三菱ケミカルHDは2009年9月中間決算で、マレーシアに廃棄物処理施設を設置する工事費用の負担に備え、関係会社整理損として125億円を計上した。
当時の三菱化成が1973年にマレーシア最大の選鉱業者で希土類事業に進出を企てていたBEH Minerals Sdn Bhd との合弁会社 Malaysian Rare Earth Corporation を設立した。
三菱化成は1979年にBEH Minerals などとともに同社35%出資でAsian Rare Earth (ARE)を設立した。
1982年にイットリウムなどレア・アースをスズの鉱石と一緒に出るモナザイト鉱などから抽出する事業を首都クアラルンプールの北側にある町 Ipoh 郊外にあるBukit Merah Industrial Estate で開始した。
能力は年産 4200 トンの軽希土類、550トンの重希土類、4400トンのリン酸三カルシウムで、希土類は全て日本に輸出され、日本で分離精製された。
しかし、工場はトリウムを含む残土の保管施設を持たず、工場の裏にあった池や地面に野積み状態にしていた。
このトリウムはウランと同じように放射性物質で、日本では 1968年の原子炉等規制法の改正により、その投棄や保管には厳格な法規制が課せられた。1971年には日本での操業はなくなった。
工場の目の前には人口1万人が住むBukit Merah 村があった。住民たちの間に健康被害が現れ、住民はAREの操業停止を求めて抗議活動を展開した。
1985年にはイポー高等裁判所に提訴し、高裁はすぐさま仮処分として操業停止命令を出したが、その後AREは廃棄物の仮備蓄場を建設し、マレーシア原子力許可委員会から操業の再開を認められた。
しかし保管は完全でなく反対運動は続いた。
1992年にはイポー高裁で操業中止の判決が出されたが、1993年にクアラルンプールの最高裁で操業を合法として認める判決が出された。
しかし、三菱化成は1994年1月、マレーシアからの撤退を決め、問題の工場も閉鎖された。
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工場撤去工事はマレーシア政府認可に基づき2005年末までに完了し損失処理が終了している。
三菱化学は、2007年7月にマレーシア政府から廃棄物処理施設設置工事の認可を得た後、2009年3月に複数の候補との間で工事契約締結に向け詳細検討を開始、8月に契約締結を決定した。
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