エーザイと米 Merck は3月8日、エーザイ創製の抗がん剤、経口チロシンキナーゼ阻害剤「レンビマ」(一般名:レンバチニブメシル酸塩)を全世界で共同開発・共同販促する戦略的提携について合意したと発表した。
両社は、「レンビマ」の単剤療法、ならびにMerck の抗PD-1抗体「キイトルーダ®」(一般名:ペムブロリズマブ)との併用療法における、共同開発と共同販促を行う。
エーザイでは、抗PD-1抗体「キイトルーダ」を有するメルクとの提携で、これまで治癒が見込めなかった難治性がんに対しても、新たな選択肢を提供することができるとしている。
Merck も、エーザイと共に、現在の適応症に対する「レンビマ」の価値を最大限に引き出すとともに、「キイトルーダ」との併用により、さらに幅広い種類のがんに対する追加承認をめざ すとしている。
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レンビマについて:
細胞には、「細胞増殖に関わるシグナル伝達」が存在し、この機構に関わる重要な因子として、チロシンキナーゼが知られている。
チロシンキナーゼには、血管の増殖に関わる因子のVEGF(血管内皮細胞増殖因子)、細胞の増殖を促したり血管を新たに作ったりする因子のFGF(線維芽細胞増殖因子)、組織の修復や細胞増殖に関わるPDGF(血小板由来増殖因子)」などがある。がん細胞ではこの機構が活発になっているため、チロシンキナーゼを阻害すれば、がん細胞による無秩序な増殖を抑制できる。
(正常細胞ではがん細胞ほどチロシンキナーゼが活発ではないため、がん細胞に対して選択的に毒性を与えることができる。)このような考えにより、血管伸長や細胞増殖などに関わるチロシンキナーゼ(VEGF、FGF、PDGFなど)を阻害することで、抗がん作用を示す薬がレンビマである。
キイトルーダについて:
癌細胞は、免疫細胞からの攻撃を逃れるために、PD-L1 というタンパク質を出し、これが免疫細胞のPD-1 に結合すると、免疫細胞の働きが抑制される。これらの「免疫チェックポイント」を阻害して、免疫細胞に癌細胞を攻撃させるのが、免疫チェックポイント阻害薬である。Merckの「キイトルーダ®」は小野薬品のオプジーボと同じ抗PD-1抗体である。
機能 承認 開発中 抗PD-1抗体 免疫細胞のPD-1に結合し、PD-1と癌細胞のPD-L1の結合を防止 オプジーボ(小野薬品/BMS)
キイトルーダ(米Merck)抗PD-L1抗体 癌細胞のPD-L1に結合し、PD-1とPD-L1の結合を防止 Roche/中外製薬
AstraZeneca
独Merck/Pfyzer抗CTLA-4抗体 免疫細胞のCTLA-4に結合し、CTLA-4と樹状細胞のB7の結合を防止 ヤーボイ(BMS/小野薬品)
AstraZeneca
2016/11/30 オプジーボと競合する米メルクの癌免疫薬承認へ
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レンビマの開発状況と、今後の計画は下記の通りで、両社は、現在取得している適応に加え今後取得をめざす適応において、全世界の患者アクセスを促進する。
エーザイ 甲状腺がん 単剤療法 50か国以上で承認取得 腎細胞がん(二次治療) エベロリムス(免疫抑制剤・抗癌剤)との併用療法 40か国以上で承認取得 肝細胞がん(一次治療) 単剤療法 日本、米国、欧州、中国などにおいて承認申請 腎細胞がん(一次治療) エベロリムス or キイトルーダとの併用療法 フェーズⅢ試験進行中
キイトルーダとの併用療法はFDAからブレイクスルーセラピーの指定(承認プロセス短縮)共同開発 6がん種(子宮内膜がん、非小細胞肺がん、肝細胞がん、頭頸部がん、膀胱がん、メラノーマ)における治療歴に応じた11の適応取得を目的とした臨床試験に加え、複数のがん種に対するバスケット型試験を開始
レンビマに関する売上高はエーザイが計上し、開発およびマーケティング費用ならびに粗利益を両社で折半する。
エーザイは本提携で下記の金額を受領する。
一時金 9.5億ドル 契約一時金 3億ドル
オプション権一時金 6.5億ドル(2020年度までに年次ごと)研究開発費償還 4.5億ドル マイルストン 最大43.6億ドル 開発マイルストン 最大3.85億ドル 承認取得時
販売マイルストン 最大39.7億ドル合計 最大57.6億ドル
エーザイによる売上高、損益の予想は次の通り。
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米Merckは、米国とカナダ以外では社名を MSD としている。ドイツのMerck KGaA とは別会社である。
Merck KGaA の起源は1668年にフランクフルトの南のダルムシュタットでフリ-ドリッヒ・ヤコブ・メルクがエンゼル薬局を創業したことに始まり、現在では 28カ国、62地域に自社工場を展開するまでになっている。
1891年、メルク一族のジョ-ジ・メルクが米国に子会社 Merck & Co.を設立した。
この会社は第一次世界大戦で敵国企業の子会社として米国政府に接収され、1917年に独立した。接収後は両社は別会社である。
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