大阪府豊中市居住の熊本県出身の女性が熊本県に患者認定義務付けを求めた訴訟の控訴審で、大阪高裁は4月12日、一審判決を取り消し、女性の訴えを退ける判決を言い渡した。
女性側は上告する方針。
別の認定義務付け訴訟で福岡高裁が本年2月、感覚障害のみの水俣病を認め、認定基準を「不十分」と批判しており、高裁判決で異なる判断が示されたことになる。
2012/2/29 水俣病訴訟、遺族が逆転勝訴
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女性は1953年ごろから手足にしびれが出始め、1978年に認定申請した。
しかし、熊本県は「感覚障害や運動失調など2つ以上の症状の組み合わせ」で水俣病と認める1977年基準に当てはまらないとして、1980年に退けた。
女性ら関西に移り住んだ人々は、国などに賠償を求めて提訴した。(関西訴訟)
1995年の政治決着で、ほとんどの患者が和解に応じ裁判を取り下げたが、女性を含む「関西訴訟」の原告だけが行政の責任を問い続けた。
2001年の高裁判決は、排水規制をしなかった国と県の過失を指摘、水俣病の認定基準も間違っているという判断を下した。
「汚染された魚介類を多く食べ、指先や舌先の感覚に障害があれば認定できる」との基準を示し、女性ら37人を水俣病と認定、国と同県、チッソに原告1人あたり450万~850万円の賠償責任があることを認めた。
2004年10月の最高裁判決は二審・大阪高裁判決が示した基準を支持し、高裁判決が確定した。
最高裁の判決が確定した後も、国は「最高裁の判決は有機水銀中毒症の判断基準であり、水俣病と有機水銀中毒は別」とし、現行の水俣病認定基準の見直しは行わず、熊本県の棄却処分に対する女性の不服審査請求も退けたため、女性は2007年5月に提訴した。
(行政機関が本来すべき認定をしない場合に裁判所に認定の義務付けを求める「義務付け訴訟」)
被告の国側は「最高裁判決の基準は医学的にあり得ない」とし、国の認定基準について「水俣病認定に複数の症状の組み合わせが必要とする基準は医学的な根拠があり、現在でも合理的だ」と反論していた。
2010年7月、大阪地裁は以下の理由をあげ、女性の認定申請を退けた処分を取り消し、公害病訴訟では初めてとなる改正行政事件訴訟法に基づく行政認定を義務づけた。
1) 現行の認定基準(1977年基準)の「感覚障害や運動失調など2つ以上の症状の組み合わせ」がない限り水俣病と認めないとの国の主張は医学的正当性を裏付ける根拠がない。 2) 四肢の感覚障害は水俣病の基礎的症候で、神経症状が感覚障害のみである水俣病も存在すると認められる。 国はメチル水銀により末梢神経を損傷したとする「抹消神経説」を支持、複数の症状の組み合わせが必要と主張。
関西訴訟の原告を支援する医師や研究者は、メチル水銀が大脳皮質を傷つけたとする「中枢神経説」を提唱している。
判決は、原告の症状を「中枢神経の損傷と推認される」とした。3) 原告の症状は四肢の感覚障害のみだが、メチル水銀の摂取状況、他に原因になる疾患がないことなどを総合考慮すれば、原告は水俣病と認められる。 2010/7/19 大阪地裁、国の基準を否定し、水俣病認定を義務づけ
これに対し、県側は「十分な合理性・正当性がある」として控訴していた。
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大阪高裁判決の概要は以下の通り。
1)複数の症状の組み合わせを必要とする国の認定基準は、
「策定当時の医学的知見に適合しており、その後の医学的見解からみても相当」
「認定基準は水俣病の可能性が臨床医学上50%以上といえるものまで広く認めている」
2)感覚障害だけの場合でも、「個別具体的事情を総合考慮することで水俣病と認める余地がある」
(原告の女性のように国の基準に規定された複数の症状の組み合わせに該当しない場合、
慎重な検討を経ずに水俣病と認めない運用がなされてきた事例があったこともうかがえる。)
3)女性の症状の検討:
メチル水銀の摂取は「水俣病を発症させる程度の暴露が継続した可能性は低い」
感覚障害の発症は1972年ごろで暴露終了から長期間経過しており、変形性頸椎症が原因の可能性もある。
2010年7月の一審・大阪地裁判決は、認定基準を「医学的正当性を裏付ける証拠がない」と否定。「感覚障害はメチル水銀が蓄積された魚介類を食べたのが原因」として、女性を水俣病と認めていた。
本年2月の福岡高裁判決は、二つ以上の症状の組み合わせを認定条件とした国の「77年基準」を「認定されるべき申請者が除外された可能性がある」と否定 していた。
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未認定患者の救済策として、一時金210万円を支払う水俣病特別措置法が2009年7月8日、可決成立した。
2009/7/3 水俣病救済法案、衆院を通過、来週成立の見通し
これに基づき、鳩山内閣は2010年4月、水俣病の未認定患者を救済するための特別措置法の「救済措置の方針」を閣議決定した。
2010/4/16 水俣病「救済措置の方針」を閣議決定
水俣病特別措置法に基づく救済制度の申請期限について、細野豪志環境相は本年2月に、2012年7月末で申請を 打ち切ることを表明した。
横光克彦環境副大臣は4月8日、水俣病不知火患者会などが集団検診で被害者の掘り起こしを続けていることについて、申請が7月末で締め切られるまでは「不知火患者会が(潜在被害を)掘り起こすのは多くの方に手を挙げていただく機会」 であるとしたが、「期限後には、こういった動きは慎んでもらわないといけない」とし、「いつまでも続くと、(地域振興などに力を注げず)ほかの団体に迷惑がかかる」と述べた。
その後の記者会見で真意を問われた横光副大臣は、「申請を目的にした掘り起こしを続けても、窓口がなくなった後では意味がないという趣旨」と釈明した。
付記
2012年6月24日、 患者団体「水俣病不知火患者会」(約5700人)や医師団など9団体でつくる実行委員会主催で、過去最大規模の一斉検診が、熊本県の水俣市や天草市、鹿児島県出水市の6会場で行われた。
受診した1413人のほとんどが初めての検診とみられ、途中集計の969人中88%にあたる853人に代表的な症状の感覚障害が確認されたという。
検診は、いまだ名乗り出ていない潜在被害者の実態を明らかにし、掘り起こしにつなげようと実施した。
救済策の申請受け付けは2010年5月に始まり、2012年5月末現在、熊本、鹿児島、新潟3県で5万5692人が申請している。
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