以前に本ブログで、友人で化学会社OBの中原洋氏の 「腐敗と寛容 インドネシア・ビジネス」 (東洋経済新報社)を紹介した。
中原洋氏の本 「腐敗と寛容 インドネシア・ビジネス」 (東洋経済新報社)が面白い。
本ブログのチャンドラ・アスリの項で「インドネシア特有の理由で建設費が異常に高いと言われていた」としたが、この辺の事情も詳しく書かれている。
インドネシア全般に蔓延する汚職については止むを得ない点もあるとするが、政府関連の大規模なものは区別して批判的である。
中原氏が今度は13世紀のジャワ島を舞台とする小説「苦い花梨・マジャパヒト 元軍襲来・ジャワ戦記」を書いた。
モンゴル・元軍は東方および南方戦線に限っても二度、大敗北を喫することとなった。初めは日本。二度目は越南(ベトナム)である。
だが、モンゴル・元軍が、三度目の敗北を喫したことはあまり知られていない。フビライ・ハーンが命じたジャワ遠征の失敗である。遠く南海の波濤を越え、はるばるジャワ島までやってきたモンゴル・元の遠征艦隊は、ジャワ人の巧みな策略に乗せられ、逃げるように去らざるをえなかった。ジャワ人が強力なモンゴル・元軍の侵略とどう戦ったか、このあまり知られていない一大冒険絵巻をひもとき、その面白さを知ってもよいと思う。日本では元寇がひとつの時代を変えるきっかけとなった。同様にインドネシアのジャワ島でも、元寇は新しい時代を生む契機となり、歴史を推し進めたからである。
(同書まえがきより)
非常に面白いので、ご関心をお持ちの方はどうぞ。(右の本紹介トップをクリックするとアマゾンに飛びます。)
なお、ウィキペディアにこの歴史事実が書かれている。
付記
中原 洋氏は以前にChemnet Tokyoに随筆 風の音 を連載していた。
2006年08月07日に「 マジャパヒトの実」がある。
東南アジアで奇異に感じたことのひとつに、都会に住む一般の人々が花や木の名前を知らないということがあった。咲き乱れる美しい花の名を訊いても、ほとんどの人が知らない。自分の家の庭に咲く花の名を知らない人さえいる。花や木に興味がないのか、それともあまりに豊富なのでいちいち憶えていられないのか。
もちろん有名な花、たとえば火焔樹やブーゲンビリア、ハイビスカスなどは知っている。ちなみにハイビスカスはインドネシア語でブンガ・スパトゥ、靴の花と呼ぶ。どうして靴の花なのか不思議だが、小林英治氏の「熱帯植物散策」によると、むかしこの花でよく靴をみがいたのでそう呼ぶようになったらしい。そういえば英語でもシュー・フラワーというのは、靴の花を直訳したのだろうか。
だが少しばかり変わった花木になるともうだめだ。たとえばインドネシアで歴史上有名なマジャパヒトの木。その名が中世ジャワに栄えた最大の王国の名になっている。だから誰でも知っていると思っていた。ところがマジャパヒトの木を探しても、ほとんどの人が知らない。名前を聞いたことがあるというだけだ。
マジャパヒトとは苦いマルメロの意味。西洋カリンの一種である。王国の建設者ラーデン・ウィジャヤが開拓した土地にたくさん生えていたので王国の名になったという。どんな実か探しまわったあげく、思いがけぬ身近な庭に発見したときは感動だった。
ゆたかに葉を茂らせた木の幹に直接、つやつやと輝く緑の、みごとにまん丸いサッカーボールほどの実がなっている。思わず撫でたくなるようなすばらしい果実だった。熟して黄褐色になったころ実を採取し、殻を割ってみようとした。それがひどく堅い。大きな包丁でも歯がたたず、のこぎりでぎしぎし切ってやっと割ることができた。
でてきた中味は灰色のぶよぶよゼリー。見ていたインドネシア人が、これがマジャパヒトかといいながら指ですくって舐めた。すぐペッと吐きだし、パヒト(苦い)という。名前のとおりマジャパヒトは、みかけは美しくとも中味は苦い果実だった。
花や木の名前に興味がないのはシンガポールでもおなじだ。都会で科学技術教育だけに専念すると、自然との対話を忘れがちになる。経済的繁栄を求める国々が、マジャパヒトの実のような国にはなってほしくないものである。
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