日本の石油化学産業の構造改善ー5 事業統合時代

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25years23 損益状況がますます悪化し、各社は単独での生き残りは難しくなった。三菱と三井はそれぞれ2つの石化事業企業が並存していたが、いずれも一方が他方を救済する形で統合が行われた。

さらに94年8月、第一塩ビ販売グループの塩ビ事業統合計画が明らかになった。当時は共同生産はあり得ても、自社の販売権を拠出しての統合会社設立という考えは業界にはなかったが、これを機に他の分野も含め、相次いで事業統合が行われることとなる。

1) 三菱油化と三菱化成の統合
1993年12月、三菱化成と三菱油化は翌94年10月に両社を対等の立場で合併し、三菱化学とする旨、発表した。両社は否定したが、三菱油化の救済であるという見方が多かった。
当初は「赤字幅が著しいポリオレフィン事業の統合を模索した」がそれだけでは不十分となり、大統合に踏み切った。それまで「永遠の話題」として統合に反対していた三菱油化の吉田正樹・前社長が93年初めに亡くなったのも、統合に踏み切る要素と言われた。
しかしながら統合に際して「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す」と答えて人員、設備の削減を否定した。赤字の塩ビ事業も水島のエチレンの操業面から事業を継続している。

2)三井石油化学と三井東圧化学の統合
1992年4月に三井石油化学と三井東圧の統合交渉のことが新聞に報じられた際は両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」とされたが、その後も特に三井東圧の業績が回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。

その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。19984月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。 

3)事業統合
新第一塩ビに続いて各業界で次々と事業統合が行われた。今回は共同生産ではなく事業統合のため、共販グループに関係なく相手先を選んだため、順次共販会社を解散し、96年7月に全てなくなった。

塩ビ:
・新第一塩ビ:(95/7) 日本ゼオン、住友化学、トクヤマ(430千トン)
 *呉羽化学は検討途中で離脱
・大洋塩ビ:(96/4) 東ソー、三井東圧、電気化学(580千トン)
・ヴイテック:(00/4) 三菱化学、東亞合成(390千トン)
 (96年提携)

ポリオレフィン:
・日本ポリオレフィン:(95/10) 昭和電工、日本石油化学(PE 656,PP 346千トン)
 *99/5 モンテルSDKサンライズ(のち、サンアロマーと改称)を設立し、PP事業を分離
・グランドポリマー(95/10:PPのみ) 三井石油化学、宇部興産
 *97/7 三井化学設立を前に三井東圧が参加(計 PP 701千トン)
・日本ポリケム(96/9) 三菱化学、東燃化学(PE 696千トン、PP 733千トン)
 *東燃化学の関係会社・日本ユニカーの参加努力を続けたが、成立せず。

ほかに
・京葉ポリエチレン(97/10) 丸善ポリマー、チッソ石油化学のHDPE販売会社
・日本エボリュー(96/11) 三井石油化学と住友化学のメタロセン触媒LLDPEの製造会社

PS
・日本ポリスチレン(97/10) 住友化学、三井東圧 (225千トン)
 *住友化学と昭和電工のPSのJVの日本ポリスチレン工業とは別。
 同社(1966/11設立)は1990頃に両社が個別に新工場を建設運営し、93年旧設備停止、94年昭電のPS事業撤退で休眠状態となっていた(01年昭電が吸収合併)。
・A&Mスチレン(98/10) 
旭化成、三菱化学(統合前559千トン、統合後400千トン)
・東洋スチレン(99/4) 電気化学、新日鉄化学、ダイセル(統合前476千トン、統合後376千トン)

ABS
・テクノポリマー(96/10) JSR、三菱化学 (ABS 290千トン、AS 40千トン)
・日本エイアンドエル (99/7) 住友化学、三井化学(ABS 100千トン、SBRラテックス85千トン)
・UMG ABS (02/4) 宇部興産、三菱レイヨン、GE (ABS 176千トン)

これらの事業統合は、それ以前には考えられなかった「大決断」であった。
この結果、誘導品のメーカー数は大幅に減少し、1社当たりの能力は増大し、一応世界水準に近づいた。

しかしながら、実態をみると、以前と余り変わりがない状態であった。

三菱と三井の統合は、元々一緒であるべき会社の統合である。三井の場合は旧三井石化主導で事業や人の整理が行われたが、三菱の場合は設備にも人にも手を付けていない。
事業統合については、PSだけは統合時に老朽設備を廃棄したが、全般的には出資会社のプラントはそのまま維持し、原料ソースもそのまま、経営陣も各社が出し合った。
PVCの場合は、単独経営の信越化学、鐘淵化学、三菱化学(当初は単独)が対抗意識から増設を行ったため、逆に全体能力が増大した。
営業や研究、管理の人員は確かに減っているが、これは親会社に残しただけである。若干の合理化はあるとしても、工場に手を付けない限り合理化に限界がある。
既に述べた通り、仮に人員を100人減らしても節約される費用は年間10億円にもならない。過剰能力の下で売価が10円/kg下がると、500千トンの能力なら値下がり損は年間50億円にも達する。

これが実際に起こった事態であり、塩ビの統合会社は3社とも数年で巨額の累積赤字を出しており、日本ポリオレフィンも同様である。
事業統合によりメーカー数が大幅に減ったように見えるが、工場と原料供給体制をみると、それ以前とほとんど変わらず、小規模多数工場をもとにした過剰能力体制が継続していた。

危機に際して抜本的な対応をとらなかったツケが出たといえる。結局、1980年代、90年代の20年間は石化業界にとっては「失われた20年」であった。

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