日本化学会は、化学と化学技術に関する貴重な歴史資料の保存と利用を推進するため、化学遺産委員会を設置し、さまざまな活動を行っている。
歴史資料の中でも特に貴重なものを文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上及び化学工業の発展に資することを目的とし、このたび、第一回の「化学遺産認定」を行った。
認定化学遺産 第1号 杏雨書屋蔵 宇田川榕菴化学関係資料
宇田川榕菴(1798-1846)は『舎密開宗』(1838~1846)を著わし、それまでこの国に知られていなかった化学という学問をはじめて体系的に 紹介した。
榕菴がその『舎密開宗』を著わすに当って渉猟した多くの蘭書の覚書やその稿本類など、多くの貴重な資料が一括して杏雨書屋に所蔵されている。
本認定化学遺産は、刊行手沢本、自書稿本類、肖像画、宇田川家伝来の蘭引等、延べ50点に及ぶ。杏雨書屋は5代武田長兵衞氏が、関東大震災により東京で貴重な典籍が灰燼に帰したことを大いに痛嘆し、私財をもって購入した日本・中国の本草医書の文庫。
1977年武田科学振興財団当財団が継承し、本草医書を中心とする図書資料館として開館した。
第2号 上中啓三 アドレナリン実験ノート
1900年、ニューヨークの高峰研究所において、高峰譲吉と上中啓三によってアドレナリンが発見され、結晶化された。これは世界で初めて単離されたホルモンである。
本認定化学遺産はこの研究経過を記した上中啓三の実験ノートで、この実験研究が行なわれた1900年7月20日から同年11月15日までの記述がある。現在、上中啓三の菩提寺である兵庫県西宮市名塩の浄土真宗教行寺に所蔵されてい る。
第3号 具留多味酸(グルタミン酸) 試料
1908年、東京帝国大学の池田菊苗が昆布のうま味成分としてグルタミン酸を抽出、同定し、さらにそのナトリウム塩が強いうま味を呈すること を見いだし、調味料として工業的製法を確立した。
このグルタミン酸ナトリウムは鈴木三郎助によって「味の素」の名称で商品化された。本認定化学遺産は池田が最初に昆布から抽出した「具留多味酸」試料で、現在、味の素株式会社「食とくらしの小さな博物館」(東京都港区高輪)に貸与され、一般に公開されている。
第4号 ルブラン法炭酸ソーダ製造装置塩酸吸収塔
わが国のソーダ灰製造は官営事業として1881年大阪造幣局から始まるが、民営事業としては山口県小野田に1889年7月、日本舎密製造会社が設立され、1891年から生産が開始された。
この創業時の工場は、現在の日産化学工業(株)小野田工場(山口県山陽小野田市)として継続され、同工場内に創業時の製造装置の一部が保存されている。
本認定化学遺産は、食塩と硫酸から硫酸ナトリウムを製造する工程で副生する塩化水素ガスの吸収塔(塩酸吸収塔)で、花崗岩製である。
第5号 ビスコース法レーヨン工業の発祥を示す資料
ビスコース法レーヨンは1901年にドイツで、1904年にイギリスで工業化されたが、日本では、鈴木商店の金子直吉の支援のもと、米沢高等工業学校教授秦逸三と大学同窓の久村清太の共同研究によって紡糸に成功し、1916年に米沢に設立された東工業米沢人造絹糸製造所で初めて工業化された。
1918年に東工業から帝国人造絹絲株式会社として独立、これが現在の帝人である。本認定化学遺産はこの最初期の研究および米沢工場での工業化を示す、次の3資料である。
(1)旧米沢高等工業学校(現山形大学工学部)旧秦研究室遺留品のレーヨン糸、ガラス製ノズル、実験器具
(2)米沢工場初期の人絹糸
(3)米沢人造絹糸製造所創業時の木製紡糸機模型なお、東洋レーヨン(東レ)は1926年設立、新興人絹(三菱レイヨン)は1933年、東邦人造繊維(その後、東邦レーヨン、現在は帝人子会社で炭素繊維の東邦テナックス)は1934年の設立となっている。
レーヨンという名前は1910年に米国でAvtex Fibers がこれを発売する際に、人造絹糸の「人造」を嫌い、新たに考えた。強い光沢があることから、フランス語のRayon(英語のrays of light、光線)を製品名に採用した。
日本の各社はレーヨンを止めた際に社名を変更したが、三菱レイヨンは「光」ファイバーを主製品に持つことから、依然として同じ社名にしている。
第6号 カザレー式アンモニア合成装置および関連資料
日本窒素肥料株式会社は、1923年10月に日本で初めてアンモニアの工業的製造を開始した。
これは肥料製造、銅アンモニア法によるレーヨン製造などアンモニアを基本とした化学工業の展開の礎となった。
当時の合成塔、清浄塔、圧縮機が、旭化成ケミカルズ(株)愛宕事業場(宮崎県延岡市旭町)敷地内の「カザレー記念広場」に移設され保存されている。初合成時の運転日誌、創業期の写真などの資料も保存されている。(日本窒素肥料株式会社延岡工場が独立し、延岡アンモニア絹絲株式会社となり、1946年に旭化成工業と改称した。)
目次、項目別目次
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htmにあります。
各記事の「その後」については、上記目次から入るバックナンバーに付記します。
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