前にイラン、サウジ、シンガポール、韓国のエチレン計画への日本企業の参加について述べたが、他にも日本企業が参加したものがある。
インドネシアには3つのエチレン計画があった。チャンドラ・アスリ、ツバン計画、BP/サリムの計画で、チャンドラ・アスリは実現したが、ツバンは計画を変更してエチレンは中止、芳香族関連を本年にようやく完成する。BP/サリムの計画は中止となり、BPはPE事業のPENIを売却し撤退した。3計画ともに日本商社が参加していた。
1.チャンドラ・アスリ
2006年2月にインドネシア紙が、シンガポールの政府系投資機関のテマセク・ホールディングスがチャンドラ・アスリの株式 50.45% を7億ドルで買収したと報じた。コメルツバンク・インターナショナルの所有する 24.59% とマレーシアの Glazers & Putnam Investment Ltd.の所有する 25.86% を買収したとしている。(テマセク側は現在に至るも本件の発表をしていない)
コメルツバンク所有の24.59%は2005年4月に丸紅がチャンドラからの撤退で株式を売却したものである。
チャンドラの残りの49.55%は、バリト・グループのPT Inter Petrindo Inti Citra が所有している。
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本計画はスハルト元大統領の次男のバンバンのビマンタラ・グループ、合板王と呼ばれる彭雲鵬が率いるバリト・グループ、林紹良が率いるサリム・グループからスピンオフしたナバン・グループが中核となり1989年に設立され、これに丸紅と技術面で昭和電工が協力する形でアニールにエチレン、PEの建設を計画した。
近くのメラクではビマンタラ、ナバンが設立したトリポリタのPP、トーメンが中心のSMIのスチレンモノマー、BP等のPENIのPEの工場が建設されていた。
プルタミナからナフサ供給の確約をとりつけ、1990年にはナフサクラッカー部分をTEC/丸紅連合に発注した。
しかし、所要資金の借入完了後の91年9月に、世銀から対外債務の大きさにクレームを付けられた政府は政府関連大型プロジェクトの一時凍結宣言を行い、本計画も中断された。
株主3社は、バリト・グループの香港法人を経由して75%出資し、残りを日本インドネシア石油化学投資(丸紅85%、昭和電工10%、TEC5%)が25%出資し、100%外資企業の形をとって規制をくぐり、再出発した。
1995年にプラントが完成した。エチレン 520千トン、プロピレン 270千トン、LLDPE/HDPE 240千トン、HDPE 100千トンで、当初計画したPPは取り止めた。
1997年にタイで始まった通貨危機はすぐに各国に伝わり、インドネシアのルピーは1998年1月には当初の20%にまで暴落した。需要の激減とルピア切り下げによる元利返済負担の増大で同社は危機的状態となった。
(元々、インドネシア特有の理由で建設費が異常に高いと言われていた。)
1997年10月には約6億ドルにのぽる借入金のキャピタライズ化を実施し、さらにインドネシア金融再編庁(IBRA)が融資の担保として現地企業の持分を保有した。
(他のJVでも現地企業持分の多くはIBRAが所有した。)
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BPは三井物産、住友商事と(当初はArceto Petrokimiaも参加)PENIを設立し、PE事業をしていたが、サリム、三井物産、住友商事、ニチメン、トーメンとともにエチレン進出(70万トン規模)を検討していた。しかし通貨危機で経営危機に陥ったサリムがIBRAの管理下に入り、これは取り止めとなった。
インドネシア政府はBPに接触し、チャンドラへの参加を呼びかけた。チャンドラとPENIを統合し、PE事業に安価なエチレンを安定的に供給するという案である。
1999年に政府はBPがチャンドラの50%を持ち、政府が25%、日本側が25%という案を発表した。しかしBPはチャンドラの内情を知り、参加を取り止めた。
IBRAと丸紅は再建のための財務リストラ交渉を行い、最終的に2001年10月に合意をみた。
・インドネシア側融資金約5.4億ドルの内約4.4億ドルの株式化、日本側融資金約7.8億ドルの内約1.5億ドルの株式化。
・日本側融資金の残額約6.3億ドルならびにインドネシア側融資金残額約1億ドルについては、今後15年間で返済される。
インドネシア側及び日本側の株式化後の残存融資金にかかる金利率は、年率 LIBOR+1.25%とする。
IBRAは2003年、チャンドラの本格的な経営再建を図るため、保有株式75%のうち49.1%をPT Inter Petrindo Inti Citraに、残る25.9%をマレーシアのグレイザー・プットナム・インベストメントに売却した。
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2005年4月、丸紅はチャンドラ・アスリからの撤退を発表した。
チャンドラは財務リストラの結果、2004年度には初の黒字転換を果たしたが、同社にとってチャンドラは原料と製品の双方が市況りスクに晒される事業でおり、少数株主としてその発言権も著しく限定されていることから、撤退の検討をしてきた。
同社は重点事業としてバリトとの共同出資のムシパルプ事業の出資比率を段階的に引き上げていたが、バリトが大口債権者であるシンガポールのコメルツに転換オプション付き社債を発行する動きが出てきたことから、チャンドラの株式とこれとを交換することとなったもの。
日本インドネシア石油化学投資が保有するチャンドラ株式24.59%と同社向け融資581百万ドルを譲渡した。
2005年10月にこの手続きを完了し、日本側は正式にチャンドラから撤退した。
なお、チャンドラは現在エチレンの増設中で、2007年央にエチレンが70千トン増の590千トンに、プロピレンが36千トン増の306千トンになる。
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