日本化学会は3月13日、化学にまつわる貴重な歴史資料「化学遺産」に5件を認定したと発表した。
これで化学遺産は22件となった。
日本化学会は、歴史資料の中でも特に貴重なものを文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上及び化学工業の発展に資することを目的とし、「化学遺産認定」を行っている。
2010/3/18 化学遺産認定 2011/3/17 化学遺産、第二回認定 2012/3/17 化学遺産、第三回認定
第4回化学遺産認定の5件は次の通り。
▽小川正孝のニッポニウム発見:明治日本の化学の曙
小川正孝は、1904-06年ロンドン大学William Ramsayのもとで研究し、1908年に、鉱物トリアナイトのなかに原子量が約100の43番目の新元素「ニッポニウム(Nipponium: Np) 」を発見したと発表した。
しかし、追試で存在を明確な証拠が得られず、認定されなかった。後にそれは43番元素ではなかったことが判明し、ニッポニウムは幻の元素となった。
しかし、近年に至り、小川の遺品の中にあったX線分光分析写真の解析によって、当時の未発見元素で1925年に Walter Noddack らが発見した75番レニウムであることが明らかになった。
▽女性化学者のさきがけ、黒田チカの天然色素研究関連資料
黒田チカは初の女子帝大生3人のうちの1人として東北帝国大学に入学し、眞島利行教授の指導で紫根の色素を研究してその化学構造を明らかにし「シコニン」と命名した。
その後、理研において紅花の色素カーサミンの構造を決定、この業績によって、黒田チカは化学分野において日本女性初の理学博士となった。
佐賀県の宮島醤油が郷土の先覚者の一人の黒田チカの伝記をホームページに掲載している。
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze29/shaze29.htm
▽フィッシャー・トロプシュ法による人造石油に関わる資料
1938年に設立された北海道人造石油は、ドイツから導入したフィッシャー・トロプシュ法(FT法)により、石炭から得られる一酸化炭素と水素との混合ガスからコバルト系触媒を用いて、人造石油の工業生産を目指し 、1939年から同社滝川工場で工業化した。
大学における基礎的な触媒研究に基礎を置いた工業化であり、戦後の石油化学産業につながる事業であった。
特殊会社である帝国燃料興業が中心となり、三井、三菱、住友の三大財閥のほか、北海道炭礦汽船など が株主。
これに加え、人造石油製造事業法に基づく多額の補助金がつぎ込まれた。しかし戦争に突入すると、資材不足などがたたりプラントの稼働率は低迷 し、生産量は7,000klに留まった。
戦後も僅かな期間、プラントは稼働したが、1952年に経営破綻に至った。研究所の建物が、陸上自衛隊滝川駐屯地内に残されている。京都大や北海道の滝川市郷土館にサンプルが残っている。
▽国産技術によるアンモニア合成(東工試法)の開発とその企業化に関する資料
農商務省は1918年に臨時窒素研究所(1928年に東京工業試験所に吸収)を設立し、アンモニア及び硫安の製造技術の開発に着手した。
1927年にアンモニアの高圧合成に成功し、昭和肥料(昭和電工)はこの合成法により1931年にアンモニア及び硫安の大量生産に成功した。生産規模は、当時国内最大の年産15万トン(硫安)だった。
産業技術総合研究所(茨城県つくば市)に残るアンモニア合成管や触媒が化学遺産に選ばれた。
日本のアンモニア及び尿素の技術開発の歴史については、国立科学博物館産業技術資料情報センター の肥料製造技術の系統化(牧野功氏)が詳しい。
▽日本における塩素酸カリウム電解工業の発祥を示す資料
マッチ工業の重要原料である塩素酸カリウムは1893年に日本舎密製造で工業化されたが、輸入品に敗れて1897年に中止した。
日本化学工業の棚橋寅五郎は1910年に電解法による工業化に成功した。その後、会津工場は1923年に操業停止、1932年に日本沃度が購入・運転再開の経緯をたどった。
同社は1934年に日本電気工業と改称、1939年に昭和肥料と合併して昭和電工になった。
会津若松市の昭和電工東長原事業所では1910年工場発足当初のまの製造建屋を現在も使っている。
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日本化学会は 第93春季年会(2013) を3月22日(金)〜25日(月)に立命館大学びわこ・くさつキャンパス(滋賀県草津市) で開催するが、期間中に下記の通り、第7回化学遺産市民公開講座を開催し、認定された5件の内容を紹介する。
実施日 :3月24日(日) 13時30分~16時50分
詳細: http://kagakushi.org/?p=2948
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