イランの石油化学について述べたので、イランとの長い戦争をしたイラクの石油化学について触れる。
イラン・イラク戦争(1980-88)前にはイラクには2つの石油化学計画があった。
Petrochemical (PC)-1、PC-2と呼ばれ、いずれも国営石油化学企業 State Enterprise for Petrochemicals(SEP) が所有、運営するものである。
PC-1はペルシャ湾近くのKhor Al-Zubair にあり、1970年代後半にLummus と Thyssen Rheinstahが建設した。
エタンを原料にエチレン 130千トン、EDC 110千トン、VCM 66千トン、PVC 60千トン、LDPE 60千トン、HDPE 30千トンの構成である。
1980年に完成したが、イラン・イラク戦争で操業は凍結された。
PC-2はバグダッド南部のMusayibにあり、イラン・イラク戦争で 建設が中断。1988年の戦争終結でSEPは建設を再開した。
当時の計画は以下の通り。
エチレン 250千トン、LDPE 160千トン、EG 55 千トン、EO 20千トン、PP 100千トン、ブタジェン 70千トン、SM 145千トン、PS 80千トン、SBR+BR 80千トン、MTBE 60千トン、ブテン-1 15千トン、ABS 15千トン、スチレン・ニトリル・コポリマー 5千トン。
このうち、ブタジェンとABSは東洋エンジニアリングとニチメンが受注している。
イラン・イラク戦争後の進め方で両国は全く異なる。イランはホメイニ師の下で一体となり、経済復興に努め、旧IJCPを再開、これを核にして石油化学産業を拡大している。
これに対してイラクは1991年にクウエートに侵攻して湾岸戦争を起こした。PC-1、PC-2ともに爆撃を受け、大きな被害を受けた。
イランと異なり、イラクではシーア派とスンニ派、北部のクルド族が互いに争い、フセイン大統領が大規模な軍隊と国内の治安維持部隊でこれらを抑えるという状況であった。経済制裁もあり、産業復興に注力できる状況ではなかった。
PC-1は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分再開し、2003年のイラク戦争でも余り被害を受けず、部分的に操業を開始している。しかし予算がなく、細々と動かしている模様である。
PC-2は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分的に操業を開始したが、2003年のイラク戦争以降は止まっている。
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