Texas RangersとShintech

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ダルビッシュ投手のTexas Rangers入りが決まった。

1月18日、交渉期限ギリギリで合意した。契約内容は、6年で総額6000万ドル。

ポスティングシステム(入札制度)によるもので、テキサス・レンジャーズの落札額 5,170万ドルは、これまでの最高のレッドソックス/松坂大輔投手の約5,111万ドルを上回った。

日本ハムは1月19日、受領する移籍金約40億円を特別利益として計上すると発表した。

Texas Rangersは、American League西地区所属で、テキサス州Arlingtonを本拠地としている。

創立は1961年で、Washington D.C. に本拠を置くWashington Senators(2代目)として発足した。

メジャーリーグは以前は16球団であったが、1961年から拡大策をとり、1998年までに30球団になった。

その1961年に、American League発足から60年間に亘ってWashington D.C.に本拠を構えていたWashington Senatorsがミネソタ州Minneapolisに移転し、Minnesota Twinsとなったが、球団拡大策に乗り、新球団が2代目のWashington Senatorsとして発足した。
1972年にテキサス州
Arlingtonに移転し、Texas Rangersと改名した。

通算5714奪三振のメジャーリーグ記録を持つ投手Nolan Ryan, Jr.が、引退後、2008年にRangers球団社長に就任、2010年には投資グループの一員として球団を買収し、共同経営者兼社長となった。

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実は信越化学のShintechが一時、Texas Rangersに出資していた。

信越化学は1973年に塩ビパイプ大手のRobintech との50/50JVとしてShintechを設立した。
テキサス州FreeportのDow Chemicalのコンビナートに隣接して年産10万トンのPVCプラントを建設した(1974年に完成)。

金川千尋会長の「私の履歴書」(日本経済新聞 2006年5月)に以下の記載がある。

米ロビンテック社のCEO(最高経営責任者)、コーベット氏(Bradford G. Corbett)は自由奔放で何かを思いつくとすぐ実行する人だった。

ある日、米大リーグのテキサス・レンジャーズを買収すると宣言し、シンテックにも出資するよう私に了解を求めてきた。ロビンテックの取引先を球場に招待できれば本業にもプラスだから、という。
シンテックは娯楽産業には無縁だが、コーベット氏は「税制上有利になるから」としきりに勧めてきた。最初は何のことか分からなかったが、出資球団が赤字の場合は損金で落とせるという。

ロビンテックは、シンテックが生産する塩化ビニール樹脂の大口得意先の一つでもあった。私は渋々同意した。

彼がレンジャーズのオーナーになると、私も試合に招待された。本拠地、アーリントン球場の特別席に入ると、電光掲示板に「ウエルカム・ミスター・チヒロ・カナガワ・フロム・ジャパン」と表示され、驚いた。試合終了後は選手全員を紹介され、サイン・ボールをもらった。

(その後、Robintechの経営が悪化、信越化学が同社保有のShintech 株を買い取り、100%子会社とした。)

1973年の第一次石油危機後、塩化ビニール樹脂の価格はうなぎ登りだったが、翌年半ばから反動で急落した。日の出の勢いだった米ロビンテックの経営も急速に悪化した。

信越化学が米ロビンテックからシンテック株50%を買い取る交渉がまとまり、契約の日取りも決まった。調印式は1976年7月8日、テキサス州のロビンテック本社で行うことになった。

実際、シンテック株の放出はロビンテックの凋落を象徴するかのようだった。拡大路線が裏目に出て坂道を転げ落ちるように経営が悪化。75年の前半まで30ドルを超えていた株価は82年には2ドル強まで下がり、84年末にはとうとう上場廃止に追い込まれた。テキサス・レンジャーズも手放した。
Corbett氏のオーナー期間はMay 29, 1974~April 29, 1980)

その後、ブッシュ米大統領が一時オーナーになっている。
George W. Bushは1989年4月にEdward W. RoseとのPartnershipでTexas Rangersの株を購入してオーナーとなり、1998年に株を売却したが、当初の80万ドルの出資で1500万ドルの利益を得ている。)

Robintechは一時立ち直るが、1980年代後半、再び苦境に陥り、Chapter 11を申請したが、再建できず、破産に追い込まれた。

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日本企業では任天堂がイチローのSeattle Marinersのオーナーとなっている。

1991年にMarinersのオーナーがMarinersをフロリダの投資家グループに売却することを検討していた。

このため、同州選出の上院議員が任天堂に買収を要請、同社の山内溥社長(当時)が投資家グループと組んで買収し、大リーグ史上初の非白人オーナーとなった。

2004年8月まで、山内氏がチームの共同所有者の一人となっていたが、現在はNintendo of Americaが山内氏の出資持ち分全てを買い取り、筆頭オーナーとなっている。

 

 

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