資料 薬害エイズ事件

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1月11日に薬害肝炎救済法が成立し、15日に原告・弁護団と政府は和解基本合意書を締結した。

被告側の田辺三菱製薬などは未だに何らの発表もしていない。
(報道では田辺三菱製薬広報部では「現在、国との間で補償の配分などを協議している。1月末までに何らかの対応がとれるはず」としているという。) 

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田辺三菱製薬の前身の三菱ウェルファーマは2007年7月9日に、薬害肝炎事件と同じく血液製剤が原因となった薬害エイズ事件(HIV事件)について、「HIV事件に関する最終報告書」を発表している。
   
http://www.mt-pharma.co.jp/release/nr/mpc/2007/pdf/HIV070709report.pdf

1996年にミドリ十字の株主が起した株主代表訴訟が2002年3月に和解したが、その和解条件として、
役員側が(後継の)三菱ウェルファーマに1億円の和解金を支払うのと同時に、
ミドリ十字がHIV薬害事件の惹起を阻止できなかった原因について調査検討し、薬害事件の再発防止策についての提言をとりまとめること
が決められた。

上記報告はこれに基づくもので、
  
第1編 HIV薬害事件の惹起を阻止できなかった原因
  第2編 再発防止策についての提言
から、成っている。

原因の背景としては、当時のミドリ十字に関して、以下の点を挙げている。
 ・行政当局の意向・動向を窺うに汲々とし、自主的な判断で実行する意識に欠けていた。
 ・上司の指示がなければ動かないという企業風土
 ・創業者の死後、全社横断的な観点で総括・指揮する人・組織の欠落
 ・業績回復を急ぐ意識
 ・製造元の子会社アルファ社(アボットから買収)の管理が不適切

そして、再発防止策として
 ・意識改革・社内風土の改善
 ・コーポレート・ガバナンスの強化
 ・組織の改善
 ・安全性確保の措置
 ・グループ全体での取組み
を挙げている。

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HIV事件は、血友病等の治療のために投与された血液製剤にHIVが混入していたため、多くの患者がHIVに感染し、エイズを発症した事件である。

1989年、非加熱製剤の投与によりHIVに感染したとする被害者らが、国および製薬企業5社に対して、東京地裁と大阪地裁に損害賠償請求訴訟を提起した。

製薬企業5社
(1)ミドリ十字:製造販売:原料血漿を米国子会社Alpha Therapeutic (Abbott
から買収)から輸入
(2)
化学及血清療法研究所:製造販売
(3)
バクスター:親会社の米 Baxter International から輸入
(4)バイエル薬品(カッタージャパンを合併継承):米 Bayer Corp. から輸入
(5)日本臓器製薬:オーストリア
Immuno AG から輸入

1995年10月6日、東京、大阪両地裁が統一的な解決を図るため協議し、一次和解勧告を同時に提示した。

和解案概要:

  : 原告の感染者、発症者、死亡者全員に一人一律 4,500万円を払う。
  和解金の負担割合は製薬会社6、国4とする。
  原告らが和解成立時までに製薬会社など出資の友愛福祉財団から受けた給付金のうち、特別手当、遺族見舞金、遺族一時金の5割に相当する額を和解金から控除する。
  未提訴者についてはなお協議する。
  和解一時金による救済を補完する恒久対策はなお協議する。

裁判長は以下の見解を示した。
 ◆原告らの被害を放置することは許されない
 ◆製薬会社、国は救済責任がある
 ◆早期・全面的に救済する和解が必要とした。

このまま裁判で判決を出せば、最終的に確定するまで被害の救済が行われないという問題点を重視、「一刻も早く和解によって原告らHIV感染者の早期かつ全面的救済を図ることがぜひとも必要で、(約2千人にのぼるエイズウイルス感染者全員を)一律かつ平等に救済する内容でなければならない」と述べ、和解の成立に向けた関係者の努力を促した。

しかし、特に⑤の「恒久対策」の負担などをめぐって難航した。
恒久対策に伴う追加負担分を聞いた外資系企業が、「本国への影響が大きすぎる」として和解協議をポイコットする姿勢を見せた。
国も、手当などを予算年度を超えて継続して支払うことには難色を示した。

膠着した状況が変わったのは1996年2月9日、菅直人厚相の「AIDSファイル」発見の記者会見だった。
「確認できない」はずの資料が見つかって、菅厚相が初めて国の責任を認める姿勢を示した。
バイエル薬品も裁判所に基金方式で救済資金を出す「試案」を出した。

1996年3月7日、両地裁は第二次和解案と所見を出した。
以下の点が追加された。(国は和解金以外の各費用も、4割を負担する)

・健廉管理手当
  HIV感染者でエイズを発症しているものに対し、一人当たり月額15万円を給付する。(国の負担割合は4割)
・友愛福祉財団による救済事業継続(5年程度)
  (国が救済事業に要する資金のうち4割相当額を拠出)

・弁護士費用等
 原告らに対し、弁護土費用・訴訟費用として、感染者一人当たり350万円を支払う。
 第七次訴訟以降の原告らについては、150万円。(負担割合は製薬会社6、国4)

・被告製薬会社間の負担割合
 1983年当時の国内の非加熱濃縮製剤のシェアによる。

・その他の恒久対策は国がHIV感染者と引き続き協議を行い、適切な措置を取る。
  HIV感梁症の研究治療センターの設置、
  拠点病院の整備充実、
  差額ベッドの解消、
  二次・三次感染者の医療費等のHIV感染症の医療体制

1996年3月29日、東京地裁103号法廷で和解が成立した。 
その後、同地裁別室で確認書調印式が行なわれ、菅直人厚相が「国を代表して心からおわびします」と述べた。

確認書では、「本件和解及びその前提とされた裁判所の各所見に基づき、本件非加熱濃縮製剤の使用によりHIV感梁被害を受けたすべての血友病患者及びその遺族が被った物心両面にわたる甚大な被害を救済するため、次のとおり合意に達したことを確認する」とし、最初に以下の誓約を行なっている。

1)厚生大臣及ぴ製薬会社は、本件について裁判所が示した前記各所見の内容を真摯かつ厳粛に受けとめ、わが国における血友病患者のHIV感染という悲惨な被害を拡大させたことについて指摘された重大な責任を深く自覚、反省して、原告らを含む感染被害者に物心両面にわたり甚大な被害を被らせるに至ったことにつき、深く衷心よりお詫びする。

2)厚生大臣は、サリドマイド、キノホルムの医薬品副作用被害に関する訴訟の和解による解決に当たり、前後2回にわたり、薬害の再発を防止するため最善の努力をすることを確約したにもかかわらず、再び本件のような医薬品による悲惨な被害を発生させるに至ったことを深く反省し、その原因についての真相の究明に一層努めるとともに、安全かつ有効な医薬品を国民に供給し、医薬品の副作用や不良医薬品から国民の生命、健康を守るべき重大な責務があることを改めて深く認識し、薬事法上医薬品の安全性確保のため厚生大臣に付与された各種権限を十分活用して、本件のよろな医薬品による悲惨な被害を再ぴ発生させることがないよう、最善、最大の努力を重ねることを改めて確約する。

3)製薬会社は、安全な医薬品を消費者に供給する義務があることを改めて深く自覚し、本件のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることがないよう、最善、最大の努力を重ねることを確約する。

なお、この和解の当事者とならなかった被害者については、訴訟上一定の手続を踏んだ上で、同一内容にて和解することとされ、1996年3月の和解以降、2007年6月末現在までに1,378名の被害者と和解が成立しており、現在もなお係属中の訴訟がある。

注1)サリドマイド訴訟

サリドマイドは「安全な」睡眠薬として開発・販売されたが、妊娠初期の妊婦が用いた場合に催奇形性があり、四肢の全部あるいは一部が短いなどの独特の奇形をもつ新生児が多数生じた。
日本においては、諸外国が回収した後も販売が続けられ、この約半年の遅れの間に被害児の半分が出生したと推定されている。
大日本製薬と厚生省は、西ドイツでの警告や回収措置を無視してこの危険な薬を漫然と売り続けた。
1974年10月13日、全国サリドマイド訴訟統一原告団と国及び大日本製薬との間で和解の確認書を調印、続いて26日には東京地裁で和解が成立した。以後、11月12日までの間に、全国8地裁で順次和解が成立した。
(企業と国の負担比率は2:1)

確認書
  「厚生大臣及び大日本製薬は、前記製造から回収に至る一連の過程において、催奇形性の有無についての安全性の確認、レンツ博士の警告後の処置等につき落ち度があったことに鑑み、右悲惨なサリドマイド禍を生ぜしめたことにつき、薬務行政所管庁として及び医薬品製造業者としてそれぞれ責任を認める」
  「厚生大臣は、本確認書成立にともない、国民の健康を積極的に増進し、心身障害者の福祉の向上に努力する基本的使命と任務をあらためて自覚し、今後、新規薬品承認の厳格化、副作用情報システム、医薬品の宣伝広告の監視など、医薬品安全性強化の実効をあげるとともに国民の健康保持のため必要な場合、承認許可の取消、販売の中止、市場からの回収等の措置をすみやかに講じ、サリドマイド事件にみられる如き悲惨な薬害が再び生じないよう最善の努力をすべきことを確約する」
    

注2)キノホルム(スモン)訴訟

スモンは、腹部膨満のあと激しい腹痛を伴う下痢がおこり続いて、足裏から次第に上に向かって、しびれ、痛み、麻痺が広がり、ときに視力障害をおこし、失明にいたる疾患である。膀胱・発汗障害などの自律障害症状・性機能障害など全身に影響が及ぶ。
スモンは、整腸剤「キノホルム」を服用したことによる副作用だと考えられている。1970年8月に新潟大学の椿忠雄教授が疫学的調査を踏まえてキノホルム原因説を提唱し、厚生省はこれを受けてキノホルム剤の販売を直ちに停止した。
国と製薬会社の武田薬品、日本チバガイギー、田辺製薬に対する裁判が行なわれた。
田辺製薬はウイルス説を全面展開し和解を拒否してきたが、1979年、キノホルムとスモンの因果関係を認め、9月15日に、国及び製薬企業がその責任を認め、被害者救済の道筋を定めた確認書に調印した。
(企業と国の負担比率は2:1)
このスモン被害者の運動は1979年9月の薬事二法(薬事法の改正と医薬品副作用被害者救済基金法成立の原動力となった。

確認書
  「被告国は、安全かつ有効な医薬品を国民に供給するという重大な責務をあらためて深く認識し、今後薬害を防止するために、新医薬品の承認の際の安全確認、医薬品の副作用情報の収集、医薬品の宣伝広告の監視、副作用のおそれのある医薬品の許可の取消など、薬害を防止するために必要な手段をさらに徹底して講ずるなど行政上最善の努力を重ねることを確約する。」
  「被告製薬3社は、スモン被害者が強く訴えてきたノーモア・スモンの要求が極めて当然のものであることを理解し、これを機会に、医薬品の製造・販売等に直接携わるものとして、医薬品の大量販売・大量消費の風潮が薬害被害発生の基盤ともなり得ることを深く反省し、医薬品の有効性と安全性を確保するため、その製造・販売開始時はもとより、開始後においても、副作用の発見及び徹底した副作用情報の収集につとめ、それらに対する適切な評価や必要かつ充分な各種試験を実施し、更にそれらのデータを厚生省に提出し、医者や使用者にも副作用情報を提供し、効能や用法・用量に関しては、適正な宣伝、情報活動をなすなどし、薬害を発生させないための最高最善の努力を払う決意を、スモン被害者のみならず国民全体に表明する。」
    

ーーー

本件では、上記の民事訴訟、株主代表訴訟の他に、以下の刑事訴訟がある。

①元帝京大学副学長 安部英業務上過失致死事件

1985年5月、6月頃の帝京大学医学部附属病院における非加熱製剤(日本臓器の非加熱製剤)の投与によって、血友病患者がHIVに感染し死亡したという被害事実について、元帝京大学副学長である医師安部英が、業務上過失致死罪にて東京地裁に起訴された。
2005年4月に被告人が死亡したため、公訴棄却となって終結している。

②元厚生省生物製剤課長松村明仁 業務上過失致死事件

1996年10月、上記帝京大学ルート刑事事件およびミドリ十字元3社長業務上過失致死事件で採り上げられた2件の被害事実について、厚生省の元生物製剤課長である松村明仁が、業務上過失致死罪で東京地裁に起訴された。
2001年9月、帝京大学ルート刑事事件における被害事実については無罪(検察官は上告せず、無罪確定)、
ミドリ十字ルート刑事事件における被害事実については執行猶予付有罪(禁鋼刑)の第1審判決が出された、双方が控訴したが、双方の控訴が棄却された。被告人は、現在上告中。

③ミドリ十字 元3社長業務上過失致死事件

大阪医科大学附属病院における1986年4月の肝臓病治療の際に、止血を目的とした非加熱濃縮第Ⅸ因子製剤(クリスマシン)の投与によって,患者がHIVに感染し死亡したという被害事実について、ミドリ十字の当時の歴代3社長(松下廉蔵・須山忠和・川野武彦)が、業務上過失致死罪で大阪地裁に起訴された。
2000年2月、それぞれ禁鋼刑に処する旨の有罪判決があり、被告人3名は控訴したが、被告人川野武彦は死亡のため公訴棄却となり、その余の被告人2名については、大阪高裁が第1審判決を破棄し、刑期が短縮された。

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この後、薬害ヤコブ訴訟が起こった。

脳外科手術の際、ヒトの死体から取った脳硬膜(脳を覆っている硬い膜)の移植を受けた患者がクロイツフェルト・ヤコブ病(以下「ヤコブ病」)を発症した。
ドイツのB.Braun Melsungenから輸入(輸入は日本ビー・エス・エス)したヒト乾燥硬膜ライオデュラが、病原体に汚染されていた。

B.Braun は製造に当たり、ドナーの選択をせず、ドナーの記録もなく、多くの硬膜をプール処理し、滅菌が十分でないなど、ずさんな管理をしていた。

厚生省は、1973年に単なる書面審査でライオデュラの輸入を承認したが、1997年の使用禁止までの間、硬膜移植によるヤコブ病伝達の危険性に関する多くの論文や報告があったにもかかわらず、全く何の措置も取らなかった。
1987年に硬膜移植後にヤコブ病を発症した第1号患者の報告論文が発表され、アメリカではその年に使用を禁止したが、厚生省は何もしなかった。

感染した患者と家族・遺族が1996年11月に大津地裁に、1997年9月に東京地裁に訴訟を提起した。

両地裁は和解案を示し、2002年3月25日に確認書に調印した。(企業と国の負担比率は2:1)
確認書には国と企業のおわびが明記された。

厚生大臣は、(これまでの訴訟の和解による解決で)薬害の再発を防止するための最善の努力をすることを確約したにもかかわらず、本件のような悲惨な被害が発生するに至ったことを深く反省し、--- としている。

2007年3月、2005年に提訴した患者(2006年に死亡)の和解が大津地裁で成立した。
計42件の大津訴訟(患者42人は全員死亡)は、これですべて和解が成立した。
東京訴訟は65件のうち55件で和解し、10件で協議している。

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上記の4件の和解で、ミドリ十字の入っている薬害エイズ事件のみ、企業と国の負担が6:4で、他はすべて2:1となっている。
今回の薬害肝炎事件での負担割合について、舛添厚労相は、これまでの薬害事例などを参考に2:1で折衝中としている。

 


* 総合目次、項目別目次は
   http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htm にあります。

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