SDS バイオテックとSDS Biotech

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農薬メーカー、SDS バイオテックとSDS Biotech は日本と米国で、いずれも昭和電工とDiamond Shamrock の合弁会社として生まれた。SDSの名前は昭電のSDとDiamond ShamrockのDSから取っている。両社はその後、複雑な展開をたどった。

Diamond Shamrock のオリジンは1910年に硝子メーカーがソーダ製造のためにピッツバーグに設立した Diamond Alkali で、その後、コークス、セメント、塩素、プラスチック、農薬と多角化した。
同社は1967年に石油会社等に買収されるのを恐れ、Shamrock Oil and Gas 社と合併し、Diamond Shamrock と改称した。1983年には当時の独立系最大の給油所チェーンの
Sigmor と合併している。

Diamond Shamrock は殺菌剤ダコニールを開発した。同社は日本での製造販売を目的に、1968年に原料となる化学品を製造していた昭和電工との50/50合弁会社として昭和ダイヤモンド化学を設立した。

1983年、昭和電工とDiamond Shamrock は農薬・動物薬事業における全世界での提携を発表した。
米国に50/50JVの
SDS Biotechを設立し、Diamond Shamrockの農薬・動物薬事業(米国の2工場のほか、世界に13ある関係会社を含む)を引き継いだ。日本の昭和ダイヤモンド化学はSDSバイオテックと改称し、昭電から農薬事業を譲受けた。
昭電のもつ技術力、マーケティング力などを取り入れることによって、バイオテクロノジーを駆使した新製品の開発や事業内容の拡大に取り組み世界でトップクラスの農薬・動物薬メーカーを目指すとした。

1988年に住友化学はシェブロンとの50/50の農薬JV、Valent U.S.A.を設立しているが、これが住友化学の開発した農薬を米国で開発、販売するためのものであるのに対し、SDS Biotechの場合は昭電の農薬を米国で販売するのを狙ったものではなかった。日本に於ける協力関係を海外にも展開しようとしたものだが、客観的にみると、資金繰りに困っていた Diamond Shamrock が昭電の資金を取り込んだものと言える。

同社の前身のDiamond Alkali は1943から1968年の間、New Jersey Newark 市のPassaic Riverの川岸の工場で、2,4,5-trichlorophenol (2,4,5-T) などの製品を製造していた。EPAと州は工場内外で大量のダイオキシンを検出し、New ArkのLove Canal」として大問題になり、1983年に工場閉鎖命令が出された。
(ベトナム戦争中に米軍によって撒かれた枯葉剤は軍の委託によりDiamopnd Shamrock、Dow、Hercules、Monsantoなどにより製造され、オレンジ剤、ホワイト剤、ブルー剤の3種類があった。その内の6割が 2,4-D2,4,5-T を混合したオレンジ剤と呼ばれるものであり、不純物としてダイオキシン類等を含んでいた。)
Diamond Shamrock 1984 年にダイオキシンに汚染された工場の汚染除去を約束、1985年にはエネルギー価格値下がりもあり、605百万ドルの赤字を計上している。更に、Superfund Lawでは汚染者は汚染した川の汚染除去の義務も有する。

SDS Biotech設立で昭電の資金を取り込んだが、Diamond Shamrock は事業継続が困難となり、化学品部門の売却を余儀なくされた。
昭電としては設立目的からして国外のSDS Biotechを取得する意味はなく、1985年に日本の
SDSバイオテックのDiamond Shamrock 持株を買収して100%子会社にするのと引き換えに、SDS Biotech 持株を売却した。

Diamond Shamrock はSDS Biotechを100%子会社とした上で、同年、スウェーデンのFermente Plant Protectionに売却した。

1986T. Boone Pickens Diamond Shamrock の乗っ取りを仕掛けた。防衛策として同社は旧ShamrockとSigmorの石油部門を分離し、石油採掘をMaxus、石油精製・販売をDiamond Shamrock Refining and Marketing Company とした。Maxusは1995年にアルゼンチンのYPFに買収された。精製・販売会社は1990年にDiamond Sharock 名に戻っている。

残る化学部門はOccidental Chemical が買収した。
Occidental はSuperfund Lawにより汚染した川の汚染除去の義務を引き継いだが、事業収益を取り込みながら、義務を果たさず問題となった。Occidental はLove Canal 汚染のHooker Chemical を1968年に買収しているが、莫大な政治献金の見返りに義務を免れている。

なお、Diamond Shamrock のイオン交換樹脂・キレート樹脂事業は、Rohm & Haasが買収している。

Fermenteは1990年にSDS Biotech を石原産業に売却した。
Fermenteは売却理由としてスウェーデンの税制改正を挙げている。累積損失の繰越が認められなくなるため、改正までに1億ドル以上ある累積損失を消すため黒字計上が必要になったという。

石原産業は1991年に米国の関係会社の統括管理のため、ISK Americas, Inc. を設立、買収したSDS Biotech をISK Biosciences と改称した。

1998年2月、石原産業は「農薬事業戦略再構築の一環として」ISK Biosciences を ICI から独立したZenecaに売却した。同時に石原産業は同社の開発した主力製品のアジア・パシフィックを除く世界市場における販売権をZenecaに供与した。
子会社売却及びディストリビューション権の対価として石原産業はZenecaから総額5億ドルを受領、新規製品の開発及び販売・生産体制の整備・強化、並びに社債償還を中心とした財務体質強化に充当した。

Zenecaはその後、1999年にスウェーデンのAstra と合併してAstraZeneca となり、2000年に農薬部門を分離し、Novartis(SandozとCiba Geigyが統合)の種子部門と合併してSyngentaとなった。

現在、SDS Biotech はSyngenta の1部門となっている。

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他方、日本ではSDSバイオテックは昭和電工の100%子会社となったが、1986年にSandoz との50/50JVとし、Sanoz 製品の販売を加えた。その後、1997年にSandozとCiba Geigy が合併してNovartis となったが、1998年にNovartis が資本を引き上げ、昭電100%に戻った。

その後、2001年には中外製薬から農薬事業(水稲・芝用除草剤)を、2003年には宇部興産から農薬事業(殺菌剤)を買収している。

2005年3月、昭和電工はSDS バイオテックをMBOの手法で分離・独立させることを決定したと発表した。
現在、同社はみずほフィナンシャルグループの中核投資会社である「みずほキャピタルパートナーズ」が運営するMBOファンド「MH Capital Partners Ⅱ,LP」が83.1%、昭和電工が14.9%を出資している。

「みずほキャピタルパートナーズ」はSDSバイオテックが農薬等の原体・製品に関する開発、生産および販売までの一貫体制を有し、業界の中でもトップクラスの原体保有数を誇るだけでなく、
① 有力な主力原体を持ち安定したキャッシュフローを創出できること
② 国内外のメーカーと連携した商品開発に強いこと
などから、今後単体でも十分成長が見込まれるビジネス基盤を有すると判断し、MBOによる独立を支援することとした。
今後、収益および業容の拡大を図り、3年程度での株式公開の実現を目指すとしている。



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