日本製鉄は10 月14 日、中国の鉄鋼メーカーである宝山鋼鉄と同社製品を使用しているトヨタ自動車に対して、無方向性電磁鋼板に関する日本製鉄の特許権の侵害を理由として、損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起した。
付記 日本製鉄は三井物産も提訴した。三井物産がトヨタと宝山鋼鉄の取引に関わったと判断したとみられる。
併せてトヨタ自動車に対して、トヨタ自動車の電動車について同地裁に製造販売の差止仮処分の申立てを行った。
宝山鋼鉄に対して 約200 億円の損害賠償請求 トヨタ自動車に対して 約200 億円の損害賠償請求
同社特許を侵害する無方向性電磁鋼板を使用したモータを搭載した電動車の製造・販売の禁止の仮処分宝山鋼鉄は宝鋼集団傘下の中国の大手鉄鋼メーカーである。(宝鋼集団は2016年に武漢鋼鉄集団と合併し、現在は宝武鋼鉄集団となっている。)
日本製鉄は、自動車の電動化に必要不可欠な無方向性電磁鋼板に関する同社特許を宝山鋼鉄およびトヨタ自動車が侵害していると判断したため、それぞれと協議を行なってきたが、問題の解決に至ることが出来ず、法的措置を講じ、知的財産権の保護を図るとしている。
日本製鉄は、当該特許は日本でしか出願しておらず中国の裁判所では争えない。日本と中国の間では、互いに相手国の判決を承認する相互保証をしていないため、仮に東京地裁で日本製鉄が宝山に勝訴しても、中国の裁判所に日本の判決をそのまま執行してもらうことはできない。
日本国内で確実に販売などの差し止めの効果や賠償金を得るために、トヨタにも訴訟を提起する必要がある。
電磁鋼板は、軟鋼にケイ素を添加することで、コイルの鉄芯の鉄損(磁化した時に鉄芯が消費するエネルギー)を低減した磁性材料 で、トランス(変圧器)やモーターなどの電気機器の鉄芯材料として不可欠な材料である。
優れた磁気特性が要求され、「絶縁被膜」と呼ばれるコーティングが施されるとともに、磁気特性に悪影響のある不純物(炭素、窒素、硫黄など)が極限まで低減されるなど、通常の鋼板にはない特徴がある。
製造する機器の特性により、「方向性電磁鋼板」と「無方向性電磁鋼板」が使い分けられている。
方向性電磁鋼板は鉄の磁化しやすい結晶方向が圧延方向のみに揃うよう製造されたもので、主に変圧器に使用される。
無方向性電磁鋼板は、鋼鈑のすべての方向にほぼ均一な磁気特性が得られるよう製造され、主にモーターに使用される。
今回問題になったのは「無方向性電磁鋼板 」で、BEV(バッテリー電気自動車)もPHEV(プラグイン・ハイブリッド車) 、HEV(ハイブリッド)も、すべて電動モーターを使う。電動モーターには永久磁石と電磁石を使うタイプと電磁石だけを使うタイプとがあるが、電磁鋼板はこの両方に必須である。
なお、トヨタと宝山鋼鉄との間には、以前に「方向性電磁鋼鈑」についても問題があった。(後記)
2019年11月、鉄鋼新聞が次のように報じた。今回の問題の基である。
中国・宝山鋼鉄がトヨタ自動車の日本国内の工場向けに無方向性電磁鋼板の供給を始めた。関係者らが明らかにした。すでに韓国ポスコが2009年からトヨタ国内工場に供給を始めており、海外メーカーとしては2社目となる。契約数量などは不明だが、すでに出荷しているもよう。
日本経済新聞も2020年7月、下記のとおり報じた。
電気自動車(EV)に使う電磁鋼板と呼ばれる高機能な鋼材について、トヨタ自動車が中国最大手の宝武鋼鉄集団の製品を一部で採用することが分かった。同鋼板は高い生産技術が必要で、これまでは主に日系の製鉄大手から調達してきた。中国の鉄鋼業界は汎用品の大量供給を強みとしてきたが、質でも日本勢を追い上げ始めた。
日本製鉄によると、トヨタの採用直後から、自社の特許の侵害を時間をかけて調査してきた。 「2年前から調べていた」。
宝山から鋼板を調達したりして成分を分析し、秘中のはずの自社の技術が使われているとの疑いを深めたという。トヨタの電動車に使われた宝山鋼鉄製の電磁鋼板を入手して分析したところ、成分や板厚、結晶粒径、磁気特性といった項目について数値などの結果が日本製鉄の特許とほぼ重なったという。
2社に協議を申し入れたが不調に終わった。トヨタの幹部レベルでの協議でも溝は埋まらず、「このままでは訴えを起こさざるを得ない」と複数回手紙を送ったが、進展が無く、今回、提訴に踏み切った。
トヨタと日本製鉄の間には、価格問題でも新しい展開があった。
トヨタは8月に2021年度下期の部品会社に卸す鋼材価格の引き上げを決めた。上げ幅は1トン2万円と10年度以降で最大である。
日本製鉄は価格交渉の過程で「値上げを受け入れないと供給量を減らす」と伝えたとされる。不快感を強めたトヨタは輸入材などの調達拡大も検討する。
その前に(5月28日)、日本鉄鋼連盟の会長を務める日鉄の橋本英二社長は、「個社の社長として」と前置きした上で 、「日本の鋼材価格は国際的に見て理不尽に安い価格で採算がとれない。早急に是正すべきだ」と、異例の意見表明でトヨタをけん制していた。日本製鉄側は、「国策として政府の後押しを受けている中国メーカーに脱炭素技術で勝つためには、顧客にもこれらの投資を踏まえた適正価格を受け入れてもらう必要がある」とする。
これまで価格交渉をリードしてきた両社の間で亀裂が広がっている。
世界経済の大きな変動を受け、各社は生き残りのためには、これまでの日本の慣行ではやっていけなくなったことを示している。
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提訴を受け、トヨタ自動車は下記の発表を行った。
本件は、本来、材料メーカー同士で協議すべき事案であると認識しており、弊社が訴えられたことについては、大変遺憾に感じている。
様々な材料メーカーとの取引にあたり、その都度、特許抵触がないことを材料メーカーに確認するプロセスを丁寧に踏んでおり、宝山の電磁鋼鈑についても、取引締結前に、他社の特許侵害がないことを確認の上、契約している。
本件については、日本製鉄より当該の指摘を受けたことから、改めて宝山鋼鉄に確認、先方からは「特許侵害の問題はない」という見解をもらっている。
日本製鉄がユーザーである弊社に対し、このような訴訟を決断したことは、改めて大変残念に思う。
宝山鋼鉄は読売新聞の取材に対し、グローバル企業として各種法規を厳格に順守しているとし、「日本製鉄の一方的な主張は認めない。積極的に応訴し、会社の権益を断固として守る」と主張した。
報道では、日本製鉄と何度も意思疎通を試みたとも説明している。
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「方向性電磁鋼板」 で当時の新日鉄の技術が宝山鋼鉄に流れた事件があった。
2007年10月、韓国のPOSCOの社員が、POSCOの「方向性電磁鋼板」に関する営業秘密を約550万ドルで中国・宝山鋼鉄に売り渡したとして、韓国で拘束・起訴された。
被告は裁判で、「宝鋼へ売却したのはPOSCOが不正に入手した新日鐵の技術情報である」として無罪を主張、多数の証拠を提出した。
2008年10月2日に大邱高等法院で懲役3年・執行猶予5年が確定したが、判決文に下記の記載がある。
• 「POSCOが新日鐵の退職技術者と契約を締結し、新日鐵の各種資料と情報の提供を受けたと見られる事情が一部窺える。」
• 「POSCOが本件資料の一部を正当でない方法で取得、保有しているという事情が一部窺える。」
新日鉄は刑事事件記録の閲覧・謄写請求を行ない、大法院まで争ったが、認められなかった。
それ以前に、POSCOの製品の品質が急激によくなり、新日鉄は技術流出の疑念を持っていたが、POSCOは独自技術であると言い張った。
しかし、これは同社が本事件の存在を認識する端緒になり、その後徹底的な調査を開始した。
同社は、疑惑の退職者(10人)を突き止め、その自宅等に証拠保全手続等を実施、段ボール数十箱分の重要資料(契約書、報告書、議事録、技術資料等 盗用事実を示す膨大な資料)を得た。
新日鉄は2012年4月、POSCOが「方向性電磁鋼板」の製造技術を新日鉄の元従業員を通じて持ち出したと主張し、POSCOと新日鉄元社員(主犯の1人)を提訴した。POSCOに要求した損害賠償金額は986億円だった。
POSCOは、米国特許庁と韓国特許庁に当該特許無効審判訴訟を提起し、新日鉄もこれに対応し、韓国裁判所でも争いとなった。
POSCOは2015年9月、新日鉄住金に300億円を支払い、4年間続けてきた法的紛争に終止符を打った。
新日鉄住金と元社員との間では2016年末に和解が成立、元社員10人が責任を認めて会社側に謝罪し、解決金(金額公表せず)を支払うことで和解が成立した。
この事件では、新日鉄の「方向性電磁鋼板」 技術は、不法にPOSCOに移管され、更に不法に宝山鋼鉄に流れた。新日鉄はPOSCOに対しては提訴したが、宝山鋼鉄に対してはなにも対応していない。
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