2014年1月21日付けのBloomberg BusinessWeekの記事が波紋を呼んでいる。
インドの特許局(特許意匠商標総局)は2012年3 月、Bayerと米国のOnyx Pharaceuticalsが共同開発した腎臓がん・肝臓がん治療薬 Sorafenib(ブランド名Nexavar )の特許に関し、初の強制実施権を与えた。
同紙によると、インド政府指名のパネルが、癌に加え、HIVや糖尿病にも強制実施権の適用を検討している。インドには糖尿病患者が65百万人、HIVが210万人いるとされている。
パネルの提案を受け、Department of Industrial Policy and Promotionが強制実施権を与えるかどうかを決定、特許局が手続きを行う。
検討されているのは、MerckのJanuvia とBristol-MyersのOnglyzaの2つの糖尿病薬と、MerckのHIV薬 Isentress、及びBristol-Myersの関節炎薬のOrenciaであるとされ、各社はインドでの特許保護に苦労することになるというもの。
同紙によると、BayerのMarijn Dekkers CEOは、本件について2013年12月3日のロンドンでの会議で以下の通り述べた。
基本的に窃盗だと思う。
これがBayerのビジネスモデルに大きな影響を与えるか? そうではない。本当のところ、Bayerは本製品をインド市場のために開発したのではない。全く正直なところ、この薬を買うことができる西欧の患者のために開発したのだ。
癌の薬だから、高価なのだ。(同紙は記事が注目されたため、1月28日付けでDekkers発言を当初の要約から全文引用に改めた。)
現在、Nexavarのインド国内での価格は患者1人1年分で6万5千ドルである。
Bayerは現在、 Nexavarの強制実施権に関し、インドで訴訟しているが、インドの最高裁に対し、この価格は無理なく買えるもの("reasonably affordable")と主張しており、矛盾する。今後、裁判に不利な影響を与えると思われる。
The Times of India は「医薬品の開発は金持ち国のためだけか?」というタイトルでこれを報じている。
記事のなかで次のように報じている。
国境なき医師団は声明を出し、この発言は多国籍医薬産業の問題点全てを表している。Bayerは金持ちだけのために医薬品を開発していると認めており、医薬会社は利益だけを追求していると述べた。
利益を生まない病気は無視され、支払えない患者は無視されるとも述べている。
Bayerはこの発言を認め、Dekkersのコメントを配布した。
この発言は業界のフォーラムでのとっさの発言(quick response) であったとし、Bayer は全ての人々が、住む国や所得にかかわりなく、医学の進歩の成果を受けられることを望んでいると付け加えた。
(「とっさの発言」であるということは本音であることを示している。)ただし、インドの強制実施権については苛立っていると述べている。
Dekkersはオランダ国籍とともに、知的財産権で厳しい立場をとる米国の市民権も持っている。
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1995年に発効した貿易関連知的財産権(TRIPS:Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)協定で、医薬品に限らず、政府や政府と契約関係にある機関が非商業目的のために生産するのであれば、特許権者の事前の承諾を得ることなく、その技術を使うことができると定めている。 (強制実施許諾)
背景には、国内外の特許所有者に配慮することなく、宇宙開発や軍事開発を進めたい米国政府の思惑があったとされる。
TRIPS協定では「主として国内市場への供給のために許諾される」旨定めているが、2005年12月に知的所有権の貿易関連の側面に関する協定を改正する議定書が採択された。
開発途上国における公衆の健康の問題に対処するため、特許権者以外の者が感染症に関する医薬品を生産し、これら諸国に輸出することを可能とするよう、加盟国がこのような生産等を認めるための条件を緩和する規定を追加した。
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インド特許法では強制実施権について以下の通り定めている。
当該特許の付与から3年以上経っており、以下の三つの条件のうち一つでも満たされている場合に申請が受理される。
(a)特許発明に関する公衆の適正なニーズ(reasonable requirements)が満たされていないこと。(i)特許製品の需要が十分に満たされていない状態
(ii)特許発明がインド国内において商業スケールで十分に実施されていない状態
(iii)特許製品の輸入により、特許発明がインド国内において商業スケールで実施されるのが妨げられている状態(b)特許発明に基づく製品が公衆にとって適正に手頃な(reasonably affordable)価格で入手可能でないこと。
(c)特許発明がインド国内で実施されていないこと。特許意匠商標総局長は上記条件のうち一つでも満たされていると認めた場合に、適当と思われる契約内容(ライセンス料率等)のもとで強制実施権を設定できる。
Bayerは、2008年にインドでNexavarの特許を取得し、2009年にインド市場で発売した。
地場の有力な後発医薬品メーカー Natco Pharma は、これの製造販売に関するライセンスをBayerに求めたが、交渉が決裂したことを受け、2011年7月に特許局に対して強制ライセンスの設定を請求した。
インドの特許局(特許意匠商標総局)は2012年3 月、初の強制実施権を認めた。
これにより、Natco Pharma
は製造販売が可能となり、Bayerの約3パーセントという超低価格で販売する。
Bayerは特許局が決定した6%のロイヤリティを受け取るが、通常得られる利益と比べれば微々たるものである。
なお、Nexavarの模倣品が2010年からCipla社によって正規品の1/10の価格で販売されている。
詳細はJETROアジア経済研究所 海外研究員レポート(2012/7) 医薬品特許の強制実施権設定に関する考察
国境なき医師団は声明で、利益を生まない病気は無視され、支払えない患者は無視されるとも述べている が、全ての医薬会社がそうではない。
エーザイは2013年10月1日、インド子会社のEisai Pharmaceuticals
India が抗がん剤Halavenを新発売したと発表した。
同社が自社開発した新規抗がん剤で、日米欧を初めとする50カ国以上で承認を受けており、インドでは乳がん向けで承認を得た。
インドでは毎年約11万5千人の女性が新たに乳がんとして診断されている。
エーザイでは所得に係わらず本剤にアクセスできるよう、患者の所得水準に応じて全額負担から無償まで複数の負担価格を設定する Tiered Pricing
を導入した。第三者機関が所得別に患者を5グループに分け、段階的に負担額を増やす仕組みで、最も所得が低い階層は無料となる。
同社ではアルツハイマー型認知症薬アリセプトと胃酸分泌抑制薬パリエットを2005年の発売時より、インドの経済状況や医療環境を考慮した患者の購入しやすい価格(affordable
price)で供給している。
エーザイは2012年1月30日、世界製薬大手13社の一員として、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、WHO、米国および英国政府、世界銀行、および顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases: NTDs)の蔓延国政府とともに、過去最大の国際官民パートナーシップを構築し、2020年までにNTDの10疾患の制圧に向けて共闘していくという共同声明「ロンドン宣言」を発表した。
エーザイは30億円を負担し、リンパ系フィラリア症制圧のため、WHOにDEC(ジエチルカルバマジン)22億錠を無償で提供する。
エーザイの内藤晴夫社長は、「価格はゼロ。究極のaffordable priceだ」と宣言したが、「これはCSR(企業の社会的責任)の枠組みで実施するのではない」、「新興国の健康福祉を向上して経済発展や中間所得者層の拡大に寄与することは、将来の市場形成への長期的な投資である」と主張した。
ロンドン宣言にはPfizer、Sanofi、Merck、Novartis、GlaxoSmithKlineなどが加わっている。
Bayerもこれに参加しており、シャーガス病治療のニフルチモクスの無償提供を現在の倍量にまで増やす。
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