2003年頃から「中国バブル」が始まった。
中国の需要増で中国向け輸出が急増し、折からのナフサ高で価格が上昇しても受け入れられた。
この結果、国内での需給が逼迫し、ナフサ高によるコストアップの転嫁も可能となった。
塩ビ業界の昔からの課題であった「価格後決め方式」も初めて解消した。
PSジャパンの大日本インキ化学のPS事業統合が、中国バブルによる需給逼迫で輸入圧力がないとして公取委から承認を得られず、白紙に戻された。(2/20記事 参照)
同時に各社が注力したハイテク材料関連も利益に貢献し始めた。(3/4記事 参照)
各社の業績は急速に改善した。塩ビの統合会社も黒字に転換した。
2000年頃の危機感は消えてしまった。「2004年問題」は忘れられた。(2/22記事 参照)
2002年の新中期経営計画で石油化学を「再構築事業」とした昭和電工も、05/11の新中期経営計画では「基盤事業(キャッシュカウ)」としている。
エチレンセンターは三菱・四日市を除き、全て残っており、ポリオレフィン工場もS&Bなどで大規模化、高機能化されてはいるが殆ど残っている。(PEでは汎用グレードの輸入は増えており、PE袋等の輸入も増えている)
PVCもプラント数は減ったが、過剰能力である。
そして構造改善の必要性も忘れられたようだ。グローバル企業を目指した大統合も実現を見ずに終わった。
(三井化学と住友化学の全面的統合の破談)
三井化学と住友化学は03年10月に持株会社「三井住友化学」を設立し、04年3月末に持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社とする予定で、02年12月に公取委の事前承認を得た。
しかし、間際になっても統合比率について合意が得られず、03年3月31日、両社は統合を白紙に戻すことを発表した。結局のところ、当初三井のトップ(前経営者と言われている)の目指したグローバル企業の創立の意図も企業エゴには勝てなかった。
記者会見の席上、「単独での生き残りは難しいのでは」との質問に対し、「(経営統合は)コスト競争力などを高めるのが目的で、規模の拡大は最初から問題ではなかった」(米倉・住友化学社長)、「5-10年は単独でもやっていける」(中西・三井化学社長)と反論している。
三井住友ポリオレフィンについては同年10月1日に事業を解消した。
その後、三井化学は04年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産と包括提携で基本合意した。原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指していくというものである。
その一環として両社のポリオレフィン事業を統合することなり、05年4月からプライムポリマーとして営業開始した。PP能力136万トンで国内シェア44.8%(国内1位)、PE能力71.4万トンでシェア19.4%(国内2位)となる。
住友化学はサウジのラービグ計画を発表した。もし三井との大統合が実現していたら、イラン石油化学の失敗の経験を持つ三井側の反対でラービグ計画は考えられなかった可能性もある。
------
これまでエチレンとポリオレフィン、塩ビを中心に、この25年の変遷を述べてきた。他の分野では大きな構造改革もあるし、海外進出でも目覚しい動きもある。別途、機会をみて述べたい。
最近のコメント