日本のPS業界の変遷

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日本のポリスチレンはエチレンやスチレンモノマーに先立ち、輸入スチレンモノマーを使って生産された。

エチレン第1期計画
地区 会社名 製品名  能力  生産開始
川崎 日本石油化学 エチレン  25,000 1959/7
旭ダウ スチレンモノマー  18,000 1959/10
ポリスチレン  10,200 1957/4
四日市 三菱油化 エチレン  22,000 1959/5
スチレンモノマー  22,000 1959/5
モンサント化成 ポリスチレン   7,200 1957/3

1957年、日本化成(のち三菱化成)とMonsanto Chemical のJVのモンサント化成が四日市で、1ヵ月後に旭化成とダウのJVの旭ダウが川崎で、それぞれ生産開始している。
両コンビナートでエチレン、スチレンモノマーが生産されるのは1959年になってからである。
(三井石油化学の日本最初のエチレンのスタートは1958年2月であり、日本のPS事業のスタートはこれに先立つものである)

旭ダウは19523月に塩化ビニリデンポリマーの繊維への事業展開にあたり設立され、1953年に鈴鹿工場が操業を開始している。

 

その後の各社の動きは以下の通り。(単位:千トン)

会社名 工場 技術 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965
三菱モンサント化成 四日市 モンサント   3.6   7.2   14.4   19.2   19.2   24   25    36 
旭ダウ 川崎 ダウ   7.8   9.8   16.2   20   32.3   36.1   41   71
鋼管化学 川崎 コッパーズ         6   6   12   25   26
東洋ポリスチレン 川崎 コスデン               12   12
デンカ石油化学 千葉 ペトロカーボン               12   12
能力合計      11.4  17  30.6  45.2  57.5  72.1  115  157

 鋼管化学:
  日本鋼管の子会社として設立
  1963年 昭和電工が昭和油化と鋼管化学を合併し、日本オレフィン化学を設立
  1966年 昭和電工と住友化学が50/50の日本ポリスチレン工業を設立、
        日本オレフィン化学のSM/PS設備を譲受け、PSを手直し増設

 東洋ポリスチレン:
  
1961年 東洋高圧と三井化学が東洋ポリスチレンを設立
  1984年 三井東圧化学が東洋ポリスチレンを吸収合併

 

産構法時代

スチレンモノマーは、1985年1月に産構法の業種指定を受け、各社が自主的に設備処理を進めた。
しかし、PSについては業種指定を受けていない。

(サンスチレン)

産構法時代に1つの増設が行われている。
電気化学、三井東圧、新日鐵化学のJVのサンスチレンで、1985年10月に設立され、電気化学の千葉工場内に三井東圧の技術でHIPS 34千トンプラントを建設した。電気化学、新日鐵化学はHIPSを持たないため、三井東圧の技術を導入した。

1993年に新日鐵化学が撤退し、電化 50/三井東圧 50 となった。

 

ポスト産構法時代

PSは産構法の対象ではなかったが、ポスト産構法時代の「デクレア方式」(事前報告制度)は適用された。

新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
具体的には
 ・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
 ・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
 ・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
に通産省に報告して公表することとなった。

実際には通産省が業界の意向を尊重し、業界の反対の強いものについては「事前報告」を受け付けないという例もあった。

(日本ポリスチレン工業)

問題となったのは日本ポリスチレン工業(NPS)の増設であった。着工まで若干時間がかかった。

同社は1966年に昭和電工と住友化学が50/50のJVとして設立、川崎の昭電の日本オレフィン化学(昭和油化と鋼管化学を合併)のSM/PS製造設備を譲り受けた。
1968年に住化千葉のSM 5万トン完成でNPSのSMを停止した。
同年BASFからバルク法GP技術を導入したが、情勢悪化で増設を取り止めた。
1969年頃から業績が悪化、減資増資や土地の一部売却を行い、開発・製造を昭電に委託する形をとった。

その後、1983年頃から体制強化の検討を進めたが、昭電は川崎で、住化は千葉での増設を主張した。

1988年に住友化学はダウ・ケミカルとPCのJV契約を締結(その後住友ダウ)、ダウの住友ノーガタックへの出資の見返りに、住化がダウ化工に資本参加し、同社へのPS納入権を取得した。
住化はこれをもとに、千葉でのGP
PS40千トン/HIPS 30千トン案を提案した。

最終的に昭電は川崎、住化は千葉で、それぞれの責任で増設した。(実質的にはJVでなく個別の設備投資)

  ・昭電(川崎) アトケム法  HI
PS 3万トン 1990年完成
            (昭電は引き続いてGPも建設する計画であったが、情勢悪化で取り止め) 
 ・住化(千葉)  BASF法   GPPS 4万トン/HI
PS 3万トン 1991年完成
 ・既存のサスペンション法PSは従来通りのJV運営 

当時はHIPSの将来の需要の伸びが期待されており、住化は高級グレードのBASF技術を導入した。
昭電はヤクルト容器用のGPPSが中心であった。 

ポスト産構法後期になると需要が減少し、損益が悪化した。
住化の導入したHIPSも、同じ用途での高級グレードであったABSの価格が下落したことと、家電メーカーのアジア進出で、需要が激減した。

1993年に既存のサスペンション法PS設備を老朽化のため停止、JV設備はなくなった。
     
1994年、 昭和電工はPS事業から撤退、旭化成のPP事業(→日本ポリプロ)と交換で旭化成に営業権を譲渡した。旭化成は設備を不要とした為、廃棄となった。    
1995
年、住友化学は日本ポリスチレンから撤退、NPSは昭電 100%の休眠会社になった。(のち吸収合併)

(ダイセル化学)

1990年にダイセルがPSへの進出を決めた。PSシート事業進出で当初はPSの購入を考えていたが、自製に踏み切った。
シェブロンの技術を導入し、新日鉄化学広畑内に5万トンのPSプラントを建設、1994年秋に商業生産を開始した。

事業統合時代

1996年頃の能力は以下の通り。(千トン)

旭化成工業   383 川崎、水島、千葉
三菱化学   200 四日市
電気化学工業
 サンスチレン
  203
   34
千葉
千葉
新日鐵化学   186 戸畑、君津
ダイセル化学工業    53 戸畑
出光石油化学   180 徳山、千葉
大日本インキ化学工業    95  
住友化学    92 千葉
三井東圧化学   133 大阪
合計  1,559  

供給能力過剰で損益悪化が続く中、ポリオレフィンや塩ビと同様、事業統合が相次いだ。

①日本ポリスチレン

三井化学(旧三井東圧)と住友化学は両社のポリスチレン事業を分離統合し、折半出資で新会社を設立することで合意し、199710月に営業開始した。

三井東圧は宇部にSMプラントを持ち、大阪工業所に年産 133千トンの生産設備(GP,HI各2系列)を保有していたほか、サンスチレン(電気化学と三井東圧の合弁会社)から年間17千トンのPSを引き取っており、実質的には年産150千トンの生産設備を保有していた。
一体化に伴い、サンスチレンの株式は電気化学に譲渡した。

住友化学は、昭和電工とのJV・日本ポリスチレン工業(NPS)
のプラントが停止、同社から離脱したが、千葉に独自に建設した92千トンの設備(GP,HI各1系列)を保有していた。

社名については日本ポリスチレン(JPS、「工業」は付けず)とし、昭和電工の了解を得た。

社 名   日本ポリスチレン㈱(Japan Polystyrene Inc.:JPS)
設 立   1997/8/1
営業開始   1997/10/1
資本金   20 億円(両社折半出資)
事業目的   PS の開発、製造、販売
生産能力  
大阪   133千トン  
千葉    92千トン  
  225千トン  

② A&Mスチレン

旭化成工業と三菱化学はPS事業を統合して199810月にエー・アンド・エムスチレンとして営業を開始した。
旭化成は旭ダウのPS事業を引き継いだトップメーカーであり、三菱化学は三菱モンサント化成の事業を引き継いで3,4位グループを形成していた。

両社のPS設備は、それぞれ見直しを行い、559千トンとなっていたが、統合会社では必要な設備は何か、どの設備を買い取るかの検討を進め、結果的には輸出減を見込んで合計40万トンの設備を買い取った。一部は系列変更し、系列的にはGP,HIとも各4系列とし、規模と立地面の最適化を実現した。

元々統合前の能力比は約2:1であったが、三菱の設備を廃棄する代わりに出資比率を50/50にしたとも見られる。
この結果、統合後の設備能力比はおおよそ旧旭化成8割、旧三菱化学2割となったが、原料SMは統合前の能力比の2:1の割合で親会社から購入する。

他の樹脂の統合会社の多くが能力を増やしている中で市場の状況を判断して業界の先頭を切って能力を落としたこと、出資比率に関係なく親会社負担で設備を廃棄し最適化を図ったことは高く評価される。
(但し、これが、同社と出光石化との事業統合でできたPSジャパンが大日本インキ化学との更なる事業統合をしょうとした際に、「国内の競争業者に供給余力がほとんどない」ことを理由に公取委から承認を得られなかった理由となったのは皮肉である。)

社名   エー・アンド・エムスチレン
営業開始   1998/10/1
資本金   50億円
株主   旭化成工業 50%、三菱化学 50%
事業内容   ポリスチレン樹脂の製造・販売・研究開発
従業員数   約170人
売上高   約420億円
設備の構成   (単位:1,000トン/年)
   
  当初   統合前  処理  統合後 統合後系列
旭化成・水島   144   +20   164    -56   108 GP l,HI 2
旭化成・川崎    60   -60     0       0  
旭化成・千葉   130 +50+27   207     207 GP 1,HI 2
(小計)   334   +37   371    -56   315  
三菱化学・四日市   200   -12   188   -103    85 GP 2
合計   534   +25   559   -159   400 GP 4,HI 4

同社は1年後の199910月に製造および研究開発部門も統合した。また、輸出についても親会社が行ってきたが、製造部門の移管と同時に統合された。

なお、新聞報道では、三菱化学と旭化成は20004月をメドに原料のスチレンモノマーの生産・販売を一体化する方向で検討していると伝えられた。しかし、この件はその後、検討を中止した。

東洋スチレン

19994月、電気化学工業、新日鐵化学、ダイセル化学工業のポリスチレン事業の分離・統合により東洋スチレンが発足した。

社名   東洋スチレン
営業開始   1999/4/1
資本金   50億円
出資比率   電気化学工業 50%、新日鐵化学 35%、ダイセル化学工業 15%
設備  
                      単位:千トン
   統合前  処理  統合後
電化・千葉   237   -100   137
新日鐵化学・君津   186     186
ダイセル化学・広畑    53      53
合計   476   -100   376
 電化・千葉には旧サンスチレン 34 を含む

同社は統合効果を短期的に発揮するため、当初から製造・販売・研究を一体化した完全独立型企業としてスタートした。
電気化学がバッチ式設備などを中心に 10
0千トンを廃棄した。

上記の結果、96年に9社あったPSメーカーは99年には5社に減り、能力も96年末の1,559千トンが99年末には1,227千トンに減っている。

「選択と集中」時代

(PSジャパン)

20027月、旭化成、三菱化学、出光石油化学の3社は、旭と三菱との合弁のA&Mスチレンと出光がそれぞれ展開しているPS事業を再編・統合するため、3社間での合弁会社設立で基本合意したと発表した。
厳しさを増す状況下で、事業の維持・発展のためには事業統合によって、設備の更なる統廃合を含む徹底した合理化を推進することが必要不可欠と判断したもの。

  社名   PSジャパン
  事業内容   ポリスチレンの製造・販売・研究
  資本金   50億円
  出資比率   旭化成 45%、三菱化学 27.5%、出光石油化学 27.5%
  生産能力                  (単位:千トン)
     
  A&M
統合後
処理 PSジャパン
統合後
(出資比率)
A&M
スチレン
旭化成・水島   108     108   45.0%
旭化成・千葉   207     207
三菱化学・四日市    85      85   27.5%
出光石化・市原   130  -85    45   27.5%
合計   530  -85   445   100.0%

出光は出資比率は27.5%で、統合直後の2003/6に85千トンのプラントを停止、能力を130千トンから45千トンに落としており、実質的には旭化成に運営を任せた形となっている。
なお、A&Mスチレンでは能力的は大きな差があったが出資比率は50/50としていたが、今回の再統合に当たって、三菱化学の出資比率は出光石化と同じとし、旭化成主導が明確になっている。 

2003年4月1日、 PSジャパン(PSJ)は営業を開始し、これにより日本のPSメーカーは東洋スチレン(ダイセル/新日鐵化学/電気化学)、日本ポリスチレン(住友化学/三井化学)、PSジャパン(旭化成/三菱化学/出光興産)の3統合会社と大日本インキ化学の4社となった。

なお、旭化成は香港にダウとの50/50のPS販売JV STYRON Asia Ltdを設立、アジアでの販売を統合、中国の江蘇省張家港市では同じくダウとの50/50JVの斯泰隆(スタイロン)石化(張家港)有限公司を設立して2002年12月からPS120千トン/年を生産した。
また、三菱化学はタイに 100%子会社(当初はTOAとのJV)HMT Polystyrene (PS 90 千トン)を持っている。

そのほかでは、
三井化学(35%)がタイに Eternal Plastics Co., Ltd..(6万トン:三井物産 25%、Eternal 40%)、
電気化学がシンガポールに
Denka Singapore Private Ltd(80千トン)、
出光興産がマレーシアにPetrochemical (Malaysia) Sdn. Bhd.(140千トン)、台湾に高福化学工業(出光興産 35%:GP 50千トン、HI 50千トン)がある。

2004年6月、PSJの3社と大日本インキ化学(DIC)はポリスチレン事業を再編・統合することに基本合意したと発表した。

新会社構想は次の通り。

統合方法   DICのPS事業をPSJに営業譲渡することにより統合
社名等   現行のPSJの社名、商標、本店等を継承
統合実施日   2004/10/1
資本金   60億円(現在のPSJの資本金50億円)
出資比率   旭化成 40%、三菱化学 20%、出光興産 20%、DIC 20%
生産能力                 (千トン)
   
  千葉 四日市 水島
PSJ   252    85   108   445
DIC     171     171
  252   256   108   616
    * 事業統合に伴い、上記のうち一部の製造設備を廃棄する予定

Pssaihen_1これに関しての公取委との交渉は難航し、予定の2004年10月の統合は延期された。

最終的に公取委はPSJ設立時と異なる判断を下した。PSJの場合には輸入圧力が一定程度働いているとして認めたが、今回は輸入品による競争圧力が認められない等の理由で認めなかった。

実際には3社体制になることに対する不安を表明した需要家の意見も影響を与えているといわれている。

これを受けて、関係各社間で可能な限りの問題解消措置を検討したが有効な措置を採ることができないと判断し、2005年4月、基本合意の解消、公取委への事前相談の取り下げを発表した。

PS業界は電気・工業用がアジアへのシフトで低迷が続く中、不採算の輸出もカットし、余剰能力を設備廃棄により減らして需給の均衡を図ってきた。原料SMの輸出が好調なため可能となっているが、他の樹脂と大きく異なっている。
生き残りのためには模範的な対応だが、中国バブルによって輸入圧力が消えてしまったため、結果的にはこれが再編を更に進めるための足かせとなってしまったこととなる。

既に中国バブルは破裂しかけている。旭化成は中国のダウのJVから撤退した。中国メーカーで韓国のメーカーに身売りした会社も出ている。
公取委が一時的な状況をもとに判断をするのは問題である。
2006/2/20 競争政策研究会の「企業結合審査における改革の進展状況と今後の課題」 参照

ーーーー

再編により、日本のPS業界はメーカー数も能力も減少した。

1990年代初めに10社(昭電を含む)あったメーカーは4社となった。
能力は1996年に1,559千トンであったのが、2005年末では1,016千トンとなり、ほぼ内需に近いものとなった。
中国向けの輸出は中国側のダンピング調査で2001年12月にシロとなったが、採算に乗らないとしてほとんど行っていない。

トップメーカーが率先して設備廃棄を行い、減少する内需に合わせて能力を落としてきたのは、他の業種と全く異なっている。

なお、原料のスチレンモノマー業界については 2006/4/22「スチレンモノマー業界」参照


能力推移 (千トン)

      1996年       1999年       2005年
旭化成工業   383 A&Mスチレン   400 PSジャパン   445
三菱化学   200
出光石油化学   180 出光石油化学   130
大日本インキ化学    95 大日本インキ化学   131 大日本インキ化学   131
電気化学工業
 サンスチレン
  203
   34
東洋スチレン   376 東洋スチレン   278
新日鐵化学   186
ダイセル化学工業    53
住友化学    92  日本ポリスチレン   190 日本ポリスチレン   162
三井東圧化学   133
合計  1,559    1,227    1,016

Psjukyu

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