日本化学会(小林喜光会長)は3月9日、化学遺産に新たに3件を認定したと発表した。
日本化学会は、化学と化学技術に関する貴重な歴史資料の保存と利用を推進するため、化学遺産委員会を設置し、さまざまな活動を行っているが、歴史資料の中でも特に貴重なものを文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上及び化学工業の発展に資することを目的とし、2010年3月に第一回の「化学遺産認定」を行った。
第1回(2010年)~第8回(2017年)については下記を参照。
2017/3/10 第8回 化学遺産認定
2018年の第9回から本年の第12回までを紹介する。 詳細は表の「回数」をクリック。
2018年 第9回 |
44号 グリフィス『化学筆記』およびスロイス『舎密学』
アメリカのW. E. Griffisは、1871年3月から翌年1月まで福井藩の藩校明新館で物理と化学を教えた。 オランダのP. J. E. Sluysは、1871年4月に金沢藩の金沢医学館に着任し、医学やその基礎として化学などを教えた。 いずれもアボガドロの分子説に基づいた当時最新の化学を教え、水素や酸素などが2原子分子であることや原子価などについて教え、水の分子式はH2O、硫酸はH2SO4と教えた。
|
45号 モノビニルアセチレン法による合成ゴム
1920年代末から30年代にSBR、NBRなどの合成ゴムが発明された。工業化においては、その主原料であるブタジエンの合成法が重要であり、当時はアセチレンや発酵エタノールを原料とする様々な製法が研究された。
京都大学工学部の古川淳二はモノビニルアセチレン法を発明し、1942年に京都大学化学研究所で工業化試験に成功した。この設備はその後住友化学工業新居浜工場に移されNBRの工業生産に使われた。
日本での合成ゴムの研究・生産は連合軍によって長らく禁止され、日本での戦前、戦時中の合成ゴム関係資料はほとんど失われたが、古川淳二が保管し、1982年に京都大学、東京農工大学に寄贈した工業化試験資料は貴重である。
|
46号 化学起業家の先駆け 高峰譲吉関係資料
高峰譲吉は、強力な消化酵素タカヂアスターゼを安定して取り出すことに成功、医薬としての製造・販売は米国のパークデービス社を通じ、1895年に発売し世界に展開、日本では三共商店(第一三共の前身)が1899年に発売した。 1900年に高峰と助手の上中啓三によるアドレナリン高濃度抽出・結晶化の大発見を行い、世界的な医薬とすることに成功した。
|
2019年 第10回 |
47号 学習院大学南一号館ドラフトチャンバー
ドラフトチャンバーは、揮発性の有害物質や有害微生物を扱うときに安全のために用いる局所排気装置 学習院大学南一号館は宮内省内匠寮の設計で、1927年3月に学習院高等科の「理科特別教場」として建設された。出窓式として作られた。
|
48号 我が国初のNMR分光器用電磁石
核磁気共鳴(NMR)の発見は1946年だが、1949年に創立したばかりの電気通信大学で、安定した磁場の電磁石を組み立て、磁気共鳴の信号を検出したばかりでなく、水素、フッ素、ナトリウム、銅、コバルト、燐、臭素、インジウムの原子核の磁気能率を測定した。中でも銅核において世界初の測定を実現したのは、大きな業績であった。
|
49号 島津製作所 創業記念資料館および所蔵理化学関係機器・資料等
島津源蔵(1839-1894)は、1870年に開設された京都舎密局に出入りし、教育用理化学器械の製造を始めた。1875年には島津製作所を創業した。
|
50号 銅アンモニウムレーヨン製造装置「ハンク式紡糸機」および関連資料
旭化成(株)のベンベルグ工場は現在、世界で唯一銅アンモニウムレーヨンとして知られる再生セルロース繊維「キュプラ」を製造する。
1928年にドイツのJ.Pベンベルグ社と旭化成の前身日本窒素肥料との間に技術導入/資本提携契約が結ばれ、日本ベンベルグ絹糸㈱が設立された。 1931年には現在のベンベルグ工場で生産が開始され、1949年に改良を加えた新型「ハンク式紡糸機」(三菱重工製)が導入された。
|
2020年 第11回 |
51号 タンパク質(チトクロムC, タカアミラーゼA)の3次構造模型
大阪大学蛋白質研究所の角戸正夫らのグループがカツオの還元型シトクロムCの構造について1973年に高分解能解析に、1980年にタカアミラーゼAの高分解能で成功した。
|
52号 日本の近代化学教育の礎を築いた舎密局の設計図(大阪開成所全図)
1869年にオランダ人K.W. Gratamaを教頭に大阪に舎密局が開校された。
|
53号 日本初の純国産「金属マグネシウムインゴット」
1930年に理化学研究所で苦汁を原料に溶融電解法による金属マグネシウムの工業生産が開始された。
日満マグネシウム(理化学研究所の事業会社で、現在名は宇部マテリアルズ)で試作に成功、同社直江津工場で生産された。
|
54号 日本初の西洋医学処方による化粧品「美顔水」発売当時の容器3点
和歌山の桃谷政次郎は1885年に西洋医学処方による薬用化粧水を開発、「美顔水」として販売、桃谷順天堂を創業した。
|
2021年 第12回 |
55号 日本の石油化学コンビナート発祥時の資料(所蔵:三井化学)
日本の石油化学第一期計画のトップを切って1958年に三井石油化学岩国のエチレン2万トン設備が稼働した。
|
56号 苦汁・海水を原料とする臭素製造設備と磁製容器(所蔵:東ソー・マナック)
臭素の製造には苦汁(ニガリ)を原料とする方法と、海水から直接製造する方法がある。
東洋曹達は1941年、海軍から大量生産の要請を受け、海水直接法を採用した。 マナックは1963年まで苦汁から生産していたが、かつての同業から石製臭素蒸留塔を譲り受けた。
|
57号 再製樟脳蒸留塔 (所蔵:日本テルペン化学)
樟脳は樟の精油主成分で、直下式水蒸気蒸留法で製造されていたが、残る樟脳生油中にも樟脳が溶けていることが分かり、捨てられていた生油から「再製樟脳」を採る技術が開発された。 1912年完成のドイツ製の加熱水式減圧蒸留塔は1917年に焼失したが、日本テルペン化学の前身の再製樟脳㈱により1920年に国産で再建された。
|
コメントする