Eastman Kodak、米連邦破産法11条申請

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経営危機に陥っていたEastman Kodakは1月19日、ニューヨークの連邦地裁に米連邦破産法 Chapter 11(民事再生法)を申請したと発表した。米国以外の事業は対象外。米国でも事業は継続する。

これを受け、New York証券取引所は同日、同社株式の上場廃止を発表した。

負債総額は6,751百万ドル。つなぎ資金(debtor-in-possession credit)としてCitigroupから18か月期限で950百万ドルの融資を受けた。

同社では、Chapter 11申請は、米国内外における手元流動性の強化、非戦略的知的財産の収益化、過去の経緯にかかわる債務の整理、最も価値のある事業分野への集中を目的とするとしている。

CEOは以下の通り述べている。
「Kodakは、その変革を完了するための重要な一歩を踏み出した。我々は、デジタル事業を立ち上げたとほぼ同時期に、既に伝統的な事業からは効率的に撤退し、2003年以降、13の生産工場と130の研究所を閉鎖、47,000の人員を削減した。今は、費用構造に着目し、主力ではない知的財産の効率的な収益化によって変革を完了しなければならない。我々は、投資家の皆様と連携して効率的かつ世界クラスの、デジタル イメージングおよびマテリアル サイエンスの会社として再興することを目指している。」

「Chapter 11の適用は、我々の保有技術の中でも最も重要な2つの分野の価値を最大化する機会となる。その一つは、携帯電話やその他の消費者向け電子機器に不可欠な、2003年以来30億米ドルの収益を生み出したデジタル画像を保存する特許権で、二つ目は、成長を続ける米国コダックのデジタル事業において優位な競争力をもたらす画期的な印刷技術、および様々な材料へのイメージング技術である。」

コダックを巡っては最近、経営不安説がたびたび浮上。昨年9月に金融機関との間で設定したクレジットライン(融資枠)から1億6000万ドルを引き出すと発表したことなどをきっかけに株価が急落、昨年12月上旬以降、株価が1ドルを下回る状態が続いていた。

昨年7月以降、Chapter 11申請を避けるため、長年蓄積してきた保有特許のうち1千件以上もの売却交渉を進めてきたが、間に合わなかった。
合わせて、特許価値の維持のため、世界の各社を特許侵害で訴えている。

最近の純損益の状況は以下の通り。

2008    -442百万ドル  うち、Graphic部門のノレン減耗 -785百万ドル
2009    -210百万ドル  うち、LGへの有機EL事業売却益 100百万ドル
2010    -687百万ドル  うち、Film部門のノレン減耗 -626百万ドル 

同社は近年、デジタル製品および様々な材料へのイメージング技術開発を行い、デジタル事業が収入の約75%を生み出しているが、中途半端とみられている。
尚、2012年より Consumer とCommercail の2部門とする。

2010年 Net sales(百万ドル)
  US Others Total 比率  
Consumer Digital Imaging
(
Consumer)
1,781 958 2,739 38% Digital Capture and Devices、Consumer Inkjet Systems、Consumer Imaging Services
Graphic Communication
(
Commercial)
810 1,871 2,681 37% Prepress Solutions、Digital Printing Solutions、Business Services and Solutions
Film, Photofinishing and Entertainment
(
→分割して上記2部門に)
397 1,370 1,767 25% Entertainment Imaging(映画用フィルム)、Traditional Photofinishing、Film Capture(写真フィルム、使い捨てカメラ)
Total 2,988 4,199 7,187 100%  

付記

Kodakは2月9日、2012年上半期中にデジタルカメラ、ポケットビデオカメラ、デジタルフォトフレーム事業から撤退すると発表した。

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Eastman Kodakは1880年にGeorge Eastmanが設立、写真用乾板の商業生産を開始、1935年に35ミリカラーフィルムを発売した。
1975年には世界初のデジタルカメラの開発に成功している。(商品化せず)

しかし、高収益のフィルム事業にこだわり、急速に普及したデジタルカメラへの対応で大きく出遅れた。
1990年代にモトローラから移ったフィッシャー会長が、今後もフィルムが基本であり続けると考え、
「選択と集中」の原則に基づき、フィルム以外の事業を次々と放出した。

1994年1月に化学部門が分離され、Eastman Chemicalとなった。(Eastman ChemicalはPET樹脂では世界最大のメーカーであったが、これを売却し、石炭化学メーカーを志向している。)
Eastman Kodakが光学フィルムに参入しなかったのは、化学部門の分離で技術を失ったからとされている。

他方、富士フィルムはデジタル化を追求するとともに、液晶パネル用光学フィルム、医療用器具から医薬品、化粧品と多角化を進めている。

コニカミノルタ(ミノルタと小西六コニカが統合)もカメラや写真フィルムなどの事業を分離した。

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有機ELの権威、山形大学の城戸淳二教授はブログ「大学教授のぶっちゃけ話」(2012/1/5)で以下の通り述べている。

ご存知のとおり、有機ELの関連特許はすでに 韓国のLGに売り飛ばされ、有機EL研究者、技術者の多くはすでにこの難破船から脱出し、コダックには有機ELのカケラも残ってません。
 
思えば1987年のコダックのタンさんらの論文が有機ELの実用化に火をつけた。
なのに、この有様とは。
いったい誰がコダックの有機ELをダメにしたのか。

実は、三洋との合弁会社(三洋コダックディスプレイ、SKD)の失敗が大きい。
これは必ずしもコダックだけの責任じゃなく、当時の三洋のトップ、名前忘れたけど、あの女性が悪い。 
 
彼女が社長に就任した時、SKDでは有機ELディスプレイ量産技術がようやく完成し、これから利益を生もうとしていた。
しかし、赤字部門だったという理由で、この金のタマゴを産む鶏をむざむざと絞め殺した。
その責任はあまりにも大きくて、その結果、三洋、コダック、両社の経営に大きなダメージを与えた。

その結果、サムスンの独走を許した訳で、しかも、韓国の内製化政策により、部材や装置などの有機EL周辺企業までもが日本から韓国に事業所を移しだした。
このままだと、いづれは材料、装置、部品、その他もろもろ、すべて韓国や中国に生産拠点は移ってしまうだろう。
 
この始まりが、三洋/コダックの失敗のキッカケになっていると言っても過言じゃない。
 

有機ELの原理は1980年代にKodakで太陽電池の研究を行っていたDr. Chin. W. Tang(鄧青雲)が見つけた。

太陽電池は光エネルギーを電気エネルギーに変換するが、有機ELはこの逆で、有機物に電気を流し、電気エネルギーを光エネルギーに変えて光らすもの。

太陽電池では一般にシリコンなどの無機物を使うが、Dr. Tangは有機薄膜を積み重ねるという方法で高効率化を実現した。

Dr. Tang と Steven Van Slykeは研究を続け、有機物に効率よく電気を通せば有機物質を光らせることは可能と考え、1987年に低分子系の超薄膜の有機材料を2層にするというアイデアで非常に高い輝度で光らせることに成功した。(「コダック特許」)

 

Kodakと三洋電機は2001年12月4日、アクティブ型の有機ELディスプレイの生産を行なう合弁会社「エスケイ・ディスプレイ」の設立を発表した。

出資比率は三洋電機が66%、Kodakが34%で、低温ポリシリコン液晶で培った三洋のガラス基板上へのドライバ回路形成技術と、コダックの持つ有機ELに関する要素技術を利用した有機ELディスプレイの生産を行なうことを目的とした。

当初の生産品は携帯電話やPDA、カーナビ向けの1~7インチのアクティブ型有機ELディスプレイで、計画では、三洋岐阜工場内に有機工程を設置し、2002年2月より生産開始、2003年4月に大型ガラス基板を用いた本格生産を開始し、2005年の「フェーズ3」では、売り上げ700億円を目指した。

しかし、2006年1月、Kodakと三洋電機は同社を解散し、三洋も有機EL事業から撤退した。

小型機器向けの1~7型のディスプレイの製造から開始し、大型TV向け製品の製造も目指していたが、歩留まりの低さなどから、製品化は進まなかったとするが、城戸教授によれば、有機ELディスプレイ量産技術がようやく完成し、これから利益を生もうとしていたのに、赤字部門だったという理由で、この金のタマゴを産む鶏をむざむざと絞め殺した。

2002年にTVキャスター出身の野口ともよ氏が三洋電機の社外取締役になり、その後、会長 に就任し、直後に三洋電機の主要ビジネスの改革に着手した。
2007年3月、経営不振の責任を取り、三洋電機代表取締役会長を辞任。

 

Kodakは2009年12月、有機EL事業をLGグループに売却すると発表した。

「我々は、材料などにおいて有機EL関連の必須の特許ポートフォリオを有している。しかし、このビジネスの価値を最大化していくためには、より多くの投資が必要になると理解した」と説明している。

LGはKodakから取得した有機EL関連特許を管理するために2009年12月に米国にGlobal OLED Technology LLCを設立した。

2010年6月、出光興産は同社の株式を32.73%取得した。同社の有機EL事業に必要な特許を確保するために出資を決定したとしている。

KodakとLGはまた、特許紛争を終結することで合意した。

Kodakは2008年11月、画像取込み、圧縮、データ保存、動画のプレヴュー方法などの技術に関するデジタルカメラ関連特許が侵害されたとして、LG電子とサムスン電子の対象製品の調査と、輸入・販売差し止めを求めた。

LG電子は2009年2月に、KodakのデジタルカメラEasyShareがオートフォーカス、音声生成、画面表示等の特許を侵害しているとしてITCに訴えていた。

 

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PS 城戸淳二教授の1月19日のブログ「大学教授のぶっちゃけ話」は東大の秋入学を痛烈に批判している。

 

 

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