2006/3/8~の「日本の石油化学産業の構造改善」で日本の石油化学業界の変遷を述べた。
2006/3/17~3/18の「総集編」では業界ごとの変遷を簡単にまとめている。
改めて、各業界ごとの変遷と現状を順次、詳しく取り上げる。(不定期)
最初はPVC業界。
2006/3/8 「日本の石油化学産業の構造改善-1」で、この25年の石油化学を、産構法時代、ポスト産構法時代(前期、後期)、事業統合時代、選択と集中の時代、中国バブル時代に分けた。
添付のPVCの能力&需要推移グラフ、PVC業界損益推移グラフが、それぞれの時代の特徴をよく表している。
もともとメーカー数の多かったPVC業界に、1961年11月の通産省の「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」により、ア法ソーダメーカー4社、旭硝子、東洋曹達、徳山曹達(サン・アロー化学)、セントラル硝子(セントラル化学)がPVCに進出した。
1979年1月には第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。
PVC業界では1981年5月から翌年2月まで生産量と余剰設備制限を内容とする不況カルテルを実施し、在庫量を適正水準まで戻した。しかし、価格の上昇による国際競争力の低下により輸入は増大し、市況は回復しないままであった。この結果、塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。
(産構法時代)
1981年10月、産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会は以下の報告を行った。
・長期需給見通し:1985年の設備稼働率はPVC 67%、カセイソーダ 66%
・塩ビ業界の方向:「国際競争力の強化」と「集約化」
・具体案
①メーカー17社が数社ずつまとまり共同販売会社を設立し、価格の安定化、流通合理化、
生産の受委託を進める
②塩ビ中間原料の輸入を数社ずつによる共同輸入
③PVC設備能力の増加は避け、競争力強化と集約化促進のためにS&Bを積極的に進める
(* 1972年のカルテル時代に基本問題研究会の答申で過剰設備廃棄に加え、商社を含む共販会社の設立と、これを前提にPVCメーカー17社を4、5グループにまとめ、グレード統合・販売経費節減を行うことも提案している。その時点ではこれは実現しなかった。)
これを受けて、主要9社首脳が構造改善策を協議し、全17社を4グループに再編成して共同販売化を目指すことで合意した。
組み合わせについて、塩ビ協「塩化ビニル工業30年の歩み」(1985)では当時の呉羽化学・高橋博社長が、塩ビ協会長として私案をつくったとしている。
PVC共同販売会社の概要(共販体制発足時)
会社名(グループ) | 参加会社 |
第一塩ビ販売 (その他系) 1982/3/12設立 1982/4/1営業開始 |
住友化学工業 |
呉羽化学工業 | |
サン・アロー化学 | |
日本ゼオン | |
日本塩ビ販売 (三井系) 1982/7/15設立 1982/8/1営業開始 |
鐘淵化学工業 |
電気化学工業 | |
東亜合成化学工業 | |
三井東圧化学 | |
中央塩ビ販売 (三菱系) 1982/7/15設立 1982/8/1営業開始 |
旭硝子 |
化成ビニル | |
信越化学工業 | |
共同塩ビ販売 (興銀系) 1982/8/11設立 1982/9/1営業開始 |
東洋曹達 |
チッソ | |
セントラル化学 | |
日産塩化ビニール | |
徳山積水 |
この時点では、産構法はまだ出来ておらず、共販会社設立で公取委と揉めた。
1981年12月、「その他系」の4社が共販会社の骨格(均等出資、ペースト除外、その他)を最終的に決定、直ちに公正取引委員会との協議に入った。
公取委はこれについては、「販売シェアが24%と規制基準(25%)を下回っているし、競争制限につながることはない」とし、承認したが、4グループ化による共販については、
①販売市場を4分割するので価格競争がほとんど行なわれなくなる可能性が強い
②グループによっては販売シェアが市場支配力の目安である25%を超えるところもある
③共販により構造改善効果が不明確ーーなどをあげ、
「4グループ化がほぼ同時期に共販体制をスタートさせることは独禁政策上問題点が多い」とした。
1982年6月になって、通産省と公取委はようやく、塩化ビニル共販会社設立で合意、8~9月に3社が営業開始した。
1982年12月、石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」として、①過剰設備の処理、②投資調整の実施、③生産・販売の合理化のための集約化、④コスト低減対策の実施、⑤海外プロジェクトヘの対応の5項目を通産大臣に具申した。
これらの構造不況対策を実施するため、1983年5月24日「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。
PVC業界では以下のような業種別構造改善基本計画を提出し承認された。
業種名 + | 特定産業 指定日 |
構造改善基本計画の概要 | |||
目標年度 | 設備処理 | 構造改善の重点 | |||
処理目標量 | 処理期限 | ||||
塩化ビニル樹脂 |
1983/6/17 | 1988/6/30 | 49万t(24%) |
1985/3/31 | 1982年4共販会社の設立、 今後これを核に生産流通等 の合理化 |
・設備処理と5年間の新増設禁止
・4共販会杜を核とした生産、流通の合理化を進めるための計画
通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われている。PVCの生産はバッチ式で、プロセスにより特に重合後の「冷却」ー「後処理」の時間に差があり、実際には重合槽1m3当たりの生産能力は大きく異なる(場合により2倍以上)が、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。
PVCの各社別 設備処理は別紙の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/25/2-1.htm#pvc-shori
なお、三井東圧化学と電気化学が60/40の合弁製造会社日本ピーヴィシーを1982年に設立し、三井東圧・大阪で83年から塩ビ(公称能力 80千トン)の生産開始をしている。
設備処理については経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。
調整金は廃棄m3に対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、
合計4,360百万円を支給、残存m3数比で各社負担した。
基準分 1,856m3 x 2,000=3,712百万円
基準超 162m3 x 4,000= 648百万円
合計 4,360百万円
残存 8,709m3
以下にその後の動きを見る。
産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。
第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。
これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。
塩ビの場合、1984-86年に142-143万トンであった内需は、87年161万トン、88年178万トン、89年188万トンと増大している。
塩ビ業界の赤字も83年、84年、85年と順次減少し、86年には5.6億円の黒字に、88年には100億円の利益となった。
通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、1987年年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。
1988年6月30日、予定通り産構法は期限切れで廃止された。
石化業界では通産省の指導もあり、産構法終了後も産構法精神を維持することとした。
このため、2つの方策が取られた。
①「デクレア方式」(事前報告制度)
今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
具体的には
・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
に通産省に報告して公表することとなった。
②共販制度の維持
公取委は産構法の終了をもって共販会社も解散すべきだと強く主張した。米国の市場開放要請の中に共販制度も参入障害とする指摘があったことも、これを後押しした。
しかし業界では共販制度が価格競争を防ぐ重要な手段として継続を主張、最終的に公取委は、他の共販メンバーとの提携をしないこと、生産・流通・販売の合理化の進展状況を毎年報告することを求めた。
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(日産化学の石化からの撤退)
特筆すべきことは日産化学の石化からの撤退である。
各社とも損益が悪化しても事業撤退を考えなかったが、同社は1988年に石化からの撤退を決めた。
同社は1977年に千葉工場のPVC部門を分離、「日産塩化ビニール」としていた。1983年に同社を東洋曹達とのJVの「千葉ポリマー」としたが、1989年、千葉ポリマーを解散し、PVC設備を東洋曹達(四日市)に移管した。
また、1981年3月に丸善石化と日産丸善ポリエチレンを設立し、日産化学、日産ポリエチレンのHDPE事業を継承しているが、1990年に撤退し、丸善石化100%とし、後、丸善ポリマーに改称した。
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(ポスト産構法前期)
日本経済はバブル時代に入り、1983年に113万戸だった住宅着工件数は87年以降90年まで160万戸を超え、130万トンだった国内出荷は88年173万トン、89年187万トン、90年194万トンと増大した。
塩ビ業界では通産省の指導もあって産構法終了後も重合槽を増やさないという業界の暗黙の了解であった。しかし88年に極端な品不足に陥ったため、信越化学は業界で唯一の休止設備を稼動させた。
膨大な赤字を続けていた業界も、86年にトントンとなり、以後91年まで黒字となっている。
(第一塩ビ製造の設立)
1990年7月、第一塩ビ製造が設立された。
共販会社は一般的には各社の営業部門が同一事務所に同居しているという感じの運営を行っていたが、第一塩ビ販売は技術に関してはまとまっており、互いに技術を開示して共同で合理化の研究から始め、将来増設する場合は共同で大型設備をつくるという前提で、次世代製法の研究を行った。
その結果、呉羽の技術者の開発した内部ジャケット方式(*)の実用化の目処をつけ、まず日本ゼオンの水島工場にS&Bで2基を設置した。
内部ジャケット方式:
塩ビの製造に当たっては重合熱を冷却するのに時間がかかり、これの短縮が生産性アップのキイとなる。
通常は外部ジャケット方式で、リアクターの外側にジャケットを付け、その間に冷水を流して冷却するが、分厚いカーボンスチールの外側からの冷却のため、大型リアクターの場合に伝熱性能が不足し時間がかかった。
内部ジャケット方式はリアクターの内部に薄いステンレススティールのジャケットを置き、リアクターとの間に水を流すもので、冷却時間が著しく短縮できた。
後、三菱化学が同様のシステム(温調エレメント方式と呼んでいる)を開発し、水島と川崎(当初は東亞合成へのライセンス)でプラントを建設している。
需要の増大に伴い、特に1983年にエチレンとともに新居浜の汎用塩ビ設備を廃棄した住友化学が供給不足となり、増設の検討を行ったが、内部ジャケット方式を利用して住友化学千葉工場内に 80千トンの大型設備を共同で建設することでまとまり、第一塩ビ製造を設立した。
出資比率 | 引取比率 | |
住友化学 | 36% | 30千トン |
日本ゼオン | 24% | 20千トン |
呉羽化学 | 24% | 20千トン |
サン・アロー化学 | 12% | 10千トン |
第一塩ビ販売 | 4% | - |
当時は産構法が終了しており設備カルテルもなかったが、デクレア方式があり、上記の通り、暗黙の了解として重合槽を増やさないこととなっていた。
このため、通産省からは相当するm3数の重合槽の処理を要請された。住友化学は千葉の2系列のうち、15千トン設備の停止を、他社もS&Bにより順次m3数を減らすことを伝え、ようやく認められた。
同プラントは1995年から本格稼動をしている。
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(ポスト産構法後期)
能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。
(本記事トップの「PVCの能力&需要推移グラフ」参照)
アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。
この結果、各社の業績は悪化し、業界損益も92年から再度、赤字に転落した。
しかし、産構法の終了で再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、各社とも生き残りの策の検討を開始した。
「事業統合時代」の先駆けである新第一塩ビの設立検討は早くも1992年春から始まった。
第一塩ビ販売グループは共販設立当初から共同研究を行い、それをベースに共同生産のための第一塩ビ製造を設立するなど、信頼ベースは出来上がっていた。
4社は塩ビ事業の損益悪化から事業の統合による生き残りを図り、事業統合の検討を進めた。
1993年末に事務局案が答申されたが、94年初め、呉羽化学は以下の理由で参加しないことを決めた。
・統合会社は共販品目以外のペーストレジンや特殊塩ビなどを含む塩ビ全体をカバーする構想だが、
・呉羽は共販品目である汎用グレードが殆どで、電解ソーダ、塩ビ強化剤および塩化ビニリデン樹脂事業と深く関連している。
・新会社は全国展開を図るが、呉羽は東日本の大手ユーザーを中心としている。
・このため、いわき市にある錦工場の立地を生かし、東日本のユーザーに、優れた品質の汎用グレードを効率的に供給し、
塩ビ強化剤など周辺の強力な商品と一体となった運営によって、独自の塩ビ事業で十分競争力を発揮できる。
この結果、残る3社(日本ゼオン、住友化学、徳山曹達)は3社での事業統合の検討を始めた。
(続く)
ヘッドコーチです.樹脂業界の概要をこのブログで拝見しておりましたが、更に繊細な情報は、過去の業界歴史を知るのに参考になります.塩ビは、中国のカーバイド法による乱立がありますが、どのように国内を建て直すかが焦点です.
ブログ管理人様、このブログを修士論文執筆の参考にさせていただき、最終審査合格となりました.ありがとうございました.
おめでとうございます。
お役に立てて幸いです。