BPはリビア沖で数週間以内に深海油田の新規掘削を始めることを確認した。
BPは7月19日にエジプト石油省及びエジプト石油公社との間でアレクサンドリアの北の地中海のNorth Alexandria鉱区とWest Mediterranean Deepwater鉱区の大規模ガス田開発で合意したばかり。
2010/7/22 BP、北米とエジプトの石油資産をアパッチに売却 の後半参照
リビアのGulf of Sirte(別名 シドラ湾)の1700mの海底で掘削を行うもので、メキシコ湾の流出事件の井戸より更に200m深い。
リビアは、BenghaziとMisratahを結ぶ線の内側全体がリビアの領海であり、さらに62海里の漁業専管水域を有すると主張している。カダフィ大佐はこの線をThe Line of Deathと呼んだ。
これに対し米国は、沿岸から12海里が領海で、それの外側は公海であると主張した。1981年8月、レーガン大統領の命令でアメリカ艦隊がここで演習を行った。
リビア軍機が米機に接近、リビア機が空対空ミサイルを発射したが、これは外れた。
米機はリビア機2機を撃墜、30人以上のリビア兵が死亡した。(シドラ湾事件)
BP は2007年5月29日、当時のブレア英首相のリビア訪問時に、リビアのNational Oil Company との間で Exploration and Production Sharing Agreement を締結した。
BPによると、これは
・国際石油会社がリビアと締結した単一では最大の開発契約で、
・BPの100年の歴史の中で、単一では最大の開発契約で、
・近代になってリビアが国際石油会社に与えた単一では最大の面積の開発契約で、
・リビアのNational Oil Company が国際石油会社とともにリビアの石油・ガスを開発する戦略の成功例である
としていた。
7年間にわたり、54,000km2の開発を行うもので、海底のSirte basinの30,000km2と陸上のGhadames basinの24,000km2とから成る。
Sirte basinについては油井掘削開始に向けたリグが準備できており、人工地震による地質調査は昨年完了した。
Ghadames basinについても、年末までに掘削を計画している。
(Ghadames basinはリビア、チュニジア、アルジェリアにまたがっている)
BPのメキシコ湾原油流出事故の原因究明も終わっていないだけに、それより深い海底での掘削について、環境面から同社への批判が出ている。
米政府は、メキシコ湾原油流出事故の原因究明や再発防止策を優先し、深海油田の新規掘削活動を凍結している。
BPはさきの事故を教訓に、大きな注意を払って進めるとしている。
もっと大きな反発が米国から出ている。
米上院は、BPのヘイワードCEOに対し、米パンナム機爆破事件のリビア人受刑者の釈放について、公聴会で証言するよう求めた。
1988年12月21日、ニューヨーク向けのPan Am Flight 103は、フランクフルトからの乗客47名と乗員2名に、ロンドンから搭乗する194名の乗客と乗員16名が加わり、ヒースロー空港を離陸した。
40分後の午後7時ごろ、スコットランドのLockerbie上空を飛行中に、前部貨物室に搭載されていた貨物コンテナが爆発。爆発により機体は空中分解した。
乗員16名、乗客243名(日本人1名を含む)全員と、巻き添えになった住民11名の計270名が死亡した。爆発は機体前方の貨物室にあった航空貨物コンテナの下部で発生、セムテックスと呼ばれるプラスチック爆薬を用いた時限爆弾によるものであった。
回収された物品から容疑者はリビア人のAbdelbaset Ali Mohmed Al Megrahi とLamin Khalifah Fhimahの2人と判明した。
リビアは当初、容疑者らの引渡しを拒否、国連安保理事会は1992年1月に容疑者の引渡しを求める決議731を採択、リビアがなお拒否したため、国連安保理事会は1992年にリビアに対する制裁を目的とした決議748を、翌年1993年にはこれを強化する決議883を採択した。
リビアはその後、態度を軟化させ、1999年4月に2人を国連代表に引渡し、2003年には、遺族に対する総額27億ドルの補償金支払いも約束した。
これを受け、2003年9月に国連安保理は対リビア制裁の解除を発表した。
2003年12月、米英政府との9ヶ月にわたる交渉の結果、リビアが大量破壊兵器(WMD)の開発計画の廃棄を約束し,国際機関による即時・無条件の査察受け入れに合意した。この結果、米国はリビアを「テロ支援国家」指定から外し、その後、2006年5月にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。
第三国のオランダでスコットランド法に基づき裁判が行われ、2001年1月31日にMegrahi 容疑者に終身刑、 Fhimah容疑者には証拠不十分で無罪の判決が下された。
Megrahi 容疑者はスコッ トランドで服役中だったが、余命3か月の末期の前立腺がんと診断され、2009年8月20日に釈放されて帰国した。
米国はMegrahi 受刑者の釈放に反対していたが、上院は今回、BPがリビア計画の推進のために受刑者の釈放をもとめたのではないかとの疑念をもっている。
BPはリビア人受刑者の釈放に関し、英国政府、スコットランド政府と話し合ったことはないとしている。
就任後初めて訪米したキャメロン首相は7月20日、「決定を行ったのはスコットランド自治政府であり、BPではない」と指摘した。
なお、クリントン米国務長官は7月16日、ヘイグ英外相と電話で会談、両外相は、元リビア情報機関員を釈放した昨年8月の英スコットランド自治政府の決定について、「誤りだった」との認識で一致した。
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2006年5月にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。
これを受け、Dowは2007年4月、リビアの国営石油会社(NOC)とJVを設立し、NOCのRas Lanuf コンプレックスの石化コンプレックスを拡張・運営すると発表した。
2007/4/25 Dow、リビアに石化JV設立
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http://kaznak.web.infoseek.co.jp/blog/zenpan-1.htmにあります。
各記事の「その後」については、上記目次から入るバックナンバーに付記します。
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