夏休み特集 蚊取り線香物語 ピレスロイドの歴史

| コメント(1)

TVコマーシャルで「金鳥の夏、日本の夏」とやっている。

<p>HTML clipboard</p>

殺虫剤で有名な「金鳥」は、商標であって会社名ではない。
製造販売しているのは大日本除虫菊株式会社である。同社の創業者が「鶏口となるも、牛後となるなかれ」を家訓としたため、これをもとに鶏の頭の図案と「金鳥」をTrade Mark としたものである。

蚊取り線香の原料は当初は除虫菊の粉であった。

除虫菊は中央アジアからペルシャ地方の山野に自生していた野菊で、赤花種と白花種の2種類があるが、白花種に除虫の効力があることを知り、これを最初に栽培したのはユ-ゴ-スラビアのダルマシア地方である。

これが後に北米に移植されて、カリフォルニアを中心としてかなり広い範囲でもっぱら防虫用を目的として栽培された。1885年頃にそれがわが国に伝えられた。

大日本除虫菊の創始者、紀州有田郡の上山英一郎は1885年に米国植物会社の社長に面会して珍しい植物種苗の交換を約束、翌年除虫菊を含む各種の種子を受け取った。
(上山家は紀州での大手の蜜柑業者で、紀州山勘蜜柑とうたわれ、東京では
イ片:にんべんの鰹節、山本の海苔と共に食通の間で三名物ともいわれていた当主は歴代上山勘太郎と称したため、山勘と呼ばれたもの)

上山英一郎は、その家に伝わる資力を投入し、これを農産物として
、地元有田郡ばかりでなく、瀬戸内の島々から中国九州に、さらに北海道の荒地にも除虫菊の栽培を説いてまわった。

その結果、最盛期の1935年の日本の収穫量は乾花換算で12,750トンにも達し、その75%は米国に輸出されるまでになっている。

ーーー

除虫菊は最初は米国での使用と同様、その乾花を粉にして炭火の上でくすべていたが、上山英一郎はこれを仏壇線香の中に練り込むことを考案した。1890年、世界初の棒状蚊取り線香を発明し、発売している。

しかし、仏壇線香ではすぐ消えてしまう。1890年に英一郎夫人が渦巻き型を着想、試作を続け、1902年に発売している。当時は手巻きで製造された。

ーーー     

日本の除虫菊生産はその後、戦中、戦後の食糧増産で激減した。
他方、ケニア、タンザニアでは1928
年に試作を行い、順次増産し、1933年からは輸出を始めた。1974/75年シーズンには収穫量は 15,300トンと最盛期の日本の収穫量を超えている。

ーーー
除虫菊がなぜ殺虫効果を持つのかは長い間分からなかったが、
1910年にスイスのチューリッヒ工科大学のH.Staudinger博士が除虫菊の有効成分を発見し、その化学構造式を発表した。教授はこれをピレトリンと命名し、それの虫の体内での作用や、温血動物には無害であることなどを発表している。
その後、StaudingerやL.Ruzicka、アメリカのF.B. La Forge らによって、ピレトリンⅠ&Ⅱ、シネリンⅠ&Ⅱが存在することを発見している。

La Forge1949年2月に、その類縁化合物の合成法も開発して特許を出願した。アメリカの殺虫剤協会はこれをアレスリンと名付け、アメリカ政府はこれを国有特許として開放し、Carbide & Carbon Chemicals Co.ほか2社が生産にあたることになった。
なお、これ以降開発された類縁化合物はピレトリン類という意味で
ピレスロイドと呼ばれる)

ーーー
このピレトリン説をいち早くわが国学会に紹介したのは京都大学の武居三吉教授で、武居博士はさらに色々の追試に研究員を動員した。

住友化学では戦後、復興とともに新分野の農薬部門へ進出を企てた。わが国農薬学の権威山本亮博士に種々意見を求め、東京・京都両帝国大学にそれぞれ技術者を一名ずつ派遣した。

京都帝大に派遣された松井正直博士は、かつて理化学研究所において、山本博士のもとで行なっていた除虫菊の花の有効成分の研究を継続した。そしてLa Forgeと同じアレスリンの合成に成功し、1949年10月にその使用特許を含む一連の特許を出願した。
しかしアメリカの出願より半年余り遅かったため、松井博士は米国法とは別個の方法の開発に努め、各工程にわたって特許を出願した。
(住友化学は最終的にはFMCから特許実施権を得ている)

住友化学ではこれをもとに、1953年大阪の酉島工場に月産100kgの設備を設け、厚生省の製造承認を得て、ピナミン(R)と名付けて、蚊取線香および殺虫剤メーカーに試験的に販売した。

しかし、その年は、ちょうど除虫菊の豊作年にあたり価格は大暴落した。当初のピナミンは、天然品の除虫菊と色合いや香りの違い、副原料との配合技術上の不安などが重なって、需要は全く伸びなかった。

1954年、和歌山の大同除虫菊の上山彦寿社長がピナミンを採用した。同氏は1943年に"渦巻線香打抜き"(7ペア自動打抜き)の特許を取得したが、使用するには至らなかった。たまたま洪水で工場が全壊したのを期に、社内の反対を押し切り、自動連続製造装置を採用するとともにピナミンに切り替えた。
他社もこれに追随し、ピナミン需要は次第に増加した。大日本除虫菊も当初、除虫菊にこだわったが、その後ピナミン使用に踏み切った。

(大同除虫菊はその後、「ライオンかとり」と改称、その後同名のよしみでライオン歯磨:現ライオンが買収、その後、日本ジョンソンが引き継いだが、現在は和歌山の地元企業が経営している)

ピナミンは、蚊取線香(燻煙)用に適していたが、エアゾール(噴霧)にすると、速効性(ノックダウン性能)で除虫菊の主成分ピレトリンに劣っていたので、速効性で優るピレスロイド化合物を開発、1965年にネオピナミン(R)として発売した。当初はクリスロン、後にはスミスリン(いずれも後記)などのKill剤と混合して使用する。

1963年にフマキラーが殺虫成分をマットに沁み込ませ電熱で放散させる電気蚊取り(ベープマット)を開発、販売した。
フマキラーは当初の社名は「大下(オオシモ)回春堂」で、1920年に殺虫剤「強力フマキラー」を販売した。フマキラーは「ハエ(
Fly)-蚊(mosquito)killer」から名付けたもので、1962年に商品名を社名にした。

日本人の生活様式の西洋化、テレビの普及等で線香、マット、エアゾールの需要が増え、ピレスロイドの販売は増加、輸出も拡大した。

なお、蚊取線香は戦前から日本のメーカーが東南アジアなどに輸出、現在世界各国で使用されている。
しかし、米国では室内利用についてEPAの承認が得られていない。EPAの考え方は、殺虫剤は対象害虫について使用するもので、人間がいる室内で、蚊がいてもいなくても常時使用するのは、この考え方に反するというもの。

ーーー

その後の住友化学の動き

1969年 英国NRDC(National Research & Development Corp.)から新しいエアゾール用ピレスロイド(一般名レスメトリン)を導入、クリスロン(R)として発売
1972年 大日本除虫菊が開発したフラメトリン(ピナミン-D)を生産、同社に供給
1973年 光学活性体ピナミン-フォルテの発売
      (原料菊酸には光学異性体があり、d-体にのみ殺虫効果がある)
1975年 スミスリン(R)発売(クリスロン代替)
1976年 農業用ピレスロイドのスミサイジン(R)の試験販売
1977年 NRDCからパーメスリンを導入、エクスミン(R)として発売

 エクスミンはゴキブリ用を中心にエアゾールや蒸散・燻煙剤(アースレッド、バルサンジェット等)に広く使われた。
 ゴキブリが明るいところに飛び出してきて死ぬ「フラッシング効果」が有名になった。

 その後も新しいピレスロイドが次々に開発、販売されている。

 金鳥の「タンスにゴン」も常温で蒸散する住友化学のピレスロイド、エンペンスリン:ベーパースリン(R)やプロフルトリン:フェアリテール(R)を使用している。

ーーー  

住友化学では酉島工場が市中にあり周囲が住宅となったため、需要の増加に対応するため、青森県三沢市に新工場を建設した。
将来の需要の伸びを考え、能力を倍増したが、1974/75シーズンにケニア、タンザニアの天然除虫菊が過去最高の収穫となったため、長期間低操業が続くと懸念された。

しかし工場完成前に旱魃のために両国の天然除虫菊の収穫が激減し、穀物への転作もあってその後全く勢いがなくなった。このため1978年に工場が完成した時には倍増能力が売り切れるという状況になった。

農業用ピレスロイドは大分工場で生産されている。

ーーー

ケニア、タンザニアの除虫菊生産は激減したが、現在、中国の雲南省で大量に栽培されている。
 
佐々田葉月の中国雲南省除虫菊視察記

日本では現在、尾道市因島の重井町馬神、フラワーセンター南側、白滝フラワーライン展望台の3箇所で、種子の保存と観光用として栽培されている。
http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/kanko/data_inno/f_jochu.html

1929年、ユーゴスラビア国王アレキサンドル一世は、同国原産の除虫菊の用途を開発したことを評価し、上山英一郎に大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉領事の称号を贈った。
ユーゴスラビアは第二次大戦後、チトー大統領が6つの共和国と2つの自治州によって構成されるユーゴスラビア社会主義連邦共和国を建設したが、チトーの死後、分裂、2003年ユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロとなった。
2004年、現在の
上山直英社長が、在大阪セルビア・モンテネグロの名誉総領事に就いている。

ーーー

2005年8月、住友製薬は大日本除虫菊に対して、一般用医薬品を扱う住友製薬の全額出資子会社・住友製薬ヘルスケアの全株式を譲渡した。
住友製薬は大日本製薬との統合を控え、医療用医薬品への集中を図るもので、大日本除虫菊は一般用医薬品事業への本格参入を図るもの。

ーーー

◎ 蚊取線香についてのトリビア 金鳥の線香は左巻き、他社は全て右巻き

ーーー

参考
 
 西川虎次郎 「蚊遣り水」   医薬ジャ-ナル 1974/5 
  住友化学 社史
  大日本除虫菊ホームページ 
http://www.kincho.co.jp/

--------------------------------------------------

お知らせ

2006/8/8 杉本信行著 「大地の咆哮 元上海総領事が見た中国」に「付記」を追加しました。
   
8月12日までのバックナンバーを見易く整理しました。下記をご覧ください。
  http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htm
   
ホームページに下記をアップしました。半年前の作成です。
  日本の石油化学最近25年史
   

 

コメント(1)

はじめまして。

夏なので(笑)、蚊取り線香について少し書きまして、こちらの記事をリンクさせていただき、一部引用もさせていただきました。ご笑覧いただければ幸いです。

http://suyap.exblog.jp/7318800/

コメントする

最近のコメント

月別 アーカイブ