「選択と集中」時代
この事業統合時代には事業統合を通じてメーカー数は減少した。
しかしながらプラントそのものは各親会社の工場に残っており、能力は増強されている。
事業統合会社も、親会社の意向が強く反映される共同会社であり、プラントや原料ソースも従来通りのものが多く、合理化にも限度があった。
LDPE | HDPE | PP | ||
メーカー数 | 12社→9社 | 12社→9社 (→販売8社) |
14社→7社 | |
能力 | 産構法設備処理前 | 1,741千トン | 1,052千トン | 1,252千トン |
産構法設備処理後 | 1,194 | 749 | 1,332 | |
1993/8 | 2,257 | 1,279 | 2,568 | |
2000/12 | 2,423 | 1,327 | 2,939 |
この能力増強に対して日本の石化製品の需要はバブル崩壊後伸び悩んだ。エチレン関連製品のエチレン換算内需量は添付の如く、未だに1991年の内需量を超えていない状況であった。生産増は辛うじて輸出によりカバーされたが、2000年頃はまだ輸出価格は高騰していない。
このような状況の中で、ポリオレフィンの場合は2004年に輸入関税が大幅に下がる「2004年問題」も懸念材料となった。
ウルグアイラウンドでの合意により、石化製品の関税率は1995年から段階的に引下げられ、ポリオレフィンの場合は2004年に最終税率が適用されることとなっていた。
輸入関税
93 | 99 | 00 | 01 | 02 | 03 | 04 | |
PE | @22.40 | @15.35 | @13.94 | @12.53 | @11.12 | @9.71 | 6.5% |
PP | @25.60 | @17.90 | @16.36 | @14.82 | @13.28 | @11.74 | 6.5% |
LDPEの場合、99年のCIF価格は723$で、この場合、関税は@15.35が@5.29に下がる。
PPホモの場合、同じく582$で、@17.90から@4.26に下がることとなる。
ニッセイ基礎研究所 百嶋徹氏は2000年の論文で、2004年には関税引き下げと国産品価格是正によって、業界全体では860億円の減益になると予想、これに加えて欧米化学大手のアジア進出にともなう競争激化などによって、最悪のケースでは年間 1,700億円の減益になると指摘した。
2006/2/22 「忘れられた「2004年問題」」 参照
これらを背景に石油化学業界全体で「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて検討を始めた。
①三井化学および住友化学の全面的統合発表
2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、2003年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については2001年10月に先行的に統合することを発表した。
両社はともにエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。
②三井住友ポリオレフィン
2001年4月、三井化学と住友化学は全面統合の具体案とともに、ポリオレフィン事業の統合について発表した。
会社名 | : | 三井住友ポリオレフィン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
営業開始日 | 2001/10/1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
資本金 | 70億円 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出資比率 | 三井化学 50%、住友化学 50% | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
事業 | ポリエチレンおよびポリプロピレン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生産能力 |
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しかし、この統合に対して公取委の承認がなかなか得られなかった。公取委はこのうち、PEについては当初から問題なしと伝えていた。
問題はPPであった。
公取委は2000年5月に「ポリプロピレン値上げについて談合の疑いがある」としてメーカー7社に立ち入り調査を行ったが、2001年5月、全社に排除勧告を行った。
これに対してを三井の参加するグランドポリマーと、日本ポリケム、チッソの3社は応諾したが、住友化学、出光石油化学、サンアロマー、トクヤマの4社は勧告理由を不服として拒否した。
2006/7/13 「ポリプロ価格カルテル事件の現状」参照 9月現在もまだ決着していない。
公取委は本件も踏まえて、統合に問題あるとしたため、2001/10のポリオレフィン統合は延期された。
公取委の問題点は以下の通りであった。(日本ポリケムとチッソの統合と同時に検討された)
1. | 統合後の合算販売数量シェアは、約30%(第2位)〔日本ポリケム/チッソは約35%(第1位)〕 上位3社の累積集中度が約85% |
2. | 輸入圧力の限定性 |
3. | 汎用性に乏しいグレード数の多さとそれに起因する取引関係の固定性 |
4. | PP分野におけるメーカーの価格改定行動について、これまでの状況をみると、協調的な行動がみられる。 |
これに対して両グループは以下の対応策をとった。
三井化学/住友化学 | |
少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を、2005年末までに、現状の約5割まで削減する。 | |
統合新会社において業界団体への営業部門者の出席を一律禁止するなど、独占禁止法遵守体制を更に徹底する。 | |
日本ポリケム/チッソ | |
少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を、2005年未までに、現状の約4割まで削減する。 | |
統合新会社においては、業界団体の会合等に出席する場合は、事前届出及び事後報告することを義務化する等、 独占禁止法遵守体制を更に徹底する。 |
これを受けて、公取委は2001年12月、ようやく両社の統合を承認した。
なお、石油化学工業協会では、2001年12月、協会内の各種委員会を廃止することを決めた。石化協はそれまで、全体で11の委員会を設置、主要製品についてのデータ収集および分析等のほか、海外市場動静、原料、物流、など石化産業を取り巻く幅広い分野での調査活動を進めていた。2002年からは各種委員会を廃止、政策立案を中心にした活動に衣替えした。
三井住友ポリオレフィンは2002年4月1日、当初予定から半年遅れでスタートした。
2003年10月には親会社が統合する予定のため、二重の手間を省くため三井住友ポリオレフィンでは工場の親会社からの分離は行わず、販売・開発会社として、製造は親会社に委託する形をとった。
③宇部興産のPP事業撤退
宇部興産と三井化学はPP事業を統合してグランドポリマーとし、宇部とトクヤマとのPP製造JVの宇部ポリプロについては宇部が1999年に持分をグランドポリマーに譲渡していた。
(* 宇部ポリプロのトクヤマ持分は2003年3月に三井化学が取得)
三井と住友のポリオレフィン事業統合を機に宇部興産はPP事業から撤退した。
当初はグランドポリマーを生産会社とし、営業権を三井住友ポリオレフィンに譲渡する案が検討されたが、最終的には2001年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し、宇部・堺工場内のグランドポリマーのプラントの操業は宇部興産が受託することとした。
2002年4月、三井化学はグランドポリマーを吸収合併した。
④トクヤマの撤退と出光石化の提携
2001年1月、出光石化とトクヤマはPP事業における提携を発表した。
事業提携の概要 | |||||||||
(1) | 徳山ポリプロ有限会社の設立 | ||||||||
①両社による製造合弁会社設立と国際競争力がある20万トン規模の設備新設(場所は、トクヤマ・徳山製造所内) ②トクヤマ既存PP設備(14万トン)の廃棄 | |||||||||
(2) | 営業および研究の統合 | ||||||||
①トクヤマの営業権の出光への譲渡 ②トクヤマが実施している研究の出光への一本化 | |||||||||
背景と目的 | |||||||||
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2001年4月 徳山ポリプロ設立 | |||
事業内容 | : | ポリプロピレンの製造(生産能力:20万t) | |
資本金 | 10億円 | ||
出資比率 | トクヤマ 50%、出光石油化学 50% |
2001年7月1日 トクヤマがPP営業権を出光石化に譲渡
2002年9月末 トクヤマ PPプラント140千トンのうち65千トン停止
2003年1月末 トクヤマ PPプラント残り75千トン停止
2003/5 徳山ポリプロ新プラント(200千トン) 営業運転
なお、トクヤマはPP製造JVの千葉ポリプロ、宇部ポリプロの持分をそれぞれ、2001年6月に住化、2003年3月に三井化学に譲渡している。
⑤日本ポリケム・日本ポリオレフィン・チッソの再編
2001年6月、日本ポリケムと日本ポリオレフィンはポリエチレン事業について、日本ポリケムとチッソは、ポリプロピレン事業について、それぞれ両社の事業を統合することにつき検討を開始することで合意したと発表した。
統合すれば、PEの生産能力は133万トン、PPは109万トンとなる。
海外での大型吸収合併による超巨大メーカー群の誕生、2004年に向けての関税率逓減、アジア・中東地区における大型設備の新規稼働等により、国内各社もコスト競争力の強化等が喫緊の課題となっており、これらの事業の統合を検討することが必要との合意に達したもの。
日本ポリケムが、両事業会社の共通業務の一部を担当し、かつ、両事業の総合調整をする形で存続する。
日本ポリオレフィンは2001年12月期で資本金150億円に対して累積損失が104億円に達していた。
日本ポリケムも2001年12月期では44億円の赤字で、資本金200億円に対して累積損失は28億円になった。
日本ポリオレフィンを主導する昭和電工では2002年の新中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」で「総合化学」から、「無機・アルミと有機の融合」中心の「個性派化学」への転換方針を決め、石油化学は、再構築が必要な事業群(再構築事業)としている。
PP(サンアロマー)は既にBasellに運営を任せているが、PEについても日本ポリケムを主導する三菱化学に任せることとなった。
チッソもPP事業において単独での生き残りは難しいと判断した。
PE製造能力 (千トン/年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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PP製造能力 (千トン/年) | ||||||||||||||||||||||||||||||
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* 三井住友ポリオレフィンの発表時点と異なり、数値が若干異なる。 |
日本ポリケムとチッソとのPP事業統合については、2001年10月に公取委の事前承認を得たが、日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業統合は難航した。
問題は日本ユニカーの存在であった。
日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学はダウ(UCCを買収)との合弁会社でPEのメーカーの日本ユニカーの株主でもある。
日本ユニカーについては当初から日本ポリケムへの参加を検討したが、実現しなかった経緯がある。
公取委は日本ポリケム(三菱化学/東燃化学)と日本ポリオレフィン(昭和電工/新日本石油化学)が、東燃化学を通じて日本ユニカーとも企業結合関係が出来ると考え、その場合の販売シェアが約45%で第1位に、また、上位3社の累積シェアが約80%となるとして、これを問題視した。
* 三菱化学はPE、PP両統合会社に参加するが、PEで連携する昭電、新日石化学を通じてサンアロマーと関係ができることとなるが、これについては公取委は問題としていない。
最終的にこの問題の解決のため2003年1月、三菱化学と東燃化学の間で、三菱が日本ポリケムの東燃持分を買取り、三菱の100%子会社とすることで合意、6月に実行された。三菱化学と、東燃化学の親会社エクソンモービルの間で統合計画をめぐり意見の対立があり、エチレン生産に経営資源を集中させたいエクソン側の思惑もあって関係解消となったとの報道もある。
これにより日本ユニカーとの関係が打ち切られ、新統合会社のシェアは約30%、上位3社の累積シェアが約70%となり、公取委も統合を承認した。
この結果、PEについては、2003年9月に日本ポリケム、日本ポリエチレンに三菱商事プラスチックを加えて3社の合弁会社・日本ポリエチレンを、PPについては同10月に日本ポリケムとチッソの合弁会社・日本ポリプロを発足させた。
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具体的手続きは以下の通り
2003/9/1 | : | 「日本ポリエチレン」を設立して日本ポリケムと日本ポリエチレンのPE事業を統合 |
2003/10/1 | 日本ポリケムのPP事業をチッソのPP事業と統合し、同社を「日本ポリプロ」と改称 | |
別途、投資会社「日本ポリケム」設立 |
両新会社は実質的に三菱化学主導であるが、多くの工場を抱える。
PE、PPは各エチレンセンターの主要製品であることから停止は簡単ではない。
少なくとも暫くの間はこれらを抱えていかざるを得ない。
PE | PP | 備考 | ||
日本ポリケム | 三菱化学 | 鹿島 | 鹿島 | |
水島 | 水島 | |||
東燃化学 | 川崎 | 川崎 | ||
日本ポリオレフィン | 昭和電工 | 大分 | * | PPはサンアロマー |
日本石油化学 | 川崎 | * | PPはサンアロマー | |
チッソ | - | 千葉 | (プロピレンは丸善石油化学) | |
- | 四日市 | (旧) 四日市ポリプロ(プロピレンは東ソー) |
なお、日本ポリエチレンは2004年9月で四日市工場内の75千トンの老朽化した小型LDPEプラントの操業を停止した。
同工場のエチレンは既に2001年1月に、また37千トンのPPプラントも2002年末で生産を停止している。
2005年12月、日本ポリプロは増設と鹿島工場に300千トンを建設することを発表した。
チッソの気相法を採用するもので、2008年 4月 営業運転開始の予定。
見返りに 2009年3月末をめどに、川崎工場で2系列合計年産138千トンのPP設備を休止する。
⑥宇部興産PE事業再編
宇部興産は2001年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡しPP事業から撤退したが、新聞報道では丸善石化コンビナートに197千トンの能力を持つPE事業についても2003年までに撤退する方針を決め、事業売却の検討に入ったと伝えられた。
しかしながら、京葉モノマーのVCMと同様、宇部のPEプラントが停止するとエチレンの操業に支障を生じる丸善石化の提案により、丸善石化のエチレンとの一体運営を行うこととし、宇部はPE事業を分離して宇部丸善ポリエチレンを設立し、その50%を丸善石化に譲渡し、JVとした。2004年10月に営業開始した。
社名 | : | 宇部丸善ポリエチレン | ||||||
事業内容 | LDPE及びスーパーポリエチレン(メタロセンLLDPE *)の生産・販売及び開発 | |||||||
営業開始 | 2004/10/1 | |||||||
資本金 | 490百万円 | |||||||
出資比率 | 宇部興産 50%,丸善石油化学 50% | |||||||
売上高 | 191億円(2003年度実績) | |||||||
生産能力 |
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従業員 | 約 100名 |
*1994年11月に三井石化と提携、休止していたLLDPE設備を三井のわが国初のメタロセン触媒技術による
気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用したもの。
なお、丸善石化は100%子会社でEO、EGを製造販売する丸善ケミカルと、同じくHDPEを製造する丸善ポリマー(販売はチッソとの販売JVの京葉ポリエチレン)を2005年4月に吸収合併した。
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「選択と集中」方針により、ポリオレフィン業界も再編が進んだ。
三井住友ポリオレフィン | 三井と住友のポリオレフィン事業統合 宇部興産のPPからの撤退 |
日本ポリエチレン(三菱化学主導) | 日本ポリオレフィン(昭電、新日石化学)を吸収 東燃化学の撤退 |
日本ポリプロ(三菱化学主導) | チッソのPP事業を吸収 |
出光石油化学 | トクヤマと提携(製造委託) トクヤマのPPからの撤退 |
宇部丸善ポリエチレン | 宇部のPEからの半撤退 |
しかしながら、この頃から中国の需要が急上昇して「中国バブル」現象が生じ、その後の原油価格高騰による「ナフサバブル」と相まって輸出価格が高騰、これを受けて国内価格も上昇した。
この結果、化学企業の業績は軒並み改善し、危機意識がなくなり、再編努力が弱まった。
あんなに心配した「2004年問題」もなんら影響がなく、ある業界関係者は「2004年問題など今や問題でない」と一笑に付した。
三井化学と住友化学の全面的統合の破談
そんな中で、三井化学と住友化学の全面的統合が破談となった。
三井化学と住友化学は2001年4月に統合会社の概要を発表した。社名を「三井住友化学」とし、2003年10月に共同株式移転により持株会社を設立した後、04年3月末に持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社とするとした。
両社はまず2002年4月、三井住友ポリオレフィンをスタートさせ、全体統合の準備を進めた。しかし、両社の統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとしていたため、競ってそれぞれの事業の拡大を図った。
2002年12月、公取委は両社の統合を事前承認した。
しかしながら、統合の検討を始めると直ぐに、両社の間に不協和音が出だしたとのことである。
新聞情報によると、経営統合に当たり、両社は「対等の精神」を理念に掲げたが、住友化学が時価総額(株価が15%弱の差で、株数は住化が三井の約2倍)をベースに考えて主導権を取ろうとし、三井化学は文字通りの「対等」にこだわった。
首脳人事では三井化学は「対等」の証として共同最高経営責任者制を提案したが、住化が拒否した。
多くの点で妥協も行われたが(共同持株会社を設立し、半年後に持株会社が両社を吸収するという二段階方式は、法的に三井が消滅会社となるのを避けるため)、住化主導の色が濃く、三井では「飲み込まれる」という不安が高まったといわれる。
石化の好調で、単独でもやっていけるとの考えが出たのは間違いない。
2002年末には首脳人事(社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長)などが内定したが、統合比率で折り合えず、2003/3を期限に再交渉することで合意した。
しかし、その後も折り合えず、2003年3月31日、統合計画の白紙撤回を発表した。
ポリオレフィン事業の合弁会社である三井住友ポリオレフィンについては、全体事業統合見送りの結果、両社が独自の事業戦略に基づき、それぞれポリオレフィン事業を推進していくことで合意し、2003年10月1日、合弁事業を解消した。
幸か不幸か、本体の統合を前提に工場については統合していなかったため、販売と研究機能を両社に戻すだけで済んだ。
これにより、グローバル企業を目指した大統合は実現を見ずに終わった。
その後、住友化学はサウジのラービグ計画を、三井化学は出光興産との提携強化、ポリオレフィン事業の統合を発表する。
* ラービグ計画については2006/3/25 「ペトロラービグ起工式」参照
三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合
三井化学は住友化学との経営統合計画の解消後、2004年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産/出光石油化学と包括提携で基本合意した。
3社は、石油精製・石油化学事業の国際競争が激化するなか、これまで個別企業毎に行ってきた合理化等の取り組みだけでは限界があるとの共通認識に基づき、千葉地区における業務提携の可能性について予備的な検討をしてきたが、原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指すこととした。
この業務提携を具体化することにより、出光グループは石油精製と石油化学のインテグレーションを更に推し進め、「石油精製の高度化による原料・留分の付加価値向上」と共に、「製油所・石油化学工場のコスト競争力強化」を図る、三井化学は石油化学事業構造の抜本的な変革、即ち「分解原料の多様化」「プロピレンセンター化」「差別化」を促進するとした。
2004年5月、三井化学/出光興産/出光石油化学は三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合の発表を行った。
(同時に出光興産による出光石油化学の吸収合併も発表した)
新会社は、三井・出光の包括的提携の一部として、両者の全世界におけるポリオレフィン事業を、生産・販売・研究のすべての面で戦略的に統合し、事業規模の拡大とシナジー効果の発揮による事業価値の最大化を図ることを基本的な使命としている。
①社名 | : | ㈱プライムポリマー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
②営業開始日 | 2005/4/1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
③事業内容 | ポリプロピレン及びポリエチレンの生産、販売及び研究 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
④資本金 | 200億円 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑤出資比率 | 三井65%、出光35% | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑥売上高 | 2,400億円(2004年度両社合算) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑦生産能力 |
(PPは国内1位、PEは国内2位) |
2005年4月1日、プライムポリマーは営業開始した。
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中国バブルは早くも破裂しかけている。
各社の決算では既に石油化学部門の損益の悪化が見られる。
日本の国内需要が今後増大することは余り期待できない。
中国バブルが破裂すると、輸出が激減するだけでなく、国際市況の低落と、それを受けての国内価格の下落がおこる。
「2004年問題」は忘れられたが、関税引き下げは既に実施されている。中国バブルが破裂すると輸入圧力も出てくるであろう。
中国が輸入を続けている間に、遅ればせながら、本格的な過剰設備対策に取り組むべきであろう。
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