英政府は7月21日、欧州連合(EU)と結んだ離脱協定の一部である英領北アイルランドでの通商ルールについてEUに再交渉を求めると発表した。
2021年1月の英国の完全離脱で導入された同ルールにより、北アイルランドで起きている物流などの混乱をおさめるのが狙いだが、EUは再交渉に応じない方針。
これまでの経緯:
英国とEUは、北アイルランド紛争の再発を避けるため、北アイルランドとアイルランド共和国の国境には物理的な関税等は設けないことで合意した。このため、離脱協定で下記の特殊措置をとることとした。
2020年末までの移行期間終了後、名目上は北アイルランドを含む英全土がEUとの関税同盟から抜ける。
しかし、アイルランド島の国境付近での税関業務を省略できるよう、北アイルランドに限り関税手続きをEU基準に合わせる。
英本土から北アイルランド向けの品物はいったんEUの関税を徴収されるケースも出る。本土から北アイルランドに入る段階でEU関税を支払う。(英国が実施するが、EUは立ち合いの権利を持つ。個人の荷物はチェックしない。)
北アイルランドに留まるものは関税還付。
アイルランドに運ばれるものは関税還付なし。北アイルランドから本土に商品を動かす場合、輸出申請が必要となる。
北アイルランドとEU単一市場間の企業取引に関連して、英国が北アイルランドの企業に補助金を提供する場合、その内容をEUに通知しなければならない。
英政府は2020年9月、Brexitの最大の懸案だった北アイルランドの税関と国庫補助を含む分野で、EU離脱協定の効力を弱めかねない法案Internal Market Bill を議会に提出した。
英下院は9月29日、EU離脱に伴って1月末に発効した国際条約「離脱協定」の主要部分を反古にする政府提出のInternal Market Bill を賛成多数で可決した。
しかし、英議会上院(貴族院)は11月9日、Internal Market Billに関し、英領北アイルランドの扱いで英政府にEUとの離脱協定を部分的に違反する権限を与える規定を削除する案を433対165で可決した。
英国・EUの合同委員会は12月8日、離脱協定の実施について原則合意に達したとする共同声明を発表した
英国がInternal Market Billの問題個所、第44(export declarations)、45(State aid)、47項(incompatibility with international or domestic law)を撤廃することも発表された。
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懸案事項の解決を受け、英国と欧州連合(EU)は2020年12月24日、新たな自由貿易協定(FTA)など将来関係を巡る交渉で合意した。2020年12月31日深夜の英国のEU正式離脱が確定した。
2020/12/25 英EU、通商協定で合意
しかし、離脱後、北アイルランド問題について、トラブルが続出した。2021年1月以降の規制が不透明なことを背景に、英国の大手小売店などが北アイルランド向けの宅配貨物発送を停止したり、同地域からの注文を取り消したりするなどして、混乱が広がった。
このため、英政府とEUは一時的な対応策をとった。
食品輸送に関しては、2月2日に英国から欧州委員会向けに、手続きの緩和措置を少なくとも2023年1月まで延長するよう要請したが、合意には至らなかった。
欧州委員会は、「英国政府による Internal Market Bill に次ぐ2度目の国際法違反だ」と強く批判する声明を発表した。
2021/3/9 英国とEUの通商・協力協定の問題点
双方は交渉を続け、その結果、欧州委員会は6月30日、グレートブリテン島から北アイルランド向け食品移送の手続き緩和措置の期限を2021年9月30日まで延長するという英国の要求を、条件付きで受け入れると発表した。
禁止になるはずの英本土からの冷蔵肉製品の入荷が継続されるなど激変緩和措置が暫くは続くが、それでも新たな通関手続きにより物流の遅延などの混乱は絶えない。
春には、 北アイルランドで、英国統治を望むプロテスタント系住民と、アイルランド統一を求めるカトリック系住民との対立に絡む暴動が多発し、地域が緊張に包まれた。プロテスタント系住民が本土から切り離されたと感じ、不満を持つことが背景にあると見られている。
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今回、英政府は議会に北アイルランド議定書に関する "command paper" を提出した。
EU側に対し、北アイルランド議定書(2019年に英政府が署名し、英議会が承認している)が実行が無理だと分かった(unworkable in practice)ため、再交渉に応じることを求めている。
「新通商ルールが北アイルランドにもたらす困難を無視できない」と訴え、英EUが永続的に許容できる解決策を見いだすために再交渉が必要だと強調している。
ジョンソン首相はこのなかで、以下の通り述べている。
現在の議定書の適用で問題を解決できないことは明らかになっている。
議定書第16条(セーフガード条項)では「議定書が予想外に有害であることが判明した場合に、双方が適用を免除することができる」と定めているが、問題が余りにも大きいため、これの適用も考えた。
しかし、双方で問題を解決しようとする意志があると信じるため、EUと交渉で解決することを選んだ。
英政府は英本土からアイルランドには向かわずに北アイルランドに残る商品について、全面的に通関検査をなくすこと、そうした商品はEUの衛生基準などを満たさなくても北アイルランドで流通できるようにすることなどを求めている。
これに対し、欧州委員会では、通商ルールは「EUがジョンソン英首相と共同で見いだした合意で、英議会も承認した」と英側をけん制し、新ルールの微修正には応じる姿勢を示唆したものの、抜本的な変更につながる「再交渉は同意しない」と断言した。
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もともと、北アイルランド紛争の再発を避けるためにアイルランド共和国との間で国境管理(入出国審査、通関手続き)をしないという大前提がある。
EU側は、英国がEUを離脱するなら、英国品を含む外国品が英国本土から北アイルランドを通じてEU(アイルランド共和国)に無検査、無関税で入ることを禁止する措置を英国に求めることになる。
しかし、英国はBrexitを決める際に、本件を全く検討していない。EUとの交渉が始まって、EUからの提示でこの問題に気が付いた。
EUとしての交渉ガイドラインの原案に、「英国(北アイルランド)とアイルランドの国境問題について、国境復活などの厳格な対応ではなく、柔軟で建設的な解決を模索すべきである」という項目が含まれており、英国側もこれに賛成した。
しかし、国境復活なしでEU側の要求を満たすのは簡単でなく、難航した。
EUのDonald Tusk大統領は2019年2月6日、英国のEU離脱を安易に推進した人々には「地獄」が用意されていると痛烈に批判した。
我々にとって最も重要なことは、アイルランド島の国境問題と、1998年4月10日のベルファスト合意による平和プロセスの保証だ。我々は平和に関してギャンブルはしない。
これがBackstop案にこだわる理由だ。北アイルランドの平和を保証してくれるなら、英国はEUを離脱してもよい。英国政府が、この観点を満たし、かつ、下院を通せる提案をしてほしい。解決案があると信じている。ところで、安全に離脱する計画も無しにBrexitを推進した人にとって用意されている地獄はどんな所なんだろうか。
2019/2/7 EU大統領「英国離脱の推進者は地獄に」
英国の混乱は続いた。
最終的に、英EU合同委員会が2020年12月17日に「アイルランド・北アイルランド議定書」で合意し、英国とEUは、北アイルランドを実質的に「EU圏内」としてステータスを維持することが決まった。
2021/3/9 英国とEUの通商・協力協定の問題点
アイルランド紛争を避けるという絶対条件のもとで、合意なき離脱を避けるため、無理に無理を重ねて合意したもので、最初から問題点は分かっていた。今になって、実行が無理だと分かったというのは通らない。
元 Economist 誌のBill Emmottは当時、次のように述べた。(2019/2/3 毎日新聞)
「解決できるのは、北アイルランドが英国から分離してアイルランドに加わるか、もしくは英国がEUに非常に近い形で残留しEUの交易ルールに従い続けるかである。 」
ベルファースト合意では、「北アイルランドの将来の帰属は北アイルランド住民の意思によって決定される」となっており、北アイルランドの人口構成はほぼ拮抗しているが、カトリック系の方が出生率は高いため、北アイルランドは将来的にアイルランドへ帰属を変更する可能性が高い。
そうなれば、この問題は自動的に解決する。
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