ExxonMobilは6月21日、ルイジアナ州のChalmette Refining
LLCの50%持分をPBF Energy Inc. に322百万ドル売却すると発表した。
JV相手のベネズエラの国営石油会社Petróleos de Venezuela (PDVSA)も残り50%を売却する。
2015年末に取引が完了する予定。
取引対象には、Chalmette製油所と、MOEM Pipeline LLC(PlaqueminesからChalmette Refiningまで原油を送る54 miles のパイプライン)、及び Collins Pipeline CompanyとT&M Terminal Companyの80%持分を含む。
ExxonMobilでは、売却は戦略的評価の結果であるとしている。
JVの売却により、PDVSAとの米国内の関係は消滅する。
PBF Energyは独立系石油会社大手で、Toledo, OH、Delaware City, DE、Paulsboro, NJの3箇所に合計能力日量54万バレルの製油所を持つ。
PDVSAは2014年に米国子会社Citgoが操業する製油所等の一部もしくは全部の売却を含めベネズエラ国外の資産を再編する計画を立てた。
国外資産売却により得た資金を国内の既存設備の拡張、改良や新規施設建設に充てるとした。
PDVSAの米国内の設備は下記の通り。
能力 日量 千bpd |
ガソリン 日量 万ガロン |
|||
CITGO | PDVSA 100% | Corpus Christi, TX | 157 | 420 |
Lake Charles, LA | 425 | 880 | ||
Lemont, IL | 167 | 400 | ||
Chalmette Refining LLC | PDVSA 50% ExxonMobil 50% |
Chalmette, LA | 184 | |
Hovensa L.L.C. | PDVSA 50% Hess Corp 50% |
St. Croix, Virgin Islands | 495 |
CITGO Petroleum
同社は元々、1910年に設立されたCities Service Companyである。1965年に商標をCITGOとした。
1982年にOccidental Petroleum が買収したが、1983年に当時7-ElevenのオーナーであったThe Southland Corporationがコンビニチェーンへのガソリンの安定供給のために買収した。
1986年9月にPDVSAが50%を買収、1990年1月に残りも買収し、100%子会社とした。
1993年にLyondellとの合弁会社Lyondell-Citgo(Lyondell 58.75%)を設立した。
Houstonに268千bpdの製油所を持っていたが、両社の関係が悪化し、2006年8月にLyondellがCitgoの持株41.25%全てを買取った。
Chalmette Refining LLC
1915年に設立された。
PVDSAは1997年10月に持分50%を買収した。JVの製品の50%を引き取り、CITGOに販売している。
Hovensa LLC (バージン諸島のセントクロイ製油所)
1966年にHess により建設され、その後能力を増強、1998年にPDVSAとのJVとなり、現社名に改称した。
2012年1月18日、製油所を2月半ばに閉鎖し、石油貯蔵ターミナルに転用すると発表した。
2012/2/1 バージン諸島のセントクロイ製油所閉鎖へ
今回、Chalmetteの売却を決めたが、CITGOについては売却を試みたものの、入札価格が提示価格を大幅に下回ったことを受け、2014年10月に売却停止を発表した。
原油価格の下落により、外貨不足が深刻化しているため、売却を実行する可能性は高い。
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ExxonMobil とPDVSAはベネズエラの石油国営化をめぐり、2007年から争っている。
2007年にベネズエラは石油の国有化を決め、各石油会社は国営石油会社 PDVSAと条件交渉を行なった。
Chevron、Total、BP、StatoilHydroはPDVSAの条件を呑み、Minority partner として操業を続けることとした。
しかし、Exxon Mobil はこれを拒否した。同社は油田国有化で損害を被ったとして補償を求めて訴訟を行い、米国と英国の裁判所は2008年に同国が支払いに応じなかった場合に備え、PDVSAが海外に保有する資産を差し押さえる命令を下した。(米ニューヨーク連邦地裁は3億ドルの現金、英裁判所は120億ドルまでの資産の差し押さえを命じた。)
CITGOは社債等が大きく、社債権者が優先権を持つことから除外された。
その後、英裁判所はPDVSAの資産の凍結命令を撤回した。
ExxonMobilは世界銀行付属の国際投資紛争解決センター(ICSID)に提訴した。これに対し、ベネズエラ側はパリに本部を置く国際商業会議所(ICC)に問題を提起した。
2011年12月の国際商業会議所の裁定は、PDVSAがExxonMobil にネットで746.9百万ドルを支払うというもので、接収資産の簿価にほぼ等しい。
裁定額は907.6百万ドルだが、PDVSAのExxonMobilへの債権(ロイヤリティや税金)161百万ドルを控除した。
907.6百万ドルは1997年に両社で結ばれた契約に基づくもので、1997年の原油価格(27ドル/bbl)を基に、2035年までの失われた収益を高い割引率で現在価値に換算したものであり、資産の評価額ではない。
PDVSAはこの裁定を受け入れ、この額からNew York で凍結されている300百万ドルとExxonのベネズエラ子会社の債務191百万ドルを除外し、残りの255百万ドルを支払うとしている。
ExxonMobilはこの裁定に同意せず、ICSIDの判断を待つとした。
2014年10月、ICSIDはベネズエラがExxonMobilに16億ドルを支払うという裁定を行った。
ExxonMobil は145億ドルを要求、ベネズエラは353百万ドルの支払を主張していた。
ICSIDは判決の中で、「ベネズエラ政府は国際投資条約に基づき、補償金を支払う必要がある」と述べているが、接収手続きの違法性については言及しなかった。
ベネズエラ政府は、当該判決に対して、最終的な支払額は10億ドル未満にとどまるとの認識を示唆した。
同じ問題で2012年に国際商工会議所(ICC)の国際仲裁裁判所から命じられてExxon
Mobilに支払った補償金7.47億ドルを、今回の16億ドルから差し引くと主張した。
「Exxon
Mobilへ補償金を支払う準備はできている」とコメントした上で、「ベネズエラ政府は当該判決を履行し、国家経済への脅威となった当該訴訟を終わらせる」と明言した。
ベネズエラ政府は、当該判決による補償額が事前予想額を大幅に下回ったことを受け、ベネズエラ側の勝利として捉えている。
その一方で10月末に判決の見直しを求める手続きを申請した。対外債務の返済が重なったこともあり、支払時期を延期させることを決断したとみられる。
最終判決が下されるまでに長ければ2~3年かかる可能性もあるとされる。また、債券や原油資産の提供といった現金ではない支払手段を模索する可能性もある。
本件ではConocoPhilipsもICSIDでベネズエラ政府と争っている。
ICSIDは2013年9月、ベネズエラが「誠意を持って」補償条件を交渉することを怠ったと判断した。補償額についてはまだ決定されていない。
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