「no」と一致するもの

25years25

2003年頃から「中国バブル」が始まった。

中国の需要増で中国向け輸出が急増し、折からのナフサ高で価格が上昇しても受け入れられた。
この結果、国内での需給が逼迫し、ナフサ高によるコストアップの転嫁も可能となった。
塩ビ業界の昔からの課題であった「価格後決め方式」も初めて解消した。
PSジャパンの大日本インキ化学のPS事業統合が、中国バブルによる需給逼迫で輸入圧力がないとして公取委から承認を得られず、白紙に戻された。(2/20記事 参照)

同時に各社が注力したハイテク材料関連も利益に貢献し始めた。(3/4記事 参照)

各社の業績は急速に改善した。塩ビの統合会社も黒字に転換した。

2000年頃の危機感は消えてしまった。「2004年問題」は忘れられた。(2/22記事 参照)
2002年の新中期経営計画で石油化学を「再構築事業」とした昭和電工も、05/11
新中期経営計画では「基盤事業(キャッシュカウ)」としている。

エチレンセンターは三菱・四日市を除き、全て残っており、ポリオレフィン工場もS&Bなどで大規模化、高機能化されてはいるが殆ど残っている。(PEでは汎用グレードの輸入は増えており、PE袋等の輸入も増えている)Peimport
PVCもプラント数は減ったが、過剰能力である。

そして構造改善の必要性も忘れられたようだ。グローバル企業を目指した大統合も実現を見ずに終わった。

(三井化学と住友化学の全面的統合の破談)
三井化学と住友化学は03年10月に持株会社「三井住友化学」を設立し、04年3月末に持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社とする予定で、02年12月に公取委の事前承認を得た。

しかし、間際になっても統合比率について合意が得られず、03年3月31日、両社は統合を白紙に戻すことを発表した。結局のところ、当初三井のトップ(前経営者と言われている)の目指したグローバル企業の創立の意図も企業エゴには勝てなかった。

記者会見の席上、「単独での生き残りは難しいのでは」との質問に対し、「(経営統合は)コスト競争力などを高めるのが目的で、規模の拡大は最初から問題ではなかった」(米倉・住友化学社長)、「5-10年は単独でもやっていける」(中西・三井化学社長)と反論している。

三井住友ポリオレフィンについては同年10月1日に事業を解消した。

その後、三井化学は04年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産と包括提携で基本合意した。原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指していくというものである。
その一環として両社のポリオレフィン事業を統合することなり、05年4月からプライムポリマーとして営業開始した。PP能力136万トンで国内シェア44.8%(国内1位)、PE能力71.4万トンでシェア19.4%(国内2位)となる。

住友化学はサウジのラービグ計画を発表した。もし三井との大統合が実現していたら、イラン石油化学の失敗の経験を持つ三井側の反対でラービグ計画は考えられなかった可能性もある。 

 ------

これまでエチレンとポリオレフィン、塩ビを中心に、この25年の変遷を述べてきた。他の分野では大きな構造改革もあるし、海外進出でも目覚しい動きもある。別途、機会をみて述べたい。

25years24_1 (前回の続き)

3)三井化学および住友化学の全面的統合発表

2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、03年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については01年10月に先行的に統合することを発表した。両社はともに千葉にエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。

本件は三井側からの提案で、企業エゴを捨て、真のグローバル企業を創ろうというものであったと言われている。これ以前に両社のメインバンクである住友銀行とさくら銀行(三井主導)が合併し三井住友銀行が発足している。

全面統合については両社が共同株式移転により持株会社を設立して上場する方式で出発するとしたが、統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとした。統合までに時間があり過ぎるのではないかということと、統合比率を後で決めるというのが問題とされた。

これに対して三井グループの繊維・化学会社で「大三井化学」のメンバーになると想定されていた東レが、「三井-住友の場合、統合してもエチレン能力は180万トン弱で、これで強いといえるかどうかだ」と反対した。

両社は事業統合検討委員会を設置して検討を始めるとともに、ポリオレフィンの統合の準備を始めた。

4)ポリオレフィン業界の再編
①三井住友ポリオレフィン
三井化学と住友化学は全面統合に先行して01年10月に両社のポリオレフィン事業を統合することとした。しかし、公取委は
PP分野におけるメーカーの価格改定行動について協調的な行動がみられるとの問題を指摘した。両社は統合新会社においては業界団体への営業部門者の出席を一律禁止するなど独占禁止法遵守体制を更に徹底すると誓約し、01年12月にようやく公取委の事前承認を得た。

02年4月、半年遅れで三井住友ポリオレフィンがスタートした。03年10月の全面統合を控え、二重の手間を省くため、工場については統合せず、親会社への製造委託の形をとった。

三井は宇部とのPP事業統合会社のグランドポリマーを02年4月に吸収合併し、宇部ポリプロの宇部持分、トクヤマ持分も取得した。住友化学も千葉ポリプロのトクヤマ持分を01年6月に取得している。

②宇部興産のPP事業撤退
三井と住友のポリオレフィン事業統合を機に宇部興産はPP事業から撤退した。当初はグランドポリマーを生産会社とし、営業権を三井住友ポリオレフィンに譲渡する案が検討されたが、最終的には01年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し、宇部・堺工場内のグランドポリマーのプラントの操業は宇部興産が受託することとした。02年4月、三井化学はグランドポリマーを吸収合併した。

③トクヤマの撤退と出光石化の提携
01年1月、徳山でプラントが隣接するトクヤマと出光石化はPP事業における提携を発表した。両社でPPの製造JV・徳山ポリプロを設立してトクヤマの工場内に20万トンの設備を新設
03年5月に営業生産を開始)し、トクヤマの既存設備は廃棄01年7月にトクヤマがPPの営業権を出光石化に譲渡した。

④日本ポリケム・日本ポリオレフィン・チッソの再編
01年6月、PE事業での日本ポリケムと日本ポリオレフィンの、PP事業での日本ポリケムとチッソの、事業統合計画が発表された。統合すれば、PEの生産能力は133万トン、PPは109万トンとなる。

日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業統合は難航した。日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学はダウ(UCCを買収)との合弁会社でPEのメーカーの日本ユニカーの株主でもある。
公取委は日本ポリケムと日本ポリオレフィンが、東燃化学を通じて日本ユニカーとも企業結合関係が出来ると考え、その場合の販売シェアが約45%で第1位に、また、上位3社の累積シェアが約80%となるとして、これを問題視した。

この問題の解決のため03年6月、三菱化学が日本ポリケムの東燃持分を買取り、三菱の100%子会社とし、公取の了承を得た。

この結果、PEについて、03年9月に、日本ポリケム、日本ポリオレフィンに三菱商事プラスチックを加えて3社の合弁会社・日本ポリエチレンを、PPについては同10月に、日本ポリケムとチッソの合弁会社・日本ポリプロを発足させた。

なお、日本ポリエチレンは04年9月で四日市工場内の75千トンの老朽化した小型LDPEプラントの操業を停止した。同工場のエチレンは既に01年1月に、また37千トンのPPプラントも02年末で生産を停止している。

この計画は実質的には昭和電工、新日本石油化学、東燃化学がPE事業を、チッソがPP事業を三菱化学に委ねることを意味する。但し、これら各社が白紙委任をしたとは考えられず、特に前3社についてはエチレンの操業にからむため、ある程度の操業度の維持の約束があると思われる。逆にいえば、三菱化学はこれらエチレンセンターを抱え込んでしまったともいえる。

⑤宇部興産PE事業再編 
宇部興産は01年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し
PP事業から撤退したが、新聞報道では丸善石化コンビナートに197千トンの能力を持つPE事業についても03年までに撤退する方針を決め、事業売却の検討に入ったと伝えられた。

しかしながら、京葉モノマーのVCMと同様、宇部のPEプラントが停止するとエチレンの操業に支障を生じる丸善石化の提案により、丸善石化のエチレンとの一体運営を行うこととし、宇部はPE事業を分離して宇部丸善ポリエチレンを設立し、その50%を丸善石化に譲渡し、JVとした。04年10月に営業開始した。

5)PS,ABS事業の再編

①PSジャパン
旭化成と三菱化学は統合会社A&MスチレンでPS事業を行っているが、03年4月に出光石油化学のPS事業と統合、新会社PSジャパンをスタートさせた。
出光は130千トンの能力の過半の85千トンを停止し、45千トンのみを残した。 

PSジャパンでは更に、04年6月、ただ一社単独でPS事業を行う大日本インキ化学(DIC)との統合を発表したが、公取委の承認を得られず、統合計画は白紙に戻された。(2/20記事参照)

②鐘化のABS事業撤退
鐘化は1966年以来超耐熱・耐熱ABSを製造販売してきたが、経営資源を他部門に集中することを決め、02年10月、
テクノポリマー(JSR、三菱化学の事業統合会社)に営業権を譲渡した。高砂のプラントは他の製品に転用した。

③日立化成のAAS樹脂事業のUMG ABSへの営業譲渡 
日立化成は、1970年より熱可塑成形材料であるAAS(アクリロニトリル・アクリルゴム・スチレン共重合体)樹脂を販売してきたが、AAS樹脂の販売価格の下落、原料SMやアクリロニトリルなどの原料価格の高止まりから、収益の低迷を余儀なくされていた。日立化成では厳しい事業環境下では収益の改善は困難であるとの判断、
UMG ABSに営業譲渡することとした。

以上を通じて日本の石化事業もかなり整理されてきたが、まだ不十分との見方が大勢であった。
塩ビでは更なる再編が噂された。
特に住友化学と三井化学の統合は業界にショックを与えた。旭化成と三菱化学の「水島コンビナート一体運営」構想など、更なる大統合が噂された。

 

25years24 損益状態の悪化に加え、サウジアラビア、台湾、シンガポール等における大型エチレンプラントの新増設によりオレフィン及び誘導品の輸出を行うことが厳しくなること、主要石化製品における大幅な関税の引き下げの2004年問題内需の伸びが今後も期待できないことから、各社とも「選択と集中」を合言葉に対応策をとり始めた。

1)エチレンセンターの整理
①三菱化学 四日市エチレン等の停止 
1994年の統合以降も鹿島、四日市、水島の3エチレンセンターをそのまま維持してきたが、
ようやくエチレン生産体制の見直しを行うこととし、01年1月に、四日市事業所のエチレンプラント及びEG、EO設備を停止した。
また、人にも手をつけ、00年3月期で早期退職一時金費用を計上している。

②エチレンセンターの一体化による機動的運営
・三井化学、大阪石油化学を完全子会社化

浮島石油化学の解散(川崎は日石化学、千葉は三井化学が引取り)
・旭化成、山陽石油化学を100%子会社化

③昭和電工の石化事業方針転換
00年にエチレン2系列 785千トンから、1系列 635千トン(いずれも定修なし)体制に変更
石油化学は、「再構築事業」とし、提携・売却も視野に入れるとした。

④東ソーのビニルチェーン構想 Vinylchain

東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながるビニル・チェーンを国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

更にその後、塩素の有効利用が期待されるイソシアネート(ウレタン原料)事業関連会社の日本ポリウレタン工業(東ソー35%/保土谷化学工業65%出資)との連携を強化し、ビニル・イソシアネート・チェーンとしての展開を加速する戦略を推進している。

2)塩ビ業界の再編

需要の減退が著しく、過剰設備を抱えた中での価格競争で損益状況が悪化した塩ビ業界で大きな再編が行われた。

①VCMの停止
旭硝子はPPGインダストリーズとのJVの旭ペンの5万トン設備を停止
・三井化学は東ソーの増設を機に、大阪工場の電解・VCMプラントを休止
・住友化学は電気化学、トクヤマとの合弁の千葉電解、電気化学との合弁の千葉EDC、電気化学、旭硝子との合弁の千葉塩ビモノマーを停止
・下記の新第一塩ビ改組に伴い、日本ゼオンが山陽モノマーを停止
セントラル化学がVCMを停止、PVCからも撤退した(下記)
(旭硝子はその後、PVCから撤退。三井、電化は大洋塩ビメンバーで東ソーがVCMを供給。住化、ゼオンは新第一塩ビメンバーでトクヤマが96/12にS&Bにより30万トンの新鋭設備をスタートさせている。)

エチレンメーカーにとってVCMの停止は痛手だが、三井の場合はエチレンを東ソーに供給すること、住友化学はエチレン不足の状況であったため、実行できた。

・旭硝子と三菱化学は鹿島の鹿島塩ビモノマーの引取権を信越化学と鐘淵化学に譲渡

②新第一塩ビの改組
95年の設立以来4年間で資本金70億円をすべて食いつぶし、再構築策を発表
・日本ゼオンと住友化学がそれぞれ14.5%に出資比率を落とし、実質撤退、トクヤマ
主導に。
ゼオンの水島工場(汎用品)停止、山陽モノマー停止
・VCMはトクヤマが供給
・(その後)ゼオン高岡工場も08/3停止予定

③チッソの塩ビ事業撤退
99年6月、水俣病に関する関係閣僚会議申合せでチッソに対する支援策が提示されたのを受け、チッソは00年1月再生計画を発表した。不採算の塩ビ事業を鐘淵化学に営業譲渡すること、可塑剤については三菱瓦斯化学とのJVとすること等が含まれている。

これに基づき00年4月に鐘化に塩ビ事業の営業譲渡が行われ、5月に千葉、7月に水俣工場を停止、残る水島工場も03年3月に鐘化からの製造受託契約期限切れで停止し、1941年からの同社の塩ビ事業の歴史を閉じた。

④大洋塩ビの改組  
00年
3月末で資本金100億円に対して累積損失が160億円を超えるといわれているが、3月末で一旦同社を解散し、改めて同一社名で新会社を設立した。
新会社は東ソーが68%で運営責任を担い、三井、電化はそれぞれ16%となった。三井、電化ともVCMからも既に撤退しており、塩ビ事業から実質的に撤退した。

⑤呉羽化学の塩ビ事業撤退
02年11月、呉羽は事業再構築計画を発表した。
全世界のMBS事業をローム・アンド・ハースに営業譲渡するともに、塩ビ事業についても大洋塩ビに営業譲渡し、今後は高付加価値事業を推進するというものである。
塩ビ事業の営業譲渡は03年1月に行われ、錦工場のプラントは04年3月までは大洋塩ビのために受託生産を行い、その後停止した。

⑥旭硝子の塩ビ事業撤退
旭硝子は自社PVCプラントを所有せず、チッソ千葉工場に1万トンの自社枠を所有し製造委託しているほかは、鹿島塩ビモノマーの引取枠分を信越に製造委託するとともに、呉羽化学に製造委託していた。
鹿島塩ビの引取枠放棄、及びチッソ千葉工場の停止後は販売量全量を呉羽に製造委託していたが、呉羽の塩ビ事業撤退を受け、02年12月末で塩ビ事業から撤退した。

同社では化学品の構造改革の一環として千葉地区の電解や京葉モノマーの停止を検討したが、特にVCMの停止でエチレン消費が激減し致命的な影響を受ける丸善石油化学の反対が強かった模様で、「検討課題」としつつ、輸出が好調なため、輸出基地として存続させている。

⑦セントラル化学の塩ビ事業撤退
セントラル化学は1963年、セントラル硝子と東亜燃料のJVとして設立され、電解、VCMその他の事業を行っていたが、その後東亞合成が参加、同一メンバーによるPVCのJV・川崎有機にVCMを供給するとともに、自社分のPVCの製造委託を行っていた。東亜合成と三菱化学がヴイテックを設立した後、川崎有機は東亜合成に吸収され、セントラル化学はセントラル硝子100%となっていた。

同社のVCMは132千トンと規模も小さく、塩ビ事業の不採算の中、03年3月でVCMプラントを停止し、PVCの販売も止め、塩ビ事業から撤退した。

⑧ヴイテックの再編
同社は00/4に設立したが、03/12で資本金60億円に対して累損が162億円に達していた。
05年3月、ヴイテックは再編を行い、三菱
化学が85.1%出資となり、東亜合成は実質撤退した。

上記の結果、塩ビ業界においてはメーカー数だけでなく、VCM、PVCともにプラント数も著しく減少することとなる。

・現在のメーカーは信越化学、カネカと、新第一塩ビ(実質・トクヤマ)、大洋塩ビ(実質・東ソー)、ヴイテック(実質・三菱化学)の5社と需要家の積水化学の徳山積水だけとなった。

・休止したPVCプラントは(予定も含めると)、新第一塩ビのゼオン・水島、同・高岡、呉羽化学・錦、チッソ・千葉、同・水俣、同・水島の6プラント。

・VCMについても旭ペン、千葉塩ビモノマー、セントラル化学、三井化学・大阪、山陽モノマーの5プラントが停止した。
残るVCMプラントは輸出専用の京葉モノマーを除くと、信越化学(及びカネカ)向けの鹿島塩ビモノマーと三菱化学、カネカ、東ソー(四日市及び徳山)、トクヤマと、PVCとの一貫体制となっている。

・但し、PVC能力は2004年末で234万トンと、内需の150万トン弱を大きく上回っている。  
このため、更なる再編が必要とされた。

なお、単独組の信越化学、カネカは国内外で健闘しており、特に信越化学は米国及び欧州での事業を拡大し、世界一の塩ビメーカーとなった。Sinetu_1

以下 続く

25years23 損益状況がますます悪化し、各社は単独での生き残りは難しくなった。三菱と三井はそれぞれ2つの石化事業企業が並存していたが、いずれも一方が他方を救済する形で統合が行われた。

さらに94年8月、第一塩ビ販売グループの塩ビ事業統合計画が明らかになった。当時は共同生産はあり得ても、自社の販売権を拠出しての統合会社設立という考えは業界にはなかったが、これを機に他の分野も含め、相次いで事業統合が行われることとなる。

1) 三菱油化と三菱化成の統合
1993年12月、三菱化成と三菱油化は翌94年10月に両社を対等の立場で合併し、三菱化学とする旨、発表した。両社は否定したが、三菱油化の救済であるという見方が多かった。
当初は「赤字幅が著しいポリオレフィン事業の統合を模索した」がそれだけでは不十分となり、大統合に踏み切った。それまで「永遠の話題」として統合に反対していた三菱油化の吉田正樹・前社長が93年初めに亡くなったのも、統合に踏み切る要素と言われた。
しかしながら統合に際して「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す」と答えて人員、設備の削減を否定した。赤字の塩ビ事業も水島のエチレンの操業面から事業を継続している。

2)三井石油化学と三井東圧化学の統合
1992年4月に三井石油化学と三井東圧の統合交渉のことが新聞に報じられた際は両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」とされたが、その後も特に三井東圧の業績が回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。

その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。19984月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。 

3)事業統合
新第一塩ビに続いて各業界で次々と事業統合が行われた。今回は共同生産ではなく事業統合のため、共販グループに関係なく相手先を選んだため、順次共販会社を解散し、96年7月に全てなくなった。

塩ビ:
・新第一塩ビ:(95/7) 日本ゼオン、住友化学、トクヤマ(430千トン)
 *呉羽化学は検討途中で離脱
・大洋塩ビ:(96/4) 東ソー、三井東圧、電気化学(580千トン)
・ヴイテック:(00/4) 三菱化学、東亞合成(390千トン)
 (96年提携)

ポリオレフィン:
・日本ポリオレフィン:(95/10) 昭和電工、日本石油化学(PE 656,PP 346千トン)
 *99/5 モンテルSDKサンライズ(のち、サンアロマーと改称)を設立し、PP事業を分離
・グランドポリマー(95/10:PPのみ) 三井石油化学、宇部興産
 *97/7 三井化学設立を前に三井東圧が参加(計 PP 701千トン)
・日本ポリケム(96/9) 三菱化学、東燃化学(PE 696千トン、PP 733千トン)
 *東燃化学の関係会社・日本ユニカーの参加努力を続けたが、成立せず。

ほかに
・京葉ポリエチレン(97/10) 丸善ポリマー、チッソ石油化学のHDPE販売会社
・日本エボリュー(96/11) 三井石油化学と住友化学のメタロセン触媒LLDPEの製造会社

PS
・日本ポリスチレン(97/10) 住友化学、三井東圧 (225千トン)
 *住友化学と昭和電工のPSのJVの日本ポリスチレン工業とは別。
 同社(1966/11設立)は1990頃に両社が個別に新工場を建設運営し、93年旧設備停止、94年昭電のPS事業撤退で休眠状態となっていた(01年昭電が吸収合併)。
・A&Mスチレン(98/10) 
旭化成、三菱化学(統合前559千トン、統合後400千トン)
・東洋スチレン(99/4) 電気化学、新日鉄化学、ダイセル(統合前476千トン、統合後376千トン)

ABS
・テクノポリマー(96/10) JSR、三菱化学 (ABS 290千トン、AS 40千トン)
・日本エイアンドエル (99/7) 住友化学、三井化学(ABS 100千トン、SBRラテックス85千トン)
・UMG ABS (02/4) 宇部興産、三菱レイヨン、GE (ABS 176千トン)

これらの事業統合は、それ以前には考えられなかった「大決断」であった。
この結果、誘導品のメーカー数は大幅に減少し、1社当たりの能力は増大し、一応世界水準に近づいた。

しかしながら、実態をみると、以前と余り変わりがない状態であった。

三菱と三井の統合は、元々一緒であるべき会社の統合である。三井の場合は旧三井石化主導で事業や人の整理が行われたが、三菱の場合は設備にも人にも手を付けていない。
事業統合については、PSだけは統合時に老朽設備を廃棄したが、全般的には出資会社のプラントはそのまま維持し、原料ソースもそのまま、経営陣も各社が出し合った。
PVCの場合は、単独経営の信越化学、鐘淵化学、三菱化学(当初は単独)が対抗意識から増設を行ったため、逆に全体能力が増大した。
営業や研究、管理の人員は確かに減っているが、これは親会社に残しただけである。若干の合理化はあるとしても、工場に手を付けない限り合理化に限界がある。
既に述べた通り、仮に人員を100人減らしても節約される費用は年間10億円にもならない。過剰能力の下で売価が10円/kg下がると、500千トンの能力なら値下がり損は年間50億円にも達する。

これが実際に起こった事態であり、塩ビの統合会社は3社とも数年で巨額の累積赤字を出しており、日本ポリオレフィンも同様である。
事業統合によりメーカー数が大幅に減ったように見えるが、工場と原料供給体制をみると、それ以前とほとんど変わらず、小規模多数工場をもとにした過剰能力体制が継続していた。

危機に際して抜本的な対応をとらなかったツケが出たといえる。結局、1980年代、90年代の20年間は石化業界にとっては「失われた20年」であった。

25years22_1 新増設が完成する前に日本のバブル経済が弾け、需要が減退し、需給ギャップがひろまった。能力の急増に対し、アジアの需要は増えつつあったが、欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、アジア市況も急落した。 (三菱油化は1980年代後半にスチレンモノマーの輸出で膨大な利益を上げたが、その後の値下がりで輸出利益はなくなった)

この結果、各社の業績は非常に悪化した。塩ビ業界の損益も1992年から再び赤字に転じた。

25years3

しかし、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、各社とも生き残りの策の検討を開始した。

事業撤退:
・ポリプロに新しく進出した東ソーは95年11月に営業権をチッソに譲渡(2002年にチッソが四日市ポリプロを吸収合併)
・旭化成も94年10月、水島品の営業権を昭和電工に譲渡 (運営のため日本ポリプロを設立するが1999年3月停止)、泉北ポリマー全株を95年3月、三井東圧に譲渡して撤退した。
・日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めたが94年3月に撤退した。
・宇部興産は新設した千葉の気相法LLDPEプラントを休止した。
 (1994年11月に三井石油化学のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産で合意)
・昭和電工は94年5月、PS事業から撤退し、旭化成に営業権を譲渡することを発表した。(上記の旭化成PP事業と交換)
 昭和電工は1966年から住友化学とのJVの日本ポリスチレン(川崎に工場)でPS事業を行っていたが、1988年に千葉と川崎にそれぞれの責任で新工場を建設し、93年の旧設備停止後は実質的には個別に事業を行っていたが、川崎の新設備も停止し事業から撤退した。

三井・三菱グループの事業統合検討:
1992年4月、新聞に三井東圧と三井石化が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じた。両社長がのトップ会談を行い、新会社の社名(「三井化学」)や合併比率などは合意しているとされた。しかし両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。

・この時、
吉田正樹・三菱油化前社長は三菱グループの統合については 「永遠の話題」であるとして否定した。
しかし実際には、スチレンモノマーの輸出利益をもとに株式時価発行によりエチレンを増設し拡大路線をとった三菱油化はその後の輸出価格の下落、国内需要の減少で損益は悪化し、対応に苦慮していた。

事業統合の検討:
・第一塩ビ販売のメンバーの日本ゼオン、住友化学、呉羽化学、サンアロー化学(徳山曹達子会社)は、共同研究、共同生産を行うなど信頼ベースが出来上がっており、塩ビ事業の損益悪化から、早くも1992年頃から生き残りのための事業統合の検討を始めていた。

 


25years22

産構法が終了した際に、業界(と通産省)は産構法の精神の維持のために2つの対応をとった。

①「デクレア方式」(事前報告制度):
産構法終了により今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、休止設備再稼動、新増設、改造に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
②共販制度の維持:
公取委は産構法の終了をもって共販会社も解散すべきだと強く主張した。米国の市場開放要請の中に共販制度も参入障害とする指摘があったことも、これを後押しした。
しかし業界では価格競争を防ぐ重要な手段として継続を主張、生産・流通・販売の合理化のためにも必要とした。

最終的に公取委は、他の共販メンバーとの提携をしないこと、生産・流通・販売の合理化の進展状況を毎年報告することを求めた。

設備の増強に当たっては単独では大規模設備の増設は難しいことから共同生産方式が取られたが、上記の制約により、共販メンバー同士の合弁による共同生産が行われた。

需要が回復すると業界はたちまち、増設に乗り出した。
まず、産構法で休止したエチレンや誘導品設備を再稼動した。

続いて新増設計画が相次いだ。
エチレン:

・三菱油化・鹿島2期(326千トン)
・京葉エチレン(600千トン):住友化学と三井石油化学に15万トンずつ供給(共販解散後に出資)
・宇部エチレン(500千トン):宇部興産(50%)、三井東圧(25%)、日本石油化学(25%)
 *PP、SMは先行して完成したが、エチレンは実現せず。
LLDPE:
・千葉ポリエチレン 80千トン(住友化学/東ソー)
・宇部興産 50千トン(単独)
PP:
・千葉ポリプロ 60千トン(住友化学/宇部興産/トクヤマ/共販会社)
・宇部ポリプロ 80千トン(宇部立地。宇部興産/住友化学/トクヤマ/共販会社)
・四日市ポリプロ 65千トン(東ソー/チッソ/共販会社)
・浮島ポリプロ 80千トン(日石化学/三井東圧/三井石化/共販会社)
・ディー・ピー・ピー 80+50千トン(三菱油化/三菱化成)
・旭化成 64千トン(単独)
PVC:
・第一塩ビ製造 80千トン(住友化学/日本ゼオン/呉羽化学/サンアロー/共販会社)
PS:
・日本ポリスチレン増設 30+70千トン(昭和電工/住友化学)
SM:
・三井東圧 240千トン(宇部立地。宇部興産/鐘化が引取り枠)

*共販会社での増設を強調するため共販会社が出資した。
*PPでは新規進出が相次いだ。
東ソーは完全新規、日石化学と旭化成は
泉北ポリマーに参加していたが自社工場内に新設。日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めた。
*共販会社は全般的に「形を変えた価格カルテル体制」に止まっていたが、その中で第一塩ビ販売だけは共同研究を行い、新製造方法を開発し、それをもとに共同生産を行った。
*日本ポリスチレンは増設を各社の責任で各社の工場内に立地。

これらの結果、エチレン及び誘導品の各社の能力は1993年8月時点で添付の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。

25years21 1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。他の石化製品も同様である。

(塩ビ業界)
塩ビ業界では1981年10月に産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会で共販会社案を打ち出し、公取委の承認を得て、第一塩ビ販売が82年4月に、日本塩ビ販売と中央塩ビ販売が同8月に、残る共同塩ビ販売が同9月に営業を開始した。(詳細
公取は当初、第一塩ビ販売は承認したが、4共販体制は認めず、通産省が交渉してやっと認められた経緯がある。

(産構法)
石油化学業界では1982/10、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が訪欧、石油化学事情を調査するとともに、不況の脱出策を協議した。
高杉良の「局長罷免 小説通産省」ではこれに触れている。
調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。」

1983年5月「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。(概要
これに基づき構造改善基本計画がつくられた。設備廃棄ではエチレン、ポリエチレン、塩ビ、及びEOとSM(両者は自主廃棄)が、共販は塩ビのほかにポリオレフィンが承認を受けた。

(ポリオレフィン共販会社)
1983/7/1にユニオンポリマー、ダイヤポリマー、エースポリマー 、三井日石ポリマーの4共販が同時に営業開始した。(詳細

最終的には別紙の通りの組み合わせとなったが、当初の業界案は次のようなものであった。
3グループ集約案:
①三菱化成・三菱油化・旭化成・昭和電工・東燃石化・出光石化・日本ユニカー
②三井石化・三井ポリケミカル・三井東圧・日本石油化学・宇部興産
③住友化学・東洋曹達・新大協和石化・日産丸善ポリエチレン・チッソ・徳山曹達


①は、三菱系2社は同一資本系列。昭和電工は三菱油化と製品融通関係にあり、東燃石化に対して中低圧ポリエチレン工場を売却したいきさつがある。日本ユニカーはその子会社。旭化成は昭電、出光とトップ同士が親密な関係にある。さらに旭化成と三菱化成は岡山県水島地区にエチレンの共同生産会社をもっているというもの。

しかし公取はシェアが大きいことを理由にこれを認めず、通産省のバックアップもなく、最終的に三菱とその他に2分割した。
宇部興産は大阪での三井との関係と、千葉での丸善との関係を比較し、ユニオンポリマーに参加した。

塩ビ、ポリオレフィンとも、共販会社の性格については前回述べた通り、真の販売会社ではなく、メンバー各社が自社製品をその出向社員が自社需要家に販売し損益は全て自社に帰属するというものであり、事務所を共有するだけの「形を変えた価格カルテル体制」であった。

(設備処理)
1)エチレン  詳細
 廃棄 804.7千トン
 休止 955   
 部分休止 491
 新設  △220 (出光石化) 
  差し引き 2,030.7千トン

2)ポリオレフィン 詳細
・高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637,000tの設備処理
・中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265,000tの設備処理
・ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。
・設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

3)PVC 詳細
基本計画では49万トンの設備処理だが、通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われている。実際には重合槽1m当たりの生産能力は大きく異なる(場合により2倍以上)が、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。

設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

設備処理に当たり、塩ビのみ、経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。
調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、合計4,360百万円を支給、残存m数比で各社負担した。

なお、信越化学・鹿島の処理127のみ休止設備で、カルテル終了後の品不足時に再稼動した。

以上、この危機に際して業界がとったのは抜本的構造改革ではなく、共販体制という「形を変えた価格カルテル体制」と、休止のところが多い「設備廃棄」であり、一部新増設さえある。
唯一、日産化学がこの時期に石油化学から脱却した。

ナフサ価格は1986の1Qの31,300円から2Qの16,900円と急落し、25years1 それにつれて需要も急増して採算が向上、塩ビ業界全体でも1986年に黒字に転換した。1988年に時限立法の産構法は終了した。

これまで、武田薬品工業欧米の医薬品会社及びICIの構造改善をみてきた。
各社とも明確な方向付けを行い、大胆な合従連衡や思い切った「選択と集中」を行っている。

それでは日本の石油化学産業はどうであろうか。

1980年から2000年頃までの歴史をみると、各社ともはっきりした目標をもって構造改革をやってきたとは思えない。

経済環境が非常に悪いときも抜本的な構造改革は行わず、なんとかその場を切り抜ける対策をとる。
経済環境が改善すれば、悪いときのことを忘れ、競争して増設に走る。
その繰り返しであった。

2000年頃になって、損益悪化が続いてどうしようもなくなり、2004年問題もあって、ようやく「選択と集中」政策をとり始めた。
何十年も続いた事業をやめる企業も出てきた。
住友化学と三井化学の合併のように、世界を目指すという明確な方向付けでの対策も出てきた。

しかし、中国バブルとナフサ高、ハイテク材料の3つの要因がうまく重なり、損益の改善が進むと、これも速度が弱まった。

これまでも環境がよくなれば、これが続くと思い、悪いときのことを忘れる傾向があった。今では、「2004年問題」も忘れられ、「選択と集中」政策を採り始めたときの切実感はない。いつまでも現在の好況が続くと思っているのではないか。

この25年の推移をみてみよう。添付グラフは(クリックしてください)PVCの能力&需要推移だが、これが日本の石化の動きをよく表している。

25years2 グラフの表示のように、この25年は1988年までの「産構法時代」、95年頃までの「ポスト産構法時代」、2000年頃までの「事業統合時代」、2000年以降の「選択と集中時代」に分けられる。「ポスト産構法時代」は前期の好況期とバブル経済破裂後の不況期に分かれる。「選択と集中時代」はすぐに中国バブルで動きが弱まった。

各時代の詳細は次回以降、順次述べたい。ここでは簡単に特徴を述べる。

(産構法時代)
1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。他の石化製品も同様である。

この危機に際して業界がとったのは抜本的構造改革ではなく、産構法による共販体制と設備カルテルである(塩ビの共販は産構法前)。
共販制度は塩ビ、ポリオレフィンでそれぞれ4社できたが、真の販売会社ではなく、メンバー各社が自社製品をその出向社員が自社需要家に販売し損益は全て自社に帰属するというものであり、事務所を共有するだけの「形を変えた価格カルテル体制」であった。
設備カルテルも設備廃棄が本来の主旨であったが、ほとんどが休止で済ませた。エチレンセンターでエチレンを永久停止したのは住友化学の愛媛と三井石化の岩国だけであり、出光石化は産構法中に千葉エチレンを新たに稼動させた。

なお、日産化学だけがこの時期に石油化学から撤退したのが注目される。塩ビ事業を東洋曹達に、HDPEを丸善石化に譲渡して撤退した。

この間、ナフサ価格は1986の1Qの31,300円から2Qの16,900円と急落し、それにつれて需要も急増して採算が向上、塩ビ業界全体でも1986年に黒字に転換した。1988年に時限立法の産構法は終了した。

(ポスト産構法時代)
需要が回復すると業界はたちまち、増設に乗り出した。
まず、産構法で休止したエチレンや誘導品設備を再稼動した。
続いて新増設計画が相次いだ。エチレンでは三菱油化・鹿島の増設、丸善石化が住友化学・三井石化の引取りを前提に京葉エチレンを新設し、実現はしなかったが宇部興産
三井東圧・日本石油化学の宇部エチレン構想もたてられた。
ポリオレフィンと塩ビでは共販体制を維持するため、共販単位で共同生産が行われた。
・PP:千葉ポリプロ、宇部ポリプロ、四日市ポリプロ(東ソー)、浮島ポリプロ、DPP、旭化成(単独)
・PE:千葉ポリエチレン、宇部興産(単独)
・PVC:第一塩ビ製造
・PS:日本ポリスチレン(住友化学、昭和電工)
これらが完成した1993年頃にはエチレンと誘導品の能力は産構法前のそれをはるかに上回るものとなった。

新増設が完成する前にバブル経済が弾け、需要が減退し、需給ギャップがひろまった。各社の損益は急速に悪化した。
東ソー、旭化成のPP撤退、宇部興産の新PEプラント停止、昭和電工のPS撤退などがあり、各社とも対応の検討を始めた。

(事業統合時代)
1994年に三菱化成と三菱油化が統合して三菱化学となり、97年に三井石油化学と三井東圧が統合して三井化学となった。これは本来一つであるべき会社が統合しただけであるが、これとは別に多くの事業統合会社が生まれた。特定の事業を数社が統合して製造販売を行うものである。
・塩ビ:新第一塩ビ、大洋塩ビ、(のちに)ヴイテック
・ポリオレフィン:日本ポリオレフィン、グランドポリマー、日本ポリケム
・PS:日本ポリスチレン(住友化学/三井化学)、A&Mスチレン、東洋スチレン
・ABS:テクノポリマー、日本A&L、UMG ABS

これにより各誘導品ともに表面上はメーカー数は減少した。他の共販グループメンバーとの事業統合の結果、共販会社も消滅した。
しかし、三菱化学の場合、統合に際して人員の削減は行わず、鹿島、四日市、水島の3エチレンセンターも3地域に拠点があることは大きな強みであるとしていずれも残した。三井も人員は減らしたが設備は変わっていない。

事業統合会社も大部分はメンバー各社が経営陣を出し、工場はそのまま、原料供給体制もあまり変わらないという持ち寄り体制であった。塩ビの場合は事業統合しない企業が対抗心から増設に走り、全体能力は増加している。

原料を各社が持ち込むなら原料面でのメリットは生じない。
仮に事業統合で人員が100人減ったとしても(実際には親会社に戻るだけだが)、節約される人件費等は年間10億円に満たない。
しかし、実際に起こったように過剰能力による値下げ競争で売価が10円/kg 下がると、50万トンの統合会社なら年間の値下がり損は50億円にもなる。

表面上はメーカー数が減り、1社当たり能力が増えて国際水準に近づいたように見えたが、実態は従来のままであり、事業統合の効果はなかったといえる。事業統合会社の損益は悪化し、破綻直前まできた。親会社やその他の企業も損益は悪化している。
危機に際して抜本的な対応をとらなかったツケが出たといえる。結局、1980年代、90年代の20年間は石化業界にとっては「失われた20年」であった。

(選択と集中時代)
21世紀に入り、事態の深刻さと
2004年問題やアジア・中東での大規模新設の影響などによる危機意識から、各社とも「選択と集中」戦略をとり出した。

三菱化学は2001年1月に四日市のエチレンを停止、人にも手をつけた。昭和電工はエチレンを1系列減らし、中期計画で石油化学を「再構築事業」とし、提携・売却も視野に入れるとした。

塩ビ業界では撤退が相次いだ。新第一塩ビで住友化学、日本ゼオンが、大洋塩ビで三井化学、電気化学が、ヴイテックで東亞合成が、それぞれ実質的に撤退した。また、チッソ、呉羽化学、旭硝子、セントラル化学が撤退した。PVCと原料VCMの多くの工場が停止した。
(逆に信越化学の欧州での塩ビ会社買収、米国子会社の新立地での増設などがある)

2000年11月に三井化学と住友化学の統合計画が発表され業界に衝撃を与えた。全統合に先立って三井住友ポリオレフィンがスタートした。
宇部興産とトクヤマがPPから撤退した。
日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業を統合して日本ポリエチレンが、日本ポリケムとチッソのPP事業を統合して日本ポリプロが誕生した。(実質的に三菱化学が昭電、新日本石化、東燃化学のPE、チッソのPPの運営を引き受けた形)
PSではA&Mスチレンと出光石化のPS事業を統合し、PSジャパンとした。(更に大日本インキ化学のPS事業との統合を図ったが、
公取委の反対で取り止めた。)
ABSでは鐘淵化学が撤退した。

これらの処理の結果でも、まだ(PSを除き)国内需要と能力の間に大きなギャップがある。加えてPEの場合は今でもレジンやPE袋の形での輸入が増加している。

しかしながら中国バブルが始まると危機意識は急速になくなった。
住友化学と三井化学の統合は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすとされたが、両社の主導権争いもあったが、「単独でも生き残れる」という考えが出て解消され、ポリオレフィン会社も解散した。
昭和電工は2005/11の新中期経営計画では「再構築事業」であった石油化学を「基盤事業(キャッシュカウ)」としている。
更なる再編が噂された塩ビ業界でも全く話が進んでいない。

部分的には構造改革は行われており、戦略のもとに海外進出をしている企業も多いが、エチレンとエチレン関連誘導品に関しては、エチレンセンターに手を付けられないことから、(メーカー数は減ったが)世界水準からみて非常に小規模で、かつ多数プラントでの過剰能力体制のままである。

日本の合成樹脂は単なるコモディティの販売ではなく、「提案型」マーケティングで需要家の高度のニーズに応えており、今後もなくならないし、高度のニーズのある日本でないと開発はできない。

しかし、中国バブルが弾けて、中国の多くのエチレン計画が中止となると、ナフサ価格も急落する。輸出がなくなるだけでなく、韓国、台湾、更には最新の大規模設備ができた中国からも輸入圧力が出てきて、国内価格が急落する。
場合によってはハイテク材料の方も悪くなる可能性もある。

こういう可能性を考えて、再度、「選択と集中」政策を進めるべきではないだろうか。

(次回から各時代について述べる)

 

 

前回、欧米の医薬品会社の構造改革について書いたが、ICIの構造改革はもっと凄い。主要事業の石油化学や無機化学事業をほとんど全て売却し、ユニリーバ社から買収した特殊化学品を中心とした会社に変えてしまったのだ。

ICIは1926年に Brunner Mond (アルカリ製品)、British Dyestuffs(染料・顔料など)、Nobel Industries(火薬類)、United Alkali(アルカリ製品)の4社が企業合同してできた会社で1930年代にMMAやポリエチレンを世界で初めて販売した。

日本の石油化学の初期にはほとんどのコンビナートでポリエチレンが中心となっており、「ICIのポリエチレン」が技術導入の目標であった。
(ICIから直接導入したのは住友化学だけだが、三菱油化のBASFはICI特許ベース、日東ユニカーのUCC、三井石化のデュポンは第二次大戦中に技術を守るための戦時特例法に基づき、ICIが技術供与したもの。他社は未完成の技術や中低圧法を導入したが、なかには「ICI品のようなフィルムができない」としてライセンサーにクレームをつけた会社もあるという)

ICIは1982年にそのLDPE工場をBPに売却、1986年にPVC事業をEnichemのPVC事業と統合してEVCとした(EVCはその後 Ineosが買収)。
1993年には医薬・農薬事業を分離独立させ、Zenecaとした。(1999年、スエーデンのAstraと合併してAstraZenecaとなる)
また、同年、DuPontとの事業交換で、ナイロン事業をDuPontに渡し、DuPontのMMA(両社のJVを含む)を取得している。

ここまでの動きは他社と余り変わりはない。

1997年に同社は事業を、化学品のなかでも付加価値が高く、投下資本が少なく、景気変動の影響が少なく、研究開発により重点を置いた事業に急速に転換することを決めた。

1997年7月、ICIは英蘭系Unileverの特殊化学品4社を買収した。
National Starch社(工業用接着剤、レジン、産業用でんぷん)
・Quest社(香料、乳化剤、芳香剤)
・Uniqema社(脂肪酸、グリセリン)
・Crosfield社(シリ
カ、ケイ酸塩、ゼオライト) (のちに売却)

同時に同社は既存事業を順次分離・売却していった。主なものは以下の通り。
ICIオーストラリア社を分離して上場、Oricaと改称
・ポリエステル事業をDuPontに売却
・酸化チタン、ポリウレタン、芳香族、オレフィン事業をHuntsmanに売却
・欧米の火薬事業をOricaに売却
・肥料事業をTerraに売却
・メチルアミン事業をAir Productsに売却
・フッ素事業を旭硝子に売却
・アクリル事業をLuciteとIneosに売却
・塩素化学品事業とCrossfield(Unileverから購入)をIneosに売却
・触媒事業をJohnson Mattheyに売却

ICIはスペシャリティ化学品を中心とした「新生ICI」に生まれ変わった。
現在、同社は次の4事業部門から成っている。そのうち3つは1997年にUnileverから購入した事業が中心となっている。

National Starch、
・Quest、
・機能性化学品(Uniqema)
・塗料

ICIの変遷 添付Hensen6_5

2/19の日本経済新聞に「世界医薬大手の売上高ランキング」が載っている。
武田薬品は日本では売上高トップだが、世界全体では14位に過ぎない。

世界医薬大手の売上高ランキング(億ドル)

会社名(国名) 売上高

1

ファイザー(米)

442.8

2

グラクソスミスクライン(英)

339.6

3

サノフィ.アベンティス(仏)

338.6

4

ノバルディス(スイス)

249.6

5

アストラゼネカ(英)

239.5

6

ジョンソン・エンド・ジョンソン(米)

223.2

7

メルク(米)

220.1

8

ロシュ(スイス)

215.7

9

ワイス(米)

153.2

10

ブリストル・マイヤーズスクイブ(米)

152.5

11

イーライリリー(米)

146.5

12

アボツト・ラボラトリーズ(米)

133.0

13

アムジェン(米)

120.2

14

武田薬品工業(日)

108.6

武田の抜本的改革は素晴らしいが、海外各社はそれよりはるかに凄い。
合従連衡を繰り返しながら、医薬以外の部門を切り離し、医薬事業に全経営資源を投入して生き残り競争をしている。

各社の変遷は以下の通り。(図をクリックしてください)

1.ファイザーHensen2  
・PfizerはWarner-Lambertを吸収

・MonsantoはG.D.Searleを吸収、
化学品部門をSolutiaとして分離
・PharmaciaとUpjohnが合併してPharmacia & Upjohnとなる。
・MonsantoとPharmacia & Upjohnが合併してPharmaciaとなり、
農薬部門を分離(再びMonsanto)

・PhfizerがPharmaciaを吸収合併

2.グラクソスミスクライン Glaxogif

・SmithKline BeckmanとBeechamが合併して SmithKline Beecham
・Glaxo とWellcomeが合併して Glaxo Wellcome
・SmithKline BeechamとGlaxo Wellcomeが合併してGlaxo SmithKline

3.サノフィ.アベンティス Hensen3  

                
・HoechstがCelaneseを吸収
特殊品をClariantに譲渡、化学品をCelaneseとして分離

・Rohne Poulentが
化学品、繊維・ポリマーを分離(Rhodia)

・HoechstとRohne Poulentが合併し、Aventisとなる。
農薬部門をBayerに譲渡
Sanofi

・Sanofi Synthelaboがフランス政府の支援を受け、Aventisを吸収、Sanofi Aventisとなる。

4.ノバルディス Hensen1

・Sandozが化学品を分離(Clariant)

・SandozとCiba Geigyが合併し、Novartisとなる。
特殊品を分離(Ciba Specialty)
種子事業を分離、AstraZenecaの農薬部門と統合してSyngentaに。

5.アストラゼネカ Hensen1_1

・AstraとZenecaが合併しAstraZenecaとなる。
・農薬部門を分離(Syngenta)

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358  

最近のコメント

月別 アーカイブ