スーダンと中国

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1月9日から15日に実施されたスーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票で、南部が分離独立することが正式に決まり、早ければ今年7月にもアフリカ大陸54番目となる新国家が誕生する。
首都ハルツームで2月7日、投票管理委員会が発表した最終結果は、有効投票のうち独立賛成が98.83%を占めた。

付記
2011年7月9日、「南スーダン共和国:Republic of South Sudan」が分離・独立した。首都はジュバ(Juba)。
アフリカ大陸では54番目の国で、近く国連に193番目の国として加盟する。

オバマ米大統領は南スーダンを独立時には「独立主権国家として公式に承認する」と表明、クリントン国務長官はスーダンのテロ支援国家指定解除への手続きに入るとの声明を発表した。

現在、スーダンはイラン、キューバ、シリアとともに、米国によりテロ支援国家に指定されている。

過去には以下の4ヶ国が指定されていた。
 リビア (2006年指定解除、その後国交正常化)
 北朝鮮 (2008年指定解除)
 イラク (2004年指定解除)
 南イエメン (1990年指定解除)

スーダンでは南部地域と西部のダルフール地域で長く紛争が続いた。

(南部地域)

1956年にスーダン共和国が独立したが、前年の1955年の英国・エジプトからの独立運動下で、ムスリムによる北部の政府とほぼムスリムでない南部の非アラブ系諸民族連合との間で内戦が起こった。

1972年の第一次内戦終結での「アジスアベバ合意」で南部に自治権が与えられたが、1983年に第二次内戦が勃発した。

2005年1月に北部と南部との間で包括和平合意が成立し、ようやく南北内戦が集結した。
 この合意で、以下が決められた。
  南部自治政府発足、
  南部の宗教的自由(イスラム法の不適用)、
  南部スーダンの石油収入を南北間で原則均等配分、
  2011年の南部独立の住民投票 

ただし、南北の境界付近にある油田地帯アビエイ(Abyei)地区を巡る石油の利益配分などが決まっていない。

アビエイ地区は南北内戦の激戦地の一つ。2005年の包括和平合意は、同地区の帰属を決める住民投票を南部独立の住民投票と同時に実施すると規定した。しかし、南北間で境界線画定が難航、石油資源の利益配分などを巡る駆け引きが続いており、「時間切れ」となった。

もう一つの懸案のスーダンが抱える約380億ドルの対外債務の扱いについては、今回、中央政府のバシル大統領が、南部が独立しても北部が引き継ぐとの考えを示した。

(ダルフール地域)

ダルフールは多くの民族が居住している地域で、非アラブ系の諸民族(主に定住農民)と、13世紀以降にこの地域に移住してきたアラブ系(主に牧畜民)とで構成されている。
土地や水などの資源をめぐり、2つのグループに分かれて紛争が生じた。

2003年に武力衝突が起こり、紛争が本格化した。
反政府勢力の反乱(空港襲撃)を契機に、スーダン政府軍が空爆を行い、アラブ系の民兵を募集して、非アラブ系住民の大規模な虐殺や村落の破壊を行った。

2006年5月、国連安保理決議1679号により、国連部隊を派遣しようとしたが、スーダン政府が国連部隊の現地展開を拒否した。
欧米諸国による圧力や中国の説得により、2007年6月にスーダン政府がアフリカ連合と国連による共同展開受け入れを承認した。

しかし、停戦交渉はまとまらず、2009年には国際刑事裁判所がダルフール紛争での「戦争犯罪」に関してバシル大統領に対し逮捕状を出している。

2010年2月にはドーハでスーダン政府と反政府勢力の一部が停戦合意に調印するなどしており,和平実現に向けた努力が続けられている。

 

参考 外務省 スーダン政治・経済情勢
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sudan/kankei.html
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol59/index.html


なお、オサマ・ビン・ラディンは1992年にサウジアラビアを抜け出しスーダンに移った。スーダンでは建設事業などを進める一方でアルカイダを強化した。(テロを続けたためスーダンの厄介者となり、1995年にアフガニスタンに拠点を移した。)

ーーー

米国政府は1993年にスーダンをテロ支援国家に指定、1997年には、ダルフール地方の人権問題を受け、経済制裁を発動している。

アメリカの経済制裁が加えられた期間に、1990年代後半から中国政府のバックアップを受けた中国系企業が多数進出した。
数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラントや石油パイプラインが建設された。

スーダンでは、1990年代から石油の開発が本格化し,1999年に南部の産油地と紅海を結ぶパイプラインの完成によって,原油の輸出が始まった。生産量は日産約50万バレルに達し、輸出の大部分を占める重要な産業となっている。

北部と南部、ダルフール地区に接するアビエイ地区は大量の炭化水素の累積が見込まれる大地溝帯であるムグラド盆地に位置し、1970年代から油田探査が始まった。
2003年までにアビエイ地区はスーダンの原油生産の4分の1以上を占めるようになった。

PetroChinaは 1996年以降、スーダンの油田の権益の40%を獲得し、開発を手掛けている。

スーダンの石油の60%が中国に輸出されている。

Greater Nile Oil Pipelineは、Unity油田、Heglig油田からアビエイ地区を通り、ハルツームを経て紅海のPort Sudanまでを結んでいる。延長は1600kmで、1999年に開通した。

PetroChinaが40%を出資し、運営を担当している。

株主
 
China National Petroleum Corporation (PetroChina)40%
 Petronas Carigali Overseas(Malaysia)30%
 ONGC Videsh (India)25%
 Sudapet (Sudan)5%

米国はアフリカ大陸で資源確保に走る中国に焦りを覚え、スーダン南部の独立を推進したとの見方もある。
逆に中国は、南スーダンの独立の可能性が強まったため、南スーダンとの今後の関係を勘案し、スーダン政府に住民投票の実施を強く要請した。

PetroChinaにとっては、アビエイ地区の帰属、アビエイ周辺の同社の油田の帰趨が大問題である。


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