「no」と一致するもの

「選択と集中」時代

この事業統合時代には事業統合を通じてメーカー数は減少した。
しかしながらプラントそのものは各親会社の工場に残っており、能力は増強されている。
事業統合会社も、親会社の意向が強く反映される共同会社であり、プラントや原料ソースも従来通りのものが多く、合理化にも限度があった。

  LDPE HDPE PP
メーカー数 12社→9 12社→9
(→販売
8社)
14社→7
能力 産構法設備処理前  1,741千トン  1,052千トン  1,252千トン
産構法設備処理後  1,194   749  1,332
1993/8  2,257  1,279  2,568
2000/12  2,423  1,327  2,939

この能力増強に対して日本の石化製品の需要はバブル崩壊後伸び悩んだ。エチレン関連製品のエチレン換算内需量は添付の如く、未だに1991年の内需量を超えていない状況であった。生産増は辛うじて輸出によりカバーされたが、2000年頃はまだ輸出価格は高騰していない。

Ethylenedemand_1 各社の業績は低迷を続けた。

このような状況の中で、ポリオレフィンの場合は2004年に輸入関税が大幅に下がる「2004年問題」も懸念材料となった。

ウルグアイラウンドでの合意により、石化製品の関税率は1995年から段階的に引下げられ、ポリオレフィンの場合は2004年に最終税率が適用されることとなっていた。

輸入関税

  93 99 00 01 02 03 04
PE @22.40 @15.35 @13.94 @12.53 @11.12 @9.71  6.5%
PP @25.60 @17.90 @16.36 @14.82 @13.28 @11.74  6.5%

LDPEの場合、99年のCIF価格は723$で、この場合、関税は@15.35が@5.29に下がる。
PPホモの場合、同じく582$で、@17.90から@4.26に下がることとなる。

ニッセイ基礎研究所 百嶋徹氏は2000年の論文で、2004年には関税引き下げと国産品価格是正によって、業界全体では860億円の減益になると予想、これに加えて欧米化学大手のアジア進出にともなう競争激化などによって、最悪のケースでは年間 1,700億円の減益になると指摘した。

2006/2/22 「忘れられた「2004年問題」」 参照 

これらを背景に石油化学業界全体で「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて検討を始めた。

①三井化学および住友化学の全面的統合発表

2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、2003年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については2001年10月に先行的に統合することを発表した。
両社はともにエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。

②三井住友ポリオレフィン 

20014月、三井化学と住友化学は全面統合の具体案とともに、ポリオレフィン事業の統合について発表した。 

会社名   三井住友ポリオレフィン
営業開始日   2001/10/1 
資本金   70億円
出資比率   三井化学 50%、住友化学 50%
事業   ポリエチレンおよびポリプロピレン
生産能力  
                                      (単位:千トン/年)
  日本 海外 世界計
生産(再)委託先 能力 国内生産
シェア(%)
社名 所在国 能力
LDPE 住友化学   172   TPC シンガポール   230  
三井デュポンポリケミカル   170          
合計   342   25.2 合計   230   572
LLDPE 住友化学    33   TPC シンガポール   150  
千葉ポリエチレン    75          
日本エボリュー   200          
三井化学    91          
合計   399   35.4 合計   150   549
HDPE 三井化学   206   (CPSC) (シンガポール)    
合計   206   15.5         206
PP 住友化学   200   TPC シンガポール   355  
千葉ポリプロ    66   PSPC 米国   360  
グランドポリマー   671          
合計   937   31.6 合計   715  1,652
PO合計  1,884      1,095  2,979

しかし、この統合に対して公取委の承認がなかなか得られなかった。公取委はこのうち、PEについては当初から問題なしと伝えていた。
問題はPPであった。
公取委は2000年5月に「ポリプロピレン値上げについて談合の疑いがある」としてメーカー7社に立ち入り調査を行ったが、2001年5月、全社に排除勧告を行った。
これに対してを三井の参加するグランドポリマーと、日本ポリケム、チッソの3社は応諾したが、住友化学、出光石油化学、サンアロマー、トクヤマの4社は勧告理由を不服として拒否した。
2006/7/13 「
ポリプロ価格カルテル事件の現状」参照 9月現在もまだ決着していない。

公取委は本件も踏まえて、統合に問題あるとしたため、2001/10のポリオレフィン統合は延期された。
公取委の問題点は以下の通りであった。(日本ポリケムとチッソの統合と同時に検討された)

1.  統合後の合算販売数量シェアは、約30%(第2位)〔日本ポリケム/チッソは約35%(第1位)〕
上位3社の累積集中度が約85%
2. 輸入圧力の限定性
3. 汎用性に乏しいグレード数の多さとそれに起因する取引関係の固定性
4. PP分野におけるメーカーの価格改定行動について、これまでの状況をみると、協調的な行動がみられる。

これに対して両グループは以下の対応策をとった。

三井化学/住友化学
  少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を、2005年末までに、現状の約5割まで削減する。
  統合新会社において業界団体への営業部門者の出席を一律禁止するなど、独占禁止法遵守体制を更に徹底する。
   
日本ポリケム/チッソ
  少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を、2005年未までに、現状の約4割まで削減する。
  統合新会社においては、業界団体の会合等に出席する場合は、事前届出及び事後報告することを義務化する等、 独占禁止法遵守体制を更に徹底する。

これを受けて、公取委は200112月、ようやく両社の統合を承認した。

なお、石油化学工業協会では、200112月、協会内の各種委員会を廃止することを決めた。石化協はそれまで、全体で11の委員会を設置、主要製品についてのデータ収集および分析等のほか、海外市場動静、原料、物流、など石化産業を取り巻く幅広い分野での調査活動を進めていた。2002年からは各種委員会を廃止、政策立案を中心にした活動に衣替えした。 

三井住友ポリオレフィンは200241日、当初予定から半年遅れでスタートした。
2003
10月には親会社が統合する予定のため、二重の手間を省くため三井住友ポリオレフィンでは工場の親会社からの分離は行わず、販売・開発会社として、製造は親会社に委託する形をとった。

③宇部興産のPP事業撤退

宇部興産と三井化学はPP事業を統合してグランドポリマーとし、宇部とトクヤマとのPP製造JVの宇部ポリプロについては宇部が1999年に持分をグランドポリマーに譲渡していた。
(* 宇部ポリプロのトクヤマ持分は2003年3月に三井化学が取得)

三井と住友のポリオレフィン事業統合を機に宇部興産はPP事業から撤退した。

当初はグランドポリマーを生産会社とし、営業権を三井住友ポリオレフィンに譲渡する案が検討されたが、最終的には2001年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し、宇部・堺工場内のグランドポリマーのプラントの操業は宇部興産が受託することとした。

2002年4月、三井化学はグランドポリマーを吸収合併した。

④トクヤマの撤退と出光石化の提携

20011月、出光石化とトクヤマはPP事業における提携を発表した。

事業提携の概要
(1) 徳山ポリプロ有限会社の設立
  ①両社による製造合弁会社設立と国際競争力がある20万トン規模の設備新設(場所は、トクヤマ・徳山製造所内)
②トクヤマ既存PP設備(14万トン)の廃棄
(2) 営業および研究の統合
  ①トクヤマの営業権の出光への譲渡
②トクヤマが実施している研究の出光への一本化
   
背景と目的
 
出光石化は2000年11月、千葉のPP能力を手直しにより、これまでの3系列37万トンから40万トンに引き上げたが、コア事業としての更なる国際コスト競争力の強化と一段の事業規模拡大が課題
トクヤマでは、PP事業については他社との提携による合理化を検討
両社の工場は隣接しており、徳山・南陽コンビナートにおける両社のオレフィンバランスの最適化、用役の有効活用等から、両社の従来からのパートナー関係をより緊密にすると同時に、コンビナートの競争力強化に資するもの
   
2001年4月 徳山ポリプロ設立
  事業内容   ポリプロピレンの製造(生産能力:20万t)
  資本金   10億円
  出資比率    トクヤマ 50%、出光石油化学 50%

2001年7月1日 トクヤマがPP営業権を出光石化に譲渡
2002年9月末 トクヤマ PPプラント140千トンのうち65千トン停止
2003年1月末
 トクヤマ PPプラント残り75千トン停止
2003/5 徳山ポリプロ新プラント(200千トン) 営業運転

なお、トクヤマはPP製造JVの千葉ポリプロ、宇部ポリプロの持分をそれぞれ、2001年6月に住化、2003年3月に三井化学に譲渡している。

⑤日本ポリケム・日本ポリオレフィン・チッソの再編 

20016月、日本ポリケムと日本ポリオレフィンはポリエチレン事業について、日本ポリケムとチッソは、ポリプロピレン事業について、それぞれ両社の事業を統合することにつき検討を開始することで合意したと発表した。
統合すれば、PEの生産能力は133万トン、PPは109万トンとなる。

海外での大型吸収合併による超巨大メーカー群の誕生、2004年に向けての関税率逓減、アジア・中東地区における大型設備の新規稼働等により、国内各社もコスト競争力の強化等が喫緊の課題となっており、これらの事業の統合を検討することが必要との合意に達したもの。
日本ポリケムが、両事業会社の共通業務の一部を担当し、かつ、両事業の総合調整をする形で存続する。

日本ポリオレフィンは200112月期で資本金150億円に対して累積損失が104億円に達していた。
日本ポリケムも2001
12月期では44億円の赤字で、資本金200億円に対して累積損失は28億円になった。

日本ポリオレフィンを主導する昭和電工では2002年の新中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」で「総合化学」から、「無機・アルミと有機の融合」中心の「個性派化学」への転換方針を決め、石油化学は、再構築が必要な事業群(再構築事業)としている。
PP(サンアロマー)は既にBasellに運営を任せているが、PEについても日本ポリケムを主導する三菱化学に任せることとなった。
チッソもPP事業において単独での生き残りは難しいと判断した。

PE製造能力 (千トン/年)
  LDPE LLDPE HDPE 合計 立地
日本ポリケム   203   321   199   723 鹿島、川崎、四日市、水島
日本ポリオレフィン   214    70   326   610 川崎、大分
(小計)  (417)  (391)  (525) (1,333)  
【三井住友ポリオレフィン】   342   399   206   947 千葉、大竹、千葉
東ソー   152    56   125   333 四日市、南陽、(千葉)
日本ユニカー   180   110    10   300 川崎
旭化成   119     163   282 水島
宇部興産   146    51     197 千葉
出光石油化学      60   130   190 千葉
京葉ポリエチレン       168   168 千葉
合計  1,356  1,067  1,327  3,750 ( )は共同投資設備
 
PP製造能力 (千トン/年)
  能力 立地
日本ポリケム   710 鹿島、川崎、四日市、水島
チッソ   381 千葉、四日市
(小計) (1,091)  
グランドポリマー   701 千葉、高石、堺、宇部、(川崎)
住友化学   264 千葉
出光石油化学   400 千葉
トクヤマ   173 徳山、(千葉)、(宇部)
サンアロマー   310 川崎、大分
合計  2,939 ( )は共同投資設備
* 三井住友ポリオレフィンの発表時点と異なり、数値が若干異なる。

日本ポリケムとチッソとのPP事業統合については、2001年10月に公取委の事前承認を得たが、日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業統合は難航した。
問題は日本ユニカーの存在であった。

日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学はダウ(UCCを買収)との合弁会社でPEのメーカーの日本ユニカーの株主でもある。
日本ユニカーについては当初から日本ポリケムへの参加を検討したが、実現しなかった経緯がある。

公取委は日本ポリケム(三菱化学/東燃化学)と日本ポリオレフィン(昭和電工/新日本石油化学)が、東燃化学を通じて日本ユニカーとも企業結合関係が出来ると考え、その場合の販売シェアが約45%で第1位に、また、上位3社の累積シェアが約80%となるとして、これを問題視した。
* 三菱化学はPE、PP両統合会社に参加するが、PEで連携する昭電、新日石化学を通じてサンアロマーと関係ができることとなるが、これについては公取委は問題としていない。

最終的にこの問題の解決のため2003年1月、三菱化学と東燃化学の間で、三菱が日本ポリケムの東燃持分を買取り、三菱の100%子会社とすることで合意、6月に実行された。三菱化学と、東燃化学の親会社エクソンモービルの間で統合計画をめぐり意見の対立があり、エチレン生産に経営資源を集中させたいエクソン側の思惑もあって関係解消となったとの報道もある。
これにより日本ユニカーとの関係が打ち切られ、新統合会社のシェアは約30%、上位3社の累積シェアが約70%となり、公取委も統合を承認した。

この結果、PEについては、2003年9月に日本ポリケム、日本ポリエチレンに三菱商事プラスチックを加えて3社の合弁会社・日本ポリエチレンを、PPについては同10月に日本ポリケムとチッソの合弁会社・日本ポリプロを発足させた。

ポリエチレン新会社の概要
  社名   日本ポリエチレン
  営業開始   2003/9/1
  資本金   75億円 (他に、資本準備金67億円)
  出資比率  
日本ポリケム   50%
日本ポリオレフィン   42%
三菱商事プラスチック    8%
  事業内容   ポリエチレン樹脂の製造、販売及び研究開発
  売上高   1,100億円
  従業員数   約700人
  生産能カ  
LDPE   417.4千トン/年
L-LDPE   374.7千トン/年
HDPE   475.6千トン/年
       
ポリプロピレン新会社の概要
  社名   日本ポリプロ
  営業開始   2003/10/1
  資本金   50億円
  出資比率  
日本ポリケム   65%
チッソ社(チッソ石油化学)   35%
  事業内容   ポリプロピレン樹脂の製造、販売及び研究開発
  売上高   1,300億円
  従業員数   約730人
  生産能カ   1,091千トン/年

具体的手続きは以下の通り

2003/9/1   「日本ポリエチレン」を設立して日本ポリケムと日本ポリエチレンのPE事業を統合
     
2003/10/1   日本ポリケムのPP事業をチッソのPP事業と統合し、同社を「日本ポリプロ」と改称
    別途、投資会社「日本ポリケム」設立

両新会社は実質的に三菱化学主導であるが、多くの工場を抱える。
PE、PPは各エチレンセンターの主要製品であることから停止は簡単ではない。
少なくとも暫くの間はこれらを抱えていかざるを得ない。

    PE PP 備考
日本ポリケム 三菱化学 鹿島 鹿島  
水島 水島  
東燃化学 川崎 川崎  
日本ポリオレフィン 昭和電工 大分  * PPはサンアロマー
日本石油化学 川崎  * PPはサンアロマー
チッソ  - 千葉 (プロピレンは丸善石油化学)
 - 四日市 (旧 四日市ポリプロ(プロピレンは東ソー)

なお、日本ポリエチレンは2004年9月で四日市工場内の75千トンの老朽化した小型LDPEプラントの操業を停止した。
同工場のエチレンは既に2001年1月に、また37千トンのPPプラントも2002年末で生産を停止している。

200512月、日本ポリプロは増設と鹿島工場に300千トンを建設することを発表した。
チッソの気相法を採用するもので、2008年 4月 営業運転開始の予定。
見返りに 2009年3月末をめどに、川崎工場で2系列合計年産138千トンのPP設備を休止する。

 

宇部興産PE事業再編

宇部興産は2001年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡しPP事業から撤退したが、新聞報道では丸善石化コンビナートに197千トンの能力を持つPE事業についても2003年までに撤退する方針を決め、事業売却の検討に入ったと伝えられた。

しかしながら、京葉モノマーのVCMと同様、宇部のPEプラントが停止するとエチレンの操業に支障を生じる丸善石化の提案により、丸善石化のエチレンとの一体運営を行うこととし、宇部はPE事業を分離して宇部丸善ポリエチレンを設立し、その50%を丸善石化に譲渡し、JVとした。2004年10月に営業開始した。

社名   宇部丸善ポリエチレン  
事業内容   LDPE及びスーパーポリエチレン(メタロセンLLDPE *)の生産・販売及び開発
営業開始   2004/10/1
資本金   490百万円
出資比率   宇部興産 50%,丸善石油化学 50%
売上高   191億円(2003年度実績)
生産能力  
LDPE   147千トン
スーパーポリエチレン    50千トン
従業員   約 100名

*1994年11月に三井石化と提携、休止していたLLDPE設備を三井のわが国初のメタロセン触媒技術による
気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用したもの。

なお、丸善石化は100%子会社でEO、EGを製造販売する丸善ケミカルと、同じくHDPEを製造する丸善ポリマー(販売はチッソとの販売JVの京葉ポリエチレン)を2005年4月に吸収合併した。

ーーーー

「選択と集中」方針により、ポリオレフィン業界も再編が進んだ。 

三井住友ポリオレフィン 三井と住友のポリオレフィン事業統合
宇部興産のPPからの撤退
日本ポリエチレン(三菱化学主導) 日本ポリオレフィン(昭電、新日石化学)を吸収
東燃化学の撤退
日本ポリプロ(三菱化学主導) チッソのPP事業を吸収
出光石油化学 トクヤマと提携(製造委託)
トクヤマのPPからの撤退
宇部丸善ポリエチレン 宇部のPEからの半撤退

 

しかしながら、この頃から中国の需要が急上昇して「中国バブル」現象が生じ、その後の原油価格高騰による「ナフサバブル」と相まって輸出価格が高騰、これを受けて国内価格も上昇した。

この結果、化学企業の業績は軒並み改善し、危機意識がなくなり、再編努力が弱まった。

あんなに心配した「2004年問題」もなんら影響がなく、ある業界関係者は「2004年問題など今や問題でない」と一笑に付した。

 

三井化学と住友化学の全面的統合の破談

そんな中で、三井化学と住友化学の全面的統合が破談となった。

三井化学と住友化学は2001年4月に統合会社の概要を発表した。社名を「三井住友化学」とし、2003年10月に共同株式移転により持株会社を設立した後、04年3月末に持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社とするとした。

両社はまず2002年4月、三井住友ポリオレフィンをスタートさせ、全体統合の準備を進めた。しかし、両社の統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとしていたため、競ってそれぞれの事業の拡大を図った。

2002年12月、公取委は両社の統合を事前承認した。

しかしながら、統合の検討を始めると直ぐに、両社の間に不協和音が出だしたとのことである。

新聞情報によると、経営統合に当たり、両社は「対等の精神」を理念に掲げたが、住友化学が時価総額(株価が15%弱の差で、株数は住化が三井の約2倍)をベースに考えて主導権を取ろうとし、三井化学は文字通りの「対等」にこだわった。
首脳人事では三井化学は「対等」の証として共同最高経営責任者制を提案したが、住化が拒否した。
多くの点で妥協も行われたが(共同持株会社を設立し、半年後に持株会社が両社を吸収するという二段階方式は、法的に三井が消滅会社となるのを避けるため)、住化主導の色が濃く、三井では「飲み込まれる」という不安が高まったといわれる。
石化の好調で、単独でもやっていけるとの考えが出たのは間違いない。

2002年末には首脳人事(社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長)などが内定したが、統合比率で折り合えず、2003/3を期限に再交渉することで合意した。
しかし、その後も折り合えず、2003
331日、統合計画の白紙撤回を発表した。

ポリオレフィン事業の合弁会社である三井住友ポリオレフィンについては、全体事業統合見送りの結果、両社が独自の事業戦略に基づき、それぞれポリオレフィン事業を推進していくことで合意し、2003101日、合弁事業を解消した。
幸か不幸か、本体の統合を前提に工場については統合していなかったため、販売と研究機能を両社に戻すだけで済んだ。

これにより、グローバル企業を目指した大統合は実現を見ずに終わった。

その後、住友化学はサウジのラービグ計画を、三井化学は出光興産との提携強化、ポリオレフィン事業の統合を発表する。

* ラービグ計画については2006/3/25 「
ペトロラービグ起工式」参照

 

三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合

三井化学は住友化学との経営統合計画の解消後、2004年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産/出光石油化学と包括提携で基本合意した。

3社は、石油精製・石油化学事業の国際競争が激化するなか、これまで個別企業毎に行ってきた合理化等の取り組みだけでは限界があるとの共通認識に基づき、千葉地区における業務提携の可能性について予備的な検討をしてきたが、原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指すこととした。

この業務提携を具体化することにより、出光グループは石油精製と石油化学のインテグレーションを更に推し進め、「石油精製の高度化による原料・留分の付加価値向上」と共に、「製油所・石油化学工場のコスト競争力強化」を図る、三井化学は石油化学事業構造の抜本的な変革、即ち「分解原料の多様化」「プロピレンセンター化」「差別化」を促進するとした。

20045月、三井化学/出光興産/出光石油化学は三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合の発表を行った。
(同時に
出光興産による出光石油化学の吸収合併も発表した)

新会社は、三井・出光の包括的提携の一部として、両者の全世界におけるポリオレフィン事業を、生産・販売・研究のすべての面で戦略的に統合し、事業規模の拡大とシナジー効果の発揮による事業価値の最大化を図ることを基本的な使命としている。

①社名   ㈱プライムポリマー
②営業開始日   2005/4/1
③事業内容   ポリプロピレン及びポリエチレンの生産、販売及び研究
④資本金   200億円
⑤出資比率   三井65%、出光35%
⑥売上高   2,400億円(2004年度両社合算)
⑦生産能力  
品目 自社(及び生産委託)能力 能力
(千t/年)
国内能力
シェア(%)
PP 三井化学    670        
(宇部ポリプロ)     90  
出光興産    400  
(徳山ポリプロ)    200  
合計   1,360   44.8
LDPE (三井・デュポン ポリケミカル)     70    5.2
LLDPE 三井化学     96  
(日本エボリュー)    150  
出光興産     60  
合計    306   29.3
HDPE 三井化学    208  
出光興産    130  
合計    338   26.3
PE計      714   19.4
PO合計   2,074  

(PPは国内1位、PEは国内2位)
注1) 国内生産シェアは石化協まとめ03年12月末各社別生産能力に基づく。
    但し、PPの三井化学能力は大阪工場新プラント(04年4月稼働、300千t/年)を含む。  
注2) LDPE能力は、三井・デュポン ポリケミカルへの04年度委託予定量見合い。
注3) LLDPE・日本エボリュー能力は、三井化学の引取量見合い。

200541日、プライムポリマーは営業開始した。

ーーーー

中国バブルは早くも破裂しかけている。
各社の決算では既に石油化学部門の損益の悪化が見られる。

日本の国内需要が今後増大することは余り期待できない。
中国バブルが破裂すると、輸出が激減するだけでなく、国際市況の低落と、それを受けての国内価格の下落がおこる。
「2004年問題」は忘れられたが、関税引き下げは既に実施されている。中国バブルが破裂すると輸入圧力も出てくるであろう。

中国が輸入を続けている間に、遅ればせながら、本格的な過剰設備対策に取り組むべきであろう。

(ポスト産構法後期)

能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。

この結果、各社の業績は悪化したが、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、生き残りの策の検討を開始した。

事業撤退

ポリプロに新しく進出した東ソーは95年11月に営業権をチッソに譲渡(2002年にチッソが四日市ポリプロを吸収合併)

旭化成も94年10月、水島品の営業権を昭和電工に譲渡 (運営のため日本ポリプロを設立するが1999年3月停止)、泉北ポリマー全株を95年3月、三井東圧に譲渡して撤退した。

日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めたが94年3月に撤退した。

宇部興産は新設した千葉の気相法LLDPEプラントを休止した。
(1994年11月に三井石油化学のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産で合意)

三井、三菱の事業統合検討

1992年4月、新聞に三井東圧化学と三井石油化学が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じた。これは両社の社内の反対が強く「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。
しかし、特に三井東圧の業績がその後も回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。

三菱グループの場合も、特に設備の拡大を図った三菱油化の業績が悪化したこともあり、「永遠の話題」と言われ実現が難しいとされた1994年10月に三菱グループの大合同が実現した。

 

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(事業統合時代)

 

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三菱の事業統合

三菱化成と三菱油化は1994年10月に対等の立場で合併し、三菱化学となった。
当初は「赤字幅が著しいポリオレフィン事業の統合を模索した」がそれだけでは不十分となり、大統合に踏み切った。

一時は共販会社制度維持のために、ダイヤポリマーを存続させようとの考えもあったようだが、三菱化成と三菱油化だけの共販で、製造も営業も一体化するのに共販会社を残すのは意味が無く、三菱化学誕生を機に発展的解消した。

 

三井の事業統合

三井石油化学と三井東圧化学は199710に統合し、三井化学となった。
(後記の通り、両社の属する共同生産会社、事業統合会社の整理が行われた)

ポリオレフィン事業統合

①日本ポリオレフィン とサンアロマー

1995年2月、エースポリマーに属する昭和電工と三井日石ポリマーに属する日本石油化学がポリオレフィン事業を統合することを発表した。
昭和電工と日本石油化学の事業統合は1994
8月頃から交渉を始めたといわれている。
昭和電工は旭化成との間でPSとPPの交換による提携を行ったが、それだけでは構造的な赤字を解消できないと判断、自助努力に限界を感じていた日本石油化学との統合を交渉した。
昭和電工は大分市に、日本石油化宇は川崎市に立地し、地理的に東西の相互補完関係にあるため、交錯輸送の排除等による物流費用の低減が図られるというのが一つの理由となっている。

新会社の概要
①社名  : 日本ポリオレフィン(JPO)
②資本金   100億円
出資比率 昭和電工 65%:日本石油化学 35%
③設立年月日   1995/7/1
④営業譲渡日   1996/10/1
⑤工場   大分、川崎
    HDPE  331千トン/年 
LDPE  214 
LLDPE 110       
PP     346 (水島の日本ポリプロを含む)   
計    1,001   

公正取引委員会はHDPEについては新会社のシェアが24.3%かつ第一位となるが、競争業者の存在と輸入圧力から問題なしとした。
しかし、PPについては日本石油化学が三井石油化学、三井東圧と浮島ポリプロで、また三井東圧と泉北ポリマーで、それぞれ共同生産しているのを問題とした。
このため、日本石油化学は三井東圧との間で浮島ポリプロ、泉北ポリマーのそれぞれの持分を交換し、三井東圧との関係を切った。
(日石化学持分は浮島 65、泉北 0 )

同社は96年7月にMontell International と折半出資のJV Montell-JPOを設立して自動車向け分野でのPP及びコンパウンド等の販売を行った。

①社名  : Montell-JPO
②設立   1996/7/1
③営業開始   同上
④資本金   8億円
JPO 50%、Montell International 50%
⑤事業内容    
(1) 次世代先進樹脂材料の輸入販売、
それらのコンパウンド製品の生産・販売
(2) 自動車分野向けPP(およびそのコンパウンド製品)
 JPOから商権の譲渡を受けPP樹脂販売
 JPOとモンテル技術のコンパウンド製品の生産・販売

1999年5月にはMontell-JPOを改組し、Montell 50%、昭和電工・日本石油化学50%出資のモンテルエスディーケーサンライズと改称して、日本ポリオレフィンからPP事業の譲渡を受けた。

日本ポリオレフィンはこれによりポリエチレン専業となった。
PP分離に先立ち、日本ポリオレフィンでは99年1月に不採算の大分のLLDPEプラントを昭和電工100%出資の大分エルエルに移管(のち設備休止)、3月には昭和電工が旭化成から譲渡を受けた水島のPP設備(旭化成とのJV 日本ポリプロとして運営)を停止している。 

①社 名  : モンテルエスディーケーサンライズ株式会社(略称MSS)  
②資本金   63億円
③出資比率  
エスディーケイ・サンライズ投資*  : 41.67%
日本ポリオレフィン    8.33%
(日本側計)    (50%)
モンテル   33.33%
台湾ポリプロピレン   16.67%
(モンテル側計)    (50%)
④事業内容   ポリプロピレン、キャタロイ・プロセス製品およびHMS製品の生産、販売ならびに研究開発
⑤年産能力  
ポリプロピレン    大分工場 3系列計  : 243千t
    浮島ポリプロ    65千t
    合  計   308千t

*SDKサンライズは昭和電工65%、日本石油化学35%

なお、モンテル社は200010月、バセル社として新たに発足、これに伴い、MSSは20011月、サンアロマー(SunAllomer Ltd.)に社名を変更した。

②グランドポリマー

1995年7月、三井石油化学(三井日石ポリマー)と宇部興産(ユニオンポリマー)が50/50の出資でグランドポリマーを設立、両社のPP事業を統合して10月から営業を開始した。その後、三井化学の誕生により、97年7月に三井東圧のPP事業を統合した。

宇部興産は三井主導の大阪石油化学のメンバーであり、共販会社設立検討の当初は三井グループに参加すると見られていた。三井石油化学と宇部興産は94年11月に、休止していた宇部興産千葉工場のLLDPEプラントを三井石化のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用し、三井石化は製品の一部を引き取ることで合意している。
この信頼関係をベースに三井石油化学の触媒およびフィルム,宇部興産のコンパウンドおよび自動車分野での強みがそれぞれ補完関係にあったことで実現した。

①社名  : グランドポリマー
②設立   1995/7/1
③営業開始   1995/10/1
④資本金  
設立時   50億円   三井石油化学 50%、宇部興産 50%    
1997/7   75億円   三井石油化学 33.33%、宇部興産 33.33%、三井東圧 33.33%    
1997/10   75億円   三井化学 66.67%、宇部興産 33.33%    
⑤能力  
千葉・市原工場(旧三井石化)2系列  : 223 千トン  
大阪・堺工場(旧宇部興産)2系列   133    
宇部ポリプロ*(90千トンのうち)   073    
浮島ポリプロ(105千トンのうち)   030    
         
大阪・高石工場(旧三井東圧)3系列   242    
合計   701    

*宇部興産は住友化学、トクヤマとPP製造の合弁会社、千葉ポリプロ(住化・千葉内)と宇部ポリプロ(宇部降参・宇部内)を設立しているが、宇部のグランドポリマー設立に伴い、宇部と住化はそれぞれの両JVへの持分を交換し、千葉ポリプロを住化/トクヤマの、宇部ポリプロを宇部/トクヤマのJVとした。

* 当初は設備は親会社資産で貸与形式。1999/4に両親会社から設備譲渡を受け、さらに2000/3には開発部門を千葉県の袖ケ浦の開発研究所に統合

③日本ポリケム 

1996年5月、三菱化学と東燃化学(エースポリマー)はポリオレフィン事業を統合し、同年9月から日本ポリケムとして事業を行うことを発表した。

エクソンモービルの子会社であった東燃化学は、当時のユニオンカーバイドとの50/50JVの日本ユニカーを持っており、電線被覆グレードを除くポリエチレン事業についても日本ポリケムに包含する方向で交渉したが、実現に至らなかった。

①会社名  : 日本ポリケム
② 設立   1996/5/24
③事業開始   1996/9/1
④資本金   事業開始時  20億円
1998/11   200億円
⑤出資比率   事業開始時 三菱化学 50%、東燃化学 50%
1998/11     三菱化学 65%、東燃化学 35%
⑥事業内容   両社のPE樹脂、PP樹脂等の合成樹脂およびこれらを主原料とするコンパウンドの製造および販売
(新会社が販売する合成樹脂の製造は、当面両親会社において実施する。)

 

④京葉ポリエチレン 

1997年8月、丸善石油化学の丸善ポリマー(旧称日産丸善ポリエチレン)とチッソ石油化学(いずれもユニオンポリマー)が京葉ポリエチレンを設立し、同年10月から両社の高密度ポリエチレンの販売を統合した。製造は引き続き各社が行うもの。

①社名  : 京葉ポリエチレン
②設立   1997/8/7
③営業開始   1997/10
④資本金   4億8,000万円
⑤株主   丸善ポリマー、チッソ石油化学(折半出資)
⑥事業目的   高密度ポリエチレンの販売(国内および輸出)

丸善ポリマー
 1981/3 「日産丸善ポリエチレン」設立(日産化学 51%、丸善石化 49%)
         日産化学、日産ポリエチレンのHDPE事業継承
 1989  丸善石化 70%に。
 1990  
丸善石化 100%
 1991  
社名変更 「丸善ポリマー」

⑤日本エボリュー

事業統合ではないが、1996年11月に三井石油化学と住友化学が共同でメタロセン触媒による気相法LLDPE生産の合弁会社・日本エボリュー設立の発表を行った。

住友化学は千葉ポリエチレンでL-LDPEを生産しているが、メタロセン触媒によるL-LDPEは、低温での熱融着性、強度等に優れ、新規用途が見込まれるほか、樹脂加工段階での生産性が大幅に改善されることから、国内外での需要拡大が期待されており、三井石化の計画に参加した。

①会社名  : 日本エボリュー
②設立   1996/11/20
③資本金   4 億円
④出資比率   三井石化 75%、住友化学 25%
⑤事業目的   メタロセン触媒によるLLDPE の製造
⑥製造設備  
立地  : 三井石化千葉工場内       
生産能力   20万トン/年
採用技術   三井石化が開発した製造技術
宇部興産・千葉でテスト生産
営業運転開始   1998年春
⑦製品の引取   出資比率

なお、2006年春に能力増強が決定(10月に24万トンにアップ)。増産される年4万トンはプライムポリマーが全て引き取り、引取り比率はプライムポリマー19万トン、住友化学5万トンとなる。

 

ポリオレフィン共販会社の解散

1994年10月の三菱化学誕生を前に9月にダイヤポリマーが発展的解消した。

1995年の日本ポリオレフィン、グランドポリマーの設立はエースポリマー、三井日石ポリマー、ユニオンポリマーに属する各社が他の共販メンバーと事業を統合するもので、結果的には3共販がすべて連携することとなるため、エースは95年6月、残りは9月に解散した。

 

(続く)

信越化学は28日、全世界で需要が急伸している300mmシリコンウエハーを供給する世界最大のメーカーとして、生産能力の大幅増強を発表した。2007年秋を目処にグループの生産能力を月産100万枚まで増強する計画で、急増する全世界の顧客の需要に即応する体制を築き、300mmシリコンウエハーのトップメーカーとしての責務を果たすとしている。

信越グループは、ICの基板になるシリコンウェハーの世界のリーディングカンパニーとして大口径化、ハイフラットネスの最先端を走り、次世代の300mmウェハーやSOIウェハーの製品化にもいち早く成功した。日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパにシリコンウェハー生産拠点を持ち、その総生産量は世界最大。

地域 会社名
日本 信越半導体
北米 S.E.H.アメリカ
アジア 台湾 台湾信越半導体
マレーシア S.E.H.マレーシア
S.E.H. (Shah Alam)
英国 S.E.H.ヨーロッパ

同社は当初、2006年秋までに月産50万枚にするとしていたが、需要の伸びに対応して前倒しを行い、現在能力を月産70万枚に引き上げている。
今回1,200億円を投じて2007年秋に月産100万枚体制にするもの。これを含めた300mm事業への総投資額は4,000億円になる。Siliconwaferprocess

増設は災害リスクを勘案して、信越半導体㈱白河工場、SEHアメリカ、グループ会社の三益半導体工業(高崎市)に加え、新たに長野電子工業(長野県千曲市)で投資を行い、拠点を通じ需要家への安定供給を図る。

シリコンウエハーは高純度のシリコンの種結晶を円柱状に成長させたインゴットを薄くスライスして製造するが、原料の単結晶(インゴット)も、既存の白河工場とSEHアメリカの増強に加え、信越半導体武生工場(福井県越前市)でも生産する。

シリコンウェハーの2005年の世界シェアは添付の通りで、信越が32%、SUMCOが222%だが、SUMCOはコマツ電子の買収で合意しており、信越とSUMCOは拮抗することとなる。信越は今回の増設でSUMCOを突き放す。Siliconwafershare

SUMCOは住友金属工業のシチックス事業本部(旧住友シチックス、当初は大阪チタニウム)と三菱マテリアルシリコン(旧チッソ電子化学+日本電子金属)が2002年に事業統合したもので、当初の社名は三菱住友シリコン。2005年8月に現社名に改称した。

両社は事業統合に先立ち、1999年に共同出資会社のシリコン・ユナイテッド・マニュファクチュアリング(SUMCO)を設立し,300mmウエハーの技術開発及び試作品用生産設備の管理・運営を共同で行った。現在の社名はこれを踏襲したもの。

シリコンウェハーの製造では米国に SUMCO Phoenix、SUMCO Southwest、フランスにSUMCO France、インドネシアに SUMCO Indonesia をもっている。

 

同社は2006年6月に、小松製作所の子会社(61.9%保有)のコマツ電子金属の株式総数の51%取得を目指すTOB実施を決めた。小松製作所は全所有株式でTOBに応募することを決めている。

コマツ電子金属は1960年の設立で、シリコンウェーハの製造・販売を業とし、長崎、宮崎、台湾に製造拠点を持っている。
台湾子会社は台湾小松電子材料で、コマツ電子金属が 51%、台湾プラスチックグループ が49%を出資し、麦寮の台塑工業園区に230億円を投じて月産10万枚の300mmシリコンウェハー工場を建設中。

SUMCOとコマツ電子金属はいずれもシリコンウェーハ専業メーカーで、大口径の300mmから小口径特殊品、高精度品までの幅広い事業分野をカバーしており、買収により、「相互に類似的、補完的な要素技術を持つ2社が、今後統合された事業戦略を共有化していくことにより、新しいSUMCOグループとして顧客の満足度を向上させていくことを目指す」としている。

Siltronic AGはWacker Chemie の子会社でMunich に本拠を置くシリコンウェーハ事業会社。ヨーロッパ、USA、東南アジア、日本の4大市場に工場を保有する。
工場はドイツのブルグハウゼンとフライベルグの2地区、米国ポートランド(オレゴン州)、シンガポール、光(山口県)、マレーシアにある。
光工場はワッカー・エヌエスシーイーの工場で、2000年に新日鐵100%子会社の旧ニッテツ電子にWacker が55%出資した。
2003年にWacker が顧客ニーズへの迅速な対応力を強化するために100%子会社とした。山口県光市とマレーシアのケタ州クリムに工場をもっている。

同社は昨年、ドイツの2工場で300mmウェーハの増設を決めた。136百万ユーロを投じ、ブルグハウゼン工場の能力を月産75千枚から135千枚に、フライベルグ工場能力を15万枚から20万枚に増やす。

また同社は本年7月、韓国の三星電子とのJV、Siltronic Samsung Wafer Pte. Ltd.をシンガポールに設立し、300mmウェーハを製造すると発表した。同社の工場に隣接し、10億米ドルを投じて建設、2008年央に完成、2010年には月産30万枚の製造を予定している。

現在、Wacker が Siltronic を米国の投資会社 Francisco Partners に売却する交渉を行っているとの噂が流れている。.

MEMC
1959年にMonsanto Chemical が米国でシリコン製造のためMonsanto Electronic Materials Company を設立した。
欧州では
1961年にDynamit Nobel Silicon がイタリアにシリコン工場を建設している。

1989年にドイツのVEBAの子会社 Huls がMonsanto から同社を買収、別途1987年に買収したDynamit Nobel Silicon と合併させ、MEMC Electronic Materials, Inc とした。MEMCのブランドが有名なため、この名前を残した。

1995年にNew York で上場、その後もHuls は72%の株を持っていたが、Huls の親会社 VEBA VIAG と統合して E. On になり、E. On は同社の売却を決め、2001年にTexas Pacific Groupに全持株を売却した。Texas Pacific はその後、大部分を売却し、25%を保有している。

MEMCは1991年に韓国で三星電子、Pohang Iron & Steel POSCO)とのJVのPosco Huls を設立した。 2000年に MEMC POSCO の持株を買収して80%の株主となり、社名をMEMC Korea Company.と改称した。

また、1994年には台湾で China Steel その他とのJV、Taisil Electronic Materials, Inc.を設立した。2005年には台湾初の300mm ウェーハをスタートさせた。(現在MEMC 100%)

1995年にはTexas Instruments とのJV、MEMC Southwest, Inc.を設立し、Texas Instruments の既存プラントを活用している。(現在MEMC 100%)

製造立地:
 St. Peters   St. Peters, MO  世界本部
 Southwest   Sherman, TX  1997年稼動、当初Texas Instruments とのJV
 Pasadena   Pasadena, TX
 MEMC Japan   宇都宮 (MEMC100%)
 Taisil   台湾・新竹、当初China Steel その他とのJV
 マレーシア   Kuala Lumpur
 MEMC Korea   Chonan City (80% MEMC, 20% Samsung Electronics 
 イタリア   Novara, Italy
    Merano (Bolzano) Italy

 

 

参考 信越化学 連結営業損益

電子材料部門は、半導体シリコン、電子産業用希土類磁石、フォトレジスト製品・電子産業用有機材料を含む。
2006年3月期決算で、電子材料の売上高3,614億円のうち、半導体シリコンは3,057億円
営業損益653億円のうち、半導体シリコンは529億円を占める。

Shinetusegeigyo_1  

ナフサや原油の価格が急落している。Naphthaoilprice
ナフサ価格(東京オープン スポット)は本年7月14日に691ドル/tの最高値から、8月は平均637ドルに下がり、9月上旬は600ドル近辺であったが、中旬には550ドル近辺に下がり、20日は532ドル、21日は527ドルと急落した。22日は528ドルで1日からの平均は562ドル。

ドバイ原油(東京市場)も8月8日の72.30ドル/バレルの最高値から、9月21日には56.30ドルに下がった。

ニューヨーク原油(WTI)価格も過去最高(一時)は7月13日の78.40ドル/バレルであったが、9月21日は一時、59.80ドルと60ドルを割り、3月21日(59.60ドル)以来約半年ぶりの安値を付けた。

そもそも、現在の原油高には3つの理由がある。

第一は需要面で、米国景気の好調のほか、特に中国の需要増が影響する。

第二は供給面で、OPECは10月以降も現行生産枠(日量2,800万バレル)を据え置くが、余剰生産能力が200万バレル程度しかない。
そういう状況のなかで、イラン問題や産油国での紛争、アラスカのプルドー湾油田の操業停止など、供給面の不安がある。
原油生産量が頭打ちになるという「ピークオイル説」も根強い。「安く手に入る従来型油田に限れば、10~20年もせずにピークが来る」と言われている。

最後は投機によるもので、実はこれが最も大きな問題である。

OPECは2005年7月から生産枠を実際の生産に合わせて2,800万バレルとしたが、それ以降は「供給は十分」として生産枠の引き下げを主張してきた。しかし、価格が上昇を続けるため、生産枠を維持した。
価格上昇の主な理由は投機資金の流入で、米国の年金資金等が大量に入り込んでいる。

 

ここにきて、状況に変化が見え始めた。Ushousingstartmonthly

9月20日に米エネルギー省が発表した週間在庫統計で、ガソリンやヒーティングオイルの在庫が前週から増加したことなどを受け、需給緩和観測が出てきた。
昨年まで上昇を続けてきた米国の住宅建設は、金利上昇を背景に1月から減少に転じ、8月の着工件数が2003年4月以来の低水準となったように、米経済の減速が明らかになった。

供給面ではOPEC議長が、加盟各国が現在は日量200万バレル前後の余剰能力を400万バレル程度に設備増強に努める方針であることを明らかにした。
ニューヨークで開催中の国連総会を機に、核開発を巡るイランとの対話が進んでいると見られていることも、売り材料となった。
欧米石油メジャーやブラジルなどはバイオ燃料開発に動いている。

原油に投じられていた投資マネーが天然ガス価格の急落でヘッジファンドが破綻したことや米国景気の減速を材料に、リスクの高い原油先物から安全な米国債に逃避する動きが加速し始めた。

米ヘッジファンドのアマランス・アドバイザーズ(Amaranth Advisors)が50億ドルの損失を計上して事実上解体を余儀なくされ、マザーロック(MotherRock) も解散に追い込まれた。
天然ガスは原油などに比べ流動性に乏しいが、両社は借入金を増やして購入額を膨らませていた。
NYMEXの天然ガス先物は昨年12月に百万BTU(英熱量単位)当たり15ドルと最高値を付けたが、最近になって下げ足を加速、先週は一時4ドル台に下がった。この結果、先物投資で大量の買い持ちのある両社は相場急落の局面で大きな損失を出した。

この報道を受け、原油を含む商品先物全般で売り優勢になった。

これまでの原油高を支えていた投機マネーが原油から逃げ出せば、原油価格やナフサ価格は更に下がる可能性がある。

 

石油化学業界にとって、この急落は好ましいものではない。

グラフの東京オープンスペックのナフサ価格は2ヵ月後入着品の価格である。7月、8月の高値のナフサは9月、10月に入ってくる。これらの価格上昇分はまだ転嫁できていないが、交渉時のナフサ先物価格が大きく下がっておれば、この分の転嫁についての需要家の説得は困難である。需要家は逆に価格引下げを強く要求するだろう。

因みに、ナフサ100$/トンの下落は Kl 当たりで8,000円程度の値下がりとなり、PE、PPで16円/kg、塩ビで8円/kgに相当する。

同様の理由で中国を中心としたアジア市況も下がるのは必至であり、輸出価格の低下につながると同時に、国内需要家の値上げ拒否、値下げ要請の理由にもなる。輸入圧力が強まることも国内の需要家に有利に働く。

中国バブル発生以前には原料価格アップ分の転嫁は難しかった。中国バブルの中での原油バブルがアジア市況を引き上げ、これが国内価格引き上げに役立った。中国バブルがはじけようとする中での原油バブルの破裂は、中国バブルに対応した各国の能力増のなかで、以前よりも、石化メーカーにより不利に働くであろう。

付記

 2006/7/17  「原油、ナフサ価格 急上昇
 2006/7/29  2Qの国産ナフサ基準価格 49,800円/klに」 (「国産ナフサ基準価格」の説明)
 2006/11/1  速報 3Q国産ナフサ価格 54,100円/kl に
 2007/1/31  速報 2006/4Q 国産ナフサ価格 決定」 
 2007/3/17  「OPEC総会、生産量維持を決定 
 2007/4/18  「ナフサ価格、高騰続く」 

なお、http://kaznak.web.infoseek.co.jp/new.htm で原則として毎日、グラフを更新しています。

ポスト産構法時代

産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。

通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、昭和62年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。

産構法後期に各社の業績は回復したが、ナフサ価格下落による需要の増大に負うところが大きい。産構法で抜本的な構造改革をしたのではなく、小規模多数メーカーの存在という状況には変わりがなく、一時的なカルテルによる時間稼ぎという意味が強い。このため、需要が再度減少した場合は再度、昔の繰り返しとなることが懸念された。しかし、産構法が終了した後、再度カルテルに戻ることは認められない。このため、今後とも産構法の精神を維持しようとして、2つの対応が取られた。

一つは「デクレア方式」で、もう一つはポリオレフィン及び塩ビの共販制度の維持である。

デクレア方式は事前報告制度で、産構法終了により今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
具体的には
 ・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
 ・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
 ・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
に通産省に報告して公表することとなった。

景気の回復により供給不測に陥り、業界では早くも増産に乗り出した。

まず、産構法で休止した設備の再稼動を行った。通産省は1987年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消したが、88年に入り、各社が相次いで休止設備の再稼動に乗り出した。

  出光石油化学:3月中に49,120トンを再開、6-7月に合わせて 50,960トンの設備の稼動
  三菱油化:2月に25,500トン、3月に22,900トンの設備を再稼動
  丸善石油化学:3月中に 22,000トンを再稼動
  新大協和石油化学:4月に24,200トンを稼動し、7月にはさらに29,940トンの再開
  大阪石油化学:5、7月に合わせて6万トンの再稼動
  山陽エチレン:7月に20,700トンを再稼動   
  昭和電工:年産22万トン設備のうち12万5千トン分を8月から再開

 この結果、産構法の指定解除後、再開する設備の合計能力は年間45万1,120トンとなった。

 

次いで新規増設の検討が相次いだ。

19896月、産業構造審議会化学工業部会が「1990年代における石油化学工業及びその施策のあり方について」と題する答申を出し、 「国際化」、「共同化」および「個性化」が重要であるとしてエチレン供給については設備建設の共同化、大型化を提案した。

エチレンでは出光石化が以前に認可を得ていた30万トン計画で、産構法でも既存設備216千トンの部分休止を前提に認めれられていた220千トンの新設(精製能力300千トン)を産構法期間中にスタートさせているが、産構法終了後、三菱油化の鹿島2期(326千トン)のほか、丸善石化の京葉エチレン(600千トン)、宇部エチレン(500千トン)新設が計画され、三菱油化の鹿島2期と京葉エチレンが実現した。

 三菱油化・鹿島期 326千トン 1992/5 稼動

同社は1980年代後半にスチレンモノマーの輸出で膨大な利益を上げたが、同社は経理の健全化よりも利益を表に出し、高い株価で時価発行で増資し、設備増設を行った。
エチレンやSMは外販分が多いが、その後の輸出価格の下落で増設分が足を引っ張ることとなる。

 京葉エチレン 600千トン 

京葉地区にある丸善石油化学、住友化学、三井石油化学はいずれもオレフィン不足の状況にあった。
1991
9月、丸善石化は需要に見合ったオレフィン供給体制の構築を図るため、100%出資の新会社「京葉エチレン株式会社」を設立した。
計画では、新会社のエチレン設備の年産能力は、住友化学と三井石油化学に各年間15万
トンの供給を前提に、国際的な規模と競争力を有し、効率的な60万トンとし、丸善石油化学千葉工場内に20038月に稼働開始の予定であった。
京葉地区にある4カ所のエチレンセンター
出光石油化学を含むは、従来からエチレン設備をパイプラインで相互に結ぶいわゆるコンビネーテッドコンビナートであったが、これを契機に3社間でエチレンに加え、プロピレン、ベンゼン、分解重油などがこの配管で結ばれた。

エチレン設備は20041月に完成したが、事業環境の悪化で営業運転開始は同年12月になった。
住友化学と三井石油化学は25%ずつの引取りを行ったが、異なる共販メンバー同士の提携を避けるため、出資については当初は行わなかった。

19959月に三井日石ポリマー、ユニオンポリマーが解散したのを受け、199512月に住友と三井は京葉エチレンに資本参加した。

  出資比率 取引比率
丸善石化   55.0%    50%
住友化学   22.5%    25%
三井石化   22.5%    25%

 宇部エチレン構想

宇部興産は宇部市の西沖の山埋め立て地に50万トンエチレンを建設する計画を立てた。
出資:宇部興産
50%/三井東圧 25%/日本石油化学 25%

これを前提に同地に、宇部ポリプロ(宇部興産/住友化学/徳山曹達)のPPプラントと、将来のJV化を前提に三井東圧のSMプラント(三井東圧、宇部興産、鐘淵化学が固定費負担で引取り)を建設した。

しかしその後、エチレン構想は中止となった。
現在はPPはプライムポリマー、SMは太陽石油化学(三井化学から買収)が運営している。

 

この結果、エチレンの各社の能力(単位:千トン)は1993年8月時点で以下の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。                      

    産構法設備処理 1993/8
定修有
  前   後
三菱油化 鹿島
鹿島2期
四日市
(計)



( 800)
  299
   ー

  211
(
  510)
  395
  326
  276
(  998)
三菱化成 水島   537   360   450
住友化学 千葉
愛媛
  569
  160
  345
    0
  380
日石化学 川崎   583   312   394
三井石化 千葉
岩国
(計)
  496
  292
(  788)
  496
    0
(  496)
  553
    0
(  553)
丸善石化 千葉   505   373   480
出光石化 千葉
徳山
(計)


(  380)
  220
  164
(  384)
  341
  438
(  779)
東燃石化 川崎   573   350   463
東ソー 四日市   361   266   377
大阪石化   320   252   350
山陽石化 水島   390   348   440
昭和電工 大分   541   320   709
合計    6,347  4,316  6,372

他に 京葉エチレン 600千t が199412月に稼動 

ポスト産構法後期

能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。

この結果、各社の業績は悪化したが、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、生き残りの策の検討を開始した。

三井の事業統合検討

1992年4月、新聞に三井東圧と三井石化が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じられた。しかし、これには両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。
しかし、特に三井東圧の業績がその後も回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。

三菱グループの場合も、特に設備の拡大を図った三菱油化の業績が悪化したこともあり、「永遠の話題」と言われ実現が難しいとされた1994年10月に三菱グループの大合同が実現した。

事業統合時代

三菱の事業統合

19931224日、三菱油化と三菱化成は、9410月に両社を合併することに合意したと発表した。

合併要領:
(1)対等の立場で合併する。ただし手続き上は、三菱化成株式会社を存続会社とする。
(2)合併期日は、平成6年10月1日を予定する。
(3)合併比率は、三菱油化の株式1株に対し、三菱化成の株式1.3株とする。
(4)合併後の新会社の商号は、「三菱化学株式会社」とする。

企業風土の違いや、油化側の化成に対するライバル意識も根強く、踏み切れないままできたが、両社の業績悪化が深刻の度を増す中で、「企業体質を強化するには合併がベストの選択」と判断し、双方のトップ同士が決断を下したと言われる。
「三菱の合併は永遠の話題」と統合を否定した吉田正樹・前社長は同年春に亡くなっている。

発表の記者会見では「油化の救済合併の意味合いもあるのか」との質問が出て、油化は「心外だ」とし、化成も「石油化学部門の強化は化成にとってもメリットは大きい。救済という意識はない」と否定した。
しかし、そういう質問が出る程、三菱油化の損益は悪化していた。

合併発表の記者会見で「人員、設備の削減は」と聞かれたのに対して、
「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す。」と答えている。

実際に3エチレンセンターはそのまま残され、人員にも手をつけなかった。このため合併効果は余り上がらす、更に旧三菱化成の三菱化学メディアの不振等もあり、業績は低迷した。同社は「選択と集中の時代」になって、ようやく人員と設備の問題に手をつけている。

1994101日、三菱化学が発足した。
統合に際し、水島地区で旭化成と相互乗り入れしていた
エチレン子会社の資本乗り入れを解消している。
両社は三菱の水島エチレン、旭化成(と日本鉱業のJV 山陽石化)の山陽エチレンに50%ずつ出資していたが、公取委の指示により、94年7月に株式交換を行った。
その後、水島エチレンは三菱化学発足と同時に吸収合併した。山陽エチレンは95年4月に山陽石化が吸収合併、2001年にその山陽石化を旭化成が100%子会社にしている。

三井の事業統合

1992年の統合交渉は事前に漏れたため、いったん交渉を凍結した。その後に両社の業績は悪化、特に三井東圧の利益は低下した。
19969月、三井石化、三井東圧は199710月の合併に向け、交渉を進めていることを明らかにした。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。
その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。

199710月、両社は合併し、三井化学が誕生した。

翌年4月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。
一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。 

 

選択と集中時代

Ethylenedemand_2

バブル時代の新増設でエチレンや誘導品の能力は増えたが、需要は増えていない。増設分は輸出に頼ったが、2000年頃はまだ中国バブルの前であり、輸出価格は低く、各社の業績は悪化した。

この中でポリオレフィンの2004年問題が各社の懸念となった。
2006/2/22 「
忘れられた「2004年問題」 参照
l 

「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて体制強化の検討を始めた。

①三菱化学 四日市エチレン等の停止

三菱化学は1994年の三菱油化、三菱化成統合以降も旧油化の鹿島、四日市、旧化成の水島の3エチレンセンターをそのまま維持してきたが、2000年央からのサウジアラビア、台湾、シンガポール等における大型エチレンプラントの新増設によりオレフィン及び誘導品の輸出を行うことが厳しくなること、さらには2004年の主要石化製品における大幅な関税の引き下げ等により今後より一層内需の伸びが期待できないことから、エチレン生産体制の見直しを行うこととし、2001年1月に、四日市事業所のエチレンプラント及びEG、EO設備を停止した。

三菱化学の生産能力            単位:千T/Y
  製品名    スタート  能力(現状)   能力(集約化後)
エチレン 四日市
水島
鹿島No.1
鹿島No.2
'68/3
'70/7
'70/11
'92/6
     270
     
450
     375
     453
    1,548
       0
     450
     375
     453
    1,278
  注:定期修理実施年のもの

②三井化学、大阪石油化学を完全子会社化

三井化学は2000/3/13に大阪石油化学との間で株式交換を行い、同社を三井化学の完全子会社(100%)とした。

三井化学は千葉地区の浮島石油化学と、
大阪地区の大阪石油化学の両エチレンセンターを運営していたが、石油化学産業を取り巻く厳しい事業環境の中で、主原料の供給ソースであるエチレンセンターの競争力強化という課題について検討した結果、完全子会社として、浮島石油化学と一体運営することが最適であると判断したもの。

大阪石油化学
  設立   1965/2
  資本金   50億円
  株主   三井化学 55%、宇部興産 20%、鐘淵化学 5%、コスモ石油 5%、三井物産 5%、三和銀行 5%、さくら銀行 5%
  エチレン能力   45万t

③旭化成、山陽石油化学を100%子会社化

旭化成とジャパンエナジーは、両社出資の山陽石油化学のJエナジーが保有する全株式を旭化成に譲渡することで合意、20014月に48億4000万円で譲渡した。

石油化学産業の事業環境が厳しさを増すなか、石油化学誘導品事業を行っている旭化成がエチレンセンターである山陽石化を一体運営することが最適であるとの結論に達したもので、両社は原料取引関係を含め、協力関係を継続する。

山陽石油化学
  設立   1968/7
  資本金   20億円
  出資比率   旭化成 60%、Jエナジー 40%
  エチレン能力   504千トン(定修なし)

④昭和電工の石化事業方針転換

昭和電工は2000年にエチレン・プラント効率化工事を完了させ、旧来の2系列平均 755千トンから、1系列 600千トン(いずれも定修あり、なし平均)体制に変更した。

1号機(231千トン)を廃棄する一方、2号機(524千トン)を主力装置である分解ガス圧縮機、タービン等のリプレースにより年産600千トンに増強したもので、設備投資は合計約70億円。これにより年間約30億円のコストダウンを図るとともに、需要見合いでの連続フル稼動が可能となった。

同社は2002年、新中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」を策定したが、これまで事業シナジーが希薄なまま展開してきた「総合化学」から、「無機・アルミと有機の融合」中心の「個性派化学」への転換を急ぐという方針を決めた。

その中で石油化学は、現状収益力に拘らず、マーケット構造、成長戦略事業との技術シナジーの不足から再構築が必要な事業群(再構築事業)とされ、最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れるとした。

ポリオレフィンについては、PPは既にバゼルが主体のサンアロマーに任せているが、PEについても2003年9月に同社が主体であった日本ポリエチレンを日本ポリケムに統合させ日本ポリエチレンを設立、実質的に三菱化学に任せることとなった。

⑤東ソーのビニルチェーン構想

多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

エチレンについては97年に四日市で分解炉炉の増設、デボトルネッキングで 85千トンの増設を行い、合計 527千トン(定修スキップ年)としたが、南陽と四日市の事業所で年間約100万トンが必要で、不足する年間約50万トンを外部購入に依存する。
ビニルチェーンについては 2006/9/19 「日本のVCM業界の変遷-2」 参照

⑥三井化学および住友化学の全面的統合発表

2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、2003年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については2001年10月に先行的に統合することを発表した。
両社はともにエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。

統合の効果としては、
石油化学・基礎化学分野では、シンガポールでエチレン100万トン超の設備の新設を実施し、両社の得意な誘導品をあわせてバランスの取れた収益力の高いコンプレックスを構築するなど、事業規模の拡大を通じたグローバルな競争力の強化が実現できること、
機能性材料・ファインケミカルズ・ライフサイエンス分野では、電子情報材料や農業化学品など、両社の幅広い事業展開と研究開発力等の統合により、大きなシナジー効果が期待できるとしている。

本件は三井側からの提案で、企業エゴを捨て、真のグローバル企業を創ろうというものであったと言われている。これ以前に両社のメインバンクである住友銀行とさくら銀行(三井主導)が合併し三井住友銀行が発足している。

全面統合については当初は、両社が共同株式移転により持株会社を設立して上場する方式で出発するとしたが、両社の統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとした。統合までに時間があり過ぎるのではないかということと、統合比率を後で決めるというのが問題とされた。

これに対して三井グループの繊維・化学会社で「大三井化学」のメンバーになると想定されていた東レが「三井-住友の場合、統合してもエチレン能力は180万トン弱で、これで強いといえるかどうかだ」と反対した。

20014月、両社は統合の具体案を発表した。

  社名   三井住友化学
  統合時期/方法   2003/10/1 共同株式移転により持株会社を設立
2004/3/末 持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社に。
  事業運営組織   「石油化学」、「基礎化学」、「機能樹脂」、「機能化学」、「情報電子化学」、「農業化学」、「医薬」の7つの社内カンパニー

両社は合わせて、ポリオレフィン事業の統合について発表した。 

⑦浮島石油化学の解散

三井化学と日本石油化学は20015月、エチレンの共同生産を9月末をめどに中止すると発表した。三井化学と住友化学の経営統合に伴う措置。
両社はエチレン生産会社、
浮島石油化学に折半出資しており、三井化学の市原工場内に553千トン、日石化学の川崎事業所内に404千トンと1基ずつエチレンプラントを持っていたが、千葉の設備を三井化学が、川崎の設備を日石化学が引き取りそれぞれ運営する

この結果、三井化学は同社の千葉と大阪にエチレンプラントを持つこととなった。

⑧三井化学と住友化学の全面的統合の破談

20001117日の全面的統合の発表後、先行する三井住友ポリオレフィンは20024月に当初予定から半年遅れでスタートした。

200212月に公取委は本件を承認した。

しかしながら、統合の検討を始めると直ぐに、両社の間に不協和音が出だしたとのことである。
両社は発表後、統合の準備を進める一方で競って事業の拡大を行った。「両社の統合における比率は統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定する」とした取り決めが影響している。

新聞情報によると、経営統合に当たり、両社は「対等の精神」を理念に掲げたが、住友化学が時価総額(株価が15%弱の差で、株数は住化が三井の約2倍)をベースに考えて主導権を取ろうとし、三井化学は文字通りの「対等」にこだわった。
首脳人事では三井化学は「対等」の証として共同最高経営責任者制を提案したが、住化が拒否した。
多くの点で妥協も行われたが(共同持株会社を設立し、半年後に持株会社が両社を吸収するという二段階方式は、法的に三井が消滅会社となるのを避けるため)、住化主導の色が濃く、三井では「飲み込まれる」という不安が高まったといわれる。

2002年末には首脳人事(社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長)などが内定したが、統合比率で折り合えず、20033月を期限に再交渉することで合意した。
しかし、その後も折り合えず、2003
331日、統合計画の白紙撤回を発表した。

中国バブルが始まり、両社の業績が上向き、単独でもやっていけるとのムードが出てきたのも響いている。

その後、住友化学はサウジのラービグ計画を、三井化学は出光興産との提携強化、ポリオレフィン事業の統合を発表する。

⑨三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合

三井化学は住友化学との経営統合計画の解消後、2004年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産/出光石油化学と包括提携で基本合意した。

3社は、石油精製・石油化学事業の国際競争が激化するなか、これまで個別企業毎に行ってきた合理化等の取り組みだけでは限界があるとの共通認識に基づき、千葉地区における業務提携の可能性について予備的な検討をしてきたが、原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指すこととした。

この業務提携を具体化することにより、出光グループは石油精製と石油化学のインテグレーションを更に推し進め、「石油精製の高度化による原料・留分の付加価値向上」と共に、「製油所・石油化学工場のコスト競争力強化」を図る、三井化学は石油化学事業構造の抜本的な変革、即ち「分解原料の多様化」「プロピレンセンター化」「差別化」を促進するとした。

200411月、三井化学と出光興産は包括提携の一環として、千葉地区へ輸入するナフサを大型タンカーを使い共同輸送すると発表した。両社が千葉地区で中東から輸入しているナフサの量は、三井が年間230万トン、出光100万トンで計約330万トンあるが、大型船を共同活用することで輸送費の削減を図る。

20045月、三井化学/出光興産/出光石油化学は三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合(プライムポリマー)の発表を行った。

⑩出光興産による出光石油化学の吸収合併

20045月、三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合と同時に、出光興産による出光石油化学の吸収合併も発表した。

出光興産は創業以来、外部資本を受け入れない経営方針を貫いてきたが、2000年には株式の上場を決断、市場からの資金調達で財務健全化を目指す戦略に転換した。

2000年以降、12の金融機関を引受先として議決権のない優先株を発行し、計378億円の増資(当初資本金10億円)を実施したが、2002/4の新中期経営計画では、2006年度の株式上場を目標とするとした。天坊昭彦社長は「プライベートカンパニーからパブリックカンパニーヘの転換」「2006年の上場」など基本方針を明らかに、「製油所体制の見直し」「石油化学産業の地域連携による競争力強化」「選択と集中」などを骨子とする新中期経営計画完遂に向けて「結果重視、スピードの経営」を進めるとした。

最大の子会社である出光石油化学については、燃料油・石油化学両事業とも益々厳しいことが予想される中、両社の合併を視野に入れた燃料油・石油化学事業のインテグレーションの検討に着手していた。

出光石油化学は2003年にPS事業を旭化成、三菱化学のA&Mスチレンと統合、PSジャパンを発足させ、自社設備の大半を処理している。
逆にPPについては2001年1月、徳山でプラントが隣接するトクヤマとの提携を発表した。両社でPPの製造合弁会社・徳山ポリプロを設立してトクヤマの工場内に20万トンの設備を新設し、トクヤマの既存設備は廃棄、トクヤマがPPの営業権を出光石化に譲渡する、というものである。
三井とのプライムポリマーの設立で、PPを含め、ポリオレフィンを実質的に三井化学に任せる結果、石油化学事業の大半は、化成品事業を中心に燃料油事業と密接なものになるため、原油から石油・石化製品までの一貫した事業運営、簡素な組織体制を構築し、より効率的な事業経営を進めることが出来る。

20048月に合併、出光石油化学は解散した。

⑪新日本石油による新日本石油化学の管理・営業・開発部門の統合

20064月、新日本石油は新日本石油化学の管理部門、販売部門および研究開発部門を、会社分割の方法により新日本石油に統合し、製造部門は、製造会社たる新日本石油化学として存続させた。

新日本石油では2001年、新日本石油化学にCRI推進室を設置し、グループをあげてCRI(石油精製と石油化学の一体化:Chemical Refinery Integration)を推進し、未利用留分の有効利用や統合LPの活用による製油所とスチームクラッカーの一体運営など成果を上げていた。

同社では石化事業における競争力の源泉は、これまで以上に原料面での優位性(量の確保とコスト競争力)に求められるという形に構造変化し、石油と石化の事業領域の境界もなくなりつつあると考え、国内最大の精製能力約120万BD という強みを最大限に生かすべく、原油から石油および石油化学製品までの一貫生産・販売・研究開発体制の強化を図ることとした。

ーーーー

「選択と集中」時代に入り、三菱化学の四日市エチレンの停止、三井と住友の全面統合の発表などが起こり、日本のエチレンセンターの再編が行われると期待されたが、中国バブルの発生で動きは止まった。

三井と住友の統合は破談となった。

昭和電工は、再構築が必要な事業群(再構築事業)に含め、「最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れる」とした石油化学事業のうち、オレフィン、有機化学品、特殊高分子等について、2005
11発表の新中期経営計画「プロジェクト・パッション」では基盤事業(cash cow:高い利益を生み出す事業)としている。

一度は停止を決めた京葉モノマーや宇部興産のPE事業も、丸善石化コンビナートで生産を続けている。

集約が進むポリオレフィンでも、日本ポリエチレンや日本ポリプロは多数のエチレンセンターに工場をもっている。

立地 エチレンセンター 能力
(千トン)
定修なし
主なオレフィン需要(自社以外)
鹿島 三菱化学   901 日本ポリエチレン、日本ポリプロ、鹿島塩ビモノマー、
旭硝子
千葉 丸善石化   525 宇部丸善ポリマー、京葉モノマー、チッソ、電気化学、
日本ポリプロ
同(京葉エチレン)   768 (三井化学、住友化学)
三井化学   612 プライムポリマー  提携        
出光興産   413 プライムポリマー
住友化学   415 日本アルデハイド
川崎 東燃化学   515 日本ユニカー、日本ポリエチレン、日本ポリプロ、
旭化成、昭和電工
新日本石油化学   443 日本ポリエチレン、サンアロマー:浮島ポリプロ、
日本触媒、旭化成
四日市 東ソー   527 日本ポリプロ、協和醗酵ケミカル
三菱化学   停止  
大阪 大阪石油化学
(三井化学)
  500 (カネカ;高砂)、(東ソー:南陽)、
(太陽石油化学:宇部)
水島 三菱化学   496 日本ポリエチレン、日本ポリプロ、ヴイテック、
クラレ、ダイヤニトリックス
山陽石化
(旭化成)
  504  
徳山 出光興産   688 昭和電工、東ソー、トクヤマ、日本ゼオン
大分 昭和電工   653 日本ポリエチレン、サンアロマー、新日鐵化学、
日本スチレンモノマー

千葉、川崎、水島地区では各プラントがパイプラインで繋がり、「コンビネーテッド・コンビナート」を形成しており、これを通じて実質的にオレフィンを統合し、これを基に誘導品を整理することが考えられる。京葉エチレンは丸善石油化学、住友化学、三井化学にオレフィンを供給している。三井出光の提携はこれに繋がると思われる。
しかし、石油コンビナート高度統合運営技術研究組合
RING)のように互いに利益が出るプロジェクトは実施できても、エチレンの統合までは難しい。

出光や新日本石油に見られる石油精製と石化の統合管理は、それ自体は合理的だが、エチレンセンターの統合では逆に働く。

日本のエチレン業界は従来同様、小規模多数プラントから脱却できていない。
日本で最大の三菱化学鹿島で2系例合計でやっと90万トン、平均すると60万トン以下である。
他方、中国では1系列100万トンのエチレンが建設されており、中小のエチレンを100万トン程度まで増設する動きがある。

中国バブルが破裂し、誘導品がどうしようもない状況になる迄は、エチレンセンターの再編は難しい。

GEは14日、シリコーン事業のGE Advanced Materials Apollo Management, L.P.,38億ドルで売却すると発表した。GE1971年に東芝と設立したGE Toshiba Silicones1998年にBayerと設立したGE Bayer Silicones 2つのJVを持つが、両社からJV持分を買い取ってGE 100%とした上で、本体とともにApollo に売却する。なお、GEはApollo の新会社に10%出資する。

GEは、工業部門をより成長の高い、より利益率の高い分野に向ける大きな一歩としており、JV持分買収費等を差し引いたネット売却収入の20億ドルを、この部門の成長とリストラの原資にするとしている。

東芝はジーイー東芝シリコーン(GE 51%/東芝 49%)と、その子会社6社の株式をGEに売却すると発表した。
 GETOS Singapore Pte.Ltd.

 
GE Toshiba Silicones Asia Pacific Pte.Ltd.
 
GE Toshiba Silicones (Nantong) Co., Ltd.
 GE Toshiba Silicones Hong Kong Co., Ltd.

 
GE Toshiba Silicones Shanghai Co., Ltd.
 
GE Toshiba Silicones Thailand Ltd.

同社は1953年にシリコーン事業を開始し、1971年からGEグループとの合弁会社でシリコーン事業を営んできたが、現在ではシリコーン事業は同社グループの他の事業との関連性が低い状況となっており、GEの提案に同意したとしている。
譲渡価格は約570億円、売却益(税前利益)は約380億円。

Bayerも同日、売却を発表した。GE Bayer Silicones 1998年に両社のシリコーン事業を統合して設立された。ドイツ、オランダ、英国とインドに工場を持っている。Bayerの売却額は475百万ユーロで、売却益は250百万ユーロとしている。

ーーーー

シリコーン(Silicone)は、ケイ素(シリコンSilicon)と酸素からなるシロキサン結合(≡Si-O-Si≡)を骨格とし、そのケイ素(Si)にメチル(-CH3)を主体とする有機基が結合したポリマーで、無機質のシロキサン結合と有機基との結び付きにより、炭素炭素結合を持つ有機化合物やポリマーと比較し数多くの優れた特性をもっている。
(耐熱・耐寒性 耐候性 電気絶縁性 化学的安定性 撥水性 消泡性 離型性
       

形状はオイル、エマルジョン、レジン、ワニス、ゴムおよびパウダーなどと極めて多様で、用途も多岐にわたり、いろいろな分野で利用されている。

Siliconeuse  

 

 

 

 

 

日本のシリコーン工業会 メンバーは以下の通り。

東レ・ダウコーニング・シリコーン Dow Corning:65%、東レ:35%
GE東芝シリコーン General Electric:51%、東芝:49%
旭化成ワッカーシリコーン Wacker:50%、旭化成:50%
信越化学工業  
チッソ  

* 他に、日本ユニカーがメンバーであったが、東レ・ダウコーニング・シリコーンに事業を売却した。

ーーーー

2001年2月、信越化学はGE/東芝グループと50/50出資のシリコーンモノマーの製造会社をタイに設立した。
社名はAsia Silicones Monomer Limited
で、能力は年間約7万トン(シロキサンベース) アジア最大の単独シリコーン製造工場 である。
この
JVについては今回の発表では触れられていない。

信越はまた、タイにシリコーン製品の生産・販売を行う全額出資子会社「
シンエツ・シリコーンズ・タイランド」を設立。上記JVのシリコーンモノマー設備の完成に合わせて、製造開始した。

信越化学は2002年にシリコーン製品の製造販売に関する合弁会社を中国に設立している。
社名 浙江信越精細加工有限公司
出資 信越化学 90%、TOPCO International 10%

東レ・ダウコーニング・シリコーンは中国上海市にミラブル型シリコーンゴムの製造販売会社 Ling Dao Silicone (上海)を設立している。

本年8月、ダウコーニングとワッカーは中国・張家港市でのシリコーン事業のJV、Dow Corning (Zhangjiagang) Co, Ltd. の認可を得ている。
ポリマーのシロキサンを製造するもので、
シリコーン樹脂の充填材などに使う乾式シリカの製造JVも設立する。ダウコーニングがシロキサン、ワッカーが乾式シリカを担当する。

 

参考資料:シリコーン工業会ホームページ

中国の国家質量監督検験検疫総局はこのたび、日本からの輸入食品や化粧品に禁止物質や基準値を超える物質が続々と発見されていると発表した。

国家質量監督検験検疫総局 (AQSIQ)は中国全土で販売される商品全般の品質検査・管理、輸出入衛生検疫、輸出入動植物検疫、認証認可、品質管理の基準化作業などを行う国務院の直属機関。中国語の「質量」は「品質」の意味。

深セン検験検疫局では、日本から輸入された魚肉ソーセージに中国の最高基準値の17.3倍に当たる1キロ当たり1.3グラムのソルビン酸が検出された。このほか、九州地方で生産された大根の漬物からも基準値を上回るソルビン酸を検出した。

山東省の検験検疫機関で、日本から輸入された冷凍タチウオから微量のリステリア菌が検出された。リステリア菌はヒトや家畜に敗血症、脳膜炎、単核細胞の増加などを引き起こすなど、人々の安全を脅かす。

天津市の検験検疫局で基準値を超える細菌を含む日本産コーヒーが見つかった。また遼寧省の検験検疫局で、日本からの冷凍タコ1181ケースから黄色ブドウ球菌が検出された。

広東省の検験検疫局で日本製ケーキから基準値を上回るアルミニウムが検出された。日本製のデンプン粉18トンから基準値を大きく上回る二酸化硫黄が、冷凍カキから基準値の約5倍のカドミウムが検出されている。

広東省の境検験検疫局又、プロクター・アンド・ギャンブルグループのマックスファクター社が製造した「SK―II」ブランドの化粧品から、配合が禁止されているクロム、ネオジムなどを検出した。
クロムはアトピー性皮膚炎や湿疹などのアレルギー反応を引き起こす可能性があり、発病すれば治癒までに時間がかかるうえ、大変治りにくい。ネオジムは目や粘膜に強い刺激を与えるほか、皮膚にも刺激を与え、吸い込むと肺血栓塞栓症や肝機能障害をもたらす可能性がある。いずれも中国や欧州などの関連規定では、化粧品への配合が禁止されている化学物質。
北京ではSK―IIの返品ラッシュ始まったという。

検総局はこうした問題について、日本政府の主管部門と駐中国大使館に書簡を送り、日本の関連部門が対中輸出食品の管理を強化し、中国の国家基準に合致させることを保証するよう求めた。
また同局は各地の検験検疫機関に通知を出し、日本からの輸入食品の検査を強化し、食品の安全を確保するよう求めている。

日本経済新聞(9/15)は、「日本政府による残留農薬規制の強化に対抗し、日本製品への検査を厳格化している可能性が高い」としている。

ーーーー

日本ではこれまで、食品残留基準にネガティブリスト制度を採用していた。

厚生労働省が食品衛生法に基づいて残留農薬基準を設定しており、残留農薬基準を超えるような農薬が残留している農産物は、食品衛生法により販売禁止などの措置がとられる。
この場合、規制するものをリスト化(ネガティブリスト)し,リストに記載された農薬のみに残留基準が定められたが、残留農薬基準が設定されている農薬等は約250農薬に過ぎなかった。
「不検出」(検出されてはいけない物質)は、2,4,5-T など15物質。

このため,残留基準が定められてない農薬では,残留が検出されても基本的に規制対象外となり流通することが出来た。輸入農産物に、国内で使用されていない農薬の残留があってもリストに無い農薬であれば,流通を規制することが出来なかった。Positivelist_1

厚生労働省は2003年に食品衛生法を改正し、基準が設定されていない農薬等が、一定量を超えて残留する食品の流通を原則禁止するポジティブリスト制度に、3年以内に移行することを決定、本年5月29日から施行された。
(添付図参照 クリックすると拡大)

規制の対象
 規制対象物質 … 農薬、動物用医薬品、飼料添加物
 規制対象食品 … 加工食品を含むすべての食品

ポジティブリスト制では、国内や海外で使用されるすべての農薬や動物薬、飼料添加物(799成分)について、国際基準であるCodexや農薬登録保留基準、先進諸外国の基準を参考として暫定的に基準値(暫定基準)が設定され、基準値をオーバーする食品(加工食品を含む)については流通が禁止される。
残留基準が定められていないものについては「人の健康を損なうおそれのない量として厚生労働大臣が一定量を告示する」こととなっており、0.01ppm と告示された。
なお、「人の健康を損なうおそれのないことが明らかであるもの(特定農薬等)」として厚生労働大臣が指定する物質は本制度の対象外となり、65物質が指定されている。
(例)コメの残留基準(単位:ppm)
農薬等 従来基準 改正基準 
2,4,5-T 不検出 不検出
2,4-D 0.1 0.1
アセフェート 基準なし 基準なし→0.01適用
アセキシノル 基準なし 暫定基準0.02

この制度により、農薬の飛散による影響などが懸念されるが、日本への農産物の輸出が多い中国が大きな影響を受け、日本向け輸出量が減少した。

5月30日には中国商務部の報道官は以下の通り述べている。
日本が「食品に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度」を実施すれば、中国の対日農産物輸出に対するハードルは引き上げられることになり、両国の農産物貿易に大きな影響を与えるだろう。
   
29日から実施されているポジティブリスト制度は技術基準問題にとどまらず、貿易の公平さにもかかわってくる。中国は消費者の健康と安全を守ろうとする日本政府の立場を尊重するが、ポジティブリスト制度が中国の農産物企業と農民の利益に与える利益にも大きな関心を寄せている。
   
日本政府が食品の品質保証を前提に、正常な貿易が影響を受けないよう必要な措置を講じることを中国は望んでいる。また広範な中国の農産物輸出企業が関係省庁と業界組織の指導のもと、生産管理を強化し、自主検査能力と自主規制能力を高め、主体的に措置を講じて輸出リスクを回避するよう望んでいる。
   

食品衛生法では輸入食品に関して以下の規定がある。

厚生労働大臣は、食品衛生上の危害を防止するため必要があると認めるときは、生産地の事情、過去の違反事例等その他の事情からみて食品衛生法に違反するおそれがあると認められる食品、添加物、器具又は容器包装を輸入する者に対し、当該食品、添加物、器具又は容器包装について、厚生労働大臣又は登録検査機関の行う
検査を受けるべきことを命ずることができるとされており、命令を受けた者は、当該検査を受け、その結果の通知を受けるまで、当該食品等の販売又は営業上の使用が禁止される(検査命令)。

検査の結果、食品衛生法違反であることが判明した食品等については、
廃棄、積み戻し等の措置が行われることとなる。

ーーーー

食品輸入をめぐる争いに関しては、中国と韓国のキムチ問題があった。

昨年、韓国政府が中国からの大量のキムチ輸入への対応として製品検査をしたところ、寄生虫卵が発見され、発表した。
これに対して中国側は、韓国製のキムチからも寄生虫卵が発見されたと発表、韓国側で調べたところ16社の製品から検出され、中国の発表が事実であると確認された。(日本も輸入していた)

付記 (9/23)

国家質量監督検験検疫総局は21日再び緊急通知を出し、各地方の検験検疫部門に対して、日本産輸入食品の検査を強化し、問題のある食品の国内流入を断固として防ぎ、輸出入食品の安全性を確保するよう求めた。

関連の検験検疫機関は問題のある食品について、「中華人民共和国輸出入食品検験法」とその実施条例の規定に基づき、すでに輸入禁止措置を発動している。

各社の動きの続き    (添付図はクリックすると拡大します。)

トクヤマ

 ア法転換4社の1社である徳山曹達は当初、先ずEDC生産が認められた。
 1964
、徳山曹達、東洋曹達は周南石油化学を設立、
 東曹・南陽でEDCとエチレンジアミン、徳曹・徳山でEDCとPOを生産した。

 その後、東曹は自社で1966年南陽でオキシ法VCMを生産、
 1970年に鉄興社とのJV・四日市鉄興社を設立して四日市で鉄興社枠でPVCを生産した。

 徳曹は1966年にダイセル、鉄興社とのJVサン・アロー化学(徳山)を設立し、VCMとPVC(鉄興社枠で)を生産した。
 当初、鉄興社 45%/徳山曹達 35%/ダイセル 20%
、その後、ダイセルが離脱。

 1975年に東曹は鉄興社を吸収合併し、徳曹はサン・アロー化学を100%子会社とした。
 周南石油化学は1978年に解散した。

 1995年にトクヤマ、サン・アロー化学は新第一塩ビに参加した。
 新第一塩ビでは住化は千葉塩ビモノマー、ゼオンは山陽モノマー、徳曹はサン・アロー化学からVCMを持ち込んでいたが、徳曹は1996年12月に公称能力 13
5千トン設備をS&Bし、300千トン設備を建設した。

山陽モノマー(日本ゼオン、旭化成・水島コンビナート)

 1968年、山陽モノマーが設立され、1970年にゼオン水島工場内に12万トン設備が建設された。

出資比率 日本ゼオン 55%、旭化成 25%、チッソ 20% 
原料 塩素   :岡山化成(旭化成 50%、ダイソー 50%
エチレン:山陽石油化学(旭化成)
引取 ゼオン  65%  PVC
旭化成
10%   ビニリデン、溶剤(延岡)                 
チッソ 
25%   PVC

 日本ゼオンは1979年に高岡の混合ガス法(GPA)設備を停止している。

 その後、山陽モノマー能力は230千トンに増加した。

 新第一塩ビは1999年5月に、水島のPVCプラントの停止を含む再構築策を発表した。 
 日本ゼオンは旭化成、チッソと交渉し、PVCと同時に2000年3月に山陽モノマーを停止することを決めた。

  対応として、旭化成は3年間、塩素とエチレンを隣接の三菱化学にパイプで供給し、
  VCMを生産委託し、チッソ水島(撤退決定で鐘化からPVC製造受託)と旭化成延岡に供給した。

千葉塩ビモノマー(住友化学) 

 当初、住化と電気化学2社JV・日本塩化ビニールでVCM 100千トンを生産する計画であった。
 通産省の指導で、千葉地区の3計画(日本塩化ビニール、旭ペンケミカル、日産化学の各10万トン計画)を統合
した。

 この結果、 電解~EDCの日本塩化ビニール(住化/電化)とVCMの千葉塩ビモノマー(住化/電化/旭硝子/日産/チッソ)が設立された。

 以後の経過は次の通り。Chibi1_1

 1984年に電解のDI法への転換で徳山曹達の技術を導入、徳曹は関東の塩素系製品製造Chibi2 のため、電解に参加した。

 1996年に大洋塩ビが設立され、東ソーは電気化学の工場内にVCMタンクを設置、電化は千葉塩ビからの離脱を要請した。

 交渉の結果、1997年10月に電化は3つのJVからの引取りを中止、98年10月に電解、EDC会社が解散した。
 電化は千葉塩ビモノマーからも離脱、住化と旭硝子は旭硝子のEDCを使って両社枠の生産継続を図った。
 しかし、経済的に成り立たず、同社は99年に解散した。

 新第一塩ビとしてはサン・アローのS&B後はVCM能力が過大で、徳曹は外販で補っていたため、支障は生じない。

 

東ソー(四日市、南陽) 

 多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
 同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる
 「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

Vinylisochain2_2 同社は1996年の南陽の第二VCM(第1期)に始まり1999年まで、南陽と四日市でビニルチェーンに膨大な投資を行った。
 
大洋塩ビ設立時には次の構想をたてた。
   三井東圧化学は名古屋の電解、大阪の電解とVCMを停止、
   電気化学は千葉電解、千葉EDC、千葉塩ビモノマーから離脱し
て、東ソーから購入
 南陽の第二VCM(第1期)30万トンは、この構想を前提に建設したもので、その後構想は実現した。

 同社はその後もビニル・イソシアネート・チェーンの拡大を続けた。
 2005年11月、南陽のVCM 400千トンが完成し、VCMの合計能力は1,475千トンとなった。
 なお、2006年4月には同設備を600千トンに増設すると報じられている。

 

三井化学(大阪)

 1968年に三井化学と東洋高圧、三井泉北石油化学を設立し、1970年に大阪でオキシ法VCM,PVCの生産を開始した。

 (三井化学と東洋高圧は1968年に統合、三井東圧化学となり、1974年に三井泉北石油化学を吸収合併した)

 三井化学は1996年に大洋塩ビ設立に参加、東ソーの構想に乗り、1999年12月に大阪工場の電解(ソーダ70千トン)とVCM(109千トン)を停止した。
 東ソーにエチレンを供給し、VCMを製造委託した。

三菱化学→ヴイテック(水島)

 三菱化学の塩ビ事業は、四日市でのMonsant とのJVのモンサント化成と、水島での日本カーバイドとのJVの水島有機に始まる。

 両社の事業は最終的に1985年に三菱化成ビニルに統合されたが、三菱化成と三菱油化の統合による三菱化学の設立で、VCM、PVC事業は三菱化学が引き継ぎ、三菱化成ビニルは樹脂加工業となった。Mitubishipvc

 2000年4月、三菱化学は東亞合成とともにヴイテックを設立、水島の電解~PVC、四日市のPVCはヴィテックに移った。

 なお、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得した。
 東亞合成との提携で、これを川崎に持ち込んでPVCにし、関東地区の販売に当てた。
 しかし、2000年に旭硝子とともに引取り権を放棄している。

 ヴイテックは2002年に企業体質強化策を発表した。
 これに基づき、
 2003年3月、セントラル化学からの年間10万トンVCMの引取りを終了
 同年6月、水島のVCM能力を35万トンに引き上げ
 2003年末、電解の増強を行い、EDC自給体制を整えた。

 2005年、同社は水島のVCM能力を40万トンに引き上げた。増産分は中国を中心にアジア市場に輸出する。

セントラル化学(川崎)

 1963年、セントラル硝子(元宇部曹達)70%/東亜燃料 30% でセントラル化学を設立
   翌年、水銀電解及びEDCの製造販売を開始

 1969年、東亜合成、セントラル硝子、東燃化学が川崎有機を設立)
 (1970年、川崎有機、PVC生産開始)                             

 1970年、セントラル硝子 60%/東亜燃料 20%/東亞合成 20% に。
      VCM製造販売開始(VCMは川崎有機へ供給)
      
 1974年、PVCを川崎有機に生産委託し、販売開始
 
 1985年、イオン交換膜電解新設
      セントラル硝子74.4%/東燃化学 12.8%/東亞合成 12.8% に。

 2000年、セントラル硝子 87.2%/東燃化学 12.8%

  * 2000
4月のヴイテック発足に先立ち、川崎有機からセントラル硝子、東燃化学が離脱し、
   川崎有機は東亞合成 100%に
   
(PVCはヴイテックに移管、機能性モノマー専業になるが、2001年東亞合成が吸収合併)。
  これに合わせて東亞合成がセントラル化学から離脱した。

 2002年、セントラル硝子 100%に。
 2003
年、PVC、VCM事業から撤退、4月にセントラル硝子が吸収合併。

ーーーー

「選択と集中」時代に旭ペン、三井化学、山陽モノマー、千葉塩ビモノマー、セントラル化学の各社が設備を廃棄し、その合計能力は731千トンに及んだ。しかし、他方、ビニルチェーン拡大を図る東ソーが大増設を行い(更に増設も)、その結果、2005年末の能力は97年のそれを上回っている。

VCM能力(単位:千トン)

  '97 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー   600   600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)   520   520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
  200
   50
  200
  ー
輸出
トクヤマ   300   330 新第一塩ビ
山陽モノマー   230   ー
千葉塩ビモノマー   210   ー
東ソー   784  1,443 大洋塩ビ
三井化学   109   ー
三菱化学
 →ヴイテック
  300
  
  391

ヴイテック
セントラル化学   132   ー
合計  3,435  3,484  

日本のVCMの需要は図の通りで、2005年末能力3,484千トンに対して、2005年の総需要は2,844千トンである。
そのうち、輸出PVC用が714千トン、VCM輸出が652千トンで、合計1,366千トン、総需要の48%に達する。

Vcm1_1

PVCもVCMも輸出は中国向けが中心であるが、PVCの膨大な増設が行われ、既に輸出が増大しつつある状況である。また中国でのPVCの新設はカーバイド法が中心である。

このため、PVC、VCMともに、今後の中国向け輸出は減少するものと思われる。

その場合、PVCも含めた再編が必要となる。

東ソーのビニルチェーン構想は成功するのであろうか。筆者の見方はノーである。輸入したナフサ、工業塩を原料にして、汎用品のVCM & PVC と苛性ソーダを輸出するというのは、如何に用役費が安いとはいえ、物価の高い日本でやることではないだろう。

 

 

日本のPVCの生産は第二次世界大戦前の日本窒素に始まるが、戦後、多くのメーカーが進出した。

当初は石油化学誕生以前で、製法はカーバイド・アセチレンと塩酸を反応させ、VCMをつくるものであった。Vcm

PVCの生産が増える中でカーバイドと苛性ソーダに構造的な矛盾が発生した。電力料金のアップによりカーバイドの増設が困難となり、これに代わる炭化水素源が必要となったこと、塩素の需要増でソーダが余剰となり、特に東洋曹達、徳山曹達、旭硝子、宇部曹達(現・セントラル硝子)のア法4社に問題が出てきたことである。

アセチレン法からの転換:
米国では既にエチレンと塩素からVCMを製造するオキシクロリネーション法が採用されていた。

日本では先ず、エチレンからのEDCを原料にVCMを、副生する塩酸をアセチレンと反応させVCMをつくるEDC法が使われた。

日本ゼオン(高岡)と呉羽化学(錦)はいずれも自社技術を開発し、ナフサからエチレンとアセチレンの混合ガス(ゼオンはこれを分離)からエチレンと塩素、アセチレンと塩素を反応させてVCMを生産した。呉羽はその後、原油の分解ガスも原料とした。

住化はSBA法を導入してナフサからエチレンとアセチレンを分離し、アセチレンをアクリロニトリル(旧法)とVCMの原料とた。

これらはいずれも採算等の面からその後停止した。

1964年頃から各社のオキシ法への転換が始まった。

 

アンモニア法か性ソーダの電解法への転換:
1961年11月、通産省は 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」を出し、カーバイド法からの原料転換を奨励するとともに、ア法ソーダの電解法への転換を進めることとし、ア法メーカーのEDC計画を塩素消化の面から支援することとした。

ア法メーカーはPVCへの進出を希望したが当初はEDCのみを認めることとし、第二期エチレン計画の中で、1964年に東燃石油化学・川崎の誘導品としてセントラル硝子の、出光石油化学・徳山の誘導品として東洋曹達、徳山曹達のJVの周南石油化学のEDC計画がスタート、その後、1967年に旭硝子は旭ペンでVCMに進出した。

PVCの増設に当たっては、第1次から1972年に完成する第5次増設まで、通産省の指導と了承の下で実施された。
ア法4社のPVC進出はなかなか認められず、徳山曹達は1967年に鉄興社の増設枠を使って鉄興社/ダイセルとのJVのサン・アロー化学を設立して徳山でVCMとPVCを、東洋曹達は1970年に同じく鉄興社の増設枠を使って鉄興社とのJV 四日市鉄興社を設立して四日市でPVCの生産を始めた。
(後、1975年に東洋曹達は鉄興社を吸収合併し、徳山曹達はサン・アロー化学を100%子会社とした。周南石油化学はそれぞれの工場内にEDCを生産するものであったが、1978年に解散した。)
セントラル硝子子会社のセントラル化学は1970年にVCM、74年にPVCの生産を開始した。
旭硝子は73年にPVC生産を開始、ア法4社がすべてPVCに進出した。

VCMセンター構想:
1966年12月、通産省は「塩化ビニルモノマーセンター構想」を発表した。①今後のVCMは石油化学方式を採用することとし,カーバイド・アセチレンを原料とする設備はできるだけ早く転換する。②立地はエチレンセンター隣接地とし,規模は年産10万トン以上とする、等というものである。

更に1969年3月、通産省は「塩化ビニルモノマー設備増設計画の調整について」を出し、VCM専業企業とPVC企業との共同投資が望ましいとした。

この結果、30万トンエチレンセンターを中心に多くのVCMセンターが出来た。エチレンセンターにとっては、旧法転換によるため需要の裏づけがあること、エチレン消費量が大きいこと(20万トンVCMでエチレン10万トンを消費)から、30万トン構想の実現に大いに役立つものとなった。

塩化ビニルモノマーセンター計画  単位:千t/年

地区 会社名 生産能力 完成時期 エチレンセンター 供給先
鹿島 鹿島塩ビモノマー   220 1970年8月 三菱・鹿島 信越化学、日信化学、鐘淵化学
千葉 千葉塩ビモノマー   160 1971年4月 住化・千葉 住友化学、群馬化学、チッソ、電気化学
川崎 セントラル化学    60 1970年4月 東燃・川崎 東亜合成化学
泉北 三井泉北石油化学   120 1970年3月 大阪石化・大阪 三井東圧化学
水島 水島有機   200 1970年9月 化成水島 日本カーバイド、三菱モンサント化成、
韓国化成
水島 山陽モノマー   120 1970年7月 山陽エチレン・水島 日本ゼオン、チッソ、旭化成
南陽 東洋曹達   150 1968年7月 出光・徳山
新大協和・四日市
日信化学、信越化学、東亜合成化学、
徳山積水
徳山 サン・アロー化学   110 1970年4月 出光・徳山 自消、輸出、その他
呉羽化学   150 1970年10月 (原油分解法) 自消

 注 日信化学は後、信越化学が吸収、群馬化学は電気化学が吸収

 

幻の常陽モノマー計画:

1973年頃、呉羽化学は1976年以降の次期VCMとして、三菱油化の鹿島コンビナートの第2期計画の一環としての、旭硝子、日本ゼオン、三菱油化との共同事業を検討した。「常陽モノマー」計画と呼ばれた。

 呉羽化学:VCM不足対応
 旭硝子:PPGのオキシクロリネーション法モノマー工場の操業引受、PVC進出に意欲。
 日本ゼオン:東日本に生産拠点希望。
 三菱油化:エチレン増強

平行してPVCについて、呉羽化学、旭硝子、三菱モンサント化成の共同投資「常陽ポリマー」計画が検討され、呉羽化学の懸濁重合法によることがほぼ決まった。

しかし、その後の石油危機による不況で三菱油化のコンビナート拡張計画がつぶれ、1976年交渉は打ち切られた。
(呉羽は混合ガス法、原油ガス法VCM設備の停止後、旭硝子、住友化学からの購入に切り替えた。)

ーーーー

各社の動き

 VCM能力(単位:千トン)

  '97 '98 '99 '00 '01 '02 '03 '04 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー  600  600  600  600  600  600  600  600  600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)  520  520  520  520  520  520  520  520  520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
 200
  50
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
輸出
(呉羽化学)
トクヤマ  300  300  300  300  300  300  330  330  330 新第一塩ビ
山陽モノマー  230  230  230  ー  ー  ー  ー  ー  ー
千葉塩ビモノマー  210  210  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
東ソー  784  784 1,034 1,034 1,034 1,046 1,046 1,046 1,443 大洋塩ビ
三井化学  109  109  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
三菱化学
ヴイテック
 300
 300
 300
 ー
 300
 ー
 300
 ー
 300
 ー
 347
 ー
 347
 ー
 391

ヴイテック
セントラル化学  132  132  132  132  132  132  ー  ー  ー
合計 3,435 3,385 3,316 3,086 3,086 3,098 3,043 3,043 3,484  

各社が撤退する中で、ビニルチェーンの拡大を図る東ソーの大増設が目立つ。

以下に各社の動きを見る。

鹿島塩ビモノマー(三菱化学・鹿島コンビナート)

 1964/8 三菱油化が四日市に次ぐ第2の工場立地として鹿島地区進出を決定
      当初エチレン15万トンを計画、これを修正して1966年年産30万トン計画を通産省に提出
        VCM、食塩電解、塩ビ樹脂およびアンモニアを企業化するために有力企業を誘致


 1968/2 鹿島塩ビモノマー、鹿島電解 設立

    出資比率:

  鹿島電解 鹿島塩ビ
旭硝子   25%   10%
旭電化   23%    5%
信越化学   23%   50%
鐘淵化学    8%   10%
三菱油化   21%   25%

三菱油化はエチレンセンターとして両社に参加

能力: 苛性ソーダ  年産 264千トン
塩ビモノマー 年産 220千トン
VCM引取り: 信越化学(PVC 20万トン建設)
鐘淵化学(PVC  5万トン建設)
旭硝子(製造委託)。

 その後、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得するが、
 2000年に旭硝子とともに放棄。
 現在の能力 600千トン。引取りは信越が492千トン, カネカが108千トン。  

カネカ(高砂)

 199510月、塩ビ・ソーダ事業の強化について発表
  高砂工場を中心に電解-VCM-PVCの一貫製造の優位性を生かし、競争力の強化により単独生き残りを図る。
  PVC:現状の高砂・大阪・鹿島3工場合計300千トンを年末に370千トンに増強
       将来は高砂・鹿島2工場で450千トン以上の体制へ
   VCM:
高砂のVCM 470千トンをデボトルキングで年末に 520千トンとする。
      鹿島塩ビモノマーの同社枠を加えると600千トンとなる。(→ 現在 628千トン)
  苛性ソーダ:高砂の電解の増強に着手、段階的に合計120千トンの能力増とする。

京葉モノマー、旭ペン (旭硝子、丸善石油化学エチレンセンター)

 1966年、旭硝子は米PPGインダストリーズとの50/50JVの旭ペンを設立した。
 VCMと塩素系溶剤を一貫して生産するもので、設備能力はEDC 250千トン、VCM 50千トン、溶剤が合計730千トン。
 このほか、旭硝子は
鹿島塩ビモノマー、千葉塩ビモノマーに参加し、それぞれからVCMを引き取っている。

 1993年、旭硝子は丸善石油化学とのJVの京葉モノマーを設立、200千トン能力プラントを建設した。
 工場は1995年春に完成したが、呉羽は同年7月これに参加し、25%の引取権を得た。

  出資比率 引取比率
旭硝子  56.25%  75.00%
丸善石化  18.75%   -
呉羽化学  25.00%  25.00%

 1998年5月、旭硝子は旭ペンの5万トン設備を停止した。

 なお、旭硝子(と三菱化学)は鹿島塩ビモノマーに出資するとともにVCMの引取権をもっていたが、
 2000年3月に引取権を信越化学と鐘淵化学に譲った。

 2003年3月、旭硝子は新中期経営計画「StoG2005」を発表した。
 発表の席で、石津社長は懸案の国内クロール・アルカリ事業の再構築について以下のように述べた。

  「当社単独でできる施策は完了した」
  「鹿島地区には大きな問題意識を持っておらず、千葉地区の構造改革が最大のテーマ」
  「コンビナートの再編動向をにらみながら、ベストなタイミングで取りうる施策を着実に実施する」

 同社では千葉の電解とVCM(京葉モノマー)の停止の方針を決め、関係各社への根回しを始めた。

 しかし、エチレン需要100千トンを失うこととなる丸善石油化学の反対を受け、当面操業を継続することとした。
 その後の中国バブルでVCMの輸出が好調なため、操業を継続している。

 なお、呉羽化学は京葉モノマーからの5万トンのVCM引き取り枠を保有しているが、大洋塩ビにPVC事業を譲渡、
 その後製造を停止した。
 このため、錦工場の塩化ビニリデン原料として使用する
2-3万トンを除いた分については、
 大洋塩ビの親会社の東ソーに任せることとした。東ソーは大洋塩ビの千葉工場に供給する。

(続く)

台湾資本のWestlake Chemical は事業開始から20年を迎えた。12日から各地で式典が行われている。

社は1985年に設立され、1986年にルイジアナ州Lake Charlesのポリエチレン工場を Cities Service Company から取得して操業を開始した。その後、エチレン、LLDPE、SMを新設した。
その後、Calvert CityKY)でAir Products and ChemicalsからPVCプラントを、BF Goodrichから電解、エチレン、VCMプラントを買収した。
2002年には倒産したBorden Chemicals and PlasticsからGeismar(LA)のVCM、PVCプラントを買収している。
また、PVC製品分野でパイプ、窓枠、その他の工場を多数買収、建設している。
一方、Norsk Hydro とのJVを中国に設立し、PVCと塩ビフィルム・シートを生産している。

同社については2006/4/15 「台湾の石油化学 で以下のように述べている。

「華夏プラスチック(CGPC)の元のオーナーのT.T.Chaoは台湾政府と問題を起こし、名目上撤退して持株をBritish Tire & Rubberの豪州子会社、BTR Nylexに譲渡したが、米国とマレーシアに進出した。

米国ではWestlakeを設立、ルイジアナ州Lake Charlesでエチレン、LDPE、LLDPE、SMを、ケンタッキー州のCalvert Cityでエチレン、塩素、VCM、PVCを生産している。同社は破産したBorden Chemicals and Plastics からルイジアナ州GeismarのPVCプラントを買収している。

Chaoグループはマレーシアの国有Permodalan Nasional Berhad と組んでパシールクダンにTitan Chemicalsを設立、石化コンプレックスを建設した。
エチレン70万トンで、HDPE、LLDPE、LDPE、PPを生産している。
同社は昨年、インドネシアのPT PENI (当初 BP/三井物産/住友商事JV:LLDPE/HDPE 45万トン)を買収し、PT Titan と改称した。」

また、2006/5/26 「アジア企業の海外展開ではトリニダッド・トバコ進出計画に触れた。

「本年4月、Westlake Chemical と南米北端のカリブ海にある島国のトリニダッド・トバコ政府は、同国でエタンベースで57万トンのエチレンとポリエチレンほかの誘導品事業を行う覚書を締結した。当面の予想所要資金は15億ドルで、2007年後半にスタートを目指してFSを行う。安価な原料とその立地を利用して、中南米の成長市場での販売が可能と考えている。」

ーーーー
Westlake Chemical
の現在の能力は以下の通り。(単位:100万ポンド、2.2で割ると千トン能力)

業部 製品          立地 合計
Lake Charles
LA)
Calvert City
KY
Geismar
(LA)
Westlake Petrochemicals エチレン    2,400      
Westlake CA&O エチレン       450     2,850
塩素       410      410
ソーダ       450      450
Westlake Polymers LDPE     850        850
LLDPE     550        550
Westlake Monomers VCM      1,300     600   1,900
Westlake PVC PVC       800     600   1,400
Westlake Styrene SM     485        485
North American Pipe PVC Pipe Booneville(MS), Springfield(KY),
Litchfield
(IL),Wichita Falls(TX),
Van Buren(AK),Bristol(IN),
Leola(PA),Greensboro(GA)
   810
Westech Building Products Fence, Deck and Railing Evansville(IN)     75
Doors and Window Profiles CalgaryAlberta), Pawling(NY)     30
Suzhou Huasu Plastics Company
蘇州)
PVC Westlake 43%/Norsk Hydro 32%/
Jiangsu Chemical Pesticide Group 14%/
China Taicang Petrochemical 3%
   726
PVC film & Sheet    132

同社のこの20年の動きは以下の通り。(単位は百万ポンド)

1985 設立  
1986 Cities Service CompanyからLDPE(220)を買収 →1988年 750 →1993年 850
1990 B.F. Goodrich からVCM(1,000)を購入  
1991 Lake Charlesでエチレン(1,000)スタート →1997年 2,300
1991 Air Products and ChemicalsからCalvert CityのPVCを買収  
1992 Lake CharlesでSM(350) スタート  
1992
~94
塩ビパイプ工場買収  
1994 カナダの塩ビ窓枠工場買収  
1995 蘇州の塩ビフィルム・シートJVスタート  
1996 New Yorkで塩ビフェンス製造開始  
1997 BF GoodrichからCalvert Cityの電解、エチレン、VCM買収  
1998 LLDPE製造開始  
1999 蘇州のJVでPVC製造開始(13万トン) 2004年末に33万トンへの増設決定
2002 Borden Chemicals and Plastics からVCM、PVC工場買収  

注 Borden Chemicals and Plastics は3つのPVCプラントをもっていたが、全て売却した。
    
Addis, Louisiana 工場:Shintech が購入、工場廃棄
    Illiopolis, Illinois 工場:Formosa Plasticsが購入 (2004/4 爆発事故)
    Geismer, Louisiana工場:Westlake が購入

(画像はクリックすると拡大します)

Westlake_2

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358  

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