これまでエチレン事業への日本企業の参加をみてきたが、誘導品事業にも多くの企業が参加している。
PT Petrokimia Nusantara Interindo (PT PENI) :PE
BPアモコが中心に設立したポリエチレン会社で1992年に400千トンのLLDPE/HDPEスイングプラントでスタート、94年に450千トンにした。
出資はBPが75%、三井物産と住友商事が各12.5%である。当初はスハルト元大統領の長男シギットが経営するPT Arseto Petrokimiaが24%出資していたが、BPがその分を引き受けた。
BPは当初から原料エチレンの自製を目指し、サリム、三井物産、住友商事、ニチメン、トーメンとともにエチレン進出(70万トン規模)を検討していた。しかし通貨危機で経営危機に陥ったサリムがIBRAの管理下に入り、これは取り止めとなった。
その後、チャンドラ・アスリとの統合案も出たが、同社の財務のひどさをみて断った。
3社はエチレンなしでのPE単独事業に見切りをつけ、2003年にスハルト元大統領の従兄弟で大富豪のスドィカトモノが率いるインディカ・グループに5千万ドルで売却した。
2005年12月、台湾のChaoが率いるマレーシアのTitan Chemicalsがこれを買収、社名をPT Titanと改称した。マレーシアからエチレンを供給するとしている。
PT Polytama Propindo:PP
さきに述べた通りツバン計画の中心であったティルタマス・グループの事業はPT Tuban Petro が引き継いだが、このなかにPPメーカーがある。
同社はティルタマスが80%、BPが10%、日商岩井が10%のJVとして設立され、1995年にボルネオ東カリマンタンのバロンガンにFCC回収プロピレン180千トンとPP180千トンを建設した。(同地にはプルタミナの製油所がある)
PPではほかに、チャンドラ創業の中心であったビマンタラ(スハルト次男バンバンの会社)やナパンによって設立されたトリポリタ・インドネシア(メラク:現有能力 34万トン)とプルタミナ(45千トン)がある。
スチリンド・モノ・インドネシア(SMI):SM
トーメン(現在は豊田通商)は出光石油化学、サリム・グループ、ビマンタラなどとSMIを設立し、92年末にメラクで10万トンのSM工場をスタート、95年末にはSM原料のエチルベンゼン11万トン設備も建設した。現在の能力はEB 44万トン/SM 40万トン。
当初の出資比率はトーメン75%、出光5%、ビマンタラ10%、サリム10%であったが、
現在は、豊田通商84.62%、PT Bimakima 7.69%、Salim Chemicals 5.13% ほかとなっている。
誘導品としてはメラクにダウ100%のPT Pacific Indomas Plastic Indonesia のPS、PT Dow Polymers Indonesiaのラテックスなどがある。
付記 2007/3/29
SMIはその後、豊田通商100%となった。
豊田通商は3/27にSMIをPT. Chandra Asri に売却することを決めた。
「国際競争の激化に伴い、安定した原料の確保と販路の拡大が課題となっております。
一方、CA はスチレンモノマーの原料となるエチレンを製造しており、SMI との統合により大きなシナジーを期待できることから、
SMI の譲渡先として最適であると判断」
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サリム・グループはスドノ・サリムが一代にして築いたアジア屈指の財閥で、スハルト大統領一族との癒着で知られている。サリム・グループは塩ビでも事業を行っている。これに日本企業が参加した。
スタンダード・トーヨー・ポリマー(スタトマー):PVC
東ソー 30%、三井物産 20%、現地サリム&ビマンタラ 50%(その後サリム 50%)の合弁で1977年にメラクで操業を開始した。
現在の能力は9万トンで、1999年に日本側がサリム側の保有する全株式を買い取り、東ソー60%、三井物産40%となった。
通貨危機でのサリムの破綻と、1998年7月の外資法改正で外資100%が認められた結果である。
Satomo Indovil 関連
サリムは子会社 PT Sulfindo Adiusaha で、メラクに台湾の中古の水銀法電解96千トンとEDC90千トンをもっていた。
当初、サリムは同社が50%、アトケム 25%、住友商事 25% でJVを設立し、Sulfindoの電解をS&Bし、電解からPVCまでの一貫事業を構想した。
しかし、アトケムが離脱したため、東ソーを加えたが、東ソーがPVCのみに参加を希望したため、次の3会社となった。
PT Sulfindo Adiusaha :電解
サリム100%のままとし、水銀法電解をスクラップして、旭化成法で電解を新設(塩素200千トン)、EDCは下記会社に移管した。
Satomo Indovil Monomer :VCM
サリム50%、住友商事25%、香港のBrendswick25%で設立、EDCはSulfindo から90千トンを移管した上で175千トンを増設、VCMはアトケム法で100千トンを新設した。
Satomo Indovil Polymer :PVC
サリム50%、東ソー25%、住友商事25%で設立、1998年に東ソー技術でPVC 70千トンを建設した。
1997年の通貨危機でサリムは破綻、金融再編庁との交渉の結果、同社は資産管理会社 Holdiko に移管され、順次売却されることとなった。(上記スタットマーは日本側が買収)
Satomo関連については東ソー/住商によるサリム持分購入も検討したが入札が成立せず、2001年12月にサリム持分は香港のEmperor Groupに売却された。
2003年にトラブルが発生した。
Emperorは日本側を追い出して全体の支配権をとることを狙い、まず、Sulfindoからの塩素供給を停止してVCM、PVCの操業停止に追い込み、更に自ら、子会社のSatomo Indovil Monomerの破産申請を行った。
一審では破産が認められたが、二審で破産状態ではないとの逆転判決が下り、三審も二審を支持して法的には住友商事サイドの主張が認められた。しかし原料の供給は切られたままで、住商はEmperorに対して同社持分の買収交渉を行った。
しかし交渉はまとまらず、結局日本側は撤退を決め、インドネシアのローカル銀行のPT. Pan Indonesia Bank Tbk.が全てを買収し、2004年10月に生産を再開した。
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Eastern Polymer:PVC
同社はインドネシア最初のPVC会社で香港のUnited Industriesがジャカルタに建設したが、建設以来休眠状況であった。1975年に徳山曹達が三菱商事と組んで技術援助を行い、軌道に乗せ、1981年に徳山曹達が20%、三菱商事が30%出資した。
その後三菱商事100%となり、徳山曹達(と子会社サン・アロー化学:当時)が技術指導を行っていたが、1998年に休止した。
その後、パイプメーカーのワービンが買収し、1998年12月に生産を再開している。現在能力48千トン。
アサヒマス・ケミカル:PVC
旭硝子の子会社でアニールにプラントをもち、国内シェアNo.1のトップメーカー(ソーダのシェア66%、PVCシェア59%)。
現在の株主は旭硝子52.5%、ロダマス18%、エイブルマン・ファイナンス18%、三菱商事11.5%。
1986年設立で、その後順次能力を増強し、現在の能力は電解37万トン(ソーダ37万トン/塩素33万トン)、VCM40万トン、PVC28万5,O00トンで2007年には25万トンのVCMと10万トンのPVCを増設し、老朽化した15万トンのVCMを廃棄する予定である。
インドネシアにはこれらのほか、サイアム・マスピオン・ポリマーズがある。タイのサイアムセメントが塩ビパイプ大手のマスピオンと組んでスラバヤに12万トンのPVCを建設した。技術は新第一塩ビの内部ジャケット方式(ゼオン、住化、トクヤマ、クレハの旧第一塩ビ販売グループの共同開発)を採用している。
2005年央にマスピオンが撤退し、現在はサイアムが60%、同社子会社のTPC(Thai Plastic & Chemicals)が40%となっている。
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三菱化学インドネシア:PTA
三菱化成とバクリー&ブラザーズは1990年10月にバクリー・カセイ・コーポレーションを設立、94年2月からメラクでPTA25万トンの操業を開始した。現在の能力は64万トンでボトル用ペット樹脂も製造している。
バクリー&ブラザーズは経営危機に陥り、金融機関から事業の再編成、化学事業からの撤退を要求され、2000年に全持株を日本側に売却し、同社は三菱化学とベンチャーキャピタルである日本アジア投資(JAIC)の日系100%企業となった。
2001年4月に社名を三菱化学インドネシアに変更、現在の持株比率は三菱化学83.2%、JAIC16.8%。
アモコ・ミツイPTAインドネシア(AMI):PTA
三井グループとアモコ・ケミカルズ(現BP)は、それぞれのPTA計画を統合し、1997年にアモコ50%、三井化学45%、三井物産5%出資でPT Amoco Mitusui PTA Indonesia を設立した。
97年8月にメラクに35万トン設備を完成させ、その後増設により現在能力は45万トンとなっている。
三井化学と三井物産は、東レと現地企業との合弁でボトル用ペット樹脂の合弁会社ペットネシアレジンドを設立している。
出資比率は三井化学 41.6%、東レ 36%、ITS 11%、ユオノパンチャトゥンガル5.9%、三井物産5.5%で、現在の能力は7.5万トン。
PTAではほかに、ナパン・グループのPolyprima Karyareska(西ジャワ・チレゴン 35万トン)、ポリエステル繊維メーカーのテキシマコ・グループのPolysindo Eka Perkasa(カラワン 34万トン)がある。
PT. Kaltim Methanol Industri :メタノール
1990年にスハルト元大統領三男のフトモ・マンダラ・プトラ(通称トミー)率いるフンプス・グルーブ80%、トミー自身が20%出資で設立されたが、間もなくフンプス100%となった。
立地はカリマンタンのボンタンで、当初33万トンで承認を得たが、66万トンへの増設が認められた。原料は天然ガス、製品は輸出が41万トン、国内が15万トンの割合。
1997年に日商岩井(30%)とダイセル化学(5%)が資本参加し、99年からは日商岩井(現双日)85%、ダイセル5%、フンプス10%の出資比率となっている。
PT.Nippon Shokubai Indonesia:アクリル酸
1996年8月に日本触媒50%、PPメーカーのトリポリタ・インドネシア45%、卜一メン5%の出資でPT Nisshoku Tripolyta Acrylindoが設立された。
1998年9月にアニールでアクリル酸6万トン、同エステル4万トン(現在10万トン)の生産を開始した。
2000年8月にトリポリタの所有する全持ち株を日本側が買い上げ、出資比率が日本触媒93.8%、トーメン6.2%となり、2001年1月には社名をニッポン・ショクバイ・インドネシアに改称した。
PT Showa Esterindo Indonesia:酢酸エチル
昭和電工は1997年に自社開発の酢酸エチル直接付加法プラントをインドネシアで建設することを決定、昭電51%、トーメン14%、インドネシアのCV Indo Chemical 30%、シンガポールのChin Leong (CLP) 5%のJV PT Showa Esterindo Indonesia を設立した。
1999年にメラクに5万トン設備を建設した。
酢酸エチルでは他に、BPがチャンドラ・アスリ系のインター・ペトリンド・インティ・シトラと合弁でシトラ・パシフィック・インターナショナル・エステルズを設立、5万トンの酢酸エステル、7万トンの酢酸エチル設備の建設を計画したが、その後BPがインドネシアから撤退し、取り止めとなった。
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インドネシアについては、化学会社のOBという中原洋氏の本 「腐敗と寛容 インドネシア・ビジネス」 (東洋経済新報社)が面白い。
前々回のチャンドラ・アスリの項で「インドネシア特有の理由で建設費が異常に高いと言われていた」としたが、この辺の事情も詳しく書かれている。
インドネシア全般に蔓延する汚職については止むを得ない点もあるとするが、政府関連の大規模なものは区別して批判的である。
日本経済新聞夕刊の「ドキュメント挑戦」が4月3日から「関係再構築 インドネシアと日本」として、インドネシアのために努力しているいろいろな人の活躍を連載で報告している。
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