碧素(ペニシリン)の製造許可申請書とアンプルが2019年の「未来技術遺産」に

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Meiji Seika ファルマは10月7日、同社の前身である明治産業(1943/12~1947/4)により1945年に提出された碧素(へきそ:ペニシリン)の製造許可申請書が、2019年度重要科学技術史資料(「未来技術遺産」)に登録されたと発表した。

1944年製作の碧素アンプルも同時に登録された。

ペニシリンは1928年に英国で発見され、多くの感染症に効く奇跡の薬として知られている。

1928年にイギリスのAlexander Fleming博士によって発見された世界初の抗生物質である。

ブドウ球菌を培養して増やす実験をしていたとき、細菌が繁殖している培養器の中にアオカビが発生し、その周囲だけに細菌が繁殖していないことに気がついた。顕微鏡で調べ、アオカビが分泌する液体が細菌を溶かしているということを見つけ、この物質をペニシリンと名付けた。

Fleming博士は、純粋なペニシリン抽出に成功したHoward Florey、Ernst Chainとともに1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

第二次世界大戦中も使用され多くの命を救ったが、当時ペニシリンの実用化に成功したのは英米を除くと日本だけであった。

ドイツのキーゼ報告を頼りに、医、理、工、薬、農学の研究者によるペニシリン研究委員会を結成し、独学で1年以内にペニシリンの大量生産を開始するという一大成果を成し遂げた。

昭和18年12月に潜水艦が同盟国ドイツから持ち帰った機密資料の中にベルリン大学のキーゼ教授によるペニシリンの臨床報告があった。

「ペニシリン」は、「碧素」と命名され、陸軍軍医学校で昭和19年2月に碧素委員会が開催され、研究が始まった。同年9月に抽出に成功した。

昭和19年11月、森永食品(現・森永製菓)三島工場で国産碧素第一号の製造が開始された。

日本初の抗生物質「碧素」(ペニシリン)開発物語

しかし当時の製造に関する資料はほとんど残っておらず、明治ホールディングスが所有する昭和20年4月の日付がある製造許可申請書は、化学的に不安定なペニシリン(碧素)の開発に成功し、戦時中に実際に製造しようとした事実を伝える貴重な資料として重要である。

アンプルは森永食糧工業の製作で、日本感染症医薬品協会が岐阜県各務原市の内藤記念くすり博物館で公開している。



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    http://sts.kahaku.go.jp/material/

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