化学遺産、第三回認定

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日本化学会は3月13日、化学にまつわる貴重な歴史資料「化学遺産」に、7件を認定したと発表した。
 http://www.chemistry.or.jp/archives/isan-nintei3.html

これで化学遺産は17件となった。

日本化学会は、歴史資料の中でも特に貴重なものを文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上及び化学工業の発展に資することを目的とし、2010年3月に、第1回として6件の、2011年3月に第2回として4件の「化学遺産認定」を行っている。

2010/3/18  化学遺産認定 
2011/3/17  化学遺産、第二回認定

なお、国立科学博物館も同じような趣旨で「未来技術遺産」の登録を行っている。

2011/10/8   「未来技術遺産」

第3回認定は以下の通り。

▽ 『眞島利行ウルシオール研究関連資料』

眞島利行(1874-1962年)は、漆の主成分であるウルシオールの構造決定を皮切りに、日本特産の天然有機化合物の構造研究を中心とした研究を推進 し、日本の有機化学を世界的なレベルに高めた。

▽『田丸節郎資料(写真および書簡類)』

田丸節郎(1879-1944年)は、1908年にドイツのFritz Haber研究室に留学し、アンモニア合成の研究に参画した。
ドイツでの経験を活かして理化学研究所第1号館(化学)の設計や学術振興会の創設などに貢献した。

▽『鈴木梅太郎ビタミンB1発見関係資料』

国立科学博物館所蔵の最初に作られたビタミンB1の結晶や、もとになる米ぬか成分の標本など。

鈴木梅太郎(1874-1943年)は当時不治の病と恐れられた脚気の原因を研究し、1910年に微量でも生命活動の維持に必要な物質を発見し「オリザニン」と命名した(現在のビタミンB1)。
これは、実質的に世界で初めてビタミンの概念を提唱し、ビタミンを発見したことになる。

▽『日本の合成染料工業発祥に関するベンゼン精製装置』

本州化学工業(当時の由良精工)和歌山工場の国産ベンゼン精製装置

第一次世界大戦の勃発によりドイツから合成染料の輸入が途絶えたため、1914年に三井鉱山でのアリザリンレッドの工業化を皮切りに日本の合成染料工業が始まった。

▽『日本初期の塩化ビニル樹脂成形加工品』

東亜合成子会社のアロン化成保管の当時の製品見本と、古河電気工業の塩化ビニル被覆電線の営業用の見本。

東亞合成化学は1951年、イギリスのウインザー社の押出機を改良して塩化ビニル管の試作に成功し、水道管などに広く使われた。

軟質塩化ビニルの電線被覆は1949年に古河電気工業がアメリカの押出機を用いて国産化を実現した。

これらは国立科学博物館の「未来技術遺産」に登録されている。

2008 00009号 国産初期の硬質塩化ビニル管サンプル アロン化成
名古屋工場
1951
2010 00057号 塩化ビニル被覆電線・ケーブル見本
― 現存最古級の塩化ビニル被覆電線―
古河電工
(市原市)
 1950~
1955頃

▽『日本のビニロン工業の発祥を示す資料』

京都大に保存されている装置や、クラレが所蔵する初期の繊維

1939年10月、ビニロンの基礎研究が京都大学桜田一郎教授らによって発表され、国産初の合成繊維として期待された。
倉敷絹織(現在のクラレ)、鐘淵紡績(現在のKBセーレン)など民間企業で研究されたが第二次世界大戦の進行で阻まれた。
1950年、倉敷レイヨンにより初めて工業化された。

これも国立科学博物館の「未来技術遺産」に登録されている。

2010 00056号 ビニロン(ポリビニルアルコール繊維)
― 国産初の合成繊維 ―
クラレ
岡山事業所
1950


▽『日本のセメント産業の発祥を示す資料』

日本初の民間セメント製造企業小野田セメントがセメント焼成用に作った徳利(とっくり)窯。

1875年に隅田川東岸で、日本で初めてセメントを製造した官営工場が払い下げられ、後の日本セメント誕生となった。
一方、最初の民営セメント製造会社(後の小野田セメント)が1881年山口県小野田に誕生した。

ーーー

なお、日本化学会は第3回認定に関する公開講座を開催する。

第6回「化学遺産市民公開講座」

平成24年3月25日(日)13時~17時
慶応義塾大学日吉キャンパス第4校舎独立館3階D-310教室

http://www.chemistry.or.jp/archives/kouza2012.html

 

 

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