本計画はシンガポールのメルバウ島にエチレン能力 300千トンの石油化学コンプレックスを建設するもので、1971年12月にシンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請があったのに始まる。
メルバウ島はシンガポールのジュロン工業団地の沖合いの島で、周辺に他に6つの島がある。以前は漁村であったが、1960年代末~70年代初めに3つの製油所が計画された。Chawan 島にEsso、Merlimau 島にSingapore Refinery Company(SRC)、Pesek 島に Mobil Oilである。シンガポール政府はここに石化基地をつくり、経済発展を図ろうとした。
(後、1994年に政府は「Chemical Island 構想」を立案、周辺の海を埋め立て、全体をJurong 島とし、本島と橋で結んだ。)
当時は東南アジアにも中国にも石油化学製品の需要はなく、産油国でもないため、原料も需要もないところで石油化学をしてどうするのだとの声が強かった。特に三井のイラン、三菱のサウジの計画が進められていたため、これらと比較しての反対が住友化学の中にもあったといわれる。
住友化学では長谷川社長(当時)の判断で本件を進めることとし、インドネシアのアサハン・アルミニウム計画と同様に、ナショナルプロジェクトとして推進すべきとの考え方で政府、業界などに支援・協力を要請した。
1975年1月、住友化学とシンガポール政府間の基本契約が調印された。
当初の計画概要は次の通り。
・立地 | メルバウ島 | |||||||||||||||||||
・製品 |
| |||||||||||||||||||
・所要資金 | 約1800億円 |
1977年5月に海外経済協力基金の出資が閣議で了解され、石油化学業界の全面的協力を得て、以後、ナショナルプロジェクトとして推進されることになった。
7月に海外経済協力基金(30%)、住友化学(13%)と石化メーカー、プラントエンジニアリング会社、総合商社、銀行が参加した投資会社「日本シンガポール石油化学」(JSPC)を設立、
翌月、シンガポール政府とJSPCの折半出資でエチレンセンター会社「Petrochemical Corp. of Singapore (Private) Ltd.」(PCS)を設立した。
その後、石油化学各社に誘導品事業への参加を呼びかけたが、大型不況の最中で、かつ、東アジアにおける需要は長期にわたり供給過剰が懸念され、多くは消極的な姿勢を示した。
ようやく、1980年になり、各誘導品会社が設立された。まずHDPEで米国のフィリップス石油が参加、EOGで国内メーカー4社とシェルが、最後にLDPE/PPには、参加を呼びかけた国内7社のうち4社の参加が決まった。最終計画は添付の通り。
①LDPE・PP | |||
社名 | The Polyolefin Co. (Singapore) Pte. Ltd.(TPC) | ||
設立 | 1980/5 | ||
出資比率 | 日本シンガポールポリオレフィン 70%、シンガポール政府 30% |
*日本シンガポールポリオレフィン
住友化学 55/70、宇部興産 5/70、昭和電工 5/70、東洋曹達 3/70、出光石油化学 2/70
②HDPE | |||
社名 | Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Ltd.(PPSC) | ||
設立 | 1980/4 | ||
出資比率 | フィリップス石油 60%、シンガポール政府 30%、住友化学工業 10% | ||
③アセチレンブラック | |||
社名 | Denka Singapore Private Ltd. (DSPL) | ||
設立 | 1980/9 | ||
出資比率 | 電気化学工業 80%、シンガポール政府 20% |
ーーーー
EOGについては1980年5月に日本側投資会社「日本シンガポールエチレングリコール」(JSEC)が設立された。
(出資比率:三菱油化 28%、日本触媒 26%、三井石油化学 26%、日曹油化 20%)
その後、EOGをめぐる国際環境が急変、安価な天然ガスを原料とする事業計画が相次ぎ、ナフサを原料とするシンガポールでの企業化計画が国際競争力を維持できるかとの疑問が出始め、現地合弁会社の設立は計画よりも遅れた。
1981年5月にEOG専業メーカーの日曹油化が業績悪化により離脱
1982年2月にはイラン石油化学事業で苦しむ三井石油化学が事実上の撤退表明を行った。
1982年4月に、とりあえず、現地会社を設立した。
④EOG | |||
社名 | Ethylene Glycols (Singapore) Private Ltd. (EGS) | ||
設立 | 1982/4 | ||
出資比率 | 日本シンガポールエチレングリコール(JSEC) 50%、 シンガポール政府 28%、シェル 20%、住友化学 2% |
同年7月、採算がよくないため総事業費約220億円全額を資本金で賄うこととし、出資比率を再編した。
社名 | Ethylene Glycols (Singapore) Private Ltd. (EGS) | ||
出資比率 | 日本シンガポールエチレングリコール(JSEC) 30%、 シンガポール政府 50%、シェル 20% |
JSECの出資額 約66億円は以下の各社の出資となった。
約58億円分を住友化学、三菱油化、日本触媒化学の3社が均等出資
残り8億円を伊藤忠商事、住友商事、トーメン、日商岩井の4商社が各2億円出資
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1980年7月、EGSがまだ設立されていないが、PSCの起工式が行われた。
82年8月にPCSが完成、続いて9月にTPC、12月にDSPL、翌年7月に遅れていたPPSCも完成した。しかし、折からの世界的な石油化学製品の市況の冷え込みのなか、操業開始をいつにするかが問題となった。操業を開始してもEOGがないためエチレンの操業度は低く、大幅赤字は避けられない状況であった。
83年5月、リー・クアンユー首相から中曽根康弘首相に対して、PCSの苦境脱出のため、シンガポール、日本双方が1億ドルずつ増資して操業時の大幅赤字を回避しようとの提案が出された。これに対して政府は、日本側追加出資額(279億円)のうち政府系金融機関の追加出資額は45億8000万円に止め、残りを民間側負担とすることを決めた。
しかし、折からの大不況の下で追加出資に難色を示す企業が多く、住友化学が162.2億円、他の住友グループが32億円と、政府出資を除いた額の83%を住友グループが引き受けざるを得なかった。(84/1払込)
1983年には需要の激減を受けて産構法が始まり、ポリオレフィンの共販がつくられ、設備廃棄が行われている。住友化学では83年初めに愛媛地区エチレン関連設備を停止している。アルミ子会社では84年末に残る2つの製錬工場のうち、東予工場を停止している。同社では82年度、83年度と2年連続で無配としている。
このような時期に需要のない国での大規模石化事業への多額の投資は通常は考えられない。現在ではシンガポール計画は大成功と賞賛されているが、もし原油価格が下がらず需要の回復が遅れていたら、同社にとって命取りになっていたかも分からない。大規模投資の判断の難しさがある。(当時、住友化学にも成算があったとは思えない)
これにより、PCSに対する株主融資518億円が出資金に振り替えられることになり、日本輸出入銀行などの延べ払い融資416億円が残るのみとなってPCSの金利負担は大幅に軽減された。
日本シンガポール石油化学の株主構成
株主名 | 1982/12末 | 増資 | 増資後 | ||
億円 | % | 億円 | 億円 | % | |
海外経済協力基金 |
30.0 |
30.0 |
45.8 |
75.8 |
20.0 |
住友化学工業 |
13.0 |
13.0 |
162.2 |
175.2 |
46.2 |
住友グループ |
6.5 |
6.5 |
32.0 |
38.5 |
10.2 |
石油化学業界各社 |
22.3 |
22.3 |
14.0 |
36.3 |
9.6 |
コントラクター各社 |
18.7 |
18.7 |
13.5 |
32.3 |
8.5 |
商社各社 |
5.5 |
5.5 |
3.5 |
9.0 |
2.4 |
銀行各社 |
4.0 |
4.0 |
8.0 |
12.0 |
3.1 |
合計 |
100.0 |
100.0 |
279.0 |
379.0 |
100.0 |
1983年後半に入ると石油化学市況は上昇の兆しを見せ始めた。
84年2月、PCSのエチレンプラントが立ち上がり、引き続きEGSを除くコンビナート各社の全プラントが一斉に商業運転を開始した。石油化学製品の市況が好調ななかでの操業開始で、誘導品のプラントは当初から実質フル操業状態となった。
85年2月にはEGSのEOGプラントも完成し、直ちに本格操業を開始、PCSもフル操業となった。
3月にシンガポール石油化学コンビナートの合同竣工式が行われた。
操業開始後の製品の販売先は、ASEANと香港向けが多く、操業当初はTPCの市場の6割はASEANと香港で、残りが中国、日本、ニュージーランドであった。
TPCの市場をASEAN諸国で確保できたのは、プレマーケティングにより需要家を確保していたこともあるが、加えて販売の四大方針である①安定供給②クイックデリバリー③製品の高品質④テクニカルサービスによって需要家の信頼を得たことも大きな要因であった。
誘導品各社は同地域の旺盛な需要に対処するためフル操業を続けた。PCSでは一部の手直し工事を行い、更に分解炉の1基増設を含むプラントの手直しによる生産能力の増強を行い、1989年春以降、エチレン設備能力は42万tlこ増加した。
損益面では1985年末からの原油価格の下落および86年後半からの製品価格の上昇によって利益が大幅に増加し、PCSは88年には累積損失を一掃し、89年には配当を開始した。また、誘導品各社も同様に88年からそれぞれ配当を開始した。
さらに財務体質是止のためPCSおよび誘導品各社は、借入金の期限前返済や有償減資を行い、経営基盤の強化と一層の安定化を図ることができた。
ーーーー
シンガポール政府は1987年に資本市場の育成と資金の有効利用のため国営企業の民営化を決定、それに基づき89年に各社の持株をシェルグループに譲渡した。
各社出資比率(%)は次の通りとなった。
会社名 | 出資会社名 | 当初 | 譲渡後 |
PCS * |
JSPC |
50 |
50 |
シェル |
- |
50 | |
TPC |
NSPC |
70 |
70 |
シンガポール政府 |
30 |
0 | |
シェル |
ー |
30 | |
PPSC |
フイリップス | 60 |
85.71 |
住友化学 |
10 |
14.29 | |
シンガポール政府 |
30 |
0 | |
DSPL |
電気化学 |
80 |
100 |
シンガポール政府 | 20 |
0 | |
EGS |
シェル |
20 |
70 |
JSEC | 30 |
30 | |
シンガポール政府 | 50 |
0 |
* PCSについては一時的に、政府が所有するTemasek Holdingsが20%を所有、それも、1992/12にシェルに譲渡された。
これによりシェルはTPCの製品の引取権をもち、引取りを順次増やしていった。
1995年、ShellのPPとモンテジソンのポリオレフィン事業を統合してモンテルを設立することとなり、独禁法の関係でTPCへの関与を放棄し、単なる株主となった。
続く
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