2006年4月アーカイブ

2006年5月5日は米国のMTBE市場が大きく変わる日である。この日以降、米国のほとんどのガソリンからMTBEが除かれる。
(ガソリン値上げを懸念する声が多く、期日が若干延期される可能性がある)

MTBEやエタノールは従来、オクタン価向上のためにガソリンに添加されていた。

1990 年改正の大気浄化法では、自動車排気ガス対策として、スモッグが問題となっている地域(ロサンゼルス地域、サンディエゴ地域、サクラメント地域等全米で約10 地域)において、1995 年から重量ベースで2%以上(上限3.7wt%)のOxygenate (含酸素分成分)を含有する改質ガソリンの販売が義務付けられた。さらに、それ以外の多くの地域や州においても、自主的に同様の基準が導入されており、現在、全米のガソリンの約30%が改質ガソリンとなっている。

Oxygenateとしては、MTBE が85%以上使用され、エタノールは8%程度であった(その後下記の一部州での禁止でMTBEの比率は減っている)。

ところが、MTBEによる地下水汚染が大問題となった。ガソリンスタンドの地下タンクには必ず漏れがある。ガソリンの漏れは微生物が分解するが、MTBEの場合には分解する微生物は少ない。このためMTBEが地下水を汚染することとなる。

米国には川が近くになくて地下水を飲み水にするところが多いが,MTBEが混じると臭いや味で飲めなくなる。また、ガソリンスタンドが営業停止になって住民がいなくなった町もあるという。

この結果、カリフォルニア州ニューヨーク州、コネティカット州などが2004年からMTBEの使用を禁止した。ニューヨーク等はエタノールに切り替えたが、カリフォルニア州では、エタノールは遠くから輸送する必要がありコストがかかること、および最近のガソリンはOxygenate混入なしでも問題がないと主張してOxygenate含有義務免除を要請し、ロスのようなスモッグ地域を除き、免除となっている。

Texas Petrochemicals LP というC4留分専業の会社がある。MTBEやブタジェン、ブテン-1、イソブチレン等々を製造販売している。この会社が2003年7月にChapter 11(日本の会社更生法に近い)を申請した。原料やエネルギーコストの上昇の中で、MTBEの規制強化で需要がドンドン減っていくと予想し、債務の縮小を狙ったものである。コンサルタントの助言を得て行ったもので、この策は見事に成功し、同社は立ち直った。本年4月に、同社はHuntsmanからブタジェンとMTBEのプラント(PO/MTBE併産設備は除く)を購入している。

昨年のエネルギー法案審議においてはいろいろな法律案が議論されたが、最終的には本年5月5日でOxygenateの添加義務が失効することとなった。また、MTBEによる汚染に関して免責にする法律も提案されたが、これは否決された。

55以降は Oxygenateの添加義務はなくなるが、オクタン価向上剤は必要である。しかし、MTBEを使用して地下水汚染が起こった場合に免責はされない。

この結果、従来MTBEを添加していたガソリンはエタノールをオクタン価向上剤として添加することとなる。
米国ではエタノールは中西部でコーンを原料に生産されている。(ブラジルではサトウキビが原料)

現在、米国では十分なエタノールがあるのか、輸送手段は十分か、又、輸送費等でエタノールがコストアップになりガソリン価格が上がるのではないか、ブラジルからのエタノール輸入関税を下げるべきだなどという議論が盛んである。

いずれにせよ、これまでにガソリンに大量に使用されたMTBEは今後は使用されなくなる。原料のメタノールにも影響が出るだろう。

これまでエチレン事業への日本企業の参加をみてきたが、誘導品事業にも多くの企業が参加している。

PT Petrokimia Nusantara Interindo (PT PENI) :PE

BPアモコが中心に設立したポリエチレン会社で1992年に400千トンのLLDPE/HDPEスイングプラントでスタート、94年に450千トンにした。
出資は
BPが75%三井物産と住友商事が各12.5%である。当初はスハルト元大統領の長男シギットが経営するPT Arseto Petrokimiaが24%出資していたが、BPがその分を引き受けた。Indonesiamap_2

BPは当初から原料エチレンの自製を目指し、サリム、三井物産、住友商事、ニチメン、トーメンとともにエチレン進出(70万トン規模)を検討していた。しかし通貨危機で経営危機に陥ったサリムがIBRAの管理下に入り、これは取り止めとなった。
その後、チャンドラ・アスリとの統合案も出たが、同社の財務のひどさをみて断った。

3社はエチレンなしでのPE単独事業に見切りをつけ、2003年にスハルト元大統領の従兄弟で大富豪のスドィカトモノが率いるインディカ・グループ5千万ドルで売却した。

2005年12月、台湾のChaoが率いるマレーシアのTitan Chemicalsがこれを買収、社名をPT Titanと改称した。マレーシアからエチレンを供給するとしている。

PT Polytama Propindo:PP

さきに述べた通りツバン計画の中心であったティルタマス・グループの事業はPT Tuban Petro が引き継いだが、このなかにPPメーカーがある。

同社はティルタマスが80%、BPが10%、日商岩井が10%のJVとして設立され、1995年にボルネオ東カリマンタンのバロンガンにFCC回収プロピレン180千トンとPP180千トンを建設した。(同地にはプルタミナの製油所がある)

PPではほかに、チャンドラ創業の中心であったビマンタラ(スハルト次男バンバンの会社)やナパンによって設立されたトリポリタ・インドネシア(メラク:現有能力 34万トン)とプルタミナ(45千トン)がある。

スチリンド・モノ・インドネシア(SMI):SM

トーメン(現在は豊田通商)は出光石油化学、サリム・グループ、ビマンタラなどとSMIを設立し、92年末にメラクで10万トンのSM工場をスタート、95年末にはSM原料のエチルベンゼン11万トン設備も建設した。現在の能力はEB 44万トン/SM 40万トン。

当初の出資比率は
トーメン75%、出光5%、ビマンタラ10%、サリム10%であったが、
現在は、
豊田通商84.62%PT Bimakima 7.69%、Salim Chemicals 5.13% ほかとなっている。

誘導品としてはメラクにダウ100%のPT Pacific Indomas Plastic Indonesia のPS、PT Dow Polymers Indonesiaのラテックスなどがある。

付記 2007/3/29
 SMIはその後、豊田通商100%となった。
 豊田通商は3/27にSMIをPT. Chandra Asri に売却することを決めた。
  「国際競争の激化に伴い、安定した原料の確保と販路の拡大が課題となっております。
   一方、CA はスチレンモノマーの原料となるエチレンを製造しており、SMI との統合により大きなシナジーを期待できることから、
  SMI の譲渡先として最適であると判断」

ーー

サリム・グループはスドノ・サリムが一代にして築いたアジア屈指の財閥で、スハルト大統領一族との癒着で知られている。サリム・グループは塩ビでも事業を行っている。これに日本企業が参加した。

ンダード・トーヨー・ポリマー(スタトマー):PVC

東ソー 30%、三井物産 20%、現地サリム&ビマンタラ 50%(その後サリム 50%)の合弁で1977年にメラクで操業を開始した
現在の能力は9万トンで、1999年に日本側がサリム側の保有する全株式を買い取り、東ソー60%、三井物産40%となった。
通貨危機でのサリムの破綻と、
1998年7月の外資法改正で外資100%が認められた結果である。

 

Satomo Indovil 関連

サリムは子会社 PT Sulfindo Adiusaha で、メラクに台湾の中古の水銀法電解96千トンとEDC90千トンをもっていた。
当初、サリムは同社が50%、アトケム 25%、
住友商事 25% でJVを設立し、Sulfindoの電解をS&Bし、電解からPVCまでの一貫事業を構想した。
しかし、アトケムが離脱したため、東ソーを加えたが、東ソーがPVCのみに参加を希望したため、次の3会社となった。

PT Sulfindo Adiusaha 電解

サリム100%のままとし、水銀法電解をスクラップして、旭化成法で電解を新設(塩素200千トン)、EDCは下記会社に移管した。

Satomo Indovil Monomer :VCM

サリム50%、住友商事25%、香港のBrendswick25%で設立、EDCはSulfindo から90千トンを移管した上で175千トンを増設、VCMはアトケム法で100千トンを新設した。

Satomo Indovil Polymer :PVC

サリム50%、東ソー25%、住友商事25%で設立、1998年に東ソー技術でPVC 70千トンを建設した。

1997年の通貨危機でサリムは破綻、金融再編庁との交渉の結果、同社は資産管理会社 Holdiko に移管され、順次売却されることとなった。(上記スタットマーは日本側が買収)

Satomo関連については東ソー/住商によるサリム持分購入も検討したが入札が成立せず、2001年12月にサリム持分は香港のEmperor Groupに売却された。

2003年にトラブルが発生した。
Emperorは日本側を追い出して全体の支配権をとることを狙い、まず、Sulfindoからの塩素供給を停止してVCM、PVCの操業停止に追い込み、更に自ら、子会社のSatomo Indovil Monomer
の破産申請を行った。

一審では破産が認められたが、二審で破産状態ではないとの逆転判決が下り、三審も二審を支持して法的には住友商事サイドの主張が認められた。しかし原料の供給は切られたままで、住商はEmperorに対して同社持分の買収交渉を行った。

しかし交渉はまとまらず、結局日本側は撤退を決め、インドネシアのローカル銀行のPT. Pan Indonesia Bank Tbk.が全てを買収し、2004年10月に生産を再開した。

ーーー

Eastern Polymer:PVC

同社はインドネシア最初のPVC会社で香港のUnited Industriesがジャカルタに建設したが、建設以来休眠状況であった。1975年に徳山曹達が三菱商事と組んで技術援助を行い、軌道に乗せ、1981年に徳山曹達が20%、三菱商事が30%出資した。

その後三菱商事100%となり、徳山曹達(と子会社サン・アロー化学:当時)が技術指導を行っていたが、1998年に休止した。
その後、パイプメーカーのワービンが買収し、1998年12月に生産を再開している。現在能力48千トン。

アサヒマス・ケミカル:PVC 

旭硝子の子会社でアニールにプラントをもち、国内シェアNo.1のトップメーカー(ソーダのシェア66%、PVCシェア59%)。
現在の株主は旭硝子52.5%、ロダマス18%、エイブルマン・ファイナンス18%、三菱商事11.5%。
1986年設立で、その後順次能力を増強し、現在の能力は
電解37万トン(ソーダ37万トン/塩素33万トン)、VCM40万トン、PVC28万5,O00トンで2007年には25万トンのVCMと10万トンのPVCを増設し、老朽化した15万トンのVCMを廃棄する予定である。

インドネシアにはこれらのほか、サイアム・マスピオン・ポリマーズがある。タイのサイアムセメントが塩ビパイプ大手のマスピオンと組んでスラバヤに12万トンのPVCを建設した。技術は新第一塩ビの内部ジャケット方式(ゼオン、住化、トクヤマ、クレハの旧第一塩ビ販売グループの共同開発)を採用している。
2005年央にマスピオンが撤退し、現在はサイアムが60%、同社子会社のTPC(Thai Plastic & Chemicals)が40%となっている。

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三菱化学インドネシア:PTA

三菱化成とバクリー&ブラザーズは1990年10月にバクリー・カセイ・コーポレーションを設立、94年2月からメラクでPTA25万トンの操業を開始した。現在の能力は64万トンでボトル用ペット樹脂も製造している。

バクリー&ブラザーズは経営危機に陥り、金融機関から事業の再編成、化学事業からの撤退を要求され、2000年に全持株を日本側に売却し、同社は三菱化学とベンチャーキャピタルである日本アジア投資(JAIC)の日系100%企業となった。
2001年4月に社名を三菱化学インドネシアに変更、現在の持株比率は三菱化学83.2%、JAIC16.8%。

 

アモコ・ミツイPTAインドネシア(AMI):PTA

三井グループとアモコ・ケミカルズ現BPは、それぞれのPTA計画を統合し、1997年にアモコ50%、三井化学45%、三井物産5%出資でPT Amoco Mitusui PTA Indonesia を設立した。
97年8月に
メラクに35万トン設備を完成させ、その後増設により現在能力は45万トンとなっている。

三井化学と三井物産は、東レと現地企業との合弁でボトル用ペット樹脂の合弁会社ペットネシアレジンドを設立している。
出資比率は
三井化学 41.6%、東レ 36%、ITS 11%、ユオノパンチャトゥンガル5.9%、三井物産5.5%で、現在の能力は7.5万トン。

PTAではほかに、ナパン・グループのPolyprima Karyareska(西ジャワ・チレゴン 35万トン)、ポリエステル繊維メーカーのテキシマコ・グループのPolysindo Eka Perkasa(カラワン 34万トン)がある。

 

PT. Kaltim Methanol Industri :メタノール

1990年にスハルト元大統領三男のフトモ・マンダラ・プトラ(通称トミー)率いるフンプス・グルーブ80%、トミー自身が20%出資で設立されたが、間もなくフンプス100%となった。
立地はカリマンタンのボンタンで、当初33万トンで承認を得たが、66万トンへの増設が認められた。原料は天然ガス、製品は
輸出が41万トン、国内が15万トンの割合。

1997年に日商岩井(30%)とダイセル化学(5%)が資本参加し、99年からは日商岩井(現双日)85%、ダイセル5%、フンプス10%の出資比率となっている。

PT.Nippon Shokubai Indonesia:アクリル酸

1996年8月に日本触媒50%、PPメーカーのトリポリタ・インドネシア45%、卜一メン5%の出資でPT Nisshoku Tripolyta Acrylindoが設立された。
1998年9月にアニールでアクリル酸6万トン、同エステル4万トン(現在10万トン)の生産を開始した。

2000年8月にトリポリタの所有する全持ち株を日本側が買い上げ、出資比率が日本触媒93.8%、トーメン6.2%となり、2001年1月には社名をニッポン・ショクバイ・インドネシアに改称した。

 

PT Showa Esterindo Indonesia:酢酸エチル 

昭和電工は1997年に自社開発の酢酸エチル直接付加法プラントをインドネシアで建設することを決定、昭電51%、トーメン14%、インドネシアのCV Indo Chemical 30%、シンガポールのChin Leong (CLP) 5%のJV PT Showa Esterindo Indonesia を設立した。

1999年にメラクに5万トン設備を建設した。

酢酸エチルでは他に、BPがチャンドラ・アスリ系のインター・ペトリンド・インティ・シトラと合弁でシトラ・パシフィック・インターナショナル・エステルズを設立、5万トンの酢酸エステル、7万トンの酢酸エチル設備の建設を計画したが、その後BPがインドネシアから撤退し、取り止めとなった。

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インドネシアについては、化学会社のOBという中原洋氏の本 「腐敗と寛容 インドネシア・ビジネス」 (東洋経済新報社)が面白い。
前々回のチャンドラ・アスリの項で「インドネシア特有の理由で建設費が異常に高いと言われていた」としたが、この辺の事情も詳しく書かれている。
インドネシア全般に蔓延する汚職については止むを得ない点もあるとするが、政府関連の大規模なものは区別して批判的である。

日本経済新聞夕刊の「ドキュメント挑戦」が43日から関係再構築 インドネシアと日本」として、インドネシアのために努力しているいろいろな人の活躍を連載で報告している。

2、ツバン計画

ツバン計画が当初の形を変えて間もなくスタートする。

本計画はハシム・グループ傘下のティルタマス・マジュタマとタイのサイアムセメント日商岩井伊藤忠商事が合弁会社トランス・パシフィック・ペトロケミカル・インドタマ(TPPI)を設立し、東ジャワのツバンでエチレン/アロマの一大コンプレックスを建設しようというもので1996年末に着手した。Indonesiamap_1

事業内容はインドネシア国営石油ガス会社(プルタミナ)のコンデンセートを使い、70万トンのエチレン、100万トンの芳香族(50万トンのパラキシレン)、誘導品として10万トンのHDPE、30万トンのLDPE、20万トンのPP、50万トンのSMを生産するものである。

TPPIの出資はハシム・グループ傘下のティルタマス・マジュタマが70%、タイのサイアムセメントのシンガポール法人Tuban Petrochemical が20%、伊藤忠と日商岩井が各5%であった。
(その後
米国のKoch Refiningがティルタマスの5%を引き受けたが、離脱した。)

この計画は1999年央に完成予定で、市場、原料、内容面から世界で最もコスト競争力があるコンプレックスといわれた。

しかしながら1997年の通貨危機で資金手当てができなくなり、芳香族部分が6割、エチレン部分が2割まで完成しながら年末に工事中断に追い込まれた。その後エチレン機器は、受注したストーンウェブスターが中国南京市のBASF/SINOPECのJV・BASF-YPC用に売却した。

2001年に伊藤忠と日商岩井はプルタミナに事業の再開を要請した。
プルタミナはこれに応じてTPPIに15%を出資することとなり、調整の結果、ティルタマスが59.5%、Tuban Petrochemical(サイアム)が17%、伊藤忠と双日(日商岩井)が各4.25%の出資とした。

2002年にティルタマス・グループは金融再編庁(IBRA)との協議の結果、同社を再編して新会社PT Tuban Petroを設立、その70%をIBRAが保有、残り30%をティルタマスの元のオーナー・Honggo Wendratnoが個人保証をした上で保有することとなった。
これにより、Tuban Petroは、ティルタマスが株主であったTPPIの59.5%、PP会社の
PT Polytama Propindoの80%(残り10%は日商岩井、10%はBP),ブタノール等のPT Petro Oxo Nusantaraの50%(残り50%はエテリンド), ポリエステル繊維のPT Pacific Fibretamaの50%を保有することとなった。

2002年6月、インドネシア政府は近く国外の金融機関から新規融資を獲得して1998年から中断しているTPPIの建設工事を再開すると発表した。
日経夕刊に連載の「関係再構築 インドネシアと日本」(2006/4/25)には日揮の重久・会長兼CEOがワヒド大統領にプロジェクト再開を要請した際に、同席した当時鉱業エネルギー相で現大統領のユドヨノが「石油を製品化し輸出で外貨を稼ぐ事業の国家的意義を十分理解し積極的に動いてくれた」とある。

エチレン機器は売却済みのため、芳香族部分のみを実施することとした。100万トンの芳香族(うちパラキシレン50万トン、ベンゼン20万トン、トルエン15万トン)と100万トンのナフサ、160万トンのケロシンとディーゼル油を生産する。ナフサと芳香族は外販、燃料油はプルタミナが引き取る。

2004年5月、三井住友銀行を幹事行とする6行の国際協調融資団が2億ドルの融資を行い、日本貿易保険が保険を引き受けた。融資の返済はTPPIの株主であるプルタミナが三井物産に販売する低硫黄残渣油の代金で賄われる。

TPPIは間もなく6月に生産を開始する。

IBRAは任務を終わって解散し、Tuban Petroは後継組織に引き継がれた。しかし継続して化学企業の株主として機能する考えはなく、TPPIはティルタムス・グループが再度株主となるのではないかと噂されている。

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次回はシンガポールの誘導品事業への日本企業の参加をみる。

 

 

前にイラン、サウジ、シンガポール、韓国のエチレン計画への日本企業の参加について述べたが、他にも日本企業が参加したものがある。

インドネシアには3つのエチレン計画があった。チャンドラ・アスリツバン計画BP/サリムの計画で、チャンドラ・アスリは実現したが、ツバンは計画を変更してエチレンは中止、芳香族関連を本年にようやく完成する。BP/サリムの計画は中止となり、BPはPE事業のPENIを売却し撤退した。3計画ともに日本商社が参加していた。

1.チャンドラ・アスリ

20062月にインドネシア紙が、シンガポールの政府系投資機関のテマセク・ホールディングスがチャンドラ・アスリの株式 50.45% を7億ドルで買収したと報じた。コメルツバンク・インターナショナルの所有する 24.59% とマレーシア Glazers & Putnam Investment Ltd.の所有する 25.86% を買収したとしている。(テマセク側は現在に至るも本件の発表をしていない)

コメルツバンク所有の24.59%は2005年4月に丸紅がチャンドラからの撤退で株式を売却したものである。
チャンドラの残りの49.55%は、バリト・グループのPT Inter Petrindo Inti Citra が所有している。

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本計画はスハルト元大統領の次男のバンバンのビマンタラ・グループ、合板王と呼ばれる彭雲鵬が率いるバリト・グループ林紹良が率いるサリム・グループからスピンオフしたナバン・グループが中核となり1989年に設立され、これに丸紅と技術面で昭和電工が協力する形でアニールにエチレン、PEの建設を計画した。Indonesiamap
近くのメラクではビマンタラ、ナバンが設立したトリポリタのPP、トーメンが中心のSMIのスチレンモノマー、BP等のPENIのPEの工場が建設されていた。

プルタミナからナフサ供給の確約をとりつけ、1990年にはナフサクラッカー部分をTEC/丸紅連合に発注した。

しかし、所要資金の借入完了後の91年9月に、世銀から対外債務の大きさにクレームを付けられた政府は政府関連大型プロジェクトの一時凍結宣言を行い、本計画も中断された。

株主3社は、バリト・グループの香港法人を経由して75%出資し、残りを日本インドネシア石油化学投資(丸紅85%、昭和電工10%、TEC5%)が25%出資し、100%外資企業の形をとって規制をくぐり、再出発した。

1995年にプラントが完成した。エチレン 520千トン、プロピレン 270千トン、LLDPE/HDPE 240千トン、HDPE 100千トンで、当初計画したPPは取り止めた。Nesiarate

1997年にタイで始まった通貨危機はすぐに各国に伝わり、インドネシアのルピーは1998年1月には当初の20%にまで暴落した。需要の激減とルピア切り下げによる元利返済負担の増大で同社は危機的状態となった。
(元々、インドネシア特有の理由で建設費が異常に高いと言われていた。)

1997年10月には約6億ドルにのぽる借入金のキャピタライズ化を実施し、さらにインドネシア金融再編庁(IBRA)が融資の担保として現地企業の持分を保有した。
(他のJVでも現地企業持分の多くはIBRAが所有した。)

ーーー

BPは三井物産、住友商事と(当初はArceto Petrokimiaも参加)PENIを設立し、PE事業をしていたが、サリム、三井物産、住友商事、ニチメン、トーメンとともにエチレン進出(70万トン規模)を検討していた。しかし通貨危機で経営危機に陥ったサリムがIBRAの管理下に入り、これは取り止めとなった。

インドネシア政府はBPに接触し、チャンドラへの参加を呼びかけた。チャンドラとPENIを統合し、PE事業に安価なエチレンを安定的に供給するという案である。

1999年に政府はBPがチャンドラの50%を持ち、政府が25%、日本側が25%という案を発表した。しかしBPはチャンドラの内情を知り、参加を取り止めた。

IBRAと丸紅は再建のための財務リストラ交渉を行い、最終的に2001年10月に合意をみた。
・インドネシア側融資金約5.4億ドルの内約4.4億ドルの株式化、日本側融資金約7.8億ドルの内約1.5億ドルの株式化。
・日本側融資金の残額約6.3億ドルならびにインドネシア側融資金残額約1億ドルについては、今後15年間で返済される。
インドネシア側及び日本側の株式化後の残存融資金にかかる金利率は、年率 LIBOR+1.25%とする。

IBRAは2003年、チャンドラの本格的な経営再建を図るため、保有株式75%のうち49.1%をPT Inter Petrindo Inti Citraに、残る25.9%をマレーシアのグレイザー・プットナム・インベストメントに売却した。

ーーー

2005年4月、丸紅はチャンドラ・アスリからの撤退を発表した。
チャンドラは財務リストラの結果、2004年度には初の黒字転換を果たしたが、
同社にとってチャンドラは原料と製品の双方が市況りスクに晒される事業でおり、少数株主としてその発言権も著しく限定されていることから、撤退の検討をしてきた。

同社は重点事業としてバリトとの共同出資のムシパルプ事業の出資比率を段階的に引き上げていたが、バリトが大口債権者であるシンガポールのコメルツに転換オプション付き社債を発行する動きが出てきたことから、チャンドラの株式とこれとを交換することとなったもの。
日本インドネシア石油化学投資が保有するチャンドラ株式24.59%と同社向け融資581百万ドルを譲渡した。

2005年10にこの手続きを完了し、日本側は正式にチャンドラから撤退した。

なお、チャンドラは現在エチレンの増設中で、2007年央にエチレンが70千トン増の590千トンに、プロピレンが36千トン増の306千トンになる。

 

 

 




フェノール業界

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2006/4/14のポリカーボネートと原料ビスフェノールAでPCとのカラミで一部の会社のビスフェノールAに触れた。

ここではフェノールとビスフェノールAの活動をまとめた。

各社能力 (単位:千トン)

         

フェノール

ビス
フェノールA

三井化学

大阪

 200

大阪

60

市原

 190

名古屋

   55

Singapore

 250

  230

中国

(120)

日本GE
プラスチック

市原

90

千葉フェノール

出光千葉

230

出光興産  千葉

70

三菱化学 鹿島

 250

100

黒崎

120

新日本
フェノール 
戸畑

0

新日本
ビスフェノール
戸畑

95

新日鐵化学
 (錦湖P&B)
韓国
 Yeochon


280


135

国内

三井化学は大阪に200千トン、市原に190千トンのフェノールをもつ。

ビスフェノールは大阪に60千トン、名古屋に55千トン、及び
日本GEプラスチックの工場として市原に90千トンをもつ。
大阪工場は1986年に三井東圧と三菱油化がビスフェノールAの50/50製造JVとして設立した「共同ビスフェノール製造」で、1997年3月に合弁を解消し、98年3月に吸収した。
日本ジーイープラスチックス(GEPJ)は1989年設立で、GEが51%、三井化学が41%、長瀬産業が8% 出資しており、GEPJ自消分以外の製品は三井化学が販売を受託している。

三井化学はまた、出光興産千葉工場内に、三井化学55%/出光興産(旧出光石油化学)45%出資の千葉フェノールを設立し、フェノール230千トン、アセトン80千トンをもっている。(2006年にそれぞれ200千トン、60千トンから増設)
出光興産はビスフェノールA 70千トンをもつ。(PCは千葉に
50千トンのほか、台湾に台湾プラスチックとの50/50のJVの台化出光石油化学100千トンをもつ)

三菱化学は鹿島にフェノール180千トンとビスフェノールA 100千トン、黒崎にビスフェノールA 100千トンをもつとともに、戸畑に新日鐵化学とのフェノール、ビスフェノールAのJVをもっていた。
フェノール(
改良トルエン法)は新日本フェノール(新日鉄化87.5%/三菱12.5%、120千トン)、ビスフェノールAは新日本ビスフェノール(当初は新日鉄化51.4%/三菱24.3%/東都化成24.3%で2001/3に東都化成持分が新日鉄化へ、95千トン)で、1993年に稼動を開始した。
東都化成は新日鐵グループで、新日鐵化学はビスフェノールAは東都化成のエポキシ用に供給するとともにとPCメーカーに販売した。

しかし、原料トルエンの高騰による採算悪化から2005年に合弁を解消、フェノールは停止、ビスフェノールAは新日鐵化学100%とした。
これに伴い、三菱化学は鹿島のフェノールを250千トンに、黒崎のビスフェノールAを120千トンに増設、新日鐵化学は韓国のJV(後記)を増設した。

国内の生産推移は添付の通り。Phenolseisan

海外

三井化学は、2006/4/3の「シンガポールの石油化学の歴史-2」記載のとおり、シンガポールのジュロン島で多くの事業をおこなっている。
当初はフェノール/アセトンは
Mitsui Phenol Singapore三井化学 90%、三井物産 10%)、ビスフェノールAはMitusi Bisphenol Singapore 三井化学100%)で生産していたが、2006/1/1に両社を合併しMitsui Phenols Singapore (三井化学 90%、三井物産 10%とした。
現在の能力はフェノール 250千トン、アセトン
 150千トン、ビスフェノールA 230千トンで、ビスフェノールAは隣接のTeijin Polycarbonate (180千トン)用に供給している。

三井化学は本年4月にビスフェノールAを製造・販売するSINOPECとの50/50合弁会社・上海石化三井化工有限公司の設立の認可を取得した。上海ケミカルパークに120千トンのプラントを建設する。原料フェノールはSINOPEC上海高橋分公司から供給を受ける。
製品は
帝人化成浙江省嘉興市に100%子会社として設立した帝人化成(中国)(50千トンのプラントをもち、現在、倍増中)に供給する。

新日鐵化学は韓国にフェノール及びビスフェノールAの製造販売のJV・錦湖P&B化学をもっている。
新日鐵化学 49%
錦湖石油化学及び系列会社 51% 出資で、麗川にフェノール 130千トン、ビスフェノールA 35千トンをもっていたが、日本での三菱化学とのJV解消に伴い、それぞれ280千トン、135千トンに増設した。

錦湖P&B化学は当初はShellと錦湖のJVの Kumho Shell Chemical で、1998年にShellが離脱して現社名に改称、2000年7月に新日鐵化学が参加した。

このほか、本州化学工業が三井物産、バイエルとのJVで、特殊PC樹脂、特殊エポキシ樹脂原料の特殊ビスフェノールをドイツのザクセンアンハルト州で事業化している。
2001年に
Hi-Bis GmbH を設立、5千トン設備を建設し、2004年12月から営業を開始した。

アクリル酸業界

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アクリル酸は高吸水性樹脂向けを中心に世界中で需要が増えている。Tecnon(2004年:LG発表資料から)によればアクリル酸の需給は以下の通り。

                     単位: 千トン
  2004 2008予想 2010予想
能力 需要 能力 需要 能力 需要

Global

 3,617

 3,333

 4,351

 3,834

 4,491

 4,143

China

165

463

645

745

645

937

韓国 LG Chem によれば、2004年の能力順位は以下の通り。
①BASF 750千トン、②Rohm & Haas 575千トン、③Dow 516千トン、④日本触媒 450千トン、⑦LG 160千トン。

なおLGは新たに自社で開発した技術で80千トンプラントを建設中で、2007末に完成すれば能力は240千トンとなる。

日本のメーカーでは日本触媒と三菱化学が主メーカーで、海外にも進出している。

日本触媒が開発したアクリル酸製造技術は、海外の大手化学メーカーに数多く採用され、世界のアクリル酸製造能力の55%を占めている。(同社ホームページ)
同社は
姫路に220千トン設備(他にエステル 130千トン)をもつほか、米国テキサス州パサデナに高吸水性樹脂子会社NA Industries (当初はAlco社とのJVであったが、同社が他社に買収され、現在は日触100%)とElf Atochem North America との合弁会社American Acryl で120千トン(日触持ち分60千トン)プラントをもつ。
*
Elf Atochem は同敷地内にアクリル酸ブチルプラントを建設

更にインドネシアでは Nisshoku Tripolyta Acrylindo (当初 日触 50%、Tri Polyta 45%、トーメン 5%)の持分を増やし、現在 93.8%を所有している。同社の能力は60千トン(+エステル 100千トン)。

同社は2002年3月に住友化学との間でアクリル酸事業とMMAモノマー事業を交換した。日触としてはモノマーの販売だけのMMA事業を住化に譲り、アクリル酸に経営資源を集中投入し、強化・発展させていこうというものである。
この結果、住化・愛媛の80千トンの販売権と、
シンガポールのシンガポール・アクリリック社(粗製アクリル酸60千トン、住化 60%、東亞合成 40%)の51%の持分を住化から譲り受けた。
シンガポールではこのほか、スミカ・グレーシャル・アクリリック社(精製アクリル酸25
千トン、住化100%)の全持分を取得した。
なお、同地の
アクリル酸エステルJV(東亞合成 75%/住化 25%)は東亞合成 100%になり、高吸水性樹脂JV(住友精化 80%/住化 20%)は従来どおりである。

この結果、同社は全世界で450千トンのアクリル酸生産能力(持分ベース)を保有することになった。

その後、住化・愛媛のプラントは停止したが、姫路に老朽設備廃棄・愛媛停止集約で160千トンの新製法アクリル酸設備を建設中で2006年中に完成する。

三菱化学四日市に110千トン(ほかにエステル 116千トン)をもつ。

同社は2001年12月に
南アのSasol 社との間でアクリル酸及びアクリル酸エステルの共同事業について合弁会社を設立することで基本合意した。その後、20039月にEUの承認を得て2つの合弁会社を設立し、2004年4月に製品出荷を開始した。
①Sasol Dia Acrylates (Pty) Limited (本社:南ア)
 三菱化学 50%、Sasol 50% 出資で、アクリル酸及びアクリル酸エステルの販売、投資等の事業管理を目的とする。

②Sasol Dia Acrylates (South Africa) (Pty) Limited (本社:南ア)
 ①のJVが
50%、Sasol 50% 出資で、Sasol 社 Sasolburg工場敷地内に、アクリル酸 80千トン、アクリル酸ブチル 80千トン、アクリル酸エチル 35千トン、精製アクリル酸 10千トンを生産。

Sasol社の最新の石炭液化技術を用いて生産したプロピレン、エタノール、ノルマルブタノール(三菱化学技術)などの価格競争力をもつ原料と、三菱化学のアクリル酸及びアクリル酸エステル製造技術を組み合わせることにより、競争力ある製品を供給しようというものである。

*南アでは以前にアパルトハイト政策により欧米各国から石油の禁輸を受けたため、Sasol が同国の豊富な石炭を原料にしたエチレン生産技術を開発した。現在は中国にその技術を供与している。

なお、三菱化学は2004年8月に中国の藍星社に技術を供与した。藍星社のグループ会社の沈陽パラフィン社が遼寧省沈陽市で建設するアクリル酸(80千トン)、同エステル(120千トン)に生産技術を供与、製品の一部はSasol Dia Acrylates を通じて中国国内を含むアジア市場を中心に販売する予定である。

このほか、日本では出光興産(旧 出光石油化学)が愛知で50千トン(+エステル 50千トン)を、大分ケミカル(東亞合成90%、昭和電工10%)が大分で60千トンのプラントをもつ。大分ケミカルは1983年に廃業した日昭化薬(日本化薬/昭和電工)から事業を引き継いだもの。東亞合成は名古屋でアクリル酸エステル 114千トンのほか、シンガポールに100%子会社・Singapore Acrylic Ester(当初、東亞合成 75%/住化 25%)で同 82千トンをもつ。

日本の石油化学産業の構造改善(選択と集中時代)で触れなかった品目を順次取り上げたい。

スチレンモノマーのメーカー別能力推移は添付の通り。http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/sm.htm

SM業界は1985年1月に産構法の業種指定を受けたが、設備処理は各社が自主的に進めた。
住友化学が千葉工場、三井東圧化学が大阪工場を停止した。

ポスト産構法時代前期には三菱油化が手直し増設で鹿島で205千トン、四日市で271千トンの能力をもち、輸出価格の高騰で莫大な利益を上げた。(2年間で500億円といわれた。これを利用して時価発行増資を行い、エチレンを増設したのが、結果として同社の足を引っ張った。)

これをみて,各社が増設をおこなった。

出光石油化学は92年春に徳山で200千トン設備を新設した。
(同社は1969年に日本ゼオンとのJVの徳山スチレンモノマーを設立したが、1981年に千葉に工場を新設した際に休止している)

電気化学は1983年に千葉に160千トンのSMプラントを稼動させているが、92年に電気化学60%/住友化学40%の千葉スチレンモノマーを設立し、電化構内で94年5月から250千トンプラントをスタートさせた。現在、両プラントを合わせると能力は510千トンで、単一工場として日本最大である。

三井東圧化学は大阪工場を停止したが、宇部興産による宇部エチレンセンター構想に乗り、先行して宇部の西沖の山埋立地にSMプラントを建設、1994年に250千トンプラントが稼動した。
三井東圧、宇部興産、鐘淵化学3社の共同生産(最終的にはJVを目指した)で、引取り比率で固定費を負担する形をとり、比率は三井が70%、宇部が15%、鐘化が15%であった。

しかし、エチレンセンター構想が取り止めとなり、輸送コストなどにより競争力が低下したこともあり、共同事業を解消することで合意、2000年3月に鐘化が償却費持ち分を負担して離脱した。

新日鐵化学は1982年に新日鐵大分に150千トンのSMプラントを稼動させたが、1988年に新大協和石油(1990年に東ソーが吸収)とのJV(新日鐵化学65%)の日本スチレンモノマーを設立し、1990年大分で200千トンプラントを稼動させた。
1992年に昭和電工が参加したが、同社は94年にPS事業を旭化成に譲渡し、SM事業からも撤退した。

ーーーー
東ソーのSM事業は1971年に新大協和石化、大日本インキ化学、協和発酵、日立化成が設立した中部ケミカルで80千トンプラントを建設したのに始まり、中部ケミカルの新大協和石化への吸収、90年の新大協和石化の東ソーへの吸収合併で東ソー事業となった。
自社で誘導品を持たない唯一のメーカーで、大日本インキ化学のPS向けに供給していた。

日本オキシランは1972年に住友化学/昭和電工/ハルコン/ARCO(現在のライオンデル)が設立したJVで1975年にPO/SM 併産設備が完成した。(1980年にハルコン持分がARCOに譲渡され、ARCO 50%)
採算悪化から1982年には製造部門を分離してスミアルコを設立(住化 50%/ARCO 50%)したが、1987に日本オキシランがスミアルコを吸収、住化 44.76%/昭電 5.24%/ARCO 50%となった。(2002
6月に住化 50%/Lyondell 50%)

ーーーー

日本のSM事業は輸出比率が約4割で、中国の需要に左右された。
また原料のベンゼンがアップしても売価に転嫁できないことが多く、損益は大きく変動した。
1997年からのアジアの経済危機時には販売は激減し、操業度を落とした。

東ソーは、市況が大幅に下落するなかで事業収益改善の可能性が極めて困難であると判断、1998年9月末で四日市のSMプラントの操業を停止した。日本スチレンモノマー(東ソー出資比率35%、年間引き取り量約8万トン)での事業は継続する。

三菱化学は石化事業の最大の赤字のPS,SM事業の立て直し対策としてPSでは1998年10月にA&Mスチレンを設立して旭化成と事業統合したが、SMについては1999年秋に四日市のベンゼン2系列年22万トン、EB同29万トン、SM2系列同27万トン(うち1系列9万トンは休止中)をスクラップ、鹿島では約20億円を投資してEBを16万トン増強して計43万トンヘ、SMは手直しで6万トン増の39万トンに増強した。
(2001年1月に四日市のエチレンを休止)
1999年3月の日経に「三菱化学と旭化成工業は2000年4月をメドにスチレンモノマーの生産・販売を一体化する」との記事が出た。前年のPSに続いてSMも、との記事である。しかし、検討は行った模様だが実現はしなかった。

三井化学は2001年12月に山口スチレン工場の生産中止を検討していることを明らかにした。しかし、2002年秋の定期修理を実施、稼動継続を決めた。

同社は2004年1月、山口スチレン工場でのスチレンモノマー(SM)事業を太陽石油に譲渡した。
太陽石油は主力の四国事業所(愛媛県菊間町)で原料ベンゼンを生産しており、高付加価値のスチレンモノマーへの進出で収益力を高めるためSM事業に進出した。
太陽石油 70.1%、三井化学 9.9%、三井物産 20.0% で
太陽石油化学を設立して運営に当たる。

住友化学はこれまで日本オキシランのSMを受託販売していたが、PO事業を石油化学部門のなかでコア事業の1つに位置づけ、2003年3月に日本オキシランの出資比率を60%に引き上げ、SM販売については日本オキシランに移管した。

ーーーー

他方、旭化成はSM事業を拡大している。2001年9月、同社は水島の2系列のうち、B地区の150千トンを休止し、C地区に既存の300千トンの横に330千トンを新設し、630千トンとすると発表した。能力増分は自家消費の増加分および中国での米国ダウケミカル社とのJV・スタイロン(張家港)のPS(能力120千トン)用などに充てるとした。
同社は2003年に150千トン設備の廃棄を見送り、2004年春の新プラント商業生産開始で、総能力を780千トン(METI数値は751千トン)とした。

 

Smjuyo SMの2005年の需要は内需 1,944千トンに対して輸出が1,577千トンもあり、輸出が45%をも占める。
PSが日本のレジンのなかで唯一、過剰設備の処理を進め、ほぼ国内需要相当量まで能力を落とし得たのは、(一時的には輸出不振で減産も強いられたが)SMの輸出が可能であったためである。Smchina
しかし、PSの需要が減少を続けており、増加の見込みはないなかで、METIの「世界の石油化学製品需給動向」(2006年3月)によるとメインの中国では能力の急増により需要と供給のギャップが大幅に縮まる予想であり、先行きが懸念される。
 



日本企業の海外進出は3件ある。

1)出光石油化学(マレーシア)
1997年にマレーシアのPasir Gudang
PetronasとのJV、Idemitsu Styrene Monomer (M) Sdn Bhd (出光70%)を設立、200千トンの能力をもっている。
PSではPetrochemicals (Malaysia)に参加、現在は98%出資で能力140千トン)

2)トーメン(インドネシア)
Styrindo Mono Indonesia を設立トーメン 75%、出光興産 5%、ビマンタラ 10%、サリム 5%)メラクで1992年に100千トンでスタート、現在400千トン。

3)三菱化学(シンガポール)
三菱化学は当初、シェルとのPO/SMのJV Seraya Chemicals に30%の出資をしたが、シェルが2期計画でBASFとのJV Ellba Eastern を設立したのに伴い、持ち分とPO引取り権をシェルに譲渡し、その代金を1期、2期のSM 380千トン分の建設費相当分として預託し、引取り権を得た。
SMはタイの100%子会社のHMTポリスチレン(90千トン)や台湾奇美実業などに供給している。

付記 
三菱化学は2006年5月11日、シンガポールの100%子会社である油化セラヤにおいて、シェルからのスチレンモノマー(SM)引取権を解消する方針を固めたことを明らかにした。原料価格高騰を受けスプレッドが悪化。将来的にも収益改善が見込めないと判断した。

ブラジル最大の石油化学会社ブラスケムは5日、同社が35%出資するPEの合弁会社ポリテーノを、住友化学などの他株主の持株を買い取って100%子会社にしたと発表した。
ブラスケムは2003年には三菱化学等からHDPE、PVCの合弁会社の持株を買い取っており、これで日本の合成樹脂はブラジルから撤退することとなる。

1970年代央にブラジル政府はブラジル東北部カマサリ地区に石化コンビナート建設を計画、日本を含めて各企業に協力を要請した。

住友化学はLDPE事業で資本・技術の両面で参加することとなり、19749月、ポリテーノ(Politeno Industria e Comercio S.A. が設立された。住化が20%、伊藤忠が10%出資、住化のベッセル式LDPE技術により1978年に100千トンプラントを建設した。
その後、ポリテーノは
1992年にデュポン・カナダから技術導入してLLDPE/HDPE を建設した。現在、前者の能力は150千トン、後者は210千トンとなっている。

三菱化成(当時)は日商岩井(当時)とともに2つの事業でこれに参加した。
第一はHDPE事業で、1974年に三菱化成 16.4%、日商岩井 16.7%出資で地元企業と合弁でポリアルデン・ペトロキミカを設立、第二はPVC事業で、1975年に三菱化成 19.0%、日商岩井 14.3%で同じく CPC社を設立した。
なお、両社はこれに先立ち、1969年に可塑剤製造販売のJVのシキネ・ペトロキミカを設立している。(同社は2001年にメインの株主の政府が入札を行い、Elekeiroz
社に売却した。)
CPCは1996年末にCPC株主のオデブレヒトが中心のEDCメーカーのサルジェマと合併してトリケム社となり、電解からPVCまでの一貫体制となった。なおCPCはAlagoas地区でも三菱化成技術でPVCプラントを建設した。

ブラジルでは2001年に政府はカマサリ石油化学コンビナートのエチレンJVのコペネ社のエコノミコ財団の持株の売却を決めたが、これをオデブレヒト/マリアニ両社グループが購入し、ブラスケムを設立した。
それまでは各誘導品会社は、政府や国営ペトロブラス傘下の石化会社ペトリキザ、各石化会社などが参加するJVであったが、両グループは
誘導品会社の他社持ち分の買収を行い、ブラスケムへの吸収を始めた。
2003年にブラスケムは三菱化学、日商岩井からポリアルデンとトリケムの持株を買収(日商岩井はブラスケム株式と交換)し、他の誘導品会社のProppet(PET)、OPP Petroquimica(PE)、Nitrocarbono(カプロラクタム)、及びエチレンのCopeneを吸収した。
今回、残るポリテーノの株式を住化、伊藤忠および競争相手のスザノ社から買収したもの。

現在、ブラスケムはカマサリでエチレンからPE、PVC、PET、ラクタムの一貫生産のほか、AlagoasとSao PauloでPVC、TriunfoでPE、PPを生産している。

ブラジルには現在4つのエチレン会社がある。添付図の如く、ブラスケムのカマサリ(1,340千トン)以外はすべてJVである。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/brazil-kanren.htm

Copesul (1,135千トン)はブラジル最初のエチレンセンターでTriunfoにある。1992年に民営化され、現在はブラスケムが29.46%、Ipiranga(Ipirangaグループとヘキスト、ペトロキザのJVから後2社が離脱)が29.46%、ペトロキザが15.63%出資している。

PQU(500千トン)は1966年に設立された。現在の株主はペトロキザが17.5%、Uniparが37.2%、スザノが6.8%など。

Riopol (520千トン)は1996年にリオのガス/石化コンプレックス建設のために設立されたJVで、スザノとUnipar が各33.33%、ペトロキザとBNDESPAR(ブラジル開発銀行子会社)が各16.66%を所有している。2005年6月にスタートした。

ブラスケムと競合するスザノ社はBasellとのJVのPP会社 PolibrasilのBasell 持株を買収し吸収合併している。

なお、ブラスケムはヴェネズエラの国営石油会社PDVSAの石化子会社Pequivenとの50/50JVで、ヴェネズエラに天然ガス原料の120万トンのエチレンコンプレックス建設のFSを実施すると発表した。2010年末までにスタートさせたいとしている。

ポリプロピレンに関してはいろいろな特許係争がおこっている。日本に関係あるもののうち主なものを挙げる。

1)1960年に新日本窒素はアヴィサン技術導入契約を締結した。触媒としてモンテのプロセスと同様の二成分に全く異なる第三成分を併せて使う技術である。

モンテは本技術は特許侵害であるとして新日本窒素に対して製造禁止の訴えを出した。
6年かかって、東京地裁の第一審は却下、モンテは直ちに控訴したが、東京高裁の第二審もその4年後に却下となり、モンテ側の敗訴に終わった。

モンテは第一審敗訴の後、3社に対するロイヤリティを引き下げた。

2)徳山曹達は自社技術を開発し、1958年には1トン/日の中間プラント、1961年には2千トン/年プラントを建設し、試運転を始めた。
自社開発の三塩化チタン、ナトリウム、水素、ジシクロペンタジェニール・チタニウム・クロライド系の触媒を使用するものである。

モンテはこれに対して特許侵害で山口地裁に訴えたが、徳山曹達が操業不調で製造をとりやめたためモンテは提訴を取り下げた。
しかし地裁はその前に結審しており、徳曹特許はモンテ特許に抵触しないとの判決を下した。
モンテは広島高裁に訴え、その結果、モンテの提訴取り下げ手続きが有効とされ、地裁の判決はなかったこととなった。

成功はしなかったがモンテの特許に抵触しないPP技術があの時点で日本で開発されていたこと、また、徳山曹達が特許専門部署をもたぬままモンテと四つに組んで争い、地裁で勝利を得たことは注目される。

3)アヴィサン技術がモンテ特許に抵触しない判決が出て、その後、三井石油化学や各社はモンテ触媒をベースとして「担持型触媒」を開発した。

三井石油化学はハイモント(モンテカティーニ後身のモンテジソンとハーキュレスのJV)と特許で争った結果、両社は和解し、その後共同で技術供与を行った。(Royalty and profit-sharing agreement 締結)
この契約は1995年
にシェルとモンテジソンが統合しモンテルが発足する際に、独禁法当局の認可条件の一つとして解消された。(同時にシェルが参加したシンガポールのTPCでシェルは販売権を放棄して単なる出資に変更した)

ーーーーー

米国の特許は日本と異なり先願主義ではなく先発明主義であることから、長期間経ってから出現する「サブマリーン特許」がある。日本のモンテ技術導入PPメーカーは二度にわたってこの被害を受けている。
モンテからの技術導入に際して、日本での製造販売のほかに、PPを使った製品の米国等への輸出について許可を得ているが、モンテへの特許料の支払い完了後に、米国への輸出製品について特許料を払わされた。

4)米国での物質特許
米国ではフィリップスが1953年に特許を出願したが、モンテが1955年に出願し、先発明であるとして1973年に特許を取得した。
しかし、フィリップスは自社の先発明を主張して争い、最終的に最高裁でフィリップスの特許が認められた。
このため1983年にモンテ特許は取り消され、フィリップスが特許を取得、それから17年間、2000年まで特許が生きることとなった。

この結果、日本の全PPメーカーはPPを使った製品の米国への輸出についてフィリップスに特許料を支払わざるを得なくなった。
(本来は自動車メーカー等に支払い義務があるが、日本ではPPメーカーは需要家に特許保証をしており、PPメーカーに支払い義務を振られた)

5)米国での Ziegler特許
当初、米国では以下の触媒使用特許が申請された。
  ①1953 Ziegler    TiCl2/TEA
  ②1954 Ziegler/Natta TiCl2/(TEA or DEAC)
  ③1955 Ziegler    TiCl2/DEAC

米国特許庁は③の審議に当たり、これが②の後願であるとして拒絶した。
これに対しDr.Ziegler及びその死後その権利を受け継いだMax Plancの特許管理会社 Studiengesellschaft Kohle (SGK)が先発明を理由に再申請し、23年かけて争い、1978
11月にこの特許が認められた。
この結果、②の特許が既にとっくの昔に期限切れになっているのに、③のTiCl2/DEAC は1995/11/14まで米国で有効ということになった。

198611月、モンテのライセンサーの契約が全て終了した時点で、SGKは日本の自動車メ-カ-に対し、米国向け輸出自動車に使用されるPPに対してライセンスフィの支払いを要求した。
モンテのライセンサーのクレームに対しては、米国向け製品輸出の免責条項も含めてモンテとの契約が既に切れてしまっている、「契約満了後も製品輸出免責は続く」との条項を入れなかったのが悪いとの反論があった。

日本のPPメーカーは、この触媒を使用しているPPに関して、米国向け輸出自動車に使用されている分に相当するライセンスフィを支払わざるを得なかった。(三井石油化学や住友化学等の「担持型触媒」は対象外)

 

ちなみに米国の企業は、先発明を立証するための証拠として、毎日の研究結果を書類に残し、他の人がattestの署名をしている。
東大で学会報告に疑問がでたが、テスト結果をノートに書かずにそのままパソコンに入れ、そのパソコンを廃棄したためにテスト結果が残っていないという例があったが、米国ではこんなことは起こりえないであろう。

ドイツのDr. Ziegler は低圧下でもポリエチレンを重合できる触媒(Ziegler触媒)を発明したが、プロピレンを重合するとアタクチックポリマーしか出来ず、実用に供しなかった。
1954年にイタリアのナッタがチーグラー型触媒に三塩化チタンを第二成分に加えた触媒(チーグラー・ナッタ触媒)を使ってプロピレンを重合し、アイソタクティツク・ポリマーをつくるのに成功した。
(当時の三井化学がZieglerからHDPEの技術を導入する際に、契約の対象技術を「ポリオレフィン」とするよう要請したが、その時点で既にPPに成功していたため、Zieglerはこれを拒否した)

1957年にモンテカティーニ(その後、MontecatiniとEdisonが合併し、Montedisonとなる)がこの技術でPPを企業化した。

当時はレジンよりも「夢の繊維」ができるということで、技術導入のための「モンテ詣で」が行われた。日本からも技術導入に殺到した。
繊維原料として、石化メーカーと繊維メーカーが共同で交渉に当たっている。

米国では1957年にHercules がPPを企業化した。
同社のその後:
1983 MontedisonとHerculesが50/50のJVのHimontを設立(1987 Montedison 100%)
1995 Himont(PE・PP)とShell(PP)が50/50JVのMontellを設立(1997 Shell 100%)
2000 MontellがPEメーカーのElennac(BASF/Shell)及びPPメーカーのTargor(BASF100%:元BASF/Hoechst)と統合、Basell (Shell/BASF)となる。
2005 BASFとShell がBasell をAccess Industriesに売却
(変遷図 http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/basell.htm )

日本勢では1958年2月に三井化学日産化学が仮契約したが、MITIが時期尚早として承認しなかった。
なお、日産化学はその後、技術料100万ドルの負担が困難
で断念した。

19597月には東亜燃料がオプション契約を結んだが、モンテは東燃にはMITIのバックアップがないとみて、期間延長を認めず失効した。

1960年初めには三井化学と東洋レーヨン三菱油化と三菱レイヨンがそれぞれモンテと仮契約を結び、政府に申請を行った。

この時点で両グループにとってショッキングな2つの出来事が発生した。

1)1960年に米国アヴィサンAvisun Companyが、触媒としてモンテのプロセスと同様の二成分+全く異なる第三成分(エチレングリコール・ジメチルエーテル)を併せて使う技術を開発、新日本窒素が技術導入契約を締結して政府に申請した。
(Avisun は後にAmocoが買収した)

2)徳山曹達が自社技術を開発した。
同社は既に1955年から金属チタンを製造する目的で四塩化チタン製造のパイロットプラントを運転し、この過程で生成する物質とプロピレンを接触させると白い固形物ができることをつかんでいた。
1957に三塩化チタン、ナトリウム、水素、ジシクロペンタジェニール・チタニウム・クロライド系の触媒でプロピレンの重合に成功、1958年には1トン/日の中間プラントを建設した。
(同社は1961年には2千トン/年プラントを建設し企業化を発表したが、運転が順調にいかず、1964年1月に停止した。)

19606月、通産省は三井グループと三菱グループとが別々に交渉したため高い対価を要求されたとし、両グループ共同で交渉して対価等の条件変更をするよう指示を出した。
その後、両グループ共同で交渉の結果、11月に契約調印を行った。

1960年11月に本件は外貨審議会で承認されたが、認可と同時に政府の処理方針が発表された。
1)モンテからの技術導入は、今後数年間の需給バランス等を考慮して、あと1社認可する。
2)アヴィサンの技術も、要件が整い次第、認可する。

これにより1961年1月に住友化学と東洋紡のモンテからの技術導入、新日窒のアヴィサンからの技術導入申請が認可された。

なお、「夢の繊維」としては染色性の問題が解決できず、各社断念した。

3グループの導入後、数社がモンテにアプローチしたが、モンテは3社以外とは契約しないとして拒否し、1968年まで4社体制が続いた。

参考資料:
大熊誠 (元 三菱油化)「モンテ詣り 化学工業における一法学士の仕事の軌跡」(化学経済研究所)
「徳山曹達70年史」

 

その後、PPの需要が増え、30万トンエチレン建設に当たり、プロピレンの消費に最適となり、各社が進出した。

1968/4 三井石油化学 自社技術
(当初 Eastman Kodak 技術導入、
自社技術完成で解約)
1969/3 宇部興産 Rexall/El Paso技術
1969/4 日本オレフィン(昭電) Eastman Kodak 技術
1970/4 徳山曹達 Gulf (Spencer Chemical)触媒技術
+自社ノウハウ
1974/9 東燃化学 Exxon Research & Engineering 技術
1977/4 出光石油化学 住友化学技術
1979/6 三菱化成 自社技術

モンテはアヴィサン技術は特許侵害であるとして新日本窒素に対して製造禁止の訴えを出したが、モンテ側の敗訴に終わった。
この結果、各社はモンテ触媒をベースとしながらも、これに抵触しない触媒の開発に注力した。
三井石油化学は一度はEastman Kodak 技術を導入したが、自社技術が完成したため了解を得て解約、自社技術で建設した。

徳山曹達は当初の自社技術開発は触媒がうまくいかず失敗したが、Gulf Oil から触媒技術(Spencer Chemical が開発したもので、その後Gulfがこの会社を吸収合併した)のみライセンスを受け、自社ノウハウで製造を開始した。

PP技術については、いろいろの特許係争があった。次回にこれに触れる。

 

原油価格の高騰が続いている。18日は世界中で過去最高値を更新した。Oil
東京市場のドバイ原油は 65.50ドル、
ロンドン市場 北海ブレント石油は18日一時 72.20ドル、 
NY原油 18日時間外で一時70.88ドル、17日終値 70.40ドル、
でいずれも過去最高となっている。

ちなみに石油ショックの頃の日本の原油価格と比較すれば、当時の年間最高は36.94ドルに過ぎない。18日の価格はこれの1.77倍にも達する。Oilimportprice(2005年までは年間平均、nowは4/18の終値ベース)
勿論、当時のドルレートは200円を超えており、円ベースの価格は最高で53,500円/kl程度で現在の48,600円/kl と比べると現在よりも高く、影響も大きかった。


これは需要増もあるが、イラクの核開発問題やナイジェリア情勢の混乱を材料にした投機による影響が強いと思われる。

原油価格高騰を受け、東京市場ナフサ(オープンスペック)も過去最高値 611ドルを記録している。Naphtha

最近のナフサ価格上昇を受け、住友化学は17日、ポリエチ、ポリプロを5月15日から15円値上げすると発表、
日本ポリエチレンと日本ポリプロの両社も18日、ともに5月21日出荷分からポリエチレンを12円以上
C6-LLDPEとメタロセンPEは18円以上)、ポリプロピレンを15円引き上げると発表した。

日本のエチレン第1期、第2期で9つのエチレンセンターができたが、そのうち6つがポリエチレンを中心としている。東燃化学・川崎では日東ユニカー、旭ダウ、昭和油化の3社が、三井石油化学・岩国大竹ではLDPEとHDPEの両方を企業化しており、合計9社が進出している。

これらは全て技術導入で企業化された。

化研フォーカスを主宰する栂野棟彦氏は1990年代初めに石油化学新聞主幹として「昭和を彩った日本の石油化学工業」を連載されたが、この中に各社が技術導入を競った当時の事情を詳しく書かれている。
当時はLDPEとHDPEの区別も分からず、とにかくポリエチレン技術をと、競争で導入に走った。

エチレンセンター PEメーカー 技術
住友化学 大江 住友化学 ICI(LDPE)
三菱油化 四日市 三菱油化 BASF(LDPE)
東燃石化 川崎 日東ユニカー UCC(LDPE)
旭ダウ ダウ(LDPE)
昭和油化 フィリップス(HDPE)
三井石化 岩国大竹 三井石化 チーグラー(HDPE)
三井ポリケミカル デュポン(LDPE)
丸善石化 千葉 宇部興産 レクゾール(LDPE)
日石化学 川崎 古河化学 スタンダードオイル(HDPE)
ポリエチレンがないセンター  ( )はエチレン主用途
・出光石油化学(徳山):AA(徳山石化)、EDC(周南石化)
・三菱化成(水島):AA
・大協和石油化学(四日市):AA

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ポリエチレンの技術

高圧法PE(=LDPE):
ICIが開発、1937年にパイロットプラントをつくったが、ドイツとの戦争激化で本格プラント建設は延期された。しかし、レーダー用の高周波絶縁材料として最適であることから強い要請を受け1942年に操業を開始した。
ドイツのロンドン空襲を受け、英国政府は重要技術を米国に疎開させることを決め、ICIはこれを
デュポンUCCに技術供与、両社は1943年に生産を開始した。
なお、
BASFは戦前にICIから特許を購入し、自社技術で企業化した。

中低圧PE(=HDPE):
戦後、ドイツのマックスプランク石炭研究所長の
チーグラー博士が常温、常圧に近い反応条件でポリエチレンをつくる技術を開発した。
米国
フィリップスも開発に成功。

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各社の動きは以下の通り。
なお、当時は日本に物質特許がなく、製法特許のみであった。(1975年の特許法改正で物質特許制度を採用)
もし、当時から物質特許制度があり、どこかが独占権を取得していたら、日本の石化も随分違ったものになっていたであろう。

住友化学
住化から京大に戻った児玉信次郎教授
戦時中に軍の要請を受け、住化と協力して高圧ポリエチレンの国産化に取り組んだが、戦後住化で中間試験工場をつくり開発を進めていた。
1954年にICIの調査団が来日、住化を技術供与先と決めた。1955年に契約を締結、1958年生産を開始した。
同社のエチレン誘導品はPEだけで(当時はPPはなく、プロピレンは燃料評価)、オフガスを肥料原料のアンモニアの原料ガス源とする異質のセンターであった。LDPEは大成功で、特にフィルムが圧倒的であった。
(しかし事業化の際には三井の中低圧ポリエチレンが安全でコストが安いという話から、危険な高圧操業の技術をなぜ導入するのかとの議論があったとのこと)

三井石油化学
三井化学(当時)の石田社長が石炭化学技術を求めて訪欧、Dr. Zieglerを訪問して低圧ポリエチレンの存在を知り、特許独占実施権を購入(1955/1
)、1955年7月に三井グループで三井石油化学を設立し、技術開発を進めて1958年に岩国工場をスタートさせた。
当初はHDPE「ハイゼックス」は販売不振で在庫が膨らんだが、フラフープの流行で在庫一掃となった。

三菱油化
1956年4月に三菱油化が発足した。
同社は戦前にICIから特許を購入して高圧ポリエチレンを生産しているBASFに接触した。
ICIの特許で導入不可と思われたが、調査の結果、ICIは1939年に日本で特許を申請したが、戦後、再審査の請求がないまま有効期限が切れていることが判明、導入に成功した。

古河化学
古河電工が1955年にフィリップスと予備交渉を行い、翌年の正式交渉でフィリップスは「非独占で対価165万ドル」、古川電工は「独占契約で技術料値下げ」を主張、その後フィリップスは「独占で330万ドル」と条件を変更した。
(実はその時点で昭和電工がフィリップスとの交渉を開始、フィリップスは古河に他社の交渉要請があるので急ぐよう伝えた)
古河化学では非独占契約で決心し、ドラフトを受領したが、サインを逡巡しているうちにフィリップスから他社と契約したとの通告をうけた。

古河電工は止む無く、工業化実績のないStandard Oil Company of Indianaの中圧PE技術を導入、1956年10月に古河グループで古河化学を設立して日石化学・川崎コンビナートにプラントを建設した。
しかし、製品は触媒から発生する物性上の欠陥から不調が続いた。Standardの責任追及の結果、Standard子会社 Amoco Chemicalsが増資を引き受けたが、累積債務が増大、最終的に事業を日石化学に譲渡、社名も「日石樹脂化学」と改称した。その後、チーグラー系触媒に変更している。  

昭和油化
昭和電工は1956年4月に古河化学に遅れてフィリップスと交渉を行った。当初は非独占契約で交渉をしていたが、調印直前にフィリップスから「独占契約・技術料330万ドル」の提示があり、現地で安西正夫副社長が決断し調印した。

1957年6月、昭和油化を設立、東燃石化・川崎コンビナートに工場を建設した。
(稼動後、高圧法PEのようなフィルムが出来ないことが分かり、フィリップスに抗議したが「サンプルをみて契約した。フィルムも出来ないことはないと言ったが、高圧法と同じものができるとは一言も言っていない」との返事)
当初販売は不振を極めたが、ビールコンテナ、パイプ、チューブ、食品・洗剤容器、テクスヤーン、フィルム等の新市場を開発、TV等で「ショーレックスは(三井の)ハイゼックスに非ず」と宣伝した。

なおHDPEプラントは昭電の大分工場稼動後、東燃石化に譲渡された。 

日東化学、東亜合成、三井石油化学等は高圧法PE技術を求めて、英政府の戦時特例法でICIから技術供与を受けたデュポン、UCCと交渉した。

日東化学
1959年にデュポンとUCCにライセンスを申し込んだが、両社とも関心なしとの返事を行った。

日東化学ではSD社(AGFOのイムハウゼン法がベース)と仮契約を行ったが、MITIは実績なしとして断念を働きかけた。

1960年になりデュポンが高圧法PE事業を中心とする対日投資方針を固め、日東化学、三井石油化学、東亞合成化学と個別会談した。
一時は日東化学に内定したが最終的に三井に決まった(後記)。

このため日東化学はUCCと交渉、三井/デュポンに対抗してのJV設立を説得、藤山社長の兄の外相がUCC社長宛て親書を出すなどの結果、1960年5月合弁契約を締結した。
日東ユニカーを設立、東燃石化・川崎工場にプラントを建設した。

同社はその後、1965/4に三菱レイヨンが日東化学の持株を肩代わり(1998 日東化学を吸収合併)、1966/8 日本ユニカーと改称、1980/4 東燃化学が三菱レイヨンの持株を肩代わりした。2001年ダウとUCCが合併し、日本ユニカーはダウが50%、東燃化学(エクソンモービル50.02%)が50%株主となる。

三井ポリケミカル
1960年になりデュポンが高圧法PE事業を中心とする対日投資方針を固め、一時は日東化学に内定したが、東レ・田代会長が巻き返し、三井石油化学に決定した。
(東レは1951年に1,080百万円の巨費を投じてナイロンの特許権を購入している。デュポンは三井が東レと同じグループと知り、変更した)
デュポンはノウハウ800万ドルを主張したが最終的に400万ドル(1,440百万円)で決着、三井ポリケミカル(資本金2,880百万円)を設立した。

旭ダウ
スイス・ダウ・へミーの高圧法PE技術は日東化学等が交渉したAGFOのイムハウゼン法がベースだが、当時と異なり、SDのエンジニアリングと米ダウの製造ノウハウを組合せ、工業化が実績あった。
19608月、旭ダウは技術導入契約を締結、東燃石化・川崎でプラントを建設した。

宇部興産
宇部興産は1960年12月に丸善石化/丸善石油/新日本窒素肥料が検討していた千葉の石油化学コンビナートに参加を決定、最初は米国の
スペンサーケミカルに高圧法PEの技術を求めたが、スペンサーはICIとの関係でライセンスできないとして、技術を開発したばかりのレクゾール・ドラッグ&ケミカルの高圧法PE技術を紹介、19619月、技術導入を行った。

その後丸善石油の経営危機で1964年に丸善石油50%、宇部興産、新日本窒素、電気化学、日産化学、日本曹達が各10%出資して丸善石油化学を設立した。

 

 

世界中でPTAの大増設が続いている。筆者のデータベース更新情報では4/13に欧州、ブラジル、中国、タイのPTAの記事が同時に載った。

PTAはポリエステル繊維やペットボトルの原料で、需要は伸びている。中国では年率10%の成長が見込まれている。しかし、こんなに増設して大丈夫であろうか。これもバブルではないのだろうか。

2006/3のMETI「世界の石油化学製品需給動向」では2007年の全世界の需要を3,700万トン、能力を4,400万トンとしており、能力が上回っている。しかし、この能力は過小とみられており、例えば、中国の能力を1,230万トン(生産836万トン)としているが、中国の情報では1,840万トン(生産1,400万トン)となっており、600万トンの差がある。
中国の増設計画は下記の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/china/china-5.htm#pta-plan

三井化学は中国のポリエステル大手と進めていたPTAの3月の輸出価格交渉で3ヶ月連続で値下げをした。中国国内のポリエステル繊維の国内需要と輸出がともに不振で、重合各社の3月の平均稼働率は65%に止まり、在庫が膨らんでいるという。

メーカー各社の動きをみる。

日本のメーカーでは三菱化学と三井化学が海外で競っている。

三菱化学:
同社は海外シフトをとり、国内では黒崎工場を停止、松山工場(旧松山化成)で25万トンを生産している。
韓国では三養社とのJVの三南石油化学(40%出資)で150万トン、
インドネシア
では三菱化学インドネシア(旧バクリー化成:83.2%出資)で64万トン、
インド
ではMCC PTA (66%出資)で47万トン(80万トン増設を決定)を生産している。
中国では日本側投資会社(三菱化学61%+伊藤忠、三菱商事)が90%、中国中信集団が10%出資の寧波三菱化学を設立、浙江省寧波市大シャ島でPTA60万トンプラントを建設している。

なお、同社は三菱ガス化学とダイヤティーエーを設立(三菱化学65%)を設立し、国内の販売を統合した。
三菱ガス化学は東洋紡との50/50JVの水島アロマで25万トンの生産を行っている。

三井化学:
日本では岩国で75万トンの生産を行っている。
インドネシアではBPとのJV・PT Amoco Mitsui PTA Indonesia 45%出資)で45万トンを生産、
タイではサイアムセメントとのJV・Siam Mitsui PTA140万トンの生産を行っている。
同社は
中国に三井化学(張家港)を設立して江蘇省張家港市で60万トンのPTAを生産する計画で2004年に投資認可申請をしたが、未だに認可を得られていない。同社では代わりにタイでの増設も検討している。

このほか、東レが東海工場で25万トンのプラントをもっている。
帝人は松山南で23万トン、徳山で9千トンでDMTのプラントをもつ。

PTAの世界のトップメーカーはBPである。同社はオレフィンと誘導品事業をInnoveneとして分離した上で昨年12月にIneos売却したが、TPAと原料パラキシレン及び酢酸事業をコア事業として残している。(酢酸でのSINOPECとの提携の関係で上海SECCOはIneosへの売却から外し、自社事業とした) 

同社によると「アジア、北南米、欧州に合計 900万トン以上の21のプラントをもち、JV分を含めると世界の能力の31%(自社枠だけでは21%)を占める。またパラキシレンでも合計290万トンの能力で、世界の11%を占めている。」

同社の現状は以下の通り。
Geel ベルギー):デボトルネックを実施中で35万トン増設し140万トンとする。
米国の南カロライナ州
Cooper River プラントで2系列127万トン
ブラジルのサンパウロに
Rhodia-Ster/M&G とのJV・Rhodiaco Indústrias Químicas(49%出資)で南米唯一(*)の25万トンプラント。
台湾で中国石油等とのJVの
CAPCO (59.02%)でアジア最大の6系列合計210万トン。
韓国で三星グループとのJVの三星石油化学(47.41%)で140万トン。
インドネシアで三井化学とのJVの
PT Amoco Mitsui PTA Indonesia 50%出資)で45万トン。
マレーシアでBP単独で60万トン。
中国では
富華集団とのJVのBP Zhuhai(85%出資)が広東省珠海で35万トンを生産。なお、同社は最新技術で80万トンの新工場を建設することで申請中。

*ブラジルではPetrobras子会社のPetroquisa 55万トンのPTAプラント建設を検討中。

バックナンバー

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本ブログの2月から4月前半までのバックナンバーを見易くまとめました。

http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htm

台湾の石油化学

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韓国に続いて、「世界の石油化学製品需給動向」(2006/3)に基づき、台湾の石化製品の需給を別紙にまとめた。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/taiwan.htm

2005年の台湾のエチレン系製品のエチレン換算合計では、能力3,675千トンに対して需要は2,429千トンと、1,246千トンの差がある。
(韓国は能力5,912千トンに対して需要は3,696千トンと、2,216千トンの差)

但し、エチレンそのものについては需要の3,325千トンに対して能力は2,850千トンで、エチレンを輸入して誘導品を生産し、輸出している状況である。

エチレン換算での能力と需要の差の内訳は実量ベースで、

LDPE    461千トン
HDPE    260千トン
PP    744千トン
PVC    933千トン
PS    1,133千トン

等である。PE、PP等の内需は横ばいだが、PSは需要家の海外進出により大幅に減少しており、PVCの内需も減っている。

Taiwanmap台湾では添付の通り、CPC(中国石油)が林園に2系列、高雄に1系列、合計1,115千トンの、台湾石油化学が麦寮に1,735千トンのエチレンコンプレックスをもっている。

http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/taiwan-complex.htm

台湾メーカーは海外進出に熱心である。

台湾石化(FPC)
FPCは米国にFormosa Plastics Corporation, U.S.A. をもっている。

1981年にStaufferからDelaware工場(PVC)を買収、1983にはTexas工場(エチレン1,500千トン、HDPE、LLDPE、PP、電解、VCM、PVC)を建設、1990年には Louisiana工場(電解、VCM、PVC)を建設している。
また、2002年には破産したBorden Chemicals and PlasticsからIllinois州のIlliopolis工場(PVC)を買収した。(残る2プラントはWestlakeとShintechが買収した)

*2004年4月にIlliopolis工場で、2005年10月にテキサス工場で爆発事故が起こっている。

また米国では、Inteplast Corporationを設立してBOPP, ストレッチフィルム、PPシート、硬質PVCシート、PE袋などを生産、J-M Manufacturing Co.を買収してPVCパイプを生産、さらに子会社の南亜がEG、ポリエステル繊維、軟質及び硬質PVCフィルムを生産するなど、幅広く活動している。

FPCは何度も中国本土でエチレンコンプレックスの建設を検討し、現在も浙江省寧波に120万トンのエチレン建設計画をもっているが、台湾・中国双方の認可が得られていない。しかし、川下分野ではグループとして大規模に進出している。
長江デルタ地帯の浙江省寧波の中間原料工場群、江蘇省昆山のエレクトロニクス材料工場に加え、江蘇省呉淞江に紡織原料の生産拠点を設置し、麦寮の第6エチレンを最上流とする垂直統合生産システムの完成を目指している。

寧波には、FPCのPVC30万トン、台湾化学繊維のABS 25万トンとPTAの工場があり、アクリル酸エステル、ポリプロピレンも近く生産を開始する。

Westlake/Titan
華夏プラスチック(CGPC)の元のオーナーのT.T.Chaoは台湾政府と問題を起こし、名目上撤退して持株をBritish Tire & Rubberの豪州子会社、BTR Nylexに譲渡したが、米国とマレーシアに進出した。

米国ではWestlakeを設立、ルイジアナ州Lake Charlesエチレン、LDPELLDPESMを、ケンタッキー州のCalvert Cityでエチレン、塩素、VCM、PVCを生産している。同社は破産したBorden Chemicals and Plastics からルイジアナ州GeismarのPVCプラントを買収している。

Chaoグループはマレーシアの国有Permodalan Nasional Berhad と組んでパシールクダンにTitan Chemicalsを設立、石化コンプレックスを建設した。
エチレン70万トンで、HDPE、LLDPE、LDPE、PPを生産している。
同社は昨年、インドネシアのPT PENI (当初 BP/三井物産/住友商事JV:LLDPE/HDPE 45万トン)を買収し、PT Titan と改称した。

奇美実業(Chi Mei
奇美は
浙江省鎮江市にBS 250千トン(350千トンに増設中)PS 50万トンを生産しており、PMMA 45千トンを建設中。更にPCプラント建設のFSを行っている。
(既報の通り、ANMの揚子江での輸送禁止で影響を受けている)

4月10日、三菱化学は黒崎事業所のポリカーボネート(PC)の増設と、北京でのSINOPECとのJVによるPC及び原料ビスフェノールAの事業計画について発表した。4には三井化学がSINOPECとのビスフェノールAのJV設立で認可を取得したと発表している。

中国におけるPC樹脂需要は、年率10%を上回る勢いで成長を続けており、世界でも最大の需要地となっており、欧米企業を含め各社が中国やタイ、シンガポールに進出している。

以下に日本におけるPC樹脂の状況と、欧米企業を含めたアジアでの活動状況をまとめた。

国内の状況は以下の通り。

三菱エンジニアリングプラスチック(MEP)は1994年に三菱ガス化学と当時の三菱化成が折半出資によって設立した会社で、両社のエンジニアリングプラスチックス事業を継承し、一体化した。コンパウンドは自製、国内の原体製造は各社が行う。
PCについては
三菱化学・黒崎に 40千トン、三菱ガス化学・鹿島に 100千トンのプラントをもつ。(三菱ガス化学・大阪の 25千トンは停止)
今回の発表では三菱化学・黒崎の40千トンのうち老朽化した20千トンを廃棄し、新たに60千トンを建設し、80千トンにする。

住友ダウ(住友化学 50%/ダウ 50%)は愛媛に 55千トンをもつ。
1992年に住友ノーガタック(住化100%)から改称したもので、95年にPCを生産開始、同年に元の住友ノーガタックのABS、ラテックス事業を分離(現在は三井化学との合弁の
日本エイアンドエル)した
ダウは日本のほか、米国、ドイツと韓国(下記)にプラントをもつ。

日本ジーイープラスチックス(GEPJ)は千葉に45千トン。
1989年設立で、GE 51%、三井化学 41%、長瀬産業が8%出資している。三井化学・千葉工場内にPCとビスフェノールA工場をもっている。

GEは米国とオランダ、スペインにプラントをもつ。

出光興産は千葉に50千トン。
1960年に
自社技術により工業化した。「世界でも出光のみの原油からの一貫生産を実施」。

帝人化成は松山に 120千トン。
1960年に製造開始した。

旭化成は世界で初めてのCOからの非ホスゲン法PC樹脂製造技術を開発した。
世界のPC樹脂は全て一酸化炭素(CO)を原料とするものであり、大部分は一酸化炭素と塩素から製造されるホスゲン(毒ガス)を原料としている。ホスゲン法はホスゲンの毒性問題や環境面での問題をもっている。Asahipcprocess
同社の技術は
エチレンオキサイドと副生CO及びビスフェノールAを原料とし、高性能のPC樹脂と高純度EGの2つの製品を高収率で製造するもので、日本に先駆け、台湾奇美実業との合弁会社(旭美化成:当初、旭化成 49%/奇美実業 51%、現在、旭化成 10%/奇美実業 90%)で100千トンのプラントを建設した。

各社のアジア進出状況は以下の通り。

中国:
Bayerは米、独、ベルギー、イタリアとタイ(下記)、中国に拠点をもつが、中国では上海のケミカルパークにPC関連とポリウレタン関連の諸プラントを建設中。PCはBayer 90%/上海クロルアルカリ10%のJVで能力は200千トン。ビスフェノールA 200千トンも今後建設する。
(2006/9修正 PCは2006/9に第一期 100千トンが完成、2008年末までに倍増する。ビスフェノールA完成時期は未定)

帝人化成浙江省嘉興市に100%子会社・帝人化成(中国)を設立し、50千トンのプラントをもつ。現在、倍増中で2006年9月に完成する。原料ビスフェノールAは現在は輸入だが、上海石化三井化工のプラントが完成すればそこから供給を受ける。(シンガポールでも三井が原料供給)
なお、同社はバイエルとPC樹脂事業でグローバルで製品の相互供給を行うことで合意した。バイエルの上海工場も相互供給の一環とする予定。
帝人とバイエルは1998年に新しいPC樹脂の開発のために帝人バイエルポリテックを設立している。2000年には高密度光ディスクに適した全く新しいタイプのPC樹脂を開発した。

三井化学はビスフェノールAを製造・販売するSINOPECとの50/50合弁会社・上海石化三井化工有限公司の設立で中国政府の認可を取得した。130億円を投じて上海ケミカルパークに12万トンのプラントを建設する。原料フェノールはSINOPEC上海高橋分公司から供給を受ける。

三菱化学は黒崎の増設とともに、中国でのPC計画についてSINOPECと共同FSを行うことを発表した。
日本側投資会社(三菱化学とMEP)とSINOPECがJVを設立し、北京の燕山石化敷地内にPC 60千トン、ビスフェノールA 100千トンを建設する。

タイ:
三菱エンジニアリングプラスチック(MEP)は1996年にタイタイ・ポリカーボネート社設立(MEP60%、三菱ガス化学 5%、三菱化学 5%、TOA Chemical 30%)、50千トンからスタートし、現在は140千トンの能力をもつ。

Bayerは1999年にアジアで最初のプラント(50千トン)を建設した。現在の能力は200千トンで、ビスフェノールAも160千トン生産している。

シンガポール:
帝人化成と帝人はジュロン島にTeijin Polycarbonate Singaporeを設立し(現地EDB 10%出資)、PC樹脂 180千トンを生産している。
原料のビスフェノールAはジュロン島の
Mitsui Phenols Singaporeから供給を受ける。

三井化学はジュロン島でフェノール、アセトン、ビスフェノールA、塗料原料用樹脂、アクリルエマルジョン、ビニルウレタン接着剤、合板用接着剤、ホルマリン、エラストマー製品(「タフマー」)などを製造している。フェノール、アセトン製造会社とビスフェノールA製造会社を統合したMitsui Phenols Singapore(三井化学 95%/三井物産 5%)では、ビスフェノールAを230千トン製造している。

韓国:
ダウとLGの50/50JVは麗川に65千トンのプラントをもつが、昨年9月に倍増することを発表した。

三菱化学(当時は三菱化成)は1989年に三養社との50/50JVの三養化成を設立した。現在は三菱化学25%、MEP 25%、三養社 50%出資で、能力は85千トン、半量をMEPが引き取って販売している。

台湾:
出光石油化学(当時)は台湾プラスチックとの50/50のJVの台化出光石油化学を設立し、麦寮工業区に100千トンのプラントをもっており、第3期75千トンの建設で合意している。

旭化成は上記の通り、旭美化成をもっている。

 

MMA事業の拡大

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4月6日、住友化学はシンガポールでMMAの第三期増強の起工式をおこなった。三菱レイヨンも海外展開に活発で、旭化成もタイへの進出を検討している。

MMAモノマーは従来のキャストシート、エマルジョン、人工大理石、MBS樹脂、透明ABS樹脂などの用途に加え、液晶ディスプレイやプロジェクションテレビ向けなどのIT関連材料用の需要が急増している。各社の増設はこれに対応するものである。

以下に日本のメーカーの状況をみる。

MMAモノマーの製法面でみると、下記の通り、従来のACH法から直酸法、改良ACH法、更にはエチレン法と、多彩である。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/mma.htm

従来、MMAの製法はACH法であった。

アクリロニトリルから副生する青酸(クラレは天然ガスから青酸を製造)とアセトンを反応させてACH(アセトンシアンヒドリン)とし、これにメタノールを反応させてMMAをつくるが、大量の硫安ができるのが問題である。
日本では三菱レイヨン(一部)、旭化成(一部)、クラレがこの製法を使っている。
欧米では現在もほとんどがこの製法である。

三菱ガス化学はこれを改良して硫安を副生しない新ACH法を開発し、新潟に51千トンのプラントを建設した。副生したホルムアミドを青酸にして再利用するものである。

住友化学と三菱レイヨンは直酸法である。(住化はこれのみ)
旭化成は当初、イソブチレン原料の
MAN法を採用したが、ACHと同様に硫安を副生する。現在はイソブチレンとメタクロレインを反応させる直メタ法を使っている。

これらの製法の問題点はイソブチレンである。イソブチレンはC4留分からブタジェンを抽出した後のラフィネート-1のなかに含まれており、メタノールと反応させてMTBEにして他の留分(ブテン-1、ブテン-2、ブタン)と分離し、メタノールを除いて得ている。
このため、ナフサクラッカーの場所でないと製造できない。(原料と他の留分の輸送費がネック)

これらの製法に対して、エチレンやプロピレンを原料とする製法が研究されている。
ICIからMMA事業(ICIはデュポンからMMA事業を買収しており、これを含む)を買収したルーサイトは
エチレン法を開発、αプロセスと名付けたが、第1号プラントをシンガポールに建設することを決めている。

次に、各社の状況と戦略をみよう。

国内能力の合計は547千トン(2005年末)で、三菱レイヨンが217千トン(直酸法+ACH法)でトップである。

同社は海外進出にも精力的で、
タイではサイアムセメントと組んで 80千トンを生産しており、中国広東省では2006年に 90千トンをスタートさせる(原料は中海シェルから購入)。中国にはポリマーやシートでも進出している。
同社は更にルーサイトとの提携を決めた。三菱レイヨンが
米国に140千トン、ルーサイトがシンガポールでアルファ法で120千トンをそれぞれ建設し、互いに製品を供給するというもの。ルーサイトは上海にACH法(青酸は上海SECCOのANM副生品)で100千トンプラントを完成させたが、これと三レの広東省のプラントの製品も対象となる。(ルーサイトは台湾にもJV・Kaohsiung Monomerをもっている) 
このほか、本年1月には
韓国の湖南石油化学との間で韓国でモノマー、ポリマーを製造販売するJV設立で合意した。湖南石化は三井/クラレの直酸法を導入して50千トンプラントをもっている。

住友化学は1984年に日本触媒との合弁で愛媛に直酸法プラント(40千トン)を建設(既存のACH法プラントを廃棄)、その後、第二プラントとして姫路に50千トンプラントを、更に韓国でLGとの合弁でプラントを建設した。(のちにLGのポリマー事業をJVに取り込んだ)
なお、姫路のプラント向けイソブチレン入手のため水島に三菱化学とのJVでプラントを建設した。

更にシンガポールでの事業展開の一環としてMMAモノマー及びポリマーを生産している。

現在、韓国の能力は100千トンで、2008年の増設後は176千トンとなる。シンガポールは現在133千トン、今回の増設が完成すると223千トンとなる。
これらの完成後、住友化学グループのアジアにおける生産規模は、MMAモノマーで489千トン、MMAポリマーで244千トンとなり、アジア最大規模のメーカーとなる。

なお、住友化学と日本触媒は2002年に住化のアクリル酸事業、日触のMMA事業を、シンガポール事業を含めそれぞれ相手に譲渡した。(日触は韓国のJVには残留)
日触がアクリル酸事業で幅広く誘導品事業を行っているのに対し住化は単体営業だけであり、MMAでは住化がシート、成形材料など幅広く事業を行っているのに対し日触がモノマー営業だけであることから、事業交換により夫々がコア事業に経営資源を投入することとしたものである。

旭化成の国内能力は100千トン(直メタ法とACH法)である。同社はこのたび、タイPTTと組んで、同地でANM 200千トンと、ここから副生する青酸を原料としてACH法でMMAを70千トン生産する共同事業化の詳細検討を開始すると発表した。同社が開発したプロパン法ANプロセスを世界で初めて使用する。(旭化成のANM能力は、これが完成すると100万トン規模となる。)

このほか、三井化学が直酸法で40千トン、クラレがACH法で67千トンの能力をもっている。
三井の40千トンは1988年に三井東圧が完成させたもので、1989年に協和ガス化学が50%出資して共同モノマーとし、同年のクラレによる協和ガス吸収合併でクラレと三井化学のJVとなった。
2005年9月に両社は合弁を解消、共同モノマーは三井化学100%子会社となった。

 

欧米ではLuciteがICI及び旧デュポン(ICIが事業買収)のMMA事業を引き継いでいるが、他に米国ではRohm & Haas、欧州ではDegussa(旧 Rohm、米国にも100%子会社 Cyroをもつ)、及びSartomerTotal 子会社、旧称Atofina)があり、凌ぎを削っている。
Rohm & HaasとAtofinaは両社のMMAポリマー事業を統合してAtoHaas としたが、後、R&H が撤退し、AtoGlassと改称した。

各社ともエチレン法、プロピレン法などACH法に替わる製法の検討を行っているが、米国で本年5月にガソリンへのMTBE添加義務が失効してMTBE需要が激減するとみられていることから、これを原料とする直酸法の採用の可能性もある。
(住友化学は1988年頃、姫路の第二工場建設の代わりに、米国でARCOやRohm & Haas とのJVでARCOのTBAを原料としてMMAを生産することも検討した)
**TBAはイソブチレンを水と反応させるもので、TBAとメタノールでMTBEになる。ARCO(現ライオンデール)はPO/SMとPO/TBAの併産プラントをもっている。

韓国の石油化学-3

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5)麗川NCC(麗川)Koreamap_2

麗川NCCは1999年に同じ麗川で隣り合わせのハンファと大林産業がナフサクラッカーを統合したもの。同時に、ハンファはPPとHDPEを、大林産業はLDPEとLLDPEを、相手に譲渡した。

a)ハンファ

韓国政府は麗川で湖南石化のほか、ダウの50/50JVのKorea Pacific ChemicalでLDPE、EDC、VCMを企業化したが、1984年に韓国火薬が韓国ダウの事業を含めてこれを買収し、韓洋化学とした。
それより遥か前、1972年に韓国政府は既存のPVCメーカー5社を統合し、韓国プラスチックとしていたが、1988年に韓洋化学はこれを吸収合併し、電解~PVCの一貫メーカーとなった。
1994年に名前をハンファ(韓国火薬の「韓火」から)とした。

麗川のほか、蔚山のSKコンプレックスにもプラントを持っている。
1992年、麗川にナフサクラッカーをスタートさせた。

Ncc

b)大林産業

韓国政府は麗川に政府出資の韓国綜合化学を設立し、エチレンは同社100%の湖南エチレンで企業化したが、1979年に韓国政府は韓国綜合化学をロッテと大林産業に売却(その後大林は離脱)、湖南エチレンは大林産業に売却した。
大林産業は1987年に湖南エチレンを吸収合併した。

麗川NCCの現状は添付の通り。

錦湖P&B(フェノール)は当初錦湖グループとShellとのJV(Kumho Shell Chemical)であったが、現在は新日鐵化学が49%出資している。
ポリミレイ(PP)は大林産業がPP事業をバゼルとの50/50JVとしたもので、サンアロマー
が 30%を出資している。
錦湖ポリケム(EPR)は錦湖石油化学JSR35%
、EXXON(15%)のJV。
三南石油化学(TPA)は三菱化学三養社、GS Caltex (旧称 LG Caltex )の
JV。
三南化成(PC)は三養社三菱化学(25%)三菱エンジニアリングプラスチックス(25%) のJV。

錦湖三井化学(MDI)は三井化学錦湖石油化学のJVである。
三菱化学はアルキルフェノールの製造販売の Schenectady Koreaに50% 出資している。
(元、Kumho P&B Chemicals の事業をSchenectadyが買収したもの)

なお、第一毛織 Cheil Industries)は三星グループ。

6)現代石油化学(大山)

現代石油化学は1988年に現代グループが石化進出のために設立した。三星とともに、供給過剰時の新規参入で、業界や政府の反対を押し切り、中国向け輸出が中心としてエチレンコンプレックスを建設した。

1990年代末に韓国では財閥の弊害が問題となった。1998年に韓国・全国経済人連合会が主管して進めた五大財閥の構造調整案(Big deal)策定のなかで現代石油化学と三星総合化学の統合案が決まった。統合新会社に両社がそれぞれ出資し、残りを外国企業の出資を導入する予定であった。
参画外資として
三井物産の可能性も報じられたが、2000年末には結局失敗に終わった。このなかで、2000年11月にLGがVCM、PVCプラントを買収した。LgdaesanLottedaesan

結局2003年1月に韓南石化とLGへの売却が決まった。
2004年11月に両社はLGが第1系列、韓南石化が第2系列を分割所有することが決まり、それぞれ、LG大山石油化学、ロッテ大山石油化学を設立した。

現状は添付の通り。

7)三星総合化学(大山)

2000年末に三星と現代の合併が失敗に終わったが、2002年12月に三星は仏石油大手トタルフィナ・エルフの化学部門であるアトフィナから資本を受け入れる覚書を結んだと発表した。Samsung

2003年8月、50/50のJVのSamsung Atofinaが設立され、三星総合化学の資産が移管された。アトフィナは8億ドルを投入した。同社は現在、Samusung Total と改称している。

2005年10月、同社は「選択と集中」戦略に基づく600億円の拡張計画を発表した。2007年前半完成を目指し、以下の増設(PPはプラント新設)を行う。

エチレン   63万トン 83万トン
プロピレン   32万トン →  55万トン
SM   67万トン →  87万トン
PP   27万トン →  57万トン

なお、三星石油化学、三星BP(いずれも蔚山)は三星とBPのJV。

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本ブログの2-3月のバックナンバーを以下に見易くまとめました。

http://f56.aaa.livedoor.jp/~knak/blog/zenpan-1.htm

都合によりアドレスを変更しました。

http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htm

 

韓国の石油化学-2

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Koreamap_1 韓国の石油化学の創生期に日本の企業が技術供与、出資で協力したが、その後も多くの企業が進出している。

以下、各コンプレックスの概要と日本企業の状況を見る。(能力は2005年5月現在のもの:単位千トン)

 

1)SK(蔚山)

韓国開発銀行(政府)1962年に大韓石油を設立、その後 Gulf Oil が参加し、1972年に蔚山に韓国最初の石化コンプレックスをつくった。
その後、鮮京(SK)がGulf持株、政府持株を買収して100%出資とした。一時、油公と改称、1997年にSKとした。
SKのコンプレックスの現状は添付の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/sk.htm 

コンプレックス創生期に日本の各社は誘導品で、資本及び技術支援を行った。その後の状況は次の通り。

丸紅とチッソエンジは大韓油化(PP、HDPE)に出資したが、大韓油化は1991年に近くの温山にナフサクラッカーを建設した。(下記2参照)

旭化成はANMで参加した東西石油化学を100%子会社とした。

三井石油化学は三星石油化学のPTAに参加したが、その後離脱した。同社は現在、三星グループとBPのJVとなっている。両社は三星BPで酢酸も生産している。

石油樹脂でコーロン油化に参加した日本石油化学は現在も出資している。

その後、三井化学は龍山三井化学を設立、東西石油化学のANMを使ってアクリルアマイドを生産している。また、三菱ガス化学が愛敬油化に参加して無水マレイン酸を生産している。

三菱化学BASF1.4ブタンジオールとTHFの技術をライセンスし、製品一部引取りの契約をしている。

なお、SKCは旧称・油公ARCOで、PO/SMを生産している。同社は別途SMプラントを建設したが、その後BASFに売却した。

2)大韓油化(温山)Kpc

大韓石油が1972年に蔚山に韓国最初の石化コンプレックスをつくった際に、大韓油化は丸紅とチッソエンジニアリングの出資と技術供与によりHDPEとPPを企業化した。丸紅は41.59%、チッソエンジは8%を出資している。

大韓油化は1991年に4,500億ウオン)を投じて近くの温山に250千トンのエチレン設備を建設したが、これが経営悪化の原因となり、19938月に7,000億W (当時のレ-トで 900億円)の累積債務で法定管理(会社更生法)を申請した。
この時点で丸紅は出資金を放棄して撤退した。チッソエンジはこの結果出資比率が14%となった。(現状不明)
         
現在の同社の状況は添付の通り。

温山のエチレン、プロピレンを蔚山に輸送している。

3)湖南石油化学(麗川)

韓国政府は蔚山の韓国最初の石化コンプレックスと並行して麗川に石化コンビナート建設を決定、日本に協力を要請した。
これに対して三井グループ、三菱グループが参加の検討を行った。(三菱はその後撤退)

三井グループはエチレン35万トン、HDPE 7万トン、PP 8万トン、EO/EG 8万トンとブタジェンの計画をたて、三井石油化学、三井東圧、三井物産及び日本石油化学(ブタジェンで参加)各25%出資で日本側投資会社の第一化学を設立した。Honam

その後、韓国政府は政府出資の韓国綜合化学を設立、エチレンは同社100%の湖南エチレンで企業化、誘導品は同社出資の麗水石油化学と第一化学の50/50出資の湖南石油化学で企業化した。なおブタジェンは取り止めとなり、第一化学は三井3社が各32%、日石化学が4%出資とした。
湖南石化のほか、韓国政府とダウの50/50JVのKorea Pacific ChemicalでLDPE、EDC、VCMを企業化した。(現在のハンファ)

1979年に韓国政府が韓国綜合化学をロッテと大林産業に売却(その後大林は離脱)、湖南エチレンは大林産業に売却した。
湖南石油化学は1992年に自社エチレンをスタートさせている。

日本側は順次湖南石油化学の経営から外れ、2002年12月に第一化学は持株を売却、2003年6月に第一化学は解散した。
現在は湖南石化の過半をロッテが保有している。

コンプレックス現状は添付の通り。
湖南石化は2001年に三井化学/クラレ技術で4万トン(現在5万トン)のモノマーを製造開始したが、モノマーの増強とポリマー事業展開のため、2006年1月、三菱レイヨンとの間でがMMAモノマー及びポリマーを製造・販売するための合弁会社を設立することで基本合意した。


なお、ロッテは現代石油化学の第2系列を買収している。(後記)

4)LG(麗川)

ラッキーは戦後、クリームからスタート(流行していた煙草のLucky Strikeから社名をとった)、樹脂製の瓶の製造から化学に、その樹脂を使って電機(Goldstar)にと事業を展開した。Lg

1978年に麗川でナフサクラッカーを建設した。

LGの現状は添付の通り。

住友化学日本触媒とともにLG MMAでMMAモノマー、ポリマーを生産している。
またダウとのJVでPCを生産している。
なお、LGはPVC(天津)、ABS(寧波)、その他で中国に進出しており、現在は原料VCM、SMを輸出しているが、天津でEDC、VCMプラントを建設中。

また、現代石化から2000年11月にVCM、PVCプラントを買収したのに続き、2003年ロッテと共同で現代石化を買収、その後第1系列を分割所有した。 (後記)

続く

韓国の石油化学

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中国の石化製品の需給予想では経済産業省の「世界の石油化学製品需給動向」に基づいた中国の需給状況を示し、将来予想に関しては需要、能力両面で問題があり、中国バブルがはじける可能性があり、その場合にアジア全体に大きな影響が及ぶと述べた。

同じ「世界の石油化学製品需給動向」に基づき、韓国の石化製品の需給を別紙にまとめた。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/korea.htm

2005年の韓国のエチレン系製品のエチレン換算合計では、能力5,912千トンに対して需要は3,696千トンと、2,216千トンもの差がある。

能力と需要の差の内訳は実量ベースで、

LDPE    798千トン
HDPE   1,229千トン
PP     1,527千トン
PVC    553千トン
PS     933千トン

等である。

韓国には添付の通り、7つのエチレンコンプレックスがある。

エチレン能力 2005/5現在) 

会社名 立地   千トン
Samsung Total Petrochemicals
(旧・三星総合化学) 

Daesan

630

Hyundai Petrochemical
(旧・現代石油化学)
→ 
Lotte Daesan Petrochemical
→ LG Daesan Petrochemical

Daesan

(1,050)

600
450

SK Corporation

Ulsan

730

Korea Petrochemical Ind.
(大韓油化)

Onsan

400

LG Petrochemical
(LG石油化学)

Yeochun

760

Honam Petrochemical
(湖南石油化学:Lotte

Yeochun

720

Yeochun NCC
(麗川NCC)

Yeochun

1,465

Total  

5,755

Koreamap上記のうち、Samsung Total2007年上期にエチレン200千トン、SM 200千トン、PP 300千トンの増設が完成する。

韓国の石油化学は1970年代に蔚山(Ulsan)で大韓石油(韓国開発銀行 50%/Gulf Oil 50%)が、麗水(Yeochun)で韓国綜合化学(政府)がナフサクラッカーを建設、それぞれの誘導品に日本企業の技術支援と出資を得て、スタートした。

・蔚山
 誘導品に、以下の会社が韓国側に技術供与・出資をしている。

会社 相手先 製品
丸紅、チッソエンジニアリング 大韓油化 HDPE、PP
JSR、三井物産 韓国合成ゴム SBR
旭化成 東西石油化学 ANM
三井石油化学 三星石油化学 PTA
日本石油化学 コーロン油化 石油樹脂

・麗水
 三井石油化学、三井東圧化学、三井物産、日本石油化学が投資会社・第一化学を設立
 韓国綜合化学(政府)の100%出資の麗水石油化学と折半で湖南石油化学を設立し、HDPE、PP、EO/EGを生産した。
 

その後民営化により、2つのエチレンセンターのうち、前者はSK、後者は大林産業となり、続いてLG、三星、現代、大韓油化、湖南石油化学(ロッテ)、ハンファと、各財閥が競争でワンセット主義でコンプレックスをつくった。(その後、大林とハンファがナフサクラッカーを統合し、麗川NCCとした)
日本と同じく、基本的に過剰能力体質である。

なかでも大山にある旧・三星総合化学と旧・現代石油化学は、それまで石化事業を行っていなかった三星グループと現代グループが、既に供給過剰であったにもかかわらず、業界や政府の反対を押し切って参入した。
両社は中国輸出向けと称し、大山に新設したのも中国に近いからであるとした。

(1998年2月に財閥の構造改革に関する5大課題が発表され、石油化学については、現代石油化学と三星総合化学を統合し、外資を誘致する予定であった。これは実現せず、最終的には現代石油化学はロッテとLGが1系列ずつを買収し、三星はフランスのトタルとの50/50JVとなった。トタルは中国を中心とするアジア市場への窓口としており、増設に踏み切った。)

このように韓国の石油化学は中国向け輸出を前提に成り立っている。もし、中国向けの輸出がなくなれば、その影響は日本の比ではない。

当初、韓国が自製化を始めた際には日本への輸出が懸念されたが、実際にはあまり影響はなかった。しかし、今回は日本への影響は避けられないであろう。

ーーーーー

その後、大韓油化はエチレンに進出して経営が悪化し、会社更生法を申請、日本側は撤退した。
第一化学は
2002年に株を売却して撤退、20036月に解散している。

お知らせ

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これまで毎日書いてきましたが、今後、日曜は休みます。

欧米の企業が大々的に中国に進出しているのに対して、日本の化学企業の大規模プロジェクトは少ない。

大きなプロジェクトは以下の通りで、その他は100億円以下のプロジェクトが多い。
・三菱化学(テレフタル酸) 総投資額 314百万USドル(約333億円)
・三菱ガス化学(メタノール) 総投資額2億USドル
・帝人化成(ポリカーボネート) 総投資額140億円
・三菱レイヨン(MMAモノマー) 投資額約1億USドル
・三井化学(ビスフェノールA) 投資額 約130億円

大規模投資が少ないのは中国への投資リスクを判断してのものである。
一旦大規模投資を決めると建設期間を含め15年~20年のスパンで考える必要があるが、その間に原料、用役、製造、販売、流通、企業運営、税制等でどのような障害が出るか、それによりどのような影響を受けるかが判断できない。

信越化学・金川社長はTV朝日の「トップに迫る」(2005/6/12)で以下のように述べている。

「投資というのはどんな投資でもリスクはある。リスクは踏まざるを得ないリスクと、踏んではいけないリスクがある。踏んじゃいけないリスクはカントリーリスクです。
中国の場合はカントリーリスクというと語弊があるかもしれないが、例えば我々の商品の基礎中の基礎の原料である石油とか電力を、政府が一番コントロールしている。我々が下流、ダウンストリームでいくら努力して、事業を成功させても、上流で押さえられたらそれで一発で終わり。つまり、
我々の経営努力ではできないものがあるところではやってはいけない、というのが私の考え方。経営努力で克服できるものは経営努力で克服するが、できないものはやらない。」

(同氏は中近東についても「例えば中近東。原料が安い、つまり入りやすいところ、広い門から入るところはカントリーリスクが概して高いところが多い。アメリカみたいに競争が激しく、狭き門はカントリーリスクが少ないところが多い、結果的に。アメリカの場合は政治経済ともに安定しているし、中近東はいつ何が起きるか分からない。」としている)

中近東の場合は本当に何が起きるか分からない。これは国の体制がどうなるか、その結果、石油がどうなるかという意味で全世界の問題である。

しかし、中国の場合は中国政府の方針で事業が左右される。また、中国の場合、特定国だけが対象となる可能性がある。投資規模が大きければ大きいほど、リスクが大きいこととなる。

では、欧米の企業はどうして大規模投資をするのか。
それは
欧米の企業の場合には、もしもの場合はそれぞれの国の政府の関与が期待できるからである。
しかし、日本の場合はそれが期待できないのが問題である。

これまでも進出企業の課税問題や労務問題など、いろいろな問題が起こっている。最近の問題点として次のようなものがある。

・王子製紙が江蘇省南通市での総投資額 2,000億円の製紙工場建設に当たり、対中投資のガイドライン「外商投資産業指導目録」に、「年間30万トン以上の製紙原料である化学パルプ生産や上級紙の生産は合弁か合作に限る」との条項が追加され、合弁への変更を強いられた。
・東ソーがPVCで11万トンプラントを計画したところ、新設計画は20万トン以下は認めないとの方針変更で22万トンとした。

これらは共通のルールの変更であり、ある程度止むを得ない。日本も過去にこういう政策をとった。
しかし、以下のようなケースは問題であろう。

・台湾の奇美実業は中国大陸の丹陽や蘇州への投資を展開し、最近では鎮江が一大拠点となっているが、創業者の許文龍氏が熱烈な台湾独立派であることから、中国政府は「中国で金を稼ぎながら台湾独立を主張する輩は許さない」と名指しで批判、新規事業を認めない等、いろいろな面で圧力をかけた。

2005年3月、台湾で「反国家分裂法」に抗議する大規模デモが行われた時に、許文龍は「大陸に投資した我々は台湾独立を支持しない。奇美は大陸で、より発展する」とする文書を発表した。文書は中国の要求により書かれ、発表時期は中国が決めたといわれている。

・2004年6月、中国は揚子江流域でのアクリロニトリルの輸送を全面的に禁止し、陸上輸送についてはトン当たり10ドルの課徴金を課した。
政府は環境保護の強化と輸送の安全が理由で、アクリロニトリルが危険物であることから、漏れた場合の水中生物への影響を懸念してのものとしている。
危険物の海上輸送については、国連の勧告に基づく国際バルクケミカルコードに基づき規制が行われるが、国内河川での規制はそれぞれの国に任されており、その判断を批判できないが、何故アクリロニトリルだけかとの疑問が出る。
Chinaanm
また、主に台湾企業が大きな影響を受けるのも気になる。
昨年は吉林石油化学の爆発による松花江の汚染など多数の河川汚染事故があったが、ほとんどは工場の設備や管理上の問題であり、船の衝突や沈没による汚染はない。

これで直接影響を受けるのは鎮江市に工場をもつNantex Industry(台湾:NBR 16トン)、奇美実業(台湾 ABS 250千トン、350千トンに増設中)國喬石化(台湾 ABS 180千トン)、常州市の新湖(常州)石化(韓国ABS 50千トン)等である。
韓国のLGの
ABSのJVは浙江省寧波市のため影響を受けない。

各社は止むを得ず江蘇省連雲港と山東省嵐山港で荷揚げし、鎮江まで陸上輸送している。奇美など各社は規定の撤回を当局に要請していたが、2005年8月、中国政府は追い討ちをかけてアクリロニトリルを含む危険物のトラック輸送に関する新しい規則を実施した。トラックは従来30ー50トンの製品を運べたが、新しい規則ではアクリロニトリルなどの危険物を10トンまでしか運べないこととなった。これにより原料輸送費は大幅に上昇した。

2005年12月、ソニーは中国当局から「品質基準に満たない」とされたデジカメを一時販売停止した。
浙江省工商行政管理局は同省で販売されているメーカー6社のデジカメをテストした結果、13機種が基準を満たしていないと判断した。
しかしテストを実施した理由、テストの内容、その品質基準に関する詳細、ほかの機種のメーカーとモデル名については公表していない。ソニーだけが名指しされた。

ーーーー

2005年7月に中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との自由貿易協定(FTA)が発効した。
中国はブルネイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、シンガポール、タイの6カ国からの輸入品3,408品目について、最恵国への関税率から段階的に引き下げ、関税率が10%以上の製品は2009年には5%、2010年にはゼロとなる。
10%未満のものは2009年にゼロとなる。これ以外の特に保護が必要な品目についても、15年までに関税率を50%以下に引き下げる。
カンボジア、ラオス、フィリピン、ベトナムに対しては、各国が国内の承認手続きを終え次第、FTAに基づく関税率を導入する。

日本の企業にとっては、カントリーリスクの少ないシンガポール等で投資するのが正解であろう。

なお、日本とシンガポールの自由貿易協定により、ポリオレフィンの関税も2010年1月には撤退される。(詳細下記)
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/big/jpn-singapore-fta.htm

Chinac2center_1 3.中海シェル石油化学CNOOC and Shell Petrochemicals Company Limited

中海シェル石油化学はシェルとCNOOC Petrochemicals Investment Limited (CPIL)50/50JVで、CPILは中国海洋石油(CNOOC )が90%、広東省投資開発会社が10%出資する。

Shell2 立地は広東省恵州市の大亜湾の大亜湾経済技術開発区にある。

 

エチレン能力は80万トンで、誘導品は添付の通り。2006年1月に本格生産を開始した。

シェル技術ではクラッカーは重質油からナフサまで幅広い原料を使用できる。公称能力は80万トンだが、改造なしで100万トン以上のエチレンを生産できるという。本計画ではナフサとコンデンセート(天然ガスの採取・精製の過程で得られる常温・常圧で液体の炭化水素)を使用することとしている。

現地では昨年末にCNOOCが12百万トンの製油所の建設を開始したが、2008年のスタート後はナフサを、それまでの間はカタールから輸入するコンデンセートを原料とする。Shellcomplex

なお、中海シェル石油化学は同じ大亜湾経済技術開発区にある三菱レイヨン100%子会社の恵州恵菱化成との間で同社のMMAモノマー原料の長期供給契約を締結している。C4留分からブタジェンを抽出した後のラフィネート1を同社に供給し、その中からイソブチレンを取った後のラフィネート2を引き取る。

ーーーー

4.福建石化計画 (Fujian integrated petroleum/petrochemical project) Fujian  

本計画はExxonMobil 25%/Saudi Aramco 25%/福建煉油 50%のJVで、福建省泉州市の福建煉油(Fujian Petrochemical Company:SINOPECと福建省政府の50/50JV)の製油所(4百万トン/年)を12百万トン/年に拡張し、石油化学コンプレックスを新設するもので、2008年商業生産開始の予定。

計画は1997年10月に3社がFS開始で合意、1997年11月には当時の江沢民主席が訪サウジの際に政府間で石油精製計画に合意している。 2002年には中国政府がFSを承認しているが、その後時間がかかり、ようやく昨年7月に建設に着工した。

製油所拡大は当初案通り。石油化学計画は当初案では、エチレン 60万トンでPE、PPのほか、PO/PG、電解、PVC等を含んでいたが、最終計画では以下の通りとなっている。

 エチレン 80万トン
 PE 80万トン
 PP 40万トン
 芳香族 100万トン
 パラキシレン 70万トン

 

エチレン 80万トン
 PE 
80万トン
 PP 40万トン
 芳香族 100万トン
 パラキシレン 70万トン

付記 
2007/3/30に
JVの承認を祝う式典が行われた。

Fujian Refining & Petrochemical Company Limited 拡大製油所+石油化学

 出資:ExxonMobil China Petroleum and Petrochemical Company Limited 25%
    Saudi Aramco Sino Company Limited  25% 
    
中国側 50% Fujian Petrochemical Company Limited
                 (Sinopec 50/Fujian Government 50

Sinopec SenMei (Fujian) Petroleum Company Limited.  ガソリン販売

 出資:Sinopec  55%
     ExxonMobil China Petroleum and Petrochemical Company Limited 22.5%
     Saudi Aramco Sino Company Limited 22.5%
 事業:manage and operate approximately 750 service stations and a network of terminals in Fujian Province.

ーーーー

5.天津計画

天津石化計画は当初、ダウ・ケミカルと中国側(SINOPEC、天津石化、天津市)の50/50JVとして計画された。

当初案では渤海湾に面した化学工業区(塘沽)に2008年稼動予定でエチレン 80~90万トンのほか、PE、PVC、PO/SM、その他を生産する予定であったが、ダウがその後消極的となり、経済性が悪いので2010年以降の稼動になるとしたが、最終的に撤退した。

その後も天津市は石油化学センターの大型化に熱心で、Saudi Aramco に合弁を打診、またSABICも参加の意向を示したことがある。

中国政府は昨年末にSINOPEC天津石油化学(旧称天津聯合化学:既存エチレン 20万トン)単独のエチレン100万トン計画を承認した。
既存の製油所
能力750万トン/年を1250万トン/年に拡張する。誘導品計画は公表されていないが、PE 60万トン、PP 40万トン、MEG 45万トン、SM 50万トンなどが含まれていると言われている。2008年中の完成を目指す。

なお、中国の業界筋は本計画にSABICが参加する可能性を伝えている。本年1月のサウジのアブドゥッラー国王の最初の公式訪中を機に、SABICがSINOPECとの交渉を再開することとなったという。

本年1月に中海シェル石油化学(CNOOC and Shell Petrochemicals Company)が商業生産を開始した。(3/31 現地で竣工式)
昨年3月にスタートしたBPのJV・上海SECCO石油化工(Shanghai SECCO Petrochemical Company )、5月にスタートしたBASF-YPC Company に次ぐ3番目の外資JVのエチレンセンターである。
更に、エクソン、アラムコの参加する
福建石化計画が建設中である。また、天津のSINOPECの100万トン・エチレン計画にSABICが参加するとの噂もある。 
上海SECCOのあるShanghai Chemical Industrial Park (SCIP)にはBayerやBASFが大規模に事業を展開している。

日本の企業が主として中国の市場用にサウジやシンガポールに大規模投資をしているが、中国本土への投資は三菱化学のPTA等を除いて大きな投資がないのと対照的である。
この分析は後にして、まず、各社の進出状況をみよう。

中国のエチレンセンターは添付の通り。
Chinac2center

1.上海SECCO石油化工(Shanghai SECCO Petrochemical Company 

上海SECCOはBP 50%/SINOPEC 30%/SINOPEC上海石化 20%のJVでソウケイ(Caojing)地区のShanghai Chemical Industrial Parkに立地する。

BPはオレフィンと誘導品をInnoveneとして分離し、その後、Ineosに売却したが、中国でSINOPECとの間で2つの酢酸JV(重慶のYarco Acetyls、南京のBP YPC Acetyls Company (Nanjing) Ltd. をもつ関係で、本JVはBPに残した。

原料はナフサで製品は以下の通り。2005年3月にスタートした。

Secco

 

上海には3つの石化センターがある。

Shanghaimap

1)SINOPEC上海石化(金山)はエチレン 850千トンのコンプレックス。
2)
SINOPEC上海高橋石化(Shanghai Gaoqiao Company)は石油製品のほか、Polybutadiene RubberPhenol & KetoneAS 樹脂を生産。

3)
Shanghai Chemical Industrial Parkは新しく埋め立てた広大な化学基地で、上海SECCOのほかにBayerやBASFを初め、多くの企業が進出している。更に上海SECCOに隣接して、SINOPECがリファイナリー10百万トンとエチレン100万トンのコンプレックスを計画中である。

上海ケミカルパークの誘導品計画と立地計画(SCIP資料から)は添付の通りで、三菱ガス化学が過酸化水素、東京化成工業が試薬、試剤で進出している。三井化学が2006年4月にビスフェノールAのJVを設立する。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/china-scip.htm

ーーーー

2.BASF-YPC Company Limited

BASF-YPCはBASF 50%/SINOPEC 50%のJVで、江蘇省南京市SINOPEC揚子石化(エチレン 650千トン)に隣接している。Ypc
2005年5月にスタートした。

 

エチレン能力は600千トンで、以下の誘導品をもっている。

製品  千トン
エチレン   600
エチレングリコール   300
LDPE   400
アクリル酸   160
アクリル酸エステル   215
C4オキソアルコール   250
蟻酸    50
プロピオン酸    30
メチルアミン    30
ジメチルホルムアミド(DMF)    40

このうち、アクリル酸及びアクリル酸エステルとオキソアルコールはTECが受注している。

隣にはBASFとSINOPECのJVのYangzi-BASF Styrenics (SM、PS、EPS)がある。

なお、BASFは上記の通り、上海ケミカルパークにもハンツマン等とのJVのイソシアネートコンプレックスやポリウレタン繊維原料のP-THFプラントをもっている。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/china-scip.htm

経済産業省は3月16日、2005年末時点の主要石油化学製品の生産能力調査結果を発表した。

主要石油化学製品生産能力 単位:千トン/年)

製 品 名 04/12月末 05/12月末

エチレン

7,232

7,232

LDPE
 (うちLLDPE)

2,329
(1,044)

2,326
(1,041)

HDPE

1,286

1,286

PP

3,090

3,148

EO

944

953

SM

3,320

3,310

PS(GP,HI)

1,016

1,016

VCM

3,042

3,484

PVC

2,340

2,340

AA

430

429

ANM

777

718

合成ゴム
(ソリッド)

SBR

602

602

B R

285

285

I R

97

81

MMAモノマー

547

547

※各設備とも定修を実施する場合の年間生産能力

石油化学製品で前年末より能力が増加したのはPP、EO、VCMの3品目だけで、特にVCMの増加が目立つ。
東ソーが397千トン、ヴイテックが44千トン増加している。

ヴイテックは三菱化学・水島工場の5万トン(35万→40万トン)の手直し増設だが、東ソーは南陽事業所に40万トンを新設したものである。同社では更にこれを60万トンに引き上げる。

2005年の日本のVCM需給をみると、能力は年末に3,484千トンに増加している。Vcmcapademand
それに対して国内PVC用その他は1,479千トンと増加後能力の42%に過ぎない。輸出PVC向けが714千トン、VCM輸出が652千トンと、輸出用が1,366千トンを占めている。(添付グラフ参照)

昨日の記事の中国の状況をみると、PVC、VCMともに今後の大量の輸出は期待できず、大減産の可能性も考えられ、エチレンへの影響も大きい。

Vinylisochain2東ソーはビニル・イソシアネート・チェーンの拡大戦略をとっている。
ビニルチェーンから、イソシアネートの原料である塩素、苛性ソーダ、及びユーティリティを日本ポリウレタン工業に供給、同社で副生される塩酸は当社の塩ビモノマー原料として回収・利用する。

図は東ソー発表資料だが、第2期増強計画として510億円を投じて、自家発電、電解を増強し、VCMを合計148万トンに、PVCを海外子会社を含めて117万トンにする。
なお、この後、VCMを60万トンにするとともに、アニリンを倍増して30万トンに、日本ポリウレタンのMDIを倍増して40万トンにすることを決めた。(日本経済新聞 2006/4/4)

CMについては、「中国・広州市のPVC新工場建設やフィリピンのフィリピン・レジンズ・インダストリーズの増設計画など、グループ内PVC新増設プラントへの原料VCMの全量供給を図るとともに、中国、東南アジア等のPVC増強計画進展に伴うVCM需要の伸びに対応した外販を実施」するためのもの。(東ソー発表から)

数年前には中国のPVC需要は伸びるとともに、環境上問題のあるカーバイド・アセチレン法は禁止されるとみられていた。
中国のPVC能力が需要以上に伸びた上、全能力の約70%がカーバイド法となったのは全くの誤算であったのであろう。中国でPVCが余剰となると東南アジア等のPVC増強計画も怪しくなる。

しかしながら、PVCの国内需要の増大を期待してなら別だが、いかに「自家発電、港湾設備といった強力なインフラがある」といえ、日本でナフサと工業塩を輸入し、生産した製品全て(VCM・PVCと苛性ソーダ)を輸出するという構想が、そもそも正解であったのであろうか。

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本ブログの2-3月のバックナンバーを以下に見易くまとめました。

http://f56.aaa.livedoor.jp/~knak/blog/zenpan-1.htm

都合によりアドレスを変更しました。

http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htm

 

経済産業省製造産業局化学課は、例年通り、内外の石油化学製品の需給動向を見通すため、「世界の石油化学製品の今後の需給動向に関する研究会」での議論を踏まえ、エチレン系・プロピレン系誘導品及び芳香族製品等の石油化学製品について、西暦2010年までの世界の需給(需要、生産能力、生産量)の動向をとりまとめた。計算根拠を含めた詳細資料が発表されている。

「世界の石油化学製品の今後の需給動向」
http://www.meti.go.jp/policy/chemistry/main/sekkajyukyuudoukou_copy(1).html

中国の需給について製品別にみると添付の通りである。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/meti2006/china-jukyu.htm

エチレン誘導品のエチレン換算計をみると、添付のグラフの通りとなっている。C2kanzanchina_1

中国バブル説で述べた通り、この予想には2つの問題点がある。1つは需要予想で、過去の伸び率を参考にしているため、どんどん増えていくようになっている。13億人の需要も頭にあるであろう。

この資料での各樹脂の需要予想は添付のグラフの通りである。
Chinaresindemand

中国バブル説では人口のうち10億人はフィリッピン並みの消費力とみて中国の需要に限界があると述べた。

もう1つは供給側で、具体的な計画があるもののみをとっているため、実際にはもっと増える。
たとえば、エチレンについてみると、2010年の能力は1,510万トンとなっている。

しかし、3/26の中国の設備規制で触れたとおり、「エチレン工業 中長期育成計画」が実現すると2010年末能力は1,840万トンになる。

2年前の同じ「世界の石油化学製品の今後の需給動向」と比べると、生産能力及び生産が当時の予想より大きく増えていることが分かる。ほとんどの製品で需要と供給の差が縮まっている。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/meti2006/china-jukyu-graph.htm

特にPVCについては既に能力が需要を上回っており、VCMも間もなくそうなる。
もし需要の伸びが止まると、他の製品も早晩そうなろう。

そうなれば日本だけでなく、韓国や台湾の需給も変わってくることとなる。

中国の需給はアジア全体の需給に関係する。形式的に従来のやり方を踏襲するのではなく、いろいろな可能性を含めて作成すべきである。少なくとも本文では他の可能性の場合の影響を付記すべきであろう。

シンガポ-ル1期計画は順調にスタートした。TPCの製品はASEAN・中国等の市場に広く受け入れられ、需要に生産が追いつかない程の好調な販売を続けた。この間、エチレンは手直しで40万トンとなり、PPSCはHDPE能力を倍増しており、TPCもLDPEとPPの手直し増設を行っている。(下記の第2期計画図参照)

TPCのPP増設:

そのなかでPPは世界的な需給タイトの状況にあった。また日本の組立産業の韓国・台湾・ASEAN地域への進出の動きを反映し、従来のフイルム・ヤーンから、より高付加価値のブロックコポリマーの需要が高い伸びを示すと期待された。
また、PCSでは約40千トン/年弱のプロピレンが未利用になっており、低価格による輸出を余儀なくされていた。

このため住友化学では1986年頃からTPCでのPP増設の検討を始めた。(日本では産構法が終わり、「千葉ポリプロ」の検討が始まった)

住友化学内でも反対意見があったが、最終的に住友化学の気相法での新設備が1989年に完成した。同法はまだパイロットプラントの段階であったが、TPCに次いで千葉ポリプロで採用された。

呉羽化学のMBS事業:

1989年にKureha Chemicals (Singapore) Pte. Ltd.が設立された。
PCSのブタジェンを使ってMBS 16千トンを製造するもので、投資会社「日本シンガポールモディファイアー」が75%、呉羽の提携先のRohm & Haas が25%出資した。
(投資会社は呉羽化学 75%/住友化学 25% 出資)

*2003年1月、呉羽化学は全世界のMBS事業をRohm & Haasに譲渡、当社も同社の100%子会社となった。

シンガポール2期計画:

PCSと誘導品各社は1985年以後フル操業を続けた。

住友化学では1990年頃から増設計画の可能性について検討を開始した。
1990年にシェルグループと共同で技術面の事前調査を行い、メルバウ島にもう1系列増強可能との結論を得て、翌年にPCSおよび誘導品各社はそれぞれ本格的な第一次企業化調査を実施した。

1994年、シンガポール2期計画が発表された。(添付)Singapore2ki_1

各社が増設するほか、シェルがPO/SMを新設した。
・社名:Seraya Chemicals Singapore
・出資&引取比率:シェル 70
%/三菱化学 30%
・立地:Seraya島
・能力:SM 290千トン
     PO 129千トン
(住友化学は日本でライオンデルとの合弁・日本オキシランでPO/SM事業を行っており、参加しなかった)

なお、シェルは第二期計画ではBASFとJVを設立した。
・社名:ELLBA Eastern
・出資:シェル 50
%/BASF 50%
・能力:SM 550千トン
     PO 250千トン

三菱化学はこれを機会にSeraya Chemicalsの出資分をシェルに譲渡(シェル100%)、PO引取権をシェルに譲渡、2期分を含めたSM38万トンの引取権を確保している。 

PPSCの増設についてはフィリップスの役員会で否決された。このため、住友化学とシンガポール政府(EDC Investment )が増資に応じることで解決した。

出資比率
  当初 増資後
フィリップス  85.71%   50%
住友化学  14.29%   20%
EDC Investment   ー   30%

なお、ヘキストグループがSakra島での酢酸ビニル事業を計画し、エチレン供給を要請したため、その分能力を増やした。
社名:Celanese Singapore
能力:VAM 170千トン
    酢酸エステル 100千トン
    酢酸(メタノール法)500千トン

 

シンガポール2期計画は1997年に完成した。

なお、住友化学は1995年に昭和電工からTPC及びPCSの投資会社の持ち分を買取り、引き続いて宇部興産、出光石油化学からも買取った。(東ソーは引き続き保有したいとして申し入れを断った。)
この結果、現在の住友化学持株比率は、日本シンガポールポリオレフィン(TPC)が67/70(東ソーが3/70)、日本シンガポール石油化学(PCS)は1984年の増資後に46.2%であったのが、現状は54.7%となっている。 

ーーーー

その後の展開:

1994年にシンガポール政府は「Chemical Island 構想」を立案、周辺の海を埋め立て、全体をJurong 島とし、本島と橋で結んだ。

Singaporemap_2

住友化学は上記第二期計画にあわせ、合成樹脂以外の誘導品事業をシンガポールで展開することとし、PCSのプロピレンとMTBEを利用して、Sakra島でアクリル酸とMMAの関連製品の事業化を決め、下記の通りパートナーとのJVを設立した。
(なお、2002年に住友化学と日本触媒はアクリル酸とMMA事業を交換した。このためJVの出資比率も変更した)

アクリル酸関連

①租アクリル酸
  社名   Singapore Acylic
  能力   60千トン
  出資   住友化学 60%/東亞合成 40% 
      →日本触媒 51%/住友化学 9%/東亞合成 40%
       
②精アクリル酸
  社名   Sumika Glacial Acrylic
  能力   25千トン
  出資   住友化学 100%
      →日本触媒 100%
       
③アクリル酸エステル
  社名   Singapore Acrylic Ester
  能力   82千トン
  出資   東亞合成 75%/住友化学 25%
      →東亞合成 100%
       
④高吸水性樹脂
  社名   Sumitomo Seika Singapore
  能力   55千トン
  出資   住友精化 80%/住友化学 20%

MMA関連 

①MMAモノマー
  社名   Singapore MMA Monomer
  能力   55千トン
  出資   住友化学 60%/日本触媒 40%
      →住友化学 100%
       
②MMAポリマー
  社名   Sumika MMA Polymer
  能力   35千トン
  出資   住友化学 100%

現在のシンガポールのコンプレックスは添付の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/big/singapore-complex.htm

ーーーーー

このほか、ジュロン島では各社の以下のような石化プロジェクトがあり、シンガポール政府構想のケミカルアイランドが実現した。

1.ExxonMobil エチレン・コンプレックス (2001年スタート)

エチレン 800千トン、プロピレン 435千トン、PE 480千トン、PP 315千トン、パラキシレン 400千トン、ベンゼン 150千トン、オキソアルコール 150千トンほか
( 同社は2006年にエチレン能力を900千トンに拡大する。)

2.三井化学

Mitsui Phenols Singapore 
  三井化学 95
%/三井物産 5%
 (下記2社を統合したもの)
 ・Mitsui Phenol Singapore  2002/3完工
    フェノール(200千t) 2002/秋 +50千t
    アセトン  (120千t)       +30千
 ・Mitusi Bisphenol Singapore
    ビスフェノールA  
     1期 70千t
      2期 70千t (2002/2)
     3期 70千t (2002/9)
②MTK Chemicals
  三井化学 65
%/Kuokグループ 30%/三井物産 5%
   塗料原料用樹脂、アクリルエマルジョン、
   ビニルウレタン接着剤、その他工業用樹脂
③Singapore Adhesives & Chemicals
  三井化学 25
%/Kuokグループ 60%/三井物産 15%
   合板用接着剤、ホルマリン
④Mitsui Elastomers Singapore
  三井化学100
%
   「タフマー」を中心としたエラストマー製品 100千t

3.帝人
  Teijin Polycarbonate Singapore
  帝人 45
%/帝人化成 45%/EDB 10%
   ポリカーボネート樹脂
    1期 80千トン、2期 50千トン、3期 50千トン

4.クラレ/日本合成化学
  OVAL ASIA Pte Ltd
   クラレ 50
%/日本合成化学 50%
    PVA 40千トン(各社20千トンずつ引取り)

ーーーー

シンガポール第2エチレンJV構想

20031月、住友化学はシンガポールでの新たなエチレンプラントの建設について、シェルケミカルズとともにFSを開始する旨の契約を締結した。

計画概要
       
  立地   シェルのリファイナリーがあるブコム島
 ジュロン島の5km南東で、パイプラインで接続
  能力   エチレン 100万トン/年
  稼働   2007年予定
  誘導品   ジュロン島で住友化学が実施
高機能品を中心
PE:強度が高く加工性に優れた新型ポリマー
PP:ポリプロピレン:自動車向けを中心とした高強度ブロックコポリマーを主体

 

20045月、住友化学はサウジ・ラービグ計画に参加する覚書を締結、これにより、ブコム島でのエチレン計画から撤退することとなった。

シェルは住友化学の離脱後もシンガポールの経済開発局とともに本計画を進めることとしており、2005/11、東洋エンジニアリングとABBルーマス・グローバルBV社のJVに基本設計業務を発注、本年に入りFoster Wheeler にジュロン島でのEO/EGの基本設計を発注している。プラントの完成を2009年下期と予定、2006年に最終決定を行う。

参考資料:
住友化学社史ほか

 

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本ブログの2-3月のバックナンバーを見易くまとめました。

http://f56.aaa.livedoor.jp/~knak/blog/zenpan-1.htm

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本計画はシンガポールのメルバウ島にエチレン能力 300千トンの石油化学コンプレックスを建設するもので、1971年12月にシンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請があったのに始まる。

メルバウ島はシンガポールのジュロン工業団地の沖合いの島で、周辺に他に6つの島がある。以前は漁村であったが、1960年代末~70年代初めに3つの製油所が計画された。Chawan 島にEsso、Merlimau 島にSingapore Refinery Company(SRC)、Pesek 島に Mobil Oilである。シンガポール政府はここに石化基地をつくり、経済発展を図ろうとした。Singaporemap_1
(後、1994年に政府は「Chemical Island 構想」を立案、周辺の海を埋め立て、全体をJurong 島とし、本島と橋で結んだ。)

当時は東南アジアにも中国にも石油化学製品の需要はなく、産油国でもないため、原料も需要もないところで石油化学をしてどうするのだとの声が強かった。特に三井のイラン、三菱のサウジの計画が進められていたため、これらと比較しての反対が住友化学の中にもあったといわれる。

住友化学では長谷川社長(当時)の判断で本件を進めることとし、インドネシアのアサハン・アルミニウム計画と同様に、ナショナルプロジェクトとして推進すべきとの考え方で政府、業界などに支援・協力を要請した。

1975年1月、住友化学とシンガポール政府間の基本契約が調印された。

当初の計画概要は次の通り。

・立地   メルバウ島
・製品  
エチレン   30万トン
LDPE   12万トン
HDPE    5万トン
PP   10万トン
EG   12.5万トン
BTX    
・所要資金   約1800億円

1977年5月に海外経済協力基金の出資が閣議で了解され、石油化学業界の全面的協力を得て、以後、ナショナルプロジェクトとして推進されることになった。

7月に海外経済協力基金(30%)、住友化学(13%)と石化メーカー、プラントエンジニアリング会社、総合商社、銀行が参加した投資会社「日本シンガポール石油化学」(JSPC)を設立、
翌月、シンガポール政府とJSPCの折半出資でエチレンセンター会社「Petrochemical Corp. of Singapore (Private) Ltd.」(PCS)を設立した。

その後、石油化学各社に誘導品事業への参加を呼びかけたが、大型不況の最中で、かつ、東アジアにおける需要は長期にわたり供給過剰が懸念され、多くは消極的な姿勢を示した。

ようやく、1980年になり、各誘導品会社が設立された。まずHDPEで米国のフィリップス石油が参加、EOGで国内メーカー4社とシェルが、最後にLDPE/PPには、参加を呼びかけた国内7社のうち4社の参加が決まった。最終計画は添付の通り。Singapore1985

①LDPE・PP
  社名   The Polyolefin Co. (Singapore) Pte. Ltd.(TPC)                      
  設立   1980/5
  出資比率   日本シンガポールポリオレフィン 70%、シンガポール政府 30%

 *日本シンガポールポリオレフィン
   住友化学 55/70、宇部興産 5/70、昭和電工 5/70、東洋曹達 3/70、出光石油化学 2/70 

②HDPE
  社名   Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Ltd.(PPSC)
  設立   1980/4
  出資比率   フィリップス石油 60%、シンガポール政府 30%、住友化学工業 10%
       
③アセチレンブラック
  社名   Denka Singapore Private Ltd. (DSPL)
  設立   1980/9
  出資比率   電気化学工業 80%、シンガポール政府 20%

ーーーー

EOGについては1980年5月に日本側投資会社「日本シンガポールエチレングリコール」(JSEC)が設立された。
(出資比率:三菱油化 28%、日本触媒 26%、三井石油化学 26%、日曹油化 20%)

その後、EOGをめぐる国際環境が急変、安価な天然ガスを原料とする事業計画が相次ぎ、ナフサを原料とするシンガポールでの企業化計画が国際競争力を維持できるかとの疑問が出始め、現地合弁会社の設立は計画よりも遅れた。

1981年5月にEOG専業メーカーの日曹油化が業績悪化により離脱
1982年2月にはイラン石油化学事業で苦しむ三井石油化学が事実上の撤退表明を行った。

1982年4月に、とりあえず、現地会社を設立した。

④EOG
  社名   Ethylene Glycols (Singapore) Private Ltd. (EGS)                             
  設立   1982/4
  出資比率    日本シンガポールエチレングリコール(JSEC) 50%、
シンガポール政府 28%、シェル 20%、住友化学 2%

同年7月、採算がよくないため総事業費約220億円全額を資本金で賄うこととし、出資比率を再編した。

  社名   Ethylene Glycols (Singapore) Private Ltd. (EGS)   
  出資比率    日本シンガポールエチレングリコール(JSEC) 30%、
シンガポール政府 50%、シェル 20%

JSECの出資額 約66億円は以下の各社の出資となった。
 約58億円分を住友化学、三菱油化、日本触媒化学の3社が均等出資
 残り8億円を伊藤忠商事、住友商事、トーメン、日商岩井の4商社が各2億円出資 

ーーーー

1980年7月、EGSがまだ設立されていないが、PSCの起工式が行われた。

82年8月にPCSが完成、続いて9月にTPC、12月にDSPL、翌年7月に遅れていたPPSCも完成した。しかし、折からの世界的な石油化学製品の市況の冷え込みのなか、操業開始をいつにするかが問題となった。操業を開始してもEOGがないためエチレンの操業度は低く、大幅赤字は避けられない状況であった。

83年5月、リー・クアンユー首相から中曽根康弘首相に対して、PCSの苦境脱出のため、シンガポール、日本双方が1億ドルずつ増資して操業時の大幅赤字を回避しようとの提案が出された。これに対して政府は、日本側追加出資額(279億円)のうち政府系金融機関の追加出資額は45億8000万円に止め、残りを民間側負担とすることを決めた。
しかし、折からの大不況の下で追加出資に難色を示す企業が多く、住友化学が162.2億円、他の住友グループが32億円と、政府出資を除いた額の83%を住友グループが引き受けざるを得なかった。
(84/1払込)

1983年には需要の激減を受けて産構法が始まり、ポリオレフィンの共販がつくられ、設備廃棄が行われている。住友化学では83年初めに愛媛地区エチレン関連設備を停止している。アルミ子会社では84年末に残る2つの製錬工場のうち、東予工場を停止している。同社では82年度、83年度と2年連続で無配としている。
このような時期に需要のない国での大規模石化事業への多額の投資は通常は考えられない。現在ではシンガポール計画は大成功と賞賛されているが、もし原油価格が下がらず需要の回復が遅れていたら、同社にとって命取りになっていたかも分からない。大規模投資の判断の難しさがある。(当時、住友化学にも成算があったとは思えない)

これにより、PCSに対する株主融資518億円が出資金に振り替えられることになり、日本輸出入銀行などの延べ払い融資416億円が残るのみとなってPCSの金利負担は大幅に軽減された。

日本シンガポール石油化学の株主構成           

株主名 1982/12  増資  増資後
 億円   %  億円  億円   % 

海外経済協力基金

30.0

30.0

45.8

75.8

20.0

住友化学工業

13.0

13.0

162.2

175.2

46.2

住友グループ

6.5

6.5

32.0

38.5

10.2

石油化学業界各社

22.3

22.3

14.0

36.3

9.6

コントラクター各社

18.7

18.7

13.5

32.3

8.5

商社各社

5.5

5.5

3.5

9.0

2.4

銀行各社

4.0

4.0

8.0

12.0

3.1

合計

100.0

100.0

279.0

379.0

100.0

1983年後半に入ると石油化学市況は上昇の兆しを見せ始めた。

84年2月、PCSのエチレンプラントが立ち上がり、引き続きEGSを除くコンビナート各社の全プラントが一斉に商業運転を開始した。石油化学製品の市況が好調ななかでの操業開始で、誘導品のプラントは当初から実質フル操業状態となった。
85年2月にはEGSのEOGプラントも完成し、直ちに本格操業を開始、PCSもフル操業となった。
3月にシンガポール石油化学コンビナートの合同竣工式が行われた。

操業開始後の製品の販売先は、ASEANと香港向けが多く、操業当初はTPCの市場の6割はASEANと香港で、残りが中国、日本、ニュージーランドであった。
TPCの市場をASEAN諸国で確保できたのは、プレマーケティングにより需要家を確保していたこともあるが、加えて販売の四大方針である①安定供給②クイックデリバリー③製品の高品質④テクニカルサービスによって需要家の信頼を得たことも大きな要因であった。

誘導品各社は同地域の旺盛な需要に対処するためフル操業を続けた。PCSでは一部の手直し工事を行い、更に分解炉の1基増設を含むプラントの手直しによる生産能力の増強を行い、1989年春以降、エチレン設備能力は42万tlこ増加した。

損益面では1985年末からの原油価格の下落および86年後半からの製品価格の上昇によって利益が大幅に増加し、PCSは88年には累積損失を一掃し、89年には配当を開始した。また、誘導品各社も同様に88年からそれぞれ配当を開始した。
さらに財務体質是止のためPCSおよび誘導品各社は、借入金の期限前返済や有償減資を行い、経営基盤の強化と一層の安定化を図ることができた。

ーーーー

シンガポール政府は1987年に資本市場の育成と資金の有効利用のため国営企業の民営化を決定、それに基づき89年に各社の持株をシェルグループに譲渡した。 

各社出資比率(%)は次の通りとなった。

会社名 出資会社名  当初  譲渡後

PCS *

JSPC

  50

50

シェル

  -

50

TPC

NSPC

70

70

シンガポール政府

30

0

シェル

30

PPSC

フイリップス

60

85.71

住友化学

10

14.29

シンガポール政府

30

0

DSPL

電気化学

80

100

シンガポール政府

20

0

EGS

シェル

20

70

JSEC

30

30

シンガポール政府

50

0

* PCSについては一時的に、政府が所有するTemasek Holdingsが20%を所有、それも、1992/12にシェルに譲渡された。 

これによりシェルはTPCの製品の引取権をもち、引取りを順次増やしていった。

1995年、ShellのPPとモンテジソンのポリオレフィン事業を統合してモンテルを設立することとなり、独禁法の関係でTPCへの関与を放棄し、単なる株主となった。
  

続く

SHARQとは、アラビア語で「東方」を意味し、同社がサウディアラビア東部州に位置していることと、東方の国・日本との合弁会社であることに由来した愛称である。

本計画は1970年に石油鉱物資源公団(ペトロミン)総裁が三菱商事・三菱油化に対しサウジの石油化学事業具体化のための協力の希望表明があったことに始まる。

AR-RAZI (The Saudi Methanol Company) の方が、海外進出先を探していた三菱ガス化学が当事者であること、FSがよい結果であったことで順調に進んだのに対し、こちらは当初難航した。

日本側は製品の大部分の販売責任を負うことになるが、日本や東南アジアでの供給過剰の実情から販売が難しいこと、ルーマスのFS報告書で巨額の赤字発生の結論が出たことなどで、消極的であった。

1977年にサウジの企画大臣が来日し、通産大臣に三菱の対応の遅れにクレームをつけたことから、サウジとの関係を強化し原油の長期安定確保を図るため、通産大臣から三菱グループに対しプロジェクト推進を要請、ナショナルプロジェクトとして支援する旨表明した。

この結果、1979年1月に三菱商事、油化、化成ほか51社の出資で調査会社「サウディ石油化学開発」を設立し、翌年SABICと共同調査のための予備契約を結んだ。そして事業内容をエチレン 25万トン、EG 15万トン、LLDPE 13万トンと決定した。

1980年10月、日本側、SABlC、ダウケミカルの三者間で、エチレン、EG両プラントの共同所有・共同生産について合意がなされた。
SABICは別途ダウとエチレン50万トンとEGのJVペトロケミヤの交渉を進めていたが、エチレンの相当量をダウが輸出することとなっており、付加価値を高めたいSABICは輸出を認めたくない背景があった。このため、SHARQの計画と統合することとした。

具体的には以下の通りである。
・エチレン(50万トン):ペトロケミヤが操業、SHARQがうち、46% 23万トンを引き取る。
・MEG(30万トン):SHARQが操業、ペトロケミヤが50% 15万トンを引き取る。
 (ジエチレングリコール(3万トン)、トリエチレングリコール(1500トン):MEGと同様の扱い)
・LLDPE(13万トン):SHARQ専有。

これにより、1981年5月に投資会社「サウディ石油化学(SPDC)」に移行、海外経済協力基金の45%出資が決まった。
三菱商事が6.73%、三菱油化が4.37%、三菱化成が3.42%を出資し、ほかに、石化、銀行、石油、電力、銀行、鉄鋼など46社が出資した。

そしてSABICとSPDCの間でSHARQが、ダウとの間でペトロケミヤが設立された。(SHARQは1981年9月に設立登記) SHARQとペトロケミヤの間で共同所有・共同生産契約(JOPA)が締結され、また、SPDCとペトロミンの間でインセンティブ原油供給契約が締結された。
なお、後になって改定されたが、当初の契約ではSPDCは能力の75%の引取義務(権利ではなく、SABICの通告で減量可能)があった。

ところが1982年12月に突然、ダウがペトロケミヤから撤退した。日本側はショックを受けたが、サウジ側は大臣がダウの撤退をSHARQプロジェクトに影響させないことを約束したため、日本側はプロジェクトを引き続き推進する方針を再確認した。ペトロケミヤは以後、SABICの100%事業として当初案の通り推進された。

1981年6月に千代田化工建設との間で建設契約が結ばれ、設計・エンジニアリング、基礎工事、プラント建設(1983年3月~85年3月)、と順調に進んだ。その間、サウジの従業員のトレーニングが日本で実施された。 

1985年5月、ペトロケミヤのエチレンが操業開始、その後SHARQのPE、EGが運転を開始した。11月にはEGの第一船が波方ターミナルに入港、12月にはLDPEの日本市場引取りが開始された。EGは当時は日本で不足しており、メーカー4社が均等に引き取った。LDPEは日本のメーカー11社が国内外で販売した。

なお、インセンティブオイルについては、その後の原油の市場価格下落によりメリットがなくなった。ペトロミンはノンペナルティでの引取量削減を了承、1986年に契約を終了した。

ーーーーー

営業運転開始の頃からは石化製品の需給が逼迫状況となり、市況が大幅に改善。SHARQは営業初年度から利益を計上し、配当を実施した。そのため、SPDCも累積損失をほぼ一掃した。
SHARQの生産および販売は、その後順調に拡大し、高収益を継続した。このためSHARQは次のステップヘと向かうこととなる。

1989年にSABICはペトロケミヤの第2エチレン建設方針を決定、翌年SHARQが第2期計画を決定した。

 1991年の実能力:
  エチレン 79万トン(SHARQ分 36万トン)
  MEG   36万トン( 同     18万トン)
  LLDPE 19.6万トン

 第二期計画:
  エチレン 50万トン(SHARQ 
38%*) 
  MEG   42.5万トン(SHARQ 50%)
  LLDPE 20万トン 

  原料はエタン不足のためNGLとなり、ケロッグのミリセカンド法採用
  プロピレン27.3万トン併産する(SHARQでは不要)
  SHARQのエチレン引取枠は(エチレン+プロピレンx0.83)x38%
27.6万トンとなる。

第2期計画は1993年に完成した。その後、第1エチレンは15万トン、第2エチレンは20万トンの手直し増設をしている。

 1994年の実能力:
  エチレン① 79万トン(SHARQ 46%)
  エチレン② 80万トン(SHARQ プロピレンのエチレン換算分を含めた合計の38%)
  MEG    90万トン(SHARQ 50%)
  LDPE    45万トン

1996年には第3期計画で合意し、2000年に完成した。

  エチレン 80万トン(SHARQ 37%) S&W法
  MEG   45万トン(SHARQ 50%)
  LLDPE 30万トン

現在の能力は以下の通り。

  エチレン 244万トン(SHARQ 115.5万トン) 
  EG     135万トン(SHARQ  
67.5万トン、うち日本側権利 27万トン)
  LLDPE  
75万トン(うち日本側権利 30万トン)

ーーーーーー

SHARQ新規計画

20046月、SPDCは拡張計画の大筋を発表した。ペトロケミヤとのエチレン共同保有とは別に、自社でエチレンを生産するとともに、EGとLDPEのほか、HDPEも生産する。

・原料:エタンとプロパン
・立地:現SHARQ敷地内
・製品:エチレン 120万トン
     MEG    70万トン
     LLDPE  40万トン
     HDPE   40万トン
・完成:2008年1Q

ーーーーーー

なお、SPDCの出資比率は三菱商事の6.73%に対して、三菱油化と化成の合併により三菱化学が7.79%と商事を上回り、国際協力銀行(元、海外経済協力基金)の45%に次ぐ第二位の株主となっていたが、2005年に三菱商事が少数株主から保有株式を買取り、出資比率を21%に引き上げた。三菱商事主導の形を明らかにしたもの。

 

現在(及び今後)のSABICの石化計画の概要は以下の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/big/sabic.htm 

資料:「サウディ石油化学 20年のあゆみ」ほか

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