鹿島コンビナート 電解・塩ビ再構築

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鹿島コンビナートの電解・塩化ビニルチェーン再構築の枠組みが固まったと報じられている。

旭硝子、ADEKA、カネカの3社が2012年3月末に鹿島電解、鹿島塩ビモノマーから撤退し、信越化学が3社の出資分を引き受ける。
鹿島電解、鹿島塩ビには三菱化学も出資しているが、これはコンビナート運営者としての参加であり、製品の引取は行っていないため、両社は実質的に信越化学の子会社となる。

日本のPVCとVCMの需給は以下の通り。(2010暦年:千トン)

  年末能力 生産 内需
PVC 2,115  1,642 78% 1,031 49%
VCM 3,541 2,935 83% 1,110 31%

VCMの内需は輸出PVC用を除いたもので、VCMの純国内用需要は能力比では31%に過ぎない。

鹿島コンビナートの電解・VCMも5-6割の低稼働が常態化しているとされ、製品引き取りはほぼ信越化学だけとなっているとされる。

このため3月の東日本大震災で止まった設備を復旧せず、能力を削減して稼働率を高める。
撤退する3社は設備縮小などには協力し、70億~100億円の費用を負担する。
また、これに合わせ、鹿島北共同発電の能力を削減する。 

カネカはVCMからの撤退で、鹿島のPVCも停止する。
   付記 VCMを高砂から送り、特殊品とペーストのみを生産するとの説もある。

 

両JVの状況は以下の通り。


 

ーーー

三菱油化は1964年に、四日市に次ぐ第2の工場立地として鹿島地区進出を決定した。

三菱油化は当初、エチレン15万トンを計画したが、これを修正して1966年に年産30万トン計画を通産省に提出、VCM、食塩電解、塩ビ樹脂およびアンモニアを企業化するために有力企業を誘致した。

翌年の1967年2月に石油化学協調懇談会は「エチレン製造設備の新設の場合の基準」を30万トン以上と決めた。

しかし、既存のポリエチレン等だけでは、30万トンのエチレンを充たすわけにはいかない。たまたま、VCMがこの問題解決のキイとなった。

日本では塩ビの製造にカーバイドアセチレン法が使用されていたが、1960年頃に電気の価格の上昇でカーバイドのコストが上がり、採算が苦しくなった。
その頃、EDC法が導入され、各社がこれを採用しようとした。

1966年12月に通産省は「塩化ビニルモノマーセンター構想」を発表した。
今後の塩化ビニルモノマー設備は石油化学方式を採用することとし,カーバイド・アセチレンを原料とする設備はできるだけ早く転換する。
立地は石油化学工業のエチレンセンター隣接地とし,規模は年産10万トン以上とする。
塩化ビニルモノマー計画は,塩化ビニル樹脂の裏づけがあるものとする。
塩素源の電解設備は塩素とか性ソーダのバランスがとれること


この結果、日本のPVCの原料が全てエチレンに切り替わることとなった。

塩化ビニルモノマーセンター計画  単位:千t/年
 (VCMのエチレン原単位は0.5)

地区 会社名 生産能力 完成時期 エチレンセンター 供給先
鹿島 鹿島塩ビモノマー   220 1970年8月 三菱・鹿島 信越化学、日信化学、鐘淵化学
千葉 千葉塩ビモノマー   160 1971年4月 住化・千葉 住友化学、群馬化学、チッソ、電気化学
川崎 セントラル化学    60 1970年4月 東燃・川崎 東亜合成化学
泉北 三井泉北石油化学   120 1970年3月 大阪石化・大阪 三井東圧化学
水島 水島有機   200 1970年9月 化成水島 日本カーバイド、三菱モンサント化成、
韓国化成
水島 山陽モノマー   120 1970年7月 山陽エチレン・水島 日本ゼオン、チッソ、旭化成
南陽 東洋曹達   150 1968年7月 出光・徳山
新大協和・四日市
日信化学、信越化学、東亜合成化学、
徳山積水
徳山 サン・アロー化学   110 1970年4月 出光・徳山 自消、輸出、その他
呉羽化学   150 1970年10月 (原油分解法) 自消

三菱油化はソーダおよび塩化ビニル企業に働きかけたが、それらの企業は独自計画を優先して部分的参加となったので、塩ビモノマーセンターの規模は縮小せざるをえない状況となった。

三菱油化は1966年夏に三菱商事を通じて信越化学に鹿島計画参加の打診を行った。1967年5月にトップ会談が行われ、信越の参加が決まった。

1968年2月に鹿島電解と鹿島塩ビモノマーが現在と同じ出資比率で設立された。
(ADEKAは旭電化、カネカは鐘淵化学、三菱化学は三菱油化。なお、三菱油化はコンビナート運営者として参加)

当初能力は苛性ソーダが264千トン、VCMが220千トンで、VCMは信越化学、鐘化、旭硝子が引取り、信越と鐘化は鹿島にPVC工場を建設した。

その後、鹿島塩ビは能力を、270千トン→340千トン→450千トンと増強した。

信越化学は当初、VCMのフル操業のため、鹿島電解の信越枠を超えて塩素を引き取った。("優先塩素")

しかし、その後、PVCの需要は激減し、また原油価格の高騰による発電コストの急上昇で塩素価格が引き上げられたのに対し1980年代に入り低廉なEDCの輸入が急増したことにより、優先塩素は信越にとって大きな負担となった。

このため、信越化学は1980年秋に"優先塩素"を含む基本契約改定の申し入れを行ったが、他社は猛反対した。

1982年に金川・現会長(当時シンテック社長)が塩ビ事業本部長を兼務することとなった。
同氏は、米国からのVCM、PVCの直接輸入の準備と、万一訴訟等になった場合の対策についても万全の備えを行い、各社と交渉を行い、1983年7月に新契約を締結した。(信越社史から)

1994年10月に三菱油化と三菱化成が合併し、三菱化学が誕生した。

それまで三菱油化はPVCとは無関係であったが、三菱化成はPVC事業を昔からやっており、新生の三菱化学はPVCメーカーになった。

信越化学にとってはこれは一大事で、PVCの競合相手のエチレンを購入してVCMを生産することとなる。
このため、信越化学ではエチレンタンクを設置して他のエチレンソースも使用することを検討、慌てた三菱化学はエチレンの特別価格の設定を提案して、これを防止したとされる。

鹿島塩ビモノマーは1996年末に600千トンへの増強を決定した。これを機に三菱化学は40千トンの引取権を確保した。

三菱化学は(ヴィテック設立に先立ち)1996年に東亜合成と提携し、東亜合成の川崎工場での年産100千トンの設備新設に参画し、製品を引き取ることとしたが、鹿島のVCMは川崎に持ち込んだ。

2000年に入り、塩ビ業界の状況が悪化、旭硝子(引取枠105千トン)と三菱化学(同40千トン)は鹿島塩ビからの撤退を決め、引取枠を信越化学と鐘淵化学に譲渡した。
それ以降、引取枠は信越化学が492千トン、カネカが108千トンとなった。

旭硝子は1998年に旭ペンのVCMを停止、1999年に千葉塩ビモノマー(住化とのJV)を解散、2002年12月末にPVC事業から撤退した。
VCM事業では京葉モノマーを存続させ、VCMを輸出している。

三菱化学は鹿島塩ビ分のVCMを水島からの輸送に切り替えた。
その後、東亜合成とヴィテックを設立したが、2011年3月末で停止、東亜合成は川崎工場のPVCプラントを引取り、カネカから製造受託を行っている。

  2009/4/13 三菱化学、PSとPVC事業から撤退
  2011/2/23  ヴイテック、2011年9月末に解散

カネカは高砂にVCM 540千トン、PVC 295千トンを持ち、PVCについては上記の通り、東亞合成の川崎に年間70~100千トンの製造委託を行っている。

鹿島から撤退しても、関東に拠点を有する。

ーーー

鹿島電解、鹿島塩ビモノマーは実質的に信越化学の子会社となったが、信越化学が将来にわたってここで事業を継続する保証はない。

ShintechのVCM2期が完成すれば、同社の能力はVCM 1,600千トン、PVC 2,640千トンとなる。米国の需要が伸びないなか、同社はPVCの輸出に励んでいる。

鹿島のコスト次第では、将来、PVCをShintechから輸入する可能性もあろう。

立地    PVC   VCM  カ性ソーダ  
現状 計画 現状 計画 現状 計画
Texas州 Freeport  1,450     -     -    
Louisiana州
Addis   590     -     -    
PlaquemineⅠ   600     800     530    
PlaquemineⅡ       800   530 2011年完成予定
合計  2,640    800 800   530 530  

三菱化学はあらゆる事態を想定するとしており、中期経営計画の期間内にエチレン需要減少に備えた対策案をまとめる考えと報道されている。

 

ーーー

現在の日本のVCMの能力は以下の通り。(2010年12月末、千トン)

会社名 工場 能力 備考
ヴィテック 水島

391

→2011/3 停止                               

鹿島塩ビモノマー 

鹿島

600

→能力減へ

カネカ

高砂

540

 

京葉モノマー

千葉

200

引取枠:旭硝子(75%)、クレハ(25%)
 旭硝子は輸出
 クレハは塩化ビニリデン用を除き、大洋塩ビに譲渡

東ソー

四日市

250

 

南陽

1,230

 

合計

(1,480)

 

トクヤマ

徳山

330

合計

 3,541

 

 METI報告では能力合計 3,515千トン(東ソー 1,454千トン)

  以下のプラントは停止済
   旭ペンケミカル(旭硝子、PPG) 1998/7
   山陽モノマー(日本ゼオン、チッソ、旭化成) 2000/3
   千葉塩ビモノマー(住友化学、旭硝子。電気化学は先に離脱) 1998/9
   セントラル化学(
セントラル硝子、東亞合成、東燃化学) 2003/3
   三井化学  1999/12


 

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