旭硝子は8月6日、東南アジアにおける苛性ソーダや塩ビなどのクロルアルカリ製品の需要増大に対応するため、約400億円を投じて子会社 Asahimas Chemical の生産能力を大幅に増強すると発表した。
PVCのインドネシアの市場規模は40万トン超で、今後、需要の伸びが見込める。
東南アジア全体の市場規模は約200万トンで成長率は年率約5%とされる。
Asahimas Chemical は約50億円を投じて電解能力を約30%増強し、苛性ソーダ能力を50万トンにしたばかりだが、更に増強
し、苛性ソーダ70万トン、PVC 55万トンとする。EDC、VCMも増設する。
2015年末稼働開始予定で、能力は以下の通りとなる。(EDCの増強後能力は発表せず)
塩素系製品では、次亜塩素酸ソーダやEDC生産時の副産品の塩酸を外販している。
同社は製品を各地に輸出している。
Asahimasは1986年に設立され、1989年にジャワ島西端のBanten州 Cilegon (ジャカルタ西部約120キロメートル)で生産を開始した。
旭硝子が52.5%、三菱商事が11.5%出資し、残りを現地資本(Rodamas 18%、Ableman Finance 18%)が出資する。
近くにChandra Asri Petrochemical の本工場(地図左下)があり、エチレンの供給を受けている。
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インドネシアには他に多くのPVC工場がある。これらは全て、何らかの形で現在も(又は過去に)日本企業が関与している。
1)Standard Toyo Polymer (Statomer) 上の地図中央部
東ソー
30%、三井物産
20%、現地サリム&ビマンタラ 50%(その後サリム
50%)の合弁で1977年にメラクで操業を開始した。
1999年に日本側がサリム側の保有する全株式を買い取り、東ソー60%、三井物産40%となった。
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通貨危機でのサリムの破綻と、1998年7月の外資法改正で外資100%が認められた結果)
現在の能力は約9万トンとされる。(未確認)
(ボトルネックで2013年に約11千トン増強して93千トン体制にするという情報もある。)
原料VCMは東ソーが日本から供給。
2)PT Sulfindo Adiusaha 上の地図上部のSulfindo名の3工場
日本企業を含めた長い歴史を持つ。
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現地財閥の林紹良が率いるサリム・グループは子会社PT Sulfindo
Adiusaha で、メラクに台湾の中古の水銀法電解96千トンとEDC90千トンをもっていた。 当初、サリムは同社が50%、アトケム 25%、住友商事 25% でJVを設立し、Sulfindoの電解をS&Bし、電解からPVCまでの一貫事業を構想した。 |
・ | しかし、アトケムが離脱したため、東ソーを加えたが、東ソーがPVCのみに参加を希望したため、次の3会社となった。 |
PT Sulfindo Adiusaha
:電解 サリム100%のままとし、水銀法電解をスクラップして、旭化成法で電解を新設(塩素200千トン) Satomo Indovil Monomer :VCM サリム50%、住友商事25%、香港のBrendswick25%で設立 EDCはSulfindo から90千トンを移管した上で175千トンを増設、VCMはアトケム法で100千トンを新設 Satomo Indovil Polymer :PVC サリム50%、東ソー25%、住友商事25%で設立 1998年に東ソー技術でPVC 70千トンを建設 |
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1997年の通貨危機でサリムは破綻、資産管理会社 Holdiko
に移管され、順次売却されることとなった。 上記3社については東ソー/住商によるサリム持分購入も検討したが入札が成立せず、2001年12月にサリム持分は香港のEmperor Groupに売却された。 |
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2003年に
Emperorは日本側追い出しを図り、Sulfindoからの塩素供給を停止してVCM、PVCの操業停止に追い込み、更に自ら、子会社のSatomo
Indovil Monomerの破産申請を行った。 裁判では住友商事サイドの主張が認められたが、原料の供給は切られたままで、住商はEmperorに対して同社持分の買収交渉を行った。 |
・ | 結局日本側は撤退を決め、インドネシアのローカル銀行のPT.
Pan Indonesia Bank Tbk.が全てを買収し、PT Sulfindo Adiusahaとなり、2004年10月に生産を再開した。
エチレンはChandra Asri Petrochemical から供給を受ける。 |
3)Eastern Polymer Jakarta市内
インドネシア最初のPVC会社で香港のUnited Industriesがジャカルタに建設したが、建設以来休眠状況であった。
1975年に徳山曹達が三菱商事と組んで技術援助を行い、軌道に乗せ、1981年に徳山曹達が20%、三菱商事が30%出資した。
その後三菱商事100%となり、徳山曹達が技術指導を行っていたが、1998年に休止した。
その後、パイプメーカーのワービンが買収し、1998年12月に生産を再開している。現在能力48千トン。
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