中国、イタリアと「一帯一路」覚書交換へ

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中国外務部は、習近平国家主席が3月21~26日の日程でイタリア、モナコ、フランスを公式訪問すると発表した。
主席は21日夜、イタリアに到着した。

自由貿易体制を擁護する欧州首脳と連携し、保護主義的主張を掲げるトランプ米政権をけん制する狙いがある。

イタリアでは中国が進める巨大経済圏構想「一帯一路」の参加について協議し、G7 として初めて、覚書を交わす見通し。

イタリアのコンテ首相は既に、一帯一路の覚書を結ぶ方針や、4月下旬に北京での一帯一路関連の第2回国際会議に出席する意向を表明している。

3月22日に中国国有の中国交通建設集団とTriesteの港湾局が、Triesteの鉄道インフラ整備に関する覚書を締結する。

EU加盟国では、ギリシャやポルトガルなどが中国と覚書を交わしているが、イタリアが署名すればG7では初めてとなる。アメリカは「一帯一路」を通じた中国の影響力拡大に警戒感を示す。

ギリシャと中国は2018年8月に覚書を交わした。

2016年4月に、アテネ近郊にある同国最大の Piraeus 港の売買契約を中国海運大手の中国遠洋運輸集団(
China COSCO Holding)との間で締結している。

2016/4/12 ギリシャ、最大のピレウス港を中国に売却 

ポルトガルと中国は2018年12月5日、中国の「一帯一路」に協力することで覚書を締結した。

習主席は、「『一帯一路』の枠組みの協力を全面的に強化し、相互の接続を促進する必要がある」と強調、ポルトガル大統領は「ポルトガルは『一帯一路』の陸上・海上ルートで欧州の枢軸になりたい」と応じた。

中国は友好国のポルトガルの港を欧州の主要な玄関口の一つと位置付け、物流ルートを構築する考え。

ポルトガル投資貿易振興庁と中国・中糧集団(COFCO)も覚書に署名、COFCOがポルトガル北部のMatosinhos港に世界的な共有サービス拠点を置く。

農業や漁業、海洋学のデータ収集に向けた小型衛星を開発したり、中国の華為技術(Huawei)と欧州の通信会社Altice N.V.が、ポルトガルで第5世代移動通信方式(5G)網を開発したりすることなどでも合意した。

ポルトガルは欧州勢の中でも、中国から多くの投資を呼び込んでいる。

米国やイタリア国内から反発が出ている が、中国の外務次官は欧州各地の港湾に中国国有企業が投資を進めることへの懸念について「経済協力プロジェクトであり、完全な国際商業行為だ」と述べ、安全保障上の国策ではないと強調した。「市場原則に基づく実務的な協力だ。現地の経済・社会発展や就業機会創出に積極的な貢献をしており、従業員や地元住民は高く評価している」と主張した。

付記

EU加盟国では、ギリシャとポルトガルの他に、既に次の各国が一帯一路の覚書に調印している。

マルタ、ブルガリア、クロアチア、スロベニア、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア

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Torieste港は、港湾の指定区域内であれば関税を支払うことなく、積み荷を一時保管し、加工して再輸出もできる「自由港」として栄えてきた。

Torieste港は欧州で11番目の規模(コンテナの扱い量 50万TEU)で、ギリシャのPiraeus港(374万TEU)より小規模である。

TEU(Twentyーfoot Equivalent Units)は20フィートコンテナの1個分

中国側は、ターミナルの拡張、倉庫の拡大と物流アクセスの複線化などのインフラを整備すれば、コンテナ扱い量を飛躍させることができると提案した。

Torieste港は、アドリア海からヨーロッパ大陸を繫ぐ。バルチック回廊、地中海回廊につながり、この港から欧州製品が世界各地へ輸出されている。

自由港であるTorieste港は欧州以外への中継貿易港としても活用できる。

また、原油の輸入が多く、2015年の年間取扱貨物量約57百万トンの内、約8割が原油である。



2017年8月に清水港との姉妹港提携に係る覚書の調印を行った。


付記

中国国有企業の海運最大手「中国遠洋海運集団」(COSCO) は既にジェノバ近郊のVado Ligure港に進出している。

同社は2016年10月、同港のVado Reefer Terminalを運営するVado Holdingsの40%を買収した。町や港湾当局などは、地元経済のテコ入れを図ろうと港の拡張工事を計画、出資者を探していた。

工事は今年中に終了し、港湾労働者数とコンテナの取扱数は以前の5倍となる見通し。


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第二次世界大戦後、イタリアとユーゴスラビアの間で、トリエステとその周辺地域がどちらに帰属するかの紛争が発生した。

1947年2月、領土問題は棚上げされ、トリエステ自由地域として国連管理下に置くこととされた。

トリエステ市を含む北部のZone Aは連合国側が、南部のZone Bはユーゴスラビアが分割占領することが決められた。

1954年にトリエステ自由地域は解消され、イタリアとユーゴスラビアによって分割された。

Zone Aに含まれていたトリエステ市は、イタリアの領土となり、南部のZone Bは、ユーゴスラビアの領土となった。

1991年にユーゴスラビアからスロベニアとクロアチアが独立、B地区をドラゴニャ川を境として南北に分割し、北部をスロベニア、南部をクロアチアに帰属させた。

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