「no」と一致するもの

イランの石油化学について述べたので、イランとの長い戦争をしたイラクの石油化学について触れる。
イラン・イラク戦争(1980-88)前にはイラクには2つの石油化学計画があった。

Petrochemical (PC)-1、PC-2と呼ばれ、いずれも国営石油化学企業 State Enterprise for Petrochemicals(SEP) が所有、運営するものである。

Iraqmap PC-1はペルシャ湾近くのKhor Al-Zubair にあり、1970年代後半にLummus Thyssen Rheinstahが建設した。
エタンを原料にエチレン 130千トン、EDC 110千トン、VCM 66千トン、PVC 60千トン、LDPE 60千トン、HDPE 30千トンの構成である。
1980年に
完成したが、イラン・イラク戦争で操業は凍結された。

PC-2はバグダッド南部のMusayibにあり、イラン・イラク戦争で 建設が中断。1988年の戦争終結でSEPは建設を再開した。
当時の計画は以下の通り。
エチレン 250千トン、LDPE 160千トン、EG 55 千トン、EO 20千トン、PP 100千トン、ブタジェン 70千トン、SM 145千トン、PS 80千トン、SBR+BR 80千トン、MTBE 60千トン、ブテン-1 15千トン、ABS 15千トン、スチレン・ニトリル・コポリマー 5千トン。
このうち、ブタジェンとABSは東洋エンジニアリングとニチメンが受注している。

イラン・イラク戦争後の進め方で両国は全く異なる。イランはホメイニ師の下で一体となり、経済復興に努め、旧IJCPを再開、これを核にして石油化学産業を拡大している。

これに対してイラクは1991年にクウエートに侵攻して湾岸戦争を起こした。PC-1、PC-2ともに爆撃を受け、大きな被害を受けた。
イランと異なり、イラクではシーア派とスンニ派、北部のクルド族が互いに争い、フセイン大統領が
大規模な軍隊と国内の治安維持部隊でこれらを抑えるという状況であった。経済制裁もあり、産業復興に注力できる状況ではなかった。

PC-1は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分再開し、2003年のイラク戦争でも余り被害を受けず、部分的に操業を開始している。しかし予算がなく、細々と動かしている模様である。

PC-2は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分的に操業を開始したが、2003年のイラク戦争以降は止まっている。

 

イラン革命で中断していたIJPCの工事再開が軌道に乗り始めた80年9月、イラン・イラク戦争が始まった。9月24日には遂にイラク機がサイトを爆撃し、この後もサイトはしばしば被爆した。駐イラン大使と石油相の会談でテヘランへの避難が合意されたが、第5次被爆を受け、IJPCはコントラクターに日本への帰国を承認、11月に全員帰国が完了した。
19814月に輸銀が金利棚上げ要請を拒否、ICDC取締役会は送金中止を決定した。この時点の総支出額は5,989億円となっていた。(その後の金利負担は大きい)

1981年7月に日本側は代表団を送り、「戦争で前提が崩壊した。契約を再検討すべきであり、今後の資金はNPC負担で」、と申し入れた。
しかし、イラン側は契約は有効とし、工事継続を強く要望した。

その後、何度も交渉が行われ、イラン側は建設再開を、日本側はその非現実性を繰り返し主張した。

1983年7月にイラン側が今後はNPCのみが増資しマジョリティ株主となるとの補完協定にサインしたため、また、両国が国連事務総長の都市攻撃中止勧告を受諾したため、日本側は工事再開に同意し、再開の予備調査を始めた。しかし、イラクによるサイト攻撃が再開され、「工事を行えば攻撃する」との警告が出され、84年9月に被爆したため、全員が退避した。

加えて、85年4月にイラン国会が83年7月に調印した補完協定を否決した。

イラン・イラク戦争が長期化する中、「日本側は基本協定に従って工事を完成させるべき」と主張するイラン側と、「革命、戦争による長期にわたる工事中断で、最早事業の採算性は失われた」とする日本側との間で、長期にわたる交渉が始まった。
日本側は送金を停止し、対抗してイラン側は借入金の元利送金をストップした。

888月に8年続いたイラン・イラク戦争の休戦協定が成立した。

89年3月になって両国が精算を前提に交渉を開始することに合意、10月に最終合意を得た。
日本側が出資金722億円とICDCのローン1,250億円を放棄するほか、精算金として1,300億円を支払うという条件である。ほかに多額の金利負担がある。
日本の金融機関からの借入金、第三者への債務、三井物産の延払債務、イラニアンローンはNPCが負担した。
(事業を止めるのではなく、下記のとおりNPCは単独で事業を継続するため、当然のこと)

1990年2月、IJPCの清算が完了、日本側損失に対して海外投資保険から(付保額1,662億円、請求930億円に対して) 777億円の支払いが行われた。

日本側投資会社のICDCは91年9月に臨時総会で解散決議を行った。親会社5社は出資金とICDCへの貸付金放棄、他の出資会社は出資金放棄を行い、解散した。

最初の要請があってから23年、投資会社ICDC設立から20年が経っていた。

以上、参考資料 
「IJPCプロジェクト史 -日本・イラン石油化学合弁事業の記録ー」

高杉良「勇者たちの撤退―バンダルの塔」
各社の社史ほか

上記の処理についてはこの時点では止むを得ないものであったと思われる。更に資金をつぎ込んで事業を継続しても採算は取れず赤字が膨らんだであろうし、米国が国交断絶している国での協力は他の事業にも影響を与えたかも分からない。

他のプロジェクトとの違いは当初の時点でナショナルプロジェクトにせずに5社だけでやったことである。
三菱のサウジの場合、商事・油化・化成の3社の投資会社への出資は合計14.5%だけで、海外経済協力基金が45%を出資し、ほかに石化会社や銀行その他多数の企業が出資している。
シンガポールの場合もエチレン会社の投資会社には住友化学の出資は当初13%(その後46.2%)で、海外経済協力基金が30%(その後20%)、ほかに各社が出資している。
ラービグ計画は住友化学単独出資だが、
国際協力銀行が25億ドルの融資を行うこととなっている。

本プロジェクトは革命が起こってからナショナルプロジェクトにし国や他企業から(ほんの少額の)出資を得たが、石油の権利がからんだ産油国での大事業を(途中では東洋曹達から強い要請があったのに)ナショナルプロジェクトとしなかった思惑は何であったのか、よく分からない。

また、建設費が当初の5倍になり、かつ原料価格が決まらない時点で、採算が不明ということで着工しないという手もあったのではないかと思われる。

建設に従事した人々の唯一の慰めは、苦労して建設したプラントが再建され、今も動いていること、それを核にしてイランの現在の石油化学が出来ているということであろう。

ーーーーー

1990年に入り、NPC は社名を IJPCからBandar Imam Petrochemical Company に変更、韓国企業を使って設備の再建に着手した。国の威信をかけ、石油化学振興のため採算に関係なく実施したと思われる。JVではないため随伴ガスはゼロ評価で出来るという点もある。
各プラントは94年頃から順次スタート、
既存プラントに加え、95年にはPVC(HULS技術)、2000年にはPX (IFP技術)、2004年にはMTBEが、それぞれ新しく スタートした。

現在の同社の能力は以下の通り。(千トン)

エチレン

 411

HDPE

150

LDPE

100

PP

40

ベンゼン

230

P-キシレン

180

SBR

40

VCM

180

PVC

175

MTBE

500

苛性ソーダ

250

 


イランの石油化学の現状

現在のイランはBandar Imam地区のBandar Imam Petrochemicalに隣接してPetrochemical Economic Zone をつくり、順次プラントを建設しているほか、Pars地区でもPars Economic Zoneをつくっている。

現在のバンダルイマムホメイニ地区(NIPC Homepageから)
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/others/iran-bandarimam.htm

最近は西部国境沿いにエチレンパイプラインを敷設し、両Economic Zoneから各地にエチレンを送り、誘導品プラントを建設している。Iranmap

2005年6月、伊藤忠はPars Economic ZoneでNPC、タイNPC、サイアムセメントとのHDPE製造販売の合弁会社Mehr Petrochemical を設立すると発表した。能力は30万トンで2008年スタートの予定。

(イランの石化の詳細は http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ichiran/iran/index.html 参照)

バンダル・イマム・ホメイニ地区の現在の衛星写真がグーグルで見られます。
・グーグル・マップ(
http://maps.google.co.jp/を開き、地図の上部の矢印操作でイランのペルシャ湾最奥部付近を中心にする。
・「マップ」を「サテライト」に切り替え、順次拡大していく。

 

イラン・ジャパン石油化学(IJPC)は三井物産を中心とした日本側投資会社イラン化学開発(ICDC)とイラン国営石油化学(NPC)の50/50JVで、バンダル・シャプールに石油随伴ガスを原料とするイランで最初の総合石油化学コンプレックスを建設しようとするものである。当時のイランの石油化学はアンモニア、肥料が中心であり、石油随伴ガスは燃やしていた。

イラン側の要請を受け、三井物産を中心に現地調査を行ったが、余り芳しくはなかった。しかし、イラン側は熱心で、誘致のためロレスタン地区の油田の採掘権を与えることを交換条件とした。(これに当時多角化経営をしていた帝人が飛びついた。)

三井側はFSを実施、油田採掘権に引きずられる形で1971年に合弁基本契約を締結した。

油田の方は、1971年9月に、石油開発公団(75%)、帝人、北スマトラ石油、三井物産等が出資して投資会社・イラン石油を設立、イラン国営石油会社及びモービルとのJVの Iran-Japan Petroleum 設立してロレスタン地区(地図をクリックしてください)で採掘を開始したが、結局失敗に終わり、1977年に鉱区を返上している。 Iranmap

1971年12月、投資会社・イラン化学開発(ICDC)が設立された。
当初の出資は三井物産(49%)、東洋曹達(31%)、三井東圧(15%)、三井石油化学(5%)だったが、当時伊藤忠と組んで別途合成ゴム計画を検討していた日本合成ゴムが1973年に5%出資(物産から4%、東曹から1%)している。東曹の熱心さに比べ、三井東圧、三井石油化学が最初から消極的であったのが分かる。

1973年4月、イラン化学開発(ICDC)とイラン国営石油化学(NPC)の50/50JVのイラン・ジャパン石油化学(IJPC)が設立された。

計画内容は以下の通りであった。

立地:
バンダル・シャプール(現在のバンダル・イマム・ホメイニ)でペルシャ湾の最も奥にある。Bandarshapurmap_1 工場は幾つかの島を埋めた土地の先端にある。
隣にはNPCとAllied Chemical の肥料JVのShahpur Petrochemical (現在のRazi Petrochemical
)がある。近くのイラン・ニッポン石油化学(IRNIP)は 1973年に日商岩井(26.1%)と三菱化成(23.9%)がNPCとのJVとして設立した可塑剤製造会社で、1979年に日本側が撤退し、その後Farabi Petrochemical と改称し、現在も操業している。

原料:
Awaz油田とMarun油田の石油随伴ガスをAwaz近辺でNGLと燃料ガスに分離し、100km離れたプラントまで配管で輸送する。(当初はAwazでの石油随伴ガスの処理はJVの事業範囲)
BTX用のナフサはアバダン製油所から輸送する。プラントで回収した不要のガスは送り返す。
電解用の工業塩は塩田で天日製塩法で自製する。電気は自家発電。

製品:
製品と能力、技術サプライヤーは添付の通り。Ijpc
当初案ではSM(100千トン:バジャー技術)、キュメン(150千トン:三井石油化学)があったが、計画見直しで中止。SBR用のSMは購入。

プラントのレイアウト:(下図をクリックしてください)

Ijpclayout

建設費:
当初案では1,500億円(4億ドル:当時のレートは360円/$)

1973年4月にIJPCが設立されて半年後の10月に中東戦争が勃発し、第一次石油ショックが始まった。
製品の価格も上がるが、建設費が暴騰、74年初めの予想では2,900億円、74/10月には7,400億円と、当初案の5倍に膨れ上がった。

このためガス収集・輸送(1,400億円)をイラン側事業とし、残りを10%カットし総所要資金を5,500億円と想定、日本側3,000億円、イラン側2,500億円を調達(うち資本金各500億円)し、保証は2,250億円ずつとした。

問題は原料のガス価格で、当初は随伴ガスの井戸元価格を決めていたが、ガス収集・分離・輸送をイラン側事業としたためにプラントサイトでのガス価格を決める必要が生じたが、イラン側の担当が異なることもあり最後まで決まらなかった。

なお、所要資金の増大により東曹はナショナルプロジェクト化を主張したが、三井物産は拒否し、東曹はICDCへの出資比率を減らした。(1976年 東曹 30%→15%、三井東圧 15%→22%、三井石油化学 5%→13%)

1978年末には工事は85%の完成をみていたが、79年1月イラン革命が勃発した。日本人は追い出される形で総引き上げし、建設工事は中断した。
79年4月、イラン・イスラム共和国樹立宣言が行われた。
親会社5社は最早、民間企業のリスクの限界を超えているとの判断に立ち、政府の支援を要請、政府も第二次オイルショックで産油国イランとの友好関係を勘案し、ナショナルプロジェクト化を決定した。
政府出資枠は200億円としたが、イラン・イラク戦争で途中で打ち切りとなり、最終的には海外経済協力基金が54億円、民間100社
17億円を出資した。(政府+民間の出資合計 18.8%)
5社(81.2%)の間の出資比率は最終的に、物産 60%、東ソーと三井東圧各15%、三井石油化学と日本合成ゴム 各5%とした。

1979年11月、テヘランで米大使館人質事件が発生、80年4月に米国がイランと断交した。そうした中で、イラン側は工事の即時再開を日本側に強く迫った。日本側は工事再開のための諸条件不備を理由に反対したが押し切られ、6月に至り漸く工事再開に踏み切ることになった。
工事再開が軌道に乗り始めた80年9月、イラン・イラク戦争が始まった。

(続く)

住友化学とサウジ・アラムコの50/50JVのペトロラービグが3月19日に起工式を行った。
総投資額85億ドルの
石油精製と石油化学との統合コンプレックス開発計画がいよいよスタートする。2008年後半のスタートを目指す。

サウジ・アラムコ(当時はペトロミン)は1980年代にギリシャのPetrolaとの50/50JVでラービグ製油所を建設した。しかし、能力325千バレル/日に対し280千バレル程度しか稼動せず、重油中心で採算も悪かった。
1995年にアラムコは改善投資に反対するPetrolaから持ち分を買い取って100%出資に切り替え、その後400千バレルに能力をアップした。
同社は採算向上と地域振興のため、同社としては国内で初めての石油化学に乗り出すことを決め、提携相手としてSABIC、ダウ及び住友化学と交渉、最終的に住友化学を選んだもの。

2004年5月、アラムコと住友化学は共同でFSを実施することを発表、その後、建設費の大幅アップが問題となったが、2005年8月、合弁契約を締結した。

事業内容は以下の通りで(図をクリックしてください)、Rabig 合弁会社の社名はRabigh Refining and Petrochemical Company (略称Petro-Rabigh、既存製油所をJVに移管し、石油精製2次処理設備を新設しガソリンを新たに生産するとともに、エタンクラッカーと流動接触分解装置(FCC)、さらにポリエチレンやポリプロピレンといったポリオレフィンを中心とするエチレンやプロピレンの誘導品の生産プラントを新設する。POについては住友化学の新法を採用する。
既に日揮がFCC、プロピレンを、三井造船がEG、PO製造プラントを受注している。

現在、同製油所の原油はYanbuからタンカーで運ばれているが、エタンは東部のガス田とYanbuを結ぶEast-West Pipelineの原油パイプの1本をエタン用に転用しRabighまでの支線を新設する。Rabighmap

建設費は世界的な新増設ラッシュで高騰し(電力・工業用水建設費の融資などの範囲拡大もあって)、当初予想の43億ドルから85億ドルに上昇したが、「中東のエタン価格は百万BTU当たり 0.75~1.5ドル。トンに換算して37~74 ドルだが、ナフサの470ドルに比べれば、6分の1 から10分の1 という安さだ。原油やナフサ価格は常に変動するがエタン価格は安定している。原油価格が上がればそれだけ有利になる」(住友化学)。
各銀行も「原油価格急落も含め何十通りもの状況を想定したが、キャッシュフローは十分確保できる」(融資関係者)とみている。

2000年2月にアラビア石油がサウジアラビアに約40年間保有し続けた油田権益を失ったが、「サウジ・アラムコのもつ日量40万バレルという製油所の規模は日本の年間石油輸入量の約10%に当たり、エネルギーの安定確保をめざす日本にとっては決して小さくはない。半分はジャパン・オイルということになる。」(住友化学)

政府もこれに大いに期待しており、プロジェクト・ファイナンス契約の総額58億ドルのうち、国際協力銀行が25億ドル(サウジ政府系は10億ドル)を融資する。
また日本貿易保険も、本プロジェクトを「競争力ある原料の安定供給とスケールメリットを生かした収益力の高い事業」と評価し、住友化学が拠出する資本金・親会社融資・その他、丸紅・日揮・伊藤忠商事の用役供給事業、納入業者のEPC・機器輸出契約への貿易保険等、中長期保険に限っても約24億米ドルというサウジアラビアにおける過去最大、1案件としても過去最大の貿易保険引受を行うことを決めている。

唯一の懸念はサウジアラビアの政治情勢(テロを含む)にからむリスクである。
住友化学は政情の安定しているシンガポールでシェル・グループと共同で第2エチレンコンプレックスのFSを行った。2007年の操業開始をめどに、シェルのリファイナリー設備があるブコム島
にナフサを原料にエチレン年産100万トン規模のプラントを、誘導品プラントをジュロン島に建設する計画である。
これを捨てて(シェルは単独で実施することを決定)サウジに進出するのは、このリスクを勘案しても、産油地での価格及び量の安定した原料でないと今後の石油化学はやっていけないという判断があったと思われる。

中東戦争が勃発し、第一次石油ショックが発生したのが1973年10月であるが、その数年前に三井(物産)、三菱(商事、油化)、住友(化学)に、それぞれ、石油化学工場建設の要請があった。
・1968年、イラン石油化学公社総裁が三井物産に油田排ガス有効利用について協力要請
・1970年、サウジ・ペトロミン総裁が三菱商事・三菱油化に石油化学事業具体化のための協力要請
・1971年、シンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請

当時は3計画の中でイラン計画が最も有望とみられていた。原油が豊富で、バーレビ国王の下で政治的に最も安定していた。次が同じく産油国での事業であるサウジ計画で、シンガポールについては原料も需要もなく、何のための事業かと疑問をもたれていた。

結果的にはイラン計画はイランの革命とオイルショックでの建設費高騰、更にイラン・イラク戦争により撤退のやむなきに至った。こういう結果になるとは当時は誰も予想していなかった。海外投資のリスク評価の難しさである。
(高杉良の「勇者たちの撤退―バンダルの塔」はイラン革命で日本人全員がイランから引き上げるまでを東洋曹達からの出向者の目でみているが、そのなかで、日本の外交官でただ一人、イラン革命をその数年前に予想していた人のことに触れている。しかし、革命政府も本計画に熱心であり、破綻の原因は長期にわたるイラン・イラク戦争である。ただ、これも革命がなかったら起こっていなかったかも分からない)

次回以降で、それぞれの計画の概要と結果(現状)をみる。

3/8、ダウはBASFとの合弁でアントワープに過酸化水素法でPOプラントを建設すると発表した。能力は30万トンで、2008年初めのスタートを目指す。

過酸化水素法はBASFが1995年頃から研究してきたもので、副産物がなく最終製品であるPOと水しか発生しないこと、プラントの設置面積が小さく、必要インフラストラクチャが少ないことが特徴とされている。
(但し、
多量の過酸化水素ープロピレン1トンに対し0.6トンーを使用するため、POプラントの横に過酸化水素のプラントを建設することが必要。またエポキシ化触媒をリサイクルするためにメタノールを使用しており水とメタノールの分離に多量のスチームも使用する。)
BASFは過酸化水素製造のため、ソルベイと提携している。

ダウは01年にエニケムとの間でポリウレタン事業とポリメリ(UCC/エニケムのPEのJV)持分を交換した際にこの技術を取得しており、ダウとBASFは02/8に共同開発を決めた。

 ーーーー

現在、POの生産には3つの方法がある。

1)塩素法
従来からの製法で
プロピレンに塩素と水を反応させ、生成したクロルヒドリンを水酸化カルシウム或いは水酸化ナトリウムで処理する方法。(併産物:塩化カルシウム or 塩化ナトリウム)

日本では現在、旭硝子(鹿島)とトクヤマ(徳山)が生産している。

2)ハルコン法
イソブタン又はエチルベンゼンを酸素と反応させて得られたハイドロパーオキサイドでプロピレンを酸化する方法で、イソブタンを使った場合はTBA or MTBE、エチルベンゼンを使った場合はスチレンモノマーを併産する。

日本では日本オキシランがSM併産で生産している。
なお、アジアでは韓国でSKCケミカル(当初ARCOが出資)、シンガポールでSeraya Chemical (Shell) 及びEllba Eastern (Shell/BASF)が、いずれもSM併産で生産している。

3)住化新法
上記2)の方法でイソブタン或いはエチルベンゼンの代わりにイソプロピルベンゼン(クメン)を用い、生成するクミルアルコールを脱水/水素化してクメンに戻すことにより、併産物を生成しない新しいプロセスの構築に成功した。

住友化学は千葉で新法によるプラントを建設した。また、サウジのラービグで新法によりPOを生産する。

 

住友化学資料によると世界のPOの生産量の技術別内訳は添付の通りとなっている。Potechshare

ポリプロピレンの事業統合(日本ポリケム/チッソ、三井化学/住友化学):

2000年11月、三井化学と住友化学は全面統合に先立ちポリオレフィン事業を2001年10月に統合することを発表、また、2001年6月、三菱化学はPE事業での日本ポリケムと日本ポリオレフィンの、PP事業での日本ポリケムとチッソの、事業統合計画を発表が発表し、公取委に事前相談した。

これに対して公取委は次の理由でPP統合に問題ありとした。
・日本ポリケム及びチッソは統合後の合算販売数量シェアは、約35%(第1位)、また三井化学及び住友化学は合算販売数量シェアは、約30%(第2位)となり、上位3社の累積集中度が約85%となる。
輸入圧力の限定性
・汎用性に乏しいグレード数の多さとそれに起因する取引関係の固定性
PP分野におけるメーカーの協調的行動

公取委は2000年5月に「ポリプロピレン値上げについて談合の疑いがある」としてメーカー7社に立ち入り調査を行い、全社に排除勧告を行った。これに対してグランドポリマー、日本ポリケム、チッソの3社は応諾したが、住友化学、出光石油化学、サンアロマー、トクヤマの4社は勧告理由を不服として拒否し、後になって、応諾した3社のうち、日本ポリケムとチッソは課徴金納付命令について審判手続の開始を請求した。これらの審判は今なお、継続している。

公取委の指摘を受け、各社は
・少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を削減する
業界団体の会合等への出席の禁止や事前届出など、独占禁止法遵守体制を更に徹底する
と約束し、
ようやく承認を得た。(三井/住友のPE統合は当初から問題なし)

なお、これを機に、2001年12月に石油化学工業協会は、PE委員会、PP委員会など協会内の各種委員会を廃止することを決めた。

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三井化学/住友化学合併:

公取委は重点的に9品目を検討した。その結果、
・3品目は問題がないと判断
  ペンタエリスリトール、EPDM
変性PPE 樹脂
・3品目は競争への影響をみるべき企業結合関係がないと判断
  TDI、MDI、PPG
 *住化40%/バイエル60%JVのSBUについて、住化の議決権保有比率を10%に変更することで。
・3品目は問題点を指摘
 (
有効な牽制力を有する競争事業者が存在せず,輸入圧力が十分に働いているとはいえない状況)
  アニリン、レゾルシン、メタパラクレゾール

これに対して両社は以下の対応をとることを約束し、公取委の承認を得た。
・一定数量のコストベースでの引取権の設定
・アニリンについて輸入販売を容易にするため貯蔵タンクの提供
・実施状況の報告

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日本ポリエチレン設立(日本ポリケム/日本ポリオレフィンのPE事業統合):

本件は難航した。日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学は別途、日本ユニカーの親会社でもある。(グラフをクリックしてください)

Jpejppsikumi 公取委は、統合会社のLDPEの合算販売シェアは約30%で第1位、上位3社累積シェアは約70%だが、東燃化学を通じて日本ユニカーとの結び付きがあり、これを前提にすればグループの合算販売数量シェア・順位は約45%・第1位、上位3社累積シェアは約80%になるとして問題視した。また、今後、輸入圧力が高まる可能性は認められるものの、現状において品質等に対する要求の高さから,輸入圧力が十分に働く蓋然性が高いとは認められないとした。

このため三菱化学と東燃化学が交渉の結果、2003年1月に三菱化学が東燃化学所有の日本ポリケム株式を買取り、日本ポリケムを三菱の100%子会社とすることで合意、これを受けて公取委は日本ポリエチレンの設立を承認した。

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プライムポリマーの設立(三井化学と出光興産のポリオレフィン事業統合): 

公取委は以下の通り、LLとHDPEは問題なし、PPは問題ありとの判断を行った。

L-LDPE:有力な競争業者が複数存在することや一定の輸入圧力が認められる。
 (LDPEは出光が製造販売していない)
HDPE:有力な競争業者の存在,競争業者の代替能力,製品輸入の拡大等
PP:
 ・合計市場シェアが約40%・第1位、上位2社が著しく高いシェアを有することとなる。
 ・国内事業者に十分な供給余力がない
 ・輸入圧力が十分に働いていない(アジアでの需給の逼迫、輸入品の価格メリットが減少)

これに対して両社から以下の申し入れがあり、公取委はこれを受けて統合を承認した。
・第三者へのコストベースでの長期的引取権の付与(PP 3万トン/年)
・国内外メーカーへの技術ライセンス供与
・グレードの削減
・コンプライアンスの徹底
・公正取引委員会への報告

なおコンプライアンスについては以下の約束をしている。
・就業規則に、法令に違反するなど会社の名誉又は信用を傷つける重大な行為があったときは懲戒解雇に処する旨(情状により減給,出勤停止等)規定するとともに、全営業担当者等から、独占禁止法を遵守し、違反があった場合は就業規則に則り厳正な処分を受けても異存はない旨の誓約書をとること。
・同業者と打合せが必要な業務については、原則営業部門以外の部門の業務区分とすること。
・営業担当者等が同業者と面談することが必要な場合には、担当取締役から事前の承認を得るととともに同取締役に対し事後報告を行うこととすること。

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今後、日本の石油化学が生き残るためには各品目ごとに2-3社のメーカーに統合することが必要であろう。その場合、現在の基準(統合会社の市場シェア及び上位2社のシェア)では必ず問題とされる。また一時的なアジア需給バランスで輸入圧力がないとされれば、PSのPSジャパンと大日本インキ化学の事業統合のように、統合が認められないこととなる。

しかし、長期的にみれば輸入圧力が出てくることは明白である。その時点で日本のメーカーが破綻してしまえば、影響は公取委が守ろうとする日本の需要家に及ぶ。

公取委の判断基準の見直しが必要である。

 

これまで日本の石化の変遷をみてきたが、多くの事業統合が行われた。これらに対する公取委の対応も変わってきた。

当初は「販売シェア25%又は15%以上でかつ業界1位」が「規制基準」であった。実際には25%を超えると認められないというのではないが、一般にはそのように認識されていた。

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塩ビ共販:

1981/12月、日本ゼオン、呉羽化学、住友化学、サン・アロー化学(徳山曹達系)の4社は塩ビ共同販売会社の骨格を最終的に決定、直ちに公取委との協議に入った。
これに対して公取委は、このグループの共販計画については「販売シェアが24%と規制基準(25%)を下回っているし、競争制限につながることはない」とし承認した。
しかし4グループ化による共販については
①販売市場を4分割するので価格競争がほとんど行なわれなくなる可能性が強い
②グループによっては販売シェアが市場支配力の目安である25%を超えるところもある
③共販により構造改善効果が不明確ーー
などをあげ、「4グループ化がほぼ同時期に共販体制をスタートさせることは独禁政策上問題点が多い」とし、
「先頭グループの共販活動の様子を見守ったうえで判断したい」とした。
1982/6
月に通産省と公取委はようやく、塩化ビニル共販会社設立で合意、4-5ヶ月遅れて残り3社がスタートした。

ポリオレフィン共販:

日本の石油化学産業の構造改善-2 産構法時代記載の通り、当初は業界は3グループに集約することで合意し、第1グループ(三菱化成・三菱油化・旭化成・昭和電工・東燃石化・出光石化・日本ユニカー)が公取委に申請したが、公取委は「7社の共販会社案はシェアが大きすぎる」として拒否し、通産省もバックアップしなかった。
結局共販4グループ案で申請したが、公取委は、ユニオンポリマーのシェアは3品目合計で約33%で、「品目によってはシェアが高過ぎるものもあるはず」とし、また、シェアの高い上位3グループの合計シェアが約80%になるとして難色を示した。
これに対して業界では特殊品を共販の対象製品から除外することとした。これによって最大シェアのユニオンは27%台まで低下、上位3グループの合計シェアも67%に落ち着き、承認を得た。

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1994年8月、公取委は「合併ガイドライン」を発表した。「市場シェアが25%を超えると合併は認められない」といった誤解を解き、企業の合併が独禁法違反となるかどうかの審査基準を示した。
ガイドライン改正のポイントは以下の通り。
・合併後のシェアが25%を超えても、ただちに独禁法違反とならないと明記
・選別基準の明確化。
・「シェアの較差が大きい場合」を「シェアの差が1位の会社のシェアが4分の1以上」に替える。
・合併審査の場合の考慮事項に注釈をつけ内容を説明。
・将来の輸入増加や合併による効率性の向上は、合併審査の際に競争促進要因として考慮すると明記。

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以下の説明の公取委判断の詳細は公取委ホームページの「主要な結合事例」 http://www.jftc.go.jp/ma/jirei.htm をご覧ください。

三菱油化と三菱化成の合併:

公取委は審査の結果、以下の理由でこれを承認した。
・合併新会社はエチレンの生産能力シェアは22.3%で第1位だが、国内に10%台のシェアを有する有力な競争者が複数存在する。
・また、アジア諸国や欧米からの輸入圧力がある。
・個々の製品についても、いずれも有力な競合者がいる。

三井石油化学と三井東圧の合併:

公取委は以下の点から、取引分野における競争を実質的に制限することとなるとはいえないと判断した。( )は合計販売シェア
・輸入品の存在
フェノール(57.3%)、アセトン(27.6%)、アニリン(52.0%)、ビスフェノールA(48.0%)
・競争業者の存在:PP(26.2%)、フェノール、アセトン、アニリン、ビスフェノールA、TBA(49.3%)
・代替品の存在: AMS(80.8%、=PMIに置き換わり)
・ユーザー意見(海外価格見ながら交渉):フェノール、アセトン、アニリン、ビスフェノールA 
・自己消費:アニリン、TBA

*三井合併で販売シェアの高いものが認められ、業界で話題になった。これに対して公取委経済取引局の鵜瀞・企業結合課長は次の通り述べている。
「化学業界でもこれまで合併や統合で25%を超えたことは何回もある。三菱化学ができた時も25%ないし、15%以上かつ業界1位という取引分野は、確か10品目以上あったと思う。超えていても問題ないとして通してきたことは珍しくない。
25%というのば違法性判断基準ではなく、選別基準でしかない。生産能力または販売シェアが合併統合によって25%を超える場合、あるいは15%以上でかつ業界1位となれば、重点審査しますよ、と言っている。そのための選別基準とちゃんと書いてあるのに、それを超えたら違反とか何とか思っている人がおられる。・・・独禁法があるからできない、やりたいこともやれないといったストーリーを自分たちでつくろうとしているのではないかとさえ思いたくなる。」

新第一塩ビの設立:

塩ビ全体では出荷数量シェアは16.1%だが、そのうちペーストはシェアが40%を超える。これに対して公取委は
・ペーストは塩ビの1種で、塩ビ全体では問題なし。
・念のためペーストだけ見ると、他の1社シェアが30
%で他2社も10%と有力な競争者があり、また輸入圧力もあり、一部の汎用品も代替品として機能する
として承認した。大洋塩ビ、ヴイテックは問題なし。

日本ポリオレフィンの設立:

公取委はHDPEについては新会社のシェアが24.3
%かつ第1位となるが、競争業者の存在と輸入圧力から問題なしとした。
しかし、PPについては日本石油化学の三井石油化学、三井東圧両社との事業提携を考慮すると問題であるとした。Jpoftc
これに対して日本石油化学から浮島PPと泉北ポリマーの交換で三井東圧との関係を遮断し、承認された。なお、共販はそれぞれ解散した。

グランドポリマー:

PP販売シェアは17.2%かつ第2位となるが、10%を超えるシェアを有する有力な競争業者が複数存在するとして承認。

日本エボリューの設立(三井化学/住友化学製造JV):

公取委は以下の理由でこれを承認している。
・両社のL-LDPE生産能力を合算すると28.3
%、第1位となるが、本件は新工場建設で提携するもので、競争単位の数は減少しない。
・生産されるL-LDPEはそれぞれ独自で行い、既存LDPEの販売を含めて両社の販売面での協調関係が醸成されるおそれは小さい。
・生産能力シェア20%を超える競争事業者が存在する。

テクノポリマー設立(JSR/三菱化学 ABS事業統合):

公取委は有力な競争業者が存在するため、統合そのものは問題ないとしたが、
三菱化学が世界第1位で100万トンの能力を持つ奇美実業(台湾)に10
%の資本参加をし、奇美製品の日本での販売(2万トン程度)を扱っているのを問題視し、日本における競争を実質的に制限することとなるおそれがあると指摘した。Technoftc

このため、三菱化学は奇美との提携の解消を含めて措置をとると返事し、公取委はこれを前提に承認した。


A&Mスチレン→PSジャパン:

1998年の旭化成/三菱化学によるA&Mスチレン設立については販売・生産シェアが35%前後かつ第1位となるが、以下の理由で承認された。
・本件共同出資会社のほかに,有力な競争業者が複数存在する。
・ポリスチレン樹脂は,いわゆるユーザーの使い慣れの問題も少ないことから,ユーザーは比較的容易にポリスチレン樹脂の購入先を変更できる。
・アジア各国のメーカーは生産コストが国内メーカーに比べて低いために,潜在的な輸入圧力が働いている。

その後、出光石化のPS事業を含めるPSジャパンの設立についても輸入圧力の存在を理由に認められたが、2年後の大日本インキ化学のPS事業統合については輸入圧力がないとして認められなかった。

なお、公取委は2005年1月に東海カーボンと三菱化学のカーボンブラック事業の統合について、
・競争業者に供給余力が存在しない
・輸入品は,国内需給ひっ迫に対応して数量は増加しているものの,アジア地域においても需給がひっ迫していることによりCBの輸出国に供給余力がない状況が続く
として統合が競争を実質的に制限するおそれがあると指摘、両社は統合を取り止めた。

*競争政策研究会はこれらについて、
・企業結合審査において循環的な需給要因を考慮すべきかどうか
・需給要因の継続性についてどのように考慮すべきか(今後の需給状況をどう評価するか)
・輸入品の価格競争力をどう評価すべきか
を問題点として挙げている。

(2006/02/20 「競争政策研究会の「企業結合審査における改革の進展状況と今後の課題」参照)

(続く)

これまで日本のエチレン及びポリオレフィン、塩ビ等の事業の変遷を追った。

今後、中国バブルが弾けた場合、輸出はなくなり、韓国・台湾等中国向けに輸出していた国々、中東、更には中国自体からの輸入圧力にさらされることとなる。

果たして日本の石化事業は生き残れるであろうか。

要は国際競争力があるかどうかである。国際競争力がなければ生き残れない。

「電気の缶詰」と言われるアルミニウム精錬の場合、1978年に6社で「164万体制」であったのが、電力料の高騰で競争力を失い、1979年には「110万体制」、1982年に「70万体制」、1986年には「35万体制」となり、1988年には日本軽金属・蒲原の3.5万トンのみとなり、現在は同工場の1万トンが動いているだけである。(各社はブラジル、ベネズエラ、カナダ、インドネシア、豪州、ニュージーランド等、海外での開発に参加し、製品を引き取っている) http://kaznak.web.infoseek.co.jp/25/aluminium.htm

メタノールの場合、1970年代には東西の共同生産会社(東日本メタノール、西日本メタノール)、三菱ガス化学、三井東圧化学、協和ガス化学の5社体制であったが、安値海外品流入で相次ぎ操業停止、1995/7に最後の国産メーカー・三菱ガス化学が新潟 264千トンを操業停止し、設備は中国内蒙古の伊克昭盟化工集団総公司に売却した。 
現在、三菱ガス化学がサウディアラビア、ベネズエラで合弁生産しており、更に中国及びブルネイに進出を決定しているほか、三井物産を中心にサウディアラビアで
生産を行っている。

合成樹脂の場合も汎用品の場合には価格競争力がない。PEの場合、2005年にLDPEで205千トンの輸入があり、HDPEを中心としたPE袋(多くは日本の需要家が海外で生産)で443千トンの輸入がある。これら輸入は毎年増加しており、今後も増加すると思われる。
(シンガポールの場合は「自由貿易協定」でPE,PP関税は順次下がり、2010/1にはゼロとなる)Ldpeimport

Peimport2

 

しかしながら、日本の合成樹脂は、もちろん汎用品もあるが、ほとんどは需要家のニーズにあわせた特殊品であり、しかも汎用品との間に余り価格差がない。

日本では需要家の様々な要求に応じて新グレードをつくっており、多くのグレードを切り替え、切り替え、生産している。
最近では、更に進んで、需要家のニーズに適したグレードを自ら試作して提案するという「提案型」マーケティングをおこなっている。例えば自動車のバンパーをつくり、衝突設備で実験した上で、最適のグレードを提案し、供給している。

*住友化学は樹脂開発センターの設立発表において、「樹脂・ゴム事業を、単に『素材を販売する事業』という発想にとどまらず、素材・加工法・製品設計までも包含した総含的な技術を開発することによって、ユーザーの視点に立脚した『ユーザーが必要とする機能を充足する事業』と位置付ける」としている。
*三菱化学は「従来の単独で新技術・新製品の研究を行うスタイルにとどまらず、お客様サイドに立ってニーズの充足、課題の解決を行っていくことが求められており、三菱化学グループでは、こうした現況を踏まえ、お客様に斬新なソリューションを今後積極的に提案できる体制の整備が必要であると判断」、四日市事業所に『お客様への提案型研究開発施設』を新設した。

*三井化学では「機能性ポリオレフィン分野では、世界的に定評のある当社の最新触媒技術や材料設計技術を駆使して、お客様のニーズに応える環境に優しい高品質ポリオレフィンを提供するとともに、成形加工技術のご提案などにも取り組み、お客様の新製品開発、コスト低減に貢献」としている。

輸入品では品質上、及び品質の安定性から、これらのニーズに対応できないし、当然技術サービスも不可能である。加えて、日本では「カンバン方式」にみられるように、きみ細かいサービスを行っている。

これに対して、海外の場合はほとんどが大量生産の全くの汎用品であり、グレード数も非常に少ない。それを必要とする需要家に販売するだけである。
米国の場合、大量生産する汎用品の価格は安いが、特殊品の場合はそれをつくるための増分コストを価格に上乗せしている。
通常は前月に注文を受けて大量生産し、80トンのタンク貨車で輸送する。(1社当たり数千両を所有又はリースしている。紙袋などの荷造設備は持たず、小口輸送はコンパウンダーが小分け包装をして自社ブランドで販売する)
支払いも月末締切り30日後キャッシュ払いである。

これらを勘案すると、日本のこれら製品の価格は非常に割安といえる。
これらの製品は輸入品に代替されることはない。
また、日本の合成樹脂は日本の自動車や家電などの需要業界との協同体制で成長してきており、日本を離れてしまっては今後の開発は難しい。

このため、日本の合成樹脂事業がなくなることはなく、原料のエチレンもなくならない。

問題は過当競争である。現在でも特殊グレード製造の追加コストや技術サービス、カンバン納入による輸送費高等を転嫁できないのは過当競争のせいである。
日本のレジン輸出がなくなると供給過剰となり、価格競争が再開すると思われる。安い輸入品の増大は、(実際に輸入品を使用できなくても)需要家にとっては値下げ要求の理由となり、メーカー間の価格競争を更に激しくする。塩ビや(かなり以前になくなった)ポリエチレンの価格後決め方式も復活する可能性がある。

*価格後決め方式:
  期中は仮価格で取引しておき、期末に、下がった市況をもとに期間の価格を決め、遡及適用するもの。
  次期の購入を材料に数社を競り合わせるため、価格はズルズルと下がることとなる。
(価格上昇期間ではあり得ないことで、現在存在しないのは当然のことである)

各社が早期に対応を取らなければ、石化事業の赤字が増大し、最終的には競争力のない合成樹脂企業が破綻し、それを抱えるエチレンセンターも破綻すると思われる。

(3/16, 17の記事にお二人の方からコメントがあり、意見交換が続いています。このコラムをもとに、いろいろな意見交換が行われることを期待しています。)

PVC (画像をクリックしてください)


Pvc2

現在のメーカー (  )は共販時代
・新第一塩ビ (サンアロー、住友化学、日本ゼオン)
  *サンアローはトクヤマが吸収合併
  *住友化学、日本ゼオンは実質撤退
・信越化学(信越化学)
・ヴイテック(三菱化学、東亞合成)
  *東亞合成は実質撤退
・大洋塩ビ(東ソー、三井東圧、電気化学)
  *三井化学、電気化学は実質撤退
  *東ソーのペースト塩ビは移管せず、東ソーが運営
・カネカ(鐘淵化学)
・徳山積水(徳山積水)
  *徳山積水は需要家の積水化学子会社(東ソーが出資)

撤退
・クレハ
・旭硝子(VCMは京葉モノマー継続。インドネシア、パキスタンで塩ビ事業)
・チッソ
・セントラル化学
・千葉ポリマー(日産化学/東ソーJV)

統合会社の現状
・第一塩ビ製造:呉羽化学離脱後、新第一塩ビが吸収合併

PS
Ps2

現在のメーカー (  )は当初

・東洋スチレン(新日鐵化学、電気化学、ダイセル)
・日本ポリスチレン(住友化学、三井東圧)
・PSジャパン (旭化成、三菱化成、出光石油化学)
  *大日本インキ化学との統合を公取委が認めず、白紙に。
・大日本インキ化学(大日本インキ化学)

撤退
・昭和電工

統合会社の現状
・日本ポリスチレン工業:
  旧設備(JV)のほかに川崎、千葉に昭電、住化が自己責任で新工場を建設。
  旧設備停止後、昭電が旭化成に営業譲渡し、設備廃棄
  住友化学離脱後、永く休眠会社。その後、昭電が吸収合併

 

ABSAbs2

現在のメーカー (  )は当初

・日本エーアンドエル(三井東圧、住友ノーガタック)
・テクノポリマー(JSR、三菱化成)
・UMG ABS(宇部サイコン、三菱レイヨン)
・旭化成(旭化成)
・東レ(東レ)
・電気化学(電気化学)

撤退
・カネカ

この25年の変遷です。(グラフをクリックしてください)

LDPE

Ldpe2

現在のメーカー (  )は共販時代
・東ソー (東ソー)
・宇部丸善ポリエチレン(宇部興産)
・住友化学(住友化学)
・プライムポリマー(三井石油化学、出光石油化学)
・日本ポリエチレン(日本石油化学、昭和電工、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・旭化成(旭化成)
・日本ユニカー(日本ユニカー)

HDPE

Hdpe2 現在のメーカー (  )は共販時代

・丸善石油化学(丸善ポリマー)
・チッソ(チッソ)
  *両社は販売会社・京葉ポリエチレンを設立
・東ソー (東ソー)
・プライムポリマー(三井石油化学、出光石油化学)
・日本ポリエチレン(日本石油化学、昭和電工、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・旭化成(旭化成)
・日本ユニカー(日本ユニカー)

PP

現在のメーカー (  )は共販時代
Ppsaihen_1

・日本ポリプロ(チッソ、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・住友化学(住友化学)
・プライムポリマー(三井石油化学、三井東圧、出光石油化学)
・サンアロマー(日本石油化学、昭和電工、〈モンテル〉)

撤退:
・東ソー:チッソに譲渡
・トクヤマ:出光石油化学に譲渡(出光とのJVで生産受託)
・宇部興産:三井化学に譲渡
・旭化成:昭和電工に譲渡
・東燃化学:日本ポリケムに譲渡

統合会社の現状

・千葉ポリエチレン(住友化学/東ソー):住友化学100%
・泉北ポリマー(三井東圧/日石化学
/旭化成):三井化学→プライムポリマー
・千葉ポリプロ(住化/宇部/トクヤマ):住友化学
・宇部ポリプロ(宇部/住化/トクヤマ):三井化学→プライムポリマー
・四日市ポリプロ(東ソー/チッソ):チッソ→日本ポリプロ
・浮島ポリプロ(日石化学/三井東圧/三井石化):日石化学→サンアロマー
・ディー・ピー・ピー(三菱油化/三菱化成):日本ポリプロ
・旭化成(のち昭電とのJV・日本ポリプロ):昭和電工→停止

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