各社の動きの続き (添付図はクリックすると拡大します。)
トクヤマ
ア法転換4社の1社である徳山曹達は当初、先ずEDC生産が認められた。
1964年、徳山曹達、東洋曹達は周南石油化学を設立、
東曹・南陽でEDCとエチレンジアミン、徳曹・徳山でEDCとPOを生産した。
その後、東曹は自社で1966年南陽でオキシ法VCMを生産、
1970年に鉄興社とのJV・四日市鉄興社を設立して四日市で鉄興社枠でPVCを生産した。
徳曹は1966年にダイセル、鉄興社とのJVサン・アロー化学(徳山)を設立し、VCMとPVC(鉄興社枠で)を生産した。
当初、鉄興社 45%/徳山曹達 35%/ダイセル 20%、その後、ダイセルが離脱。
1975年に東曹は鉄興社を吸収合併し、徳曹はサン・アロー化学を100%子会社とした。
周南石油化学は1978年に解散した。
1995年にトクヤマ、サン・アロー化学は新第一塩ビに参加した。
新第一塩ビでは住化は千葉塩ビモノマー、ゼオンは山陽モノマー、徳曹はサン・アロー化学からVCMを持ち込んでいたが、徳曹は1996年12月に公称能力 135千トン設備をS&Bし、300千トン設備を建設した。
山陽モノマー(日本ゼオン、旭化成・水島コンビナート)
1968年、山陽モノマーが設立され、1970年にゼオン水島工場内に12万トン設備が建設された。
出資比率 日本ゼオン 55%、旭化成 25%、チッソ 20% 原料 塩素 :岡山化成(旭化成 50%、ダイソー 50%)
エチレン:山陽石油化学(旭化成)引取 ゼオン : 65% PVC
旭化成 :10% ビニリデン、溶剤(延岡)
チッソ :25% PVC
日本ゼオンは1979年に高岡の混合ガス法(GPA)設備を停止している。
その後、山陽モノマー能力は230千トンに増加した。
新第一塩ビは1999年5月に、水島のPVCプラントの停止を含む再構築策を発表した。
日本ゼオンは旭化成、チッソと交渉し、PVCと同時に2000年3月に山陽モノマーを停止することを決めた。
対応として、旭化成は3年間、塩素とエチレンを隣接の三菱化学にパイプで供給し、
VCMを生産委託し、チッソ水島(撤退決定で鐘化からPVC製造受託)と旭化成延岡に供給した。
千葉塩ビモノマー(住友化学)
当初、住化と電気化学2社JV・日本塩化ビニールでVCM 100千トンを生産する計画であった。
通産省の指導で、千葉地区の3計画(日本塩化ビニール、旭ペンケミカル、日産化学の各10万トン計画)を統合した。
この結果、 電解~EDCの日本塩化ビニール(住化/電化)とVCMの千葉塩ビモノマー(住化/電化/旭硝子/日産/チッソ)が設立された。
1984年に電解のDI法への転換で徳山曹達の技術を導入、徳曹は関東の塩素系製品製造 のため、電解に参加した。
1996年に大洋塩ビが設立され、東ソーは電気化学の工場内にVCMタンクを設置、電化は千葉塩ビからの離脱を要請した。
交渉の結果、1997年10月に電化は3つのJVからの引取りを中止、98年10月に電解、EDC会社が解散した。
電化は千葉塩ビモノマーからも離脱、住化と旭硝子は旭硝子のEDCを使って両社枠の生産継続を図った。
しかし、経済的に成り立たず、同社は99年に解散した。
新第一塩ビとしてはサン・アローのS&B後はVCM能力が過大で、徳曹は外販で補っていたため、支障は生じない。
東ソー(四日市、南陽)
多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる
「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。
同社は1996年の南陽の第二VCM(第1期)に始まり1999年まで、南陽と四日市でビニルチェーンに膨大な投資を行った。
大洋塩ビ設立時には次の構想をたてた。
三井東圧化学は名古屋の電解、大阪の電解とVCMを停止、
電気化学は千葉電解、千葉EDC、千葉塩ビモノマーから離脱して、東ソーから購入
南陽の第二VCM(第1期)30万トンは、この構想を前提に建設したもので、その後構想は実現した。
同社はその後もビニル・イソシアネート・チェーンの拡大を続けた。
2005年11月、南陽のVCM 400千トンが完成し、VCMの合計能力は1,475千トンとなった。
なお、2006年4月には同設備を600千トンに増設すると報じられている。
三井化学(大阪)
1968年に三井化学と東洋高圧、三井泉北石油化学を設立し、1970年に大阪でオキシ法VCM,PVCの生産を開始した。
(三井化学と東洋高圧は1968年に統合、三井東圧化学となり、1974年に三井泉北石油化学を吸収合併した)
三井化学は1996年に大洋塩ビ設立に参加、東ソーの構想に乗り、1999年12月に大阪工場の電解(ソーダ70千トン)とVCM(109千トン)を停止した。
東ソーにエチレンを供給し、VCMを製造委託した。
三菱化学→ヴイテック(水島)
三菱化学の塩ビ事業は、四日市でのMonsant とのJVのモンサント化成と、水島での日本カーバイドとのJVの水島有機に始まる。
両社の事業は最終的に1985年に三菱化成ビニルに統合されたが、三菱化成と三菱油化の統合による三菱化学の設立で、VCM、PVC事業は三菱化学が引き継ぎ、三菱化成ビニルは樹脂加工業となった。
2000年4月、三菱化学は東亞合成とともにヴイテックを設立、水島の電解~PVC、四日市のPVCはヴィテックに移った。
なお、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得した。
東亞合成との提携で、これを川崎に持ち込んでPVCにし、関東地区の販売に当てた。
しかし、2000年に旭硝子とともに引取り権を放棄している。
ヴイテックは2002年に企業体質強化策を発表した。
これに基づき、
2003年3月、セントラル化学からの年間10万トンVCMの引取りを終了
同年6月、水島のVCM能力を35万トンに引き上げ
2003年末、電解の増強を行い、EDC自給体制を整えた。
2005年、同社は水島のVCM能力を40万トンに引き上げた。増産分は中国を中心にアジア市場に輸出する。
セントラル化学(川崎)
1963年、セントラル硝子(元宇部曹達)70%/東亜燃料 30% でセントラル化学を設立
翌年、水銀電解及びEDCの製造販売を開始
(1969年、東亜合成、セントラル硝子、東燃化学が川崎有機を設立)
(1970年、川崎有機、PVC生産開始)
1970年、セントラル硝子 60%/東亜燃料 20%/東亞合成 20% に。
VCM製造販売開始(VCMは川崎有機へ供給)
1974年、PVCを川崎有機に生産委託し、販売開始
1985年、イオン交換膜電解新設
セントラル硝子74.4%/東燃化学 12.8%/東亞合成 12.8% に。
2000年、セントラル硝子 87.2%/東燃化学 12.8%
* 2000年4月のヴイテック発足に先立ち、川崎有機からセントラル硝子、東燃化学が離脱し、
川崎有機は東亞合成 100%に
(PVCはヴイテックに移管、機能性モノマー専業になるが、2001年東亞合成が吸収合併)。
これに合わせて東亞合成がセントラル化学から離脱した。
2002年、セントラル硝子 100%に。
2003年、PVC、VCM事業から撤退、4月にセントラル硝子が吸収合併。
ーーーー
「選択と集中」時代に旭ペン、三井化学、山陽モノマー、千葉塩ビモノマー、セントラル化学の各社が設備を廃棄し、その合計能力は731千トンに及んだ。しかし、他方、ビニルチェーン拡大を図る東ソーが大増設を行い(更に増設も)、その結果、2005年末の能力は97年のそれを上回っている。
VCM能力(単位:千トン)
'97 | '05 | PVCメーカー | |
鹿島塩ビモノマー | 600 | 600 | 信越化学 カネカ |
カネカ(高砂) | 520 | 520 | カネカ |
京葉モノマー 旭ペン |
200 50 |
200 ー |
輸出 |
トクヤマ | 300 | 330 | 新第一塩ビ |
山陽モノマー | 230 | ー | |
千葉塩ビモノマー | 210 | ー | |
東ソー | 784 | 1,443 | 大洋塩ビ |
三井化学 | 109 | ー | |
三菱化学 →ヴイテック |
300 |
391 |
ヴイテック |
セントラル化学 | 132 | ー | |
合計 | 3,435 | 3,484 |
日本のVCMの需要は図の通りで、2005年末能力3,484千トンに対して、2005年の総需要は2,844千トンである。
そのうち、輸出PVC用が714千トン、VCM輸出が652千トンで、合計1,366千トン、総需要の48%に達する。
PVCもVCMも輸出は中国向けが中心であるが、PVCの膨大な増設が行われ、既に輸出が増大しつつある状況である。また中国でのPVCの新設はカーバイド法が中心である。
このため、PVC、VCMともに、今後の中国向け輸出は減少するものと思われる。
その場合、PVCも含めた再編が必要となる。
東ソーのビニルチェーン構想は成功するのであろうか。筆者の見方はノーである。輸入したナフサ、工業塩を原料にして、汎用品のVCM & PVC と苛性ソーダを輸出するというのは、如何に用役費が安いとはいえ、物価の高い日本でやることではないだろう。
コメントする