立が深刻化している。

ダノンはヨーグルト等の新鮮乳製品で世界一、Evian、Volvic、Aqua 等のブランドの炭酸飲料水で世界一、ビスケットやCereal 製品で世界第二のメーカー。
1996年にダノンと
全国人民代表大会の浙江省代表を務める有力者の一人で Forbes 誌で中国で23位の金持ちとされる宗慶後氏が、ダノン51%のJV 「杭州娃哈哈集団」を設立し、「娃哈哈」ブランドの炭酸飲料水を売り出した。現在では年間売上高14億ドルの中国最大の飲料会社となっている。宗慶後がJVの董事長(会長)となっている。

契約では中国側が競合製品を製造するのを禁止している。

ところが昨年、Hangzhou Wahaha Food & Beverage Sales が設立され、「娃哈哈」ブランドの炭酸飲料水を売り出した。
同社の親会社は
Hangzhou Hongsheng Beverage Co で、その持株会社がEver Mapleとなっている。

Ever Maple 宗慶後の娘で米国籍を持ちカリフォルニアに住Kelly Fuli Zong の会社で、Hangzhou Hongsheng Beverage Ever Maple 90%Kelly の母親が10%を出資している。

ダノンではこの違法な販売により、毎月少なくとも25百万ドルの損失を蒙っているとし、49日に中国側に販売をやめるよう、30日の期限付きで申し入れた。

期限切れを受け、ダノンはKelly と母親の住むカリフォルニアの裁判所にEver Maple Hangzhou Hongsheng Beverage の両社および代表者のKelly と母親を訴えた。損害賠償1億ドルと、訴えの日から賠償金支払いまでの間について毎月25百万ドルの支払を求めている。


これに対し、宗董事長はダノン側もこの会社のことを了承していたとし、「ダノンは中国市場の特性を理解せず商機を逸している」と反発した。そして、ダノン側が尾行したり写真を隠し撮りしたとし、JVの設立から今に至る詳細を述べ、「これ以上はダノンのアジア本部幹部らの侮辱に耐えられない」とする書簡をダノン本社に送り、すべてのJVの董事長を辞任した。

宗董事長の辞任を受けて、ダノンはアジア地区のエマニュエル総裁を急きょ董事長代行に任命したが、杭州娃哈哈の社員らがダノンからの役員受け入れに猛反発、ダノンが宗董事長を陥れたとし、「我々は宗董事長の軍隊であり、中国国民はこんなことには脅されない」とするレターを送りつけた。現在、エマニュエル氏らの人事は宙に浮いている。

中国では最近、外資排斥の動きが出始めているといわれる。
裁判所の判決が出ても、簡単には解決とはならないと思われる。このJVが今後どうなるか、予断を許さない。

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中国の知的財産権侵害は大きな問題となっているが、国際的な批判に対応して中国政府もようやくこの問題に取り組み始めている。

ヤマハ発動機は12日、「雅馬哈=YAMAHA」など自社の商標権を侵害されたとして中国浙江省台州市の二輸車メーカー、「浙江華田工業有限公司」など4社を訴えた訴訟で、最高裁判所にあたる中国最高人民法院が被告4社に対し、約830万元(約1億2500万円)の支払いと、ヤマハ発動機の商標を違法使用している製品の生産・販売の禁止、謝罪広告の掲載をを命じる判決を言い渡したと発表した。

中国企業を相手取った二輸車の商標を巡る訴訟では過去最高の賠償額で、判決は中国が知的財産権の保護に積極的に取り組む姿勢をアピールする狙いもあるとみられる。

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ところで、ダノンは世界で初めてヨーグルトの工業化に成功した会社である。

ヨーグルトのバクテリア機能はパスツール研究所のメチニコフ所長が解明した。
メチニコフ(1845-1916)はロシア人で、
ヒトデの研究から、細胞性免疫の基礎となる「捕喰細胞」の研究で1908年にノーベル賞を受賞したが、「メチニコフの仮説」を考えた。

動脈が硬化するのは腸内の細菌が自家中毒の原因となる毒を作るためであるというもの。
ブルガリアではブルガリア菌と呼ぶ細菌で作ったヨーグルトを毎日飲んでおり、長生きが多いことを知り、このヨーグルトが大腸内の細菌の繁殖を防ぎ、自家中毒を防ぐと信じた。毎日大量に飲用するとともに、自らヨーグルト製造会社を作って、製造と販売を行った。

1919年、スペインのIsaac Carassoが、パスツール研究所から乳酸菌の株を取り寄せ研究し、世界で初めてヨーグルトの工業化に成功した。
息子のDaniel の名前をもじり(DAN-ONE)、「DANONE」を商標にし、医師を通じて薬局で販売した。

このDaniel が1929年にフランスでダノン社を創設した。



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