Brexitの問題の根源(続き)-「北アイルランド国境問題」

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英下院は1月29日夜、EU離脱を巡り、メイ首相が推進してきた離脱合意案の主要条項を変更することを求める議員提案を賛成多数で可決した。

メイ英首相は2月7日、EU離脱問題の打開策の協議のため、Jean-Claude Juncker EU委員長と会談したがユンケル委員長は再交渉を拒否した。協議を続けるとしたが、具体的な道筋は示せなかった。2月末までに再会談する。

その前日、EUのDonald Tusk大統領(首脳会議常任議長)は、アイルランドのLeo Varadkar首相と離脱問題などを協議した後の共同記者会見で、英国のEU離脱を安易に推進した人々には「地獄」が用意されていると痛烈に批判した。

2019/2/7 EU大統領「英国離脱の推進者は地獄に」

Brexitの問題の根源は、アイルランドとの国境問題が最重要であることが分かっていながら、どう対処するのかを全く検討せず、Brexitを決めてしまったことである。

これとは別に、離脱賛成派が、離脱の必要性やメリットについて虚偽の説明をし、それをBBCを含む報道機関がそのまま伝え、国民が間違った情報を基に離脱に賛成したことも問題である。

Brexitの問題の根源

EU離脱を決めた国民投票後の2016年7月26日、メイ首相はアイルランド首相との会談に臨んだ。

英国民とアイルランド国民は、共通旅行区域(CTA)制度の下、パスポート検査などもなく両国間を往来できる。これは特に直接アイルランドと国境を接する北アイルランドにとって重要で、アイルランド国民と同じカトリック系の住民が自由に国境を越えられることは、北アイルランド和平プロセスの核をなしている。

EU離脱により移民対策を強化する場合やEUの関税同盟から外れる場合には、国境線での取り締まり強化や税関設置などの対策を迫られることも考えられるが、メイ首相は「両国にはCTA維持についての強い意志がある」と述べた。アイルランド首相も「国境の壁が存在した過去に戻ることを両国ともに望んでいないことで完全に合意した」と応じた。

共通旅行区域(CTA)制度は両国のEU加盟以前からある取り決めであると指摘し、税関や検疫も含め、物理的な国境設備の設置を避けることを目指すと明言し、日常的に住民や農業従事者、小規模な商業従事者が往来し物資の移動が行われている現状に配慮する必要性を訴え、通関申告を免除するなど「可能な限り摩擦のない陸上国境の実現」を目指すべきとしている。

また、ベルファスト合意を全面的に支持する姿勢を強調、同合意で定められた通り、北アイルランドの住民には両国間の往来の自由を認めると共に、両国の二重国籍を取得する権利やアイルランド国籍に由来するEU市民権も認めるよう求めている。

アイルランドと北アイルランド(英国)はEU加盟とベルファースト合意により、税関や検疫も含め、物理的な国境設備の設置なしで問題がなかったが、北アイルランド(英国)のみがEUを離脱する場合、国境設備の設置無しでどうやって管理するのかについて、事前に検討した気配はない。

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北アイルランド問題の根は深い。

1541年、イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称し、これ以降、イングランドからの入植者が増えた。アイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立した。

19世紀以降、アイルランドの民族運動が高揚したが、17世紀にアイルランドに移住したイングランド系・スコットランド系入植者の子孫のプロテスタント系住民は、カトリック系住民が多数をしめる新国家で少数派となることを恐れ、独立に反対した。特に、プロテスタント住民が多数派を占める北部のアルスター地方にある6州で最も強かった。

1919年、アイルランド独立戦争が勃発した。
1920年、イギリス政府はアイルランド全島をアイルランド自由国とし、北アイルランドと南アイルランドの2つに分割して、それぞれの自治権を認めた。

1922年に北アイルランド政府はイギリスへの再編入を希望することをイギリス政府に公式に通告した。
北アイルランド離脱後のアイルランド自由国は、1937年に自治領から独立の共和国へ移行し、1949年にはイギリス連邦も離脱した。

その後、独立戦争を戦ったアイルランド共和軍 (IRA) は北アイルランド政府に対し、テロ行為を行うようになった。これに対し、1966年にIRAに対抗する非合法の民兵組織が組織され、カトリック住民に対するテロ行為を開始した。

北アイルランド政府に解決能力がないと見たイギリス政府は1972年、北アイルランドをイギリス本国政府の直轄統治下に入れた。
互いに攻撃・テロを繰りかえし、これらの事件による死者は3,000名に及んだ。

1998年4月10日、イギリスとアイルランドの間で ベルファスト合意聖金曜日協定)が締結された。

この合意の主な要点:

・北アイルランドでの住民投票とアイルランドでの国民投票による和平合意の確認

1998年5月22日、北アイルランド住民投票では71.1%の賛成、アイルランド国民投票では94.4%の賛成

・北アイルランド地方議会の新設=英国政府の直轄統治から地方自治へ

・イギリスとアイルランド共に北アイルランドの領有権を主張しない。アイルランドは北アイルランド領有をうたう憲法を修正

・北アイルランド住民の過半数の合意なしに北アイルランドの現状を変更しない

・北アイルランドの将来の帰属は北アイルランド住民の意思によって決定される。

北アイルランドの人口構成は、プロテスタント系が50%強、カトリック系が40%半ばと拮抗している が、カトリック系の方が出生率は高いため、北アイルランドは将来的にアイルランドへ帰属を変更する可能性 が高い。

・帰属が確定するまではプロテスタント、カトリック系政治勢力が共同参加する自治政府によって統治される。

両国は北アイルランドの住民が国籍を、自身の選択で、アイルランド、英国、又は両方とすることを認める。将来の北アイルランドの帰属がどうなるかに関係なく、英国とアイルランド両方の国籍を持つことを認める。(→アイルランド国籍を持てば、Brrexit後も北アイルランドの住民はEUに属することとなる。)

英国とアイルランドは1923年に共通旅行区域(CTA)制度をつくり、パスポート検査などもなく両国間を往来できることとなっていた。但し、1923年に国境に税関が設置されている。

英国とアイルランドは1973年にともに欧州共同体(EC)に加盟、1993年11月1日にEUになったことで、EU加盟国間の人・モノ・資本・サービスの4つの自由が保証される単一市場が形成され、北アイルランドとアイルランド間の税関も撤去された。

EUは「人、物、サービス、資本の自由移動」を保障しているが、英国はシェンゲン協定の国境検査撤廃の適用対象から除外されている。
アイルランドと英国は共通旅行区域(CTA)制度により、シェンゲン協定未加盟の英国に国境検査なしで入国できる唯一のEU加盟国となっている。

建前は上記の通りだが、北アイルランド紛争のため、国境では英国の治安部隊の検問所や監視塔が武器や過激派の流入に目を光らせ、自由な行き来が妨げられた。

ベルファスト合意により、自由な行き来が可能となった。

アイルランド共和国と北アイルランドのアイルランド人にとって、表面上は国境で分断されてはいるが、ベルファスト合意により、北アイルランド住民が両方の国籍を持つことができ、自由に行き来ができるようになって、実質的な国境はなくなった。

将来は住民投票の結果、北アイルランドとアイルランドが統一される可能性も見えていた。

これで長年の流血の争いが収まった。

再度国境ができ、アイルランド共和国と北アイルランドのアイルランド人が分断されると紛争が再開される可能性もあり、英国もアイルランドもEUも望まない。


しかし、EU にとっては、EUの制限物質が北アイルランドを通じてアイルランド(EU)に入るのは困る。このため、北アイルランドについては今後もEU規則の適用を求める。(Backstop案)
これを呑めば、英国は本土と北アイルランドで分断される。

英国ではBackstopの期間を限定することを求めているが、実際には解決策はないであろう。

元 Economist 誌のBill Emmottは述べている。(2019/2/3 毎日新聞)

「解決できるのは、北アイルランドが英国から分離してアイルランドに加わるか、もしくは英国がEUに非常に近い形で残留しEUの交易ルールに従い続けるかである。 」

アイルランド側は、Backstop案を続け、そのうちに北アイルランド住民の意思で、アイルランドへの統合が決まるのを待つという思惑かも知れない。

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