新潟水俣病 3次訴訟判決

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水俣病と診断されながら国の基準では認定されなかった新潟市などの男女11人が国と新潟県、原因企業の昭和電工に1人当たり1200万円の損害賠償などを求めた新潟水俣病3次訴訟 の判決が3月23日に出た。

1) 原告7人を患者と認定し、昭電に1人330万〜440万円(総額2420万円)の支払いを命じた。

原告は新潟市や同県阿賀野市に住む40〜80代の男女 で、多くは祖父母や両親が水俣病認定患者で、子どもの頃に阿賀野川の魚介類を食べて育ち、大人になってから症状が激しくなったとして提訴した。

国と県は、国の認定基準で棄却されているため、水俣病患者ではないとしたが、判決は、「症状が手足末端の感覚障害のみの人も存在する」とし、水銀摂取から40年以上経過後に発症する「遅発性水俣病」の存在も否定できないと指摘した。
(国の新指針は、摂取から発症まで「通常1カ月前後、長くても1年程度」であれば因果関係の確からしさが高いと例示している。)

同居家族に認定患者がいることを重視する見解を示し、7人を患者認定した。
3人については感覚障害を認めたが、同居家族に認定患者がいないなどとして請求を退けた。
故人1人は係争中に水俣病と認定され、昭電への訴えは取り下げていた。

2) 国と県の賠償責任については、工場排水を規制しなかったことが違法とはいえないとして認めなかった。

原告主張:1956年には熊本の水俣病が確認されており、同種の工場がある新潟でも発生が予見できた。
被告主張:
新潟水俣病が公式確認された1965年5月時点では工場の水銀排出は終了していた。

判決:新潟水俣病が確認された1965年以前に、国や県が阿賀野川での被害発生を認識していたとはいえない。

 ・1965年以前に阿賀野川での被害発生を認識していなかった。
 ・アセトアルデヒドの製造工程でメチル水銀が生成されることが裏付けられたのは1965年11月
 ・ごく微量のメチル水銀を含む排水でも魚介類を介することで人体に危険性があることが解明されたのは1968年ごろ

3) 損害賠償請求権は消失していない。

身体に蓄積する物質が原因で、一定の潜伏期間経過後に症状が表れる。除斥期間は発症した時から起算すべきで、20年を経過していない。


弁護団長は、「行政の責任を認めなかった不当な判決だ。患者が出ないようにするのが行政の責任ではないか」と述べ、控訴する意向を示した。
また、「症状はあっても、同居している親族に認定患者がいなければ認められないという、これまでの判決の悪い点を引用していて残念だ」と述べた。


新潟水俣病の経緯は下記の通り。(共通)は水俣病、新潟水俣病の両方

1956/4 (水俣病公式確認)
1965/5 新潟水俣病公式確認
1967/6 一次訴訟(四大公害訴訟ー両水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病ー最初の訴訟)
1968/9 (共通)政府統一見解、「工場排水が原因」
1971/9 一次訴訟で患者側勝訴。昭和電工の工場排水が原因と確定
1982/6 二次訴訟
1995/12 (共通)政府が未認定患者救済策を閣議決定
1996/2 閣議決定を受け、二次訴訟和解
2007/4 三次訴訟
2009/6 四次訴訟
2009/7 (共通)水俣病救済法 成立
  2009/7/3 
水俣病救済法案、衆院を通過、来週成立の見通し
2010/3 (水俣訴訟、熊本地裁で和解)
  2010/3/20 
水俣病集団訴訟で和解案
2010/4 (共通)政府、水俣病特別措置法の「救済措置の方針」を閣議決定
  2010/4/16 
水俣病「救済措置の方針」を閣議決定 
2010/10 四次訴訟和解勧告、協議開始→10月21日基本合意
2013/4 水俣訴訟、最高裁判決 52年判断条件」に基づく高裁判決を破棄
2013/12 未認定患者ら6人が新潟市に処分取り消しと認定を求め提訴
未認定患者ら22人が国・昭電を提訴(5次訴訟)
2014/1 環境省、水俣病認定基準  厳しい条件
2014/9 三次訴訟結審
2015/3 同上 判決


新潟水俣病第4次訴訟では和解が成立したが、3次訴訟の原告は和解ではなく、判決を求めていた。

新潟水俣病を巡っては、国と昭電を相手取り損害賠償を求めた5次訴訟など2件が係争中。

 

 

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