水俣病訴訟、遺族が逆転勝訴

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感覚障害があるのに水俣病と認定せず、認定申請を21年後に棄却したのは違法として、熊本県水俣市の女性の遺族が県を相手に、棄却決定の取り消しと認定義務づけを求めた訴訟の控訴審判決が2月27日、福岡高裁であった。

裁判長は遺族側の請求を退けた一審・熊本地裁判決を取り消し、棄却決定を取り消して水俣病と認定するよう命じた。

女性は1974年に水俣病認定を申請したが、認定に必要な検診が完了しないまま1977年に死亡した。
県は20年後の1994年に生前のカルテなどを探す作業を始め、1995年に判断資料がないとして申請を棄却した。

遺族は2001年に棄却取り消しを求めて提訴、2005年には県に対し認定を命じるよう求める「義務付け訴訟」を追加提訴した。
女性の生前の診断書に「四肢末端に知覚鈍麻を認める」との記述があることなどから「2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決に従えば水俣病」と主張したが、県側は「腎臓病による尿毒症が原因」と反論した。

一審の熊本地裁は2008年に、病状に関する客観的な資料が乏しいとして、請求を退けた。

控訴審では遺族は、「関西訴訟判決などから母が水俣病なのは明らか。処分が21年もかかり、手続きも違法だ」と主張。これに対し、県は「資料がなく、感覚障害は腎臓疾患の影響もある。処分は生存者を優先したため、遅れはやむを得ない」と反論していた。

県は申請者が亡くなっている場合には審査の棚上げを決めていたことが、今回、県の提出資料で判明した。


国の水俣病認定基準は感覚障害の他、運動失調や視野狭さくなど複数の症状の組み合わせを求めている。

判決内容は以下の通り。

現行の認定基準は唯一の基準とするには十分ではない。
この基準は汚染が直接的かつ濃厚な場合の典型的症状であり、基準を満たさない各症状についても水俣病と考えれる可能性の程度はさまざまで、メチル水銀に対する曝露状況などを総合考慮することで水俣病と認める余地がある。

認定基準を硬直的に適用した結果、軽症者を除外しており、運用は適切であったとは言い難い。
   
女性には四肢末端の知覚鈍麻と口の周辺の感覚障害が認められる。
メチル水銀の摂取歴や生活環境などを慎重に検討すれば、メチル水銀の曝露歴を有すると推認するのが相当で、水俣病と認定できる。
腎臓病による尿毒症との主張は、医学的知見から認められない。
   
熊本県の棄却処分は違法で、水俣病認定をすべきなのは明らか。
   

水俣病と認定するよう命じる判決は2010年に大阪地裁で出ているが、高裁段階では初めて。

これは、2004年の最高裁で水俣病と認められた大阪府豊中市の女性が、国と熊本県を相手に行政としても認定するよう求めた訴訟。

国は、「最高裁の判決は有機水銀中毒症の判断基準であり、水俣病と有機水銀中毒は別」とし、現行の水俣病認定基準の見直しは行わないとしていた。

判決は以下の理由を挙げ、女性の認定申請を退けた処分を取り消し、公害病訴訟では初めてとなる改正行政事件訴訟法に基づく行政認定を義務づけた。

1)  現行の認定基準の「感覚障害や運動失調など2つ以上の症状の組み合わせ」がない限り水俣病と認めないとの国の主張は医学的正当性を裏付ける根拠がない。
   
2) 四肢の感覚障害は水俣病の基礎的症候で、神経症状が感覚障害のみである水俣病も存在すると認められる。
   
3) 原告の症状は四肢の感覚障害のみだが、メチル水銀の摂取状況、他に原因になる疾患がないことなどを総合考慮すれば、原告は水俣病と認められる。


2010/7/19 大阪地裁、国の基準を否定し、水俣病認定を義務づけ

 

付記

熊本県は3月7日、二審福岡高裁判決を不服とし、一両日中に上告受理申し立てをすると発表した。
知事は「判決には認定基準の根幹に関わる問題が含まれており、行政の長として受け入れられない」と上告理由を説明した。
環境省事務次官は、「妥当と考えている。判決には法解釈上の問題があった。(現行の水俣病認定基準については)否定されたわけではなく、見直さない」と語った。
  

ーーー

政府はこれまで、認定基準の見直しを避け、水俣病被害者救済法に基づく救済策を最終解決としてきた。

国が1977年に設定した水俣病認定基準では、感覚障害と聴覚障害、視野狭窄、運動失調など複数の症状が組み合わさっていることが必要とされる。

国は1971年の旧環境庁発足に伴い、初めて認定基準を示し、「感覚障害など4症状のいずれかの症状があり、水銀の影響を否定しえない場合」としたが、1977年に上記の通り修正した。感覚障害は糖尿病など他の疾病や加齢でも起こるため、水俣病かどうか区別がつかないというのが理由であった。

この基準で認定を受けたのは新潟水俣病と合わせ約3000人で、公害健康被害補償法に基づき、1973年のチッソとの補償協定により1,600万円~1,800万円の補償が行われた。

この基準で認められなかった多くの人たちは、1980年から行政の責任を問い、水俣病と認定するよう求めて各地で提訴した。

このため、政府は2回にわたり救済策を取った。

①1995年 政治決着

1995年に村山首相が政府として初めて「結果として長期間を要したことについて率直に反省しなければならない」と首相談話で遺憾の意を表明し、自民・社会・さきがけ3党連立政権が訴訟や認定申請の取り下げなどを条件に政治決着を行なった。

四肢末端優位の感覚障害がある場合は「医療手帳」を交付
  チッソから一時金260万円、国・県から医療費自己負担分全額、月額約2万円の療養手当などを支給

感覚障害以外で一定の神経症状がある場合は「保健手帳」を交付
  医療費自己負担分などを上限付きで支給
  国の責任を認めた2004年10月の関西訴訟最高裁判決後に受け付けを再開、
   医療費自己負担分は全額支給に改めた。

これに対し一部患者はこの解決策を拒否し、政府の行政責任追及にこだわった。

2001年の高裁判決は、排水規制をしなかった国と県の過失を指摘、水俣病の認定基準も間違っているという判断を下した。
家族に認定患者がいるなど一
定の条件を満たせば、感覚障害だけでも有機水銀中毒と認めた。
2004年10月、最高裁もこれを支持し
県と国の法的責任が確定した。

しかし国は、「司法と行政は別」とし、基準の見直しを拒否した。

最高裁の判決を受け、認定申請者が急増したが、認定委員会は「認定基準が変わらない以上、認定を再開することが難しい」とし、認定を再開しなかった。過去10年間で認定患者は12人しか認められていない。

このため公明党が20064月に新救済案の提言をまとめ、それを基に与党PTを設置し、紆余曲折の結果、新救済策を決定した。

②水俣病救済法案

水俣病の未認定患者を救済するための特別措置法案が2009年7月8日、可決成立した。

2009/7/3 水俣病救済法案、衆院を通過、来週成立の見通し

これに基づき、鳩山内閣は2010年4月、水俣病の未認定患者を救済するための特別措置法の「救済措置の方針」を閣議決定した。
内容は下記参照。

2010/4/16 水俣病「救済措置の方針」を閣議決定

なお、水俣病特別措置法に基づく救済制度の申請期限について、細野豪志環境相は本年2月に、2012年7月末で申請を 打ち切ることを表明した。

 

2001年の高裁判決は、排水規制をしなかった国と県の過失を指摘、水俣病の認定基準も間違っているという判断を下した。
最高裁も2004年にこれを支持した。

しかし、救済法でも、政府は認定基準を見直さないまま、未認定患者の「救済措置」にとどまっていた。 

2010年の大阪地裁による水俣病と認定するよう命じる判決に加え、今回、高裁段階でも認定を命じる判決が出たことで、国の水俣病対策は抜本的な見直しを迫られることになる。

またチッソは、水俣病被害者救済法に基づく救済策を最終解決とすることを前提に、2010年12月に「事業再編計画」の認可を取得し、2011年1月に事業会社のJNCを設立した。
今後、事業会社を
全面譲渡し、譲渡益を熊本県に納付して補償業務を委ね、清算する構想を進めている。

2011/1/12 チッソ、「事業再編計画」に基づく、新会社「JNC株式会社」を設立

しかし、今後認定患者が続出し、補償額が増大した場合、このシナリオも狂う可能性がある。

 

 

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