宇井純・沖縄大名誉教授が11日、胸部大動脈りゅう出血のため亡くなった。74歳。
1956年、東京大学応用化学科卒業後、日本ゼオンに3年間勤務した。
宇井氏は 2004年の講演で次のように述べている。
http://kuin.jp/fur/ui1.htm
会社勤めは3年間と、はじめから考えていた。というのは、会社側は、はじめの3~4年間は、給料分働いていない。それを裏返しにとった連中は、3~4年で辞めれば「得」だという考え方をする者もおり、自分もその一人であった。 「塩ビ会社」を選んだ理由は、北海道の開拓農民育ちで、ビニールは、農業の生産性の向上に役立ったので、「日本ゼオン」に入社した。
(ゼオン時代には水銀の混じった廃棄物を川に捨てる仕事もやったとのこと。)
その後、東京大学大学院工学研究科応用化学専門課程に戻り、1965年に東大工学部都市工学科の助手に就職した。
独自に水俣病の原因究明に向け研究を行い、合化労連の機関誌に「水俣病」を連載した。本名ではなく、富田八郎(トンダヤロウ)という筆名を使ったのは、身の危険を感じたからという。
1970年からは、東大で一般市民を交えて公害問題について学ぶ「公害原論」を、夜間自主公開講座として15年間にわたり主宰した。東大では昇進の道を閉ざされ、「万年助手」であった。
プロフィール http://www.takagifund.org/08/ui/p-ui.html
中西準子氏がホームページ 今週の雑感366-2006.11.13 で、「宇井さんありがとう -宇井純さんの死を悼む-」を書いておられる。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak366_370.html#zakkan366
大学が金をもらい、バイアスのかかった発言をしていた、と言う事ですか。今では、そういう事はないことを願います。こういう方は、長生きしてほしかったですね。ご冥福をお祈りいたします。ヘッドコ-チ - 横浜ハ-フ完走。