ポスト産構法時代
産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。
通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、昭和62年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。
産構法後期に各社の業績は回復したが、ナフサ価格下落による需要の増大に負うところが大きい。産構法で抜本的な構造改革をしたのではなく、小規模多数メーカーの存在という状況には変わりがなく、一時的なカルテルによる時間稼ぎという意味が強い。このため、需要が再度減少した場合は再度、昔の繰り返しとなることが懸念された。しかし、産構法が終了した後、再度カルテルに戻ることは認められない。このため、今後とも産構法の精神を維持しようとして、2つの対応が取られた。
一つは「デクレア方式」で、もう一つはポリオレフィン及び塩ビの共販制度の維持である。
デクレア方式は事前報告制度で、産構法終了により今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
具体的には
・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
に通産省に報告して公表することとなった。
景気の回復により供給不測に陥り、業界では早くも増産に乗り出した。
まず、産構法で休止した設備の再稼動を行った。通産省は1987年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消したが、88年に入り、各社が相次いで休止設備の再稼動に乗り出した。
出光石油化学:3月中に49,120トンを再開、6-7月に合わせて 50,960トンの設備の稼動
三菱油化:2月に25,500トン、3月に22,900トンの設備を再稼動
丸善石油化学:3月中に 22,000トンを再稼動
新大協和石油化学:4月に24,200トンを稼動し、7月にはさらに29,940トンの再開
大阪石油化学:5、7月に合わせて6万トンの再稼動
山陽エチレン:7月に20,700トンを再稼動
昭和電工:年産22万トン設備のうち12万5千トン分を8月から再開
この結果、産構法の指定解除後、再開する設備の合計能力は年間45万1,120トンとなった。
次いで新規増設の検討が相次いだ。
1989年6月、産業構造審議会化学工業部会が「1990年代における石油化学工業及びその施策のあり方について」と題する答申を出し、 「国際化」、「共同化」および「個性化」が重要であるとしてエチレン供給については設備建設の共同化、大型化を提案した。
エチレンでは、出光石化が以前に認可を得ていた30万トン計画で、産構法でも既存設備216千トンの部分休止を前提に認めれられていた220千トンの新設(精製能力300千トン)を産構法期間中にスタートさせているが、産構法終了後、三菱油化の鹿島2期(326千トン)のほか、丸善石化の京葉エチレン(600千トン)、宇部エチレン(500千トン)新設が計画され、三菱油化の鹿島2期と京葉エチレンが実現した。
三菱油化・鹿島2期 326千トン 1992/5 稼動
同社は1980年代後半にスチレンモノマーの輸出で膨大な利益を上げたが、同社は経理の健全化よりも利益を表に出し、高い株価で時価発行で増資し、設備増設を行った。
エチレンやSMは外販分が多いが、その後の輸出価格の下落で増設分が足を引っ張ることとなる。
京葉エチレン 600千トン
京葉地区にある丸善石油化学、住友化学、三井石油化学はいずれもオレフィン不足の状況にあった。
1991年9月、丸善石化は需要に見合ったオレフィン供給体制の構築を図るため、100%出資の新会社「京葉エチレン株式会社」を設立した。
計画では、新会社のエチレン設備の年産能力は、住友化学と三井石油化学に各年間15万トンの供給を前提に、国際的な規模と競争力を有し、効率的な60万トンとし、丸善石油化学千葉工場内に2003年8月に稼働開始の予定であった。
京葉地区にある4カ所のエチレンセンター(出光石油化学を含む)は、従来からエチレン設備をパイプラインで相互に結ぶいわゆるコンビネーテッドコンビナートであったが、これを契機に3社間でエチレンに加え、プロピレン、ベンゼン、分解重油などがこの配管で結ばれた。
エチレン設備は2004年1月に完成したが、事業環境の悪化で営業運転開始は同年12月になった。
住友化学と三井石油化学は25%ずつの引取りを行ったが、異なる共販メンバー同士の提携を避けるため、出資については当初は行わなかった。
1995年9月に三井日石ポリマー、ユニオンポリマーが解散したのを受け、1995年12月に住友と三井は京葉エチレンに資本参加した。
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出資比率 |
取引比率 |
丸善石化 |
55.0% |
50% |
住友化学 |
22.5% |
25% |
三井石化 |
22.5% |
25% |
宇部エチレン構想
宇部興産は宇部市の西沖の山埋め立て地に50万トンエチレンを建設する計画を立てた。
出資:宇部興産 50%/三井東圧 25%/日本石油化学 25%
これを前提に同地に、宇部ポリプロ(宇部興産/住友化学/徳山曹達)のPPプラントと、将来のJV化を前提に三井東圧のSMプラント(三井東圧、宇部興産、鐘淵化学が固定費負担で引取り)を建設した。
しかしその後、エチレン構想は中止となった。
現在はPPはプライムポリマー、SMは太陽石油化学(三井化学から買収)が運営している。
この結果、エチレンの各社の能力(単位:千トン)は1993年8月時点で以下の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。
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産構法設備処理 |
1993/8 定修有 |
前 |
後 |
三菱油化 |
鹿島 鹿島2期 四日市 (計) |
: : : ( 800) |
299 ー 211 ( 510) |
395 326 276 ( 998) |
三菱化成 |
水島 |
537 |
360 |
450 |
住友化学 |
千葉 愛媛 |
569 160 |
345 0 |
380 |
日石化学 |
川崎 |
583 |
312 |
394 |
三井石化 |
千葉 岩国 (計) |
496 292 ( 788) |
496 0 ( 496) |
553 0 ( 553) |
丸善石化 |
千葉 |
505 |
373 |
480 |
出光石化 |
千葉 徳山 (計) |
: : ( 380) |
220 164 ( 384) |
341 438 ( 779) |
東燃石化 |
川崎 |
573 |
350 |
463 |
東ソー |
四日市 |
361 |
266 |
377 |
大阪石化 |
堺 |
320 |
252 |
350 |
山陽石化 |
水島 |
390 |
348 |
440 |
昭和電工 |
大分 |
541 |
320 |
709 |
合計 |
|
6,347 |
4,316 |
6,372 |
他に 京葉エチレン 600千t が1994年12月に稼動
ポスト産構法後期
能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。
この結果、各社の業績は悪化したが、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、生き残りの策の検討を開始した。
三井の事業統合検討
1992年4月、新聞に三井東圧と三井石化が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じられた。しかし、これには両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。
しかし、特に三井東圧の業績がその後も回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。
三菱グループの場合も、特に設備の拡大を図った三菱油化の業績が悪化したこともあり、「永遠の話題」と言われ実現が難しいとされた1994年10月に三菱グループの大合同が実現した。
事業統合時代
三菱の事業統合
1993年12月24日、三菱油化と三菱化成は、94年10月に両社を合併することに合意したと発表した。
合併要領:
(1)対等の立場で合併する。ただし手続き上は、三菱化成株式会社を存続会社とする。
(2)合併期日は、平成6年10月1日を予定する。
(3)合併比率は、三菱油化の株式1株に対し、三菱化成の株式1.3株とする。
(4)合併後の新会社の商号は、「三菱化学株式会社」とする。
企業風土の違いや、油化側の化成に対するライバル意識も根強く、踏み切れないままできたが、両社の業績悪化が深刻の度を増す中で、「企業体質を強化するには合併がベストの選択」と判断し、双方のトップ同士が決断を下したと言われる。
「三菱の合併は永遠の話題」と統合を否定した吉田正樹・前社長は同年春に亡くなっている。
発表の記者会見では「油化の救済合併の意味合いもあるのか」との質問が出て、油化は「心外だ」とし、化成も「石油化学部門の強化は化成にとってもメリットは大きい。救済という意識はない」と否定した。
しかし、そういう質問が出る程、三菱油化の損益は悪化していた。
合併発表の記者会見で「人員、設備の削減は」と聞かれたのに対して、
「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す。」と答えている。
実際に3エチレンセンターはそのまま残され、人員にも手をつけなかった。このため合併効果は余り上がらす、更に旧三菱化成の三菱化学メディアの不振等もあり、業績は低迷した。同社は「選択と集中の時代」になって、ようやく人員と設備の問題に手をつけている。
1994年10月1日、三菱化学が発足した。
統合に際し、水島地区で旭化成と相互乗り入れしていたエチレン子会社の資本乗り入れを解消している。
両社は三菱の水島エチレン、旭化成(と日本鉱業のJV 山陽石化)の山陽エチレンに50%ずつ出資していたが、公取委の指示により、94年7月に株式交換を行った。
その後、水島エチレンは三菱化学発足と同時に吸収合併した。山陽エチレンは95年4月に山陽石化が吸収合併、2001年にその山陽石化を旭化成が100%子会社にしている。
三井の事業統合
1992年の統合交渉は事前に漏れたため、いったん交渉を凍結した。その後に両社の業績は悪化、特に三井東圧の利益は低下した。
1996年9月、三井石化、三井東圧は1997年10月の合併に向け、交渉を進めていることを明らかにした。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。
その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。
1997年10月、両社は合併し、三井化学が誕生した。
翌年4月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。
一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。
選択と集中時代
バブル時代の新増設でエチレンや誘導品の能力は増えたが、需要は増えていない。増設分は輸出に頼ったが、2000年頃はまだ中国バブルの前であり、輸出価格は低く、各社の業績は悪化した。
この中でポリオレフィンの2004年問題が各社の懸念となった。
2006/2/22 「忘れられた「2004年問題」 参照
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「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて体制強化の検討を始めた。
①三菱化学 四日市エチレン等の停止
三菱化学は1994年の三菱油化、三菱化成統合以降も旧油化の鹿島、四日市、旧化成の水島の3エチレンセンターをそのまま維持してきたが、2000年央からのサウジアラビア、台湾、シンガポール等における大型エチレンプラントの新増設によりオレフィン及び誘導品の輸出を行うことが厳しくなること、さらには2004年の主要石化製品における大幅な関税の引き下げ等により今後より一層内需の伸びが期待できないことから、エチレン生産体制の見直しを行うこととし、2001年1月に、四日市事業所のエチレンプラント及びEG、EO設備を停止した。
三菱化学の生産能力 単位:千T/Y |
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製品名 |
スタート |
能力(現状) |
能力(集約化後) |
エチレン |
四日市 水島 鹿島No.1 鹿島No.2 計 |
'68/3 '70/7 '70/11 '92/6 |
270 450 375 453 1,548 |
0 450 375 453 1,278 |
|
注:定期修理実施年のもの |
②三井化学、大阪石油化学を完全子会社化
三井化学は2000/3/13に大阪石油化学との間で株式交換を行い、同社を三井化学の完全子会社(100%)とした。
三井化学は千葉地区の浮島石油化学と、大阪地区の大阪石油化学の両エチレンセンターを運営していたが、石油化学産業を取り巻く厳しい事業環境の中で、主原料の供給ソースであるエチレンセンターの競争力強化という課題について検討した結果、完全子会社として、浮島石油化学と一体運営することが最適であると判断したもの。
大阪石油化学 |
: |
設立 |
|
1965/2 |
|
資本金 |
|
50億円 |
|
株主 |
|
三井化学 55%、宇部興産 20%、鐘淵化学 5%、コスモ石油 5%、三井物産 5%、三和銀行 5%、さくら銀行 5% |
|
エチレン能力 |
|
45万t |
③旭化成、山陽石油化学を100%子会社化
旭化成とジャパンエナジーは、両社出資の山陽石油化学のJエナジーが保有する全株式を旭化成に譲渡することで合意、2001年4月に48億4000万円で譲渡した。
石油化学産業の事業環境が厳しさを増すなか、石油化学誘導品事業を行っている旭化成がエチレンセンターである山陽石化を一体運営することが最適であるとの結論に達したもので、両社は原料取引関係を含め、協力関係を継続する。
山陽石油化学 |
: |
設立 |
|
1968/7 |
|
資本金 |
|
20億円 |
|
出資比率 |
|
旭化成 60%、Jエナジー 40% |
|
エチレン能力 |
|
504千トン(定修なし) |
④昭和電工の石化事業方針転換
昭和電工は2000年にエチレン・プラント効率化工事を完了させ、旧来の2系列平均 755千トンから、1系列 600千トン(いずれも定修あり、なし平均)体制に変更した。
1号機(231千トン)を廃棄する一方、2号機(524千トン)を主力装置である分解ガス圧縮機、タービン等のリプレースにより年産600千トンに増強したもので、設備投資は合計約70億円。これにより年間約30億円のコストダウンを図るとともに、需要見合いでの連続フル稼動が可能となった。
同社は2002年、新中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」を策定したが、これまで事業シナジーが希薄なまま展開してきた「総合化学」から、「無機・アルミと有機の融合」中心の「個性派化学」への転換を急ぐという方針を決めた。
その中で石油化学は、現状収益力に拘らず、マーケット構造、成長戦略事業との技術シナジーの不足から再構築が必要な事業群(再構築事業)とされ、最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れるとした。
ポリオレフィンについては、PPは既にバゼルが主体のサンアロマーに任せているが、PEについても2003年9月に同社が主体であった日本ポリエチレンを日本ポリケムに統合させ日本ポリエチレンを設立、実質的に三菱化学に任せることとなった。
⑤東ソーのビニルチェーン構想
多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。
エチレンについては97年に四日市で分解炉1炉の増設、デボトルネッキングで 85千トンの増設を行い、合計 527千トン(定修スキップ年)としたが、南陽と四日市の2事業所で年間約100万トンが必要で、不足する年間約50万トンを外部購入に依存する。
ビニルチェーンについては 2006/9/19 「日本のVCM業界の変遷-2」 参照
⑥三井化学および住友化学の全面的統合発表
2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、2003年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については2001年10月に先行的に統合することを発表した。
両社はともにエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。
統合の効果としては、
石油化学・基礎化学分野では、シンガポールでエチレン100万トン超の設備の新設を実施し、両社の得意な誘導品をあわせてバランスの取れた収益力の高いコンプレックスを構築するなど、事業規模の拡大を通じたグローバルな競争力の強化が実現できること、
機能性材料・ファインケミカルズ・ライフサイエンス分野では、電子情報材料や農業化学品など、両社の幅広い事業展開と研究開発力等の統合により、大きなシナジー効果が期待できるとしている。
本件は三井側からの提案で、企業エゴを捨て、真のグローバル企業を創ろうというものであったと言われている。これ以前に両社のメインバンクである住友銀行とさくら銀行(三井主導)が合併し三井住友銀行が発足している。
全面統合については当初は、両社が共同株式移転により持株会社を設立して上場する方式で出発するとしたが、両社の統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとした。統合までに時間があり過ぎるのではないかということと、統合比率を後で決めるというのが問題とされた。
これに対して三井グループの繊維・化学会社で「大三井化学」のメンバーになると想定されていた東レが「三井-住友の場合、統合してもエチレン能力は180万トン弱で、これで強いといえるかどうかだ」と反対した。
2001年4月、両社は統合の具体案を発表した。
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社名 |
: |
三井住友化学 |
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統合時期/方法 |
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2003/10/1 共同株式移転により持株会社を設立 2004/3/末 持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社に。 |
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事業運営組織 |
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「石油化学」、「基礎化学」、「機能樹脂」、「機能化学」、「情報電子化学」、「農業化学」、「医薬」の7つの社内カンパニー |
両社は合わせて、ポリオレフィン事業の統合について発表した。
⑦浮島石油化学の解散
三井化学と日本石油化学は2001年5月、エチレンの共同生産を9月末をめどに中止すると発表した。三井化学と住友化学の経営統合に伴う措置。
両社はエチレン生産会社、浮島石油化学に折半出資しており、三井化学の市原工場内に553千トン、日石化学の川崎事業所内に404千トンと1基ずつエチレンプラントを持っていたが、千葉の設備を三井化学が、川崎の設備を日石化学が引き取りそれぞれ運営する
この結果、三井化学は同社の千葉と大阪にエチレンプラントを持つこととなった。
⑧三井化学と住友化学の全面的統合の破談
2000年11月17日の全面的統合の発表後、先行する三井住友ポリオレフィンは2002年4月に当初予定から半年遅れでスタートした。
2002年12月に公取委は本件を承認した。
しかしながら、統合の検討を始めると直ぐに、両社の間に不協和音が出だしたとのことである。
両社は発表後、統合の準備を進める一方で競って事業の拡大を行った。「両社の統合における比率は統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定する」とした取り決めが影響している。
新聞情報によると、経営統合に当たり、両社は「対等の精神」を理念に掲げたが、住友化学が時価総額(株価が15%弱の差で、株数は住化が三井の約2倍)をベースに考えて主導権を取ろうとし、三井化学は文字通りの「対等」にこだわった。
首脳人事では三井化学は「対等」の証として共同最高経営責任者制を提案したが、住化が拒否した。
多くの点で妥協も行われたが(共同持株会社を設立し、半年後に持株会社が両社を吸収するという二段階方式は、法的に三井が消滅会社となるのを避けるため)、住化主導の色が濃く、三井では「飲み込まれる」という不安が高まったといわれる。
2002年末には首脳人事(社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長)などが内定したが、統合比率で折り合えず、2003年3月を期限に再交渉することで合意した。
しかし、その後も折り合えず、2003年3月31日、統合計画の白紙撤回を発表した。
中国バブルが始まり、両社の業績が上向き、単独でもやっていけるとのムードが出てきたのも響いている。
その後、住友化学はサウジのラービグ計画を、三井化学は出光興産との提携強化、ポリオレフィン事業の統合を発表する。
⑨三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合
三井化学は住友化学との経営統合計画の解消後、2004年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産/出光石油化学と包括提携で基本合意した。
3社は、石油精製・石油化学事業の国際競争が激化するなか、これまで個別企業毎に行ってきた合理化等の取り組みだけでは限界があるとの共通認識に基づき、千葉地区における業務提携の可能性について予備的な検討をしてきたが、原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指すこととした。
この業務提携を具体化することにより、出光グループは石油精製と石油化学のインテグレーションを更に推し進め、「石油精製の高度化による原料・留分の付加価値向上」と共に、「製油所・石油化学工場のコスト競争力強化」を図る、三井化学は石油化学事業構造の抜本的な変革、即ち「分解原料の多様化」「プロピレンセンター化」「差別化」を促進するとした。
2004年11月、三井化学と出光興産は包括提携の一環として、千葉地区へ輸入するナフサを大型タンカーを使い共同輸送すると発表した。両社が千葉地区で中東から輸入しているナフサの量は、三井が年間230万トン、出光100万トンで計約330万トンあるが、大型船を共同活用することで輸送費の削減を図る。
2004年5月、三井化学/出光興産/出光石油化学は三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合(プライムポリマー)の発表を行った。
⑩出光興産による出光石油化学の吸収合併
2004年5月、三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合と同時に、出光興産による出光石油化学の吸収合併も発表した。
出光興産は創業以来、外部資本を受け入れない経営方針を貫いてきたが、2000年には株式の上場を決断、市場からの資金調達で財務健全化を目指す戦略に転換した。
2000年以降、12の金融機関を引受先として議決権のない優先株を発行し、計378億円の増資(当初資本金10億円)を実施したが、2002/4の新中期経営計画では、2006年度の株式上場を目標とするとした。天坊昭彦社長は「プライベートカンパニーからパブリックカンパニーヘの転換」「2006年の上場」など基本方針を明らかに、「製油所体制の見直し」「石油化学産業の地域連携による競争力強化」「選択と集中」などを骨子とする新中期経営計画完遂に向けて「結果重視、スピードの経営」を進めるとした。
最大の子会社である出光石油化学については、燃料油・石油化学両事業とも益々厳しいことが予想される中、両社の合併を視野に入れた燃料油・石油化学事業のインテグレーションの検討に着手していた。
出光石油化学は2003年にPS事業を旭化成、三菱化学のA&Mスチレンと統合、PSジャパンを発足させ、自社設備の大半を処理している。
逆にPPについては2001年1月、徳山でプラントが隣接するトクヤマとの提携を発表した。両社でPPの製造合弁会社・徳山ポリプロを設立してトクヤマの工場内に20万トンの設備を新設し、トクヤマの既存設備は廃棄、トクヤマがPPの営業権を出光石化に譲渡する、というものである。
三井とのプライムポリマーの設立で、PPを含め、ポリオレフィンを実質的に三井化学に任せる結果、石油化学事業の大半は、化成品事業を中心に燃料油事業と密接なものになるため、原油から石油・石化製品までの一貫した事業運営、簡素な組織体制を構築し、より効率的な事業経営を進めることが出来る。
2004年8月に合併、出光石油化学は解散した。
⑪新日本石油による新日本石油化学の管理・営業・開発部門の統合
2006年4月、新日本石油は新日本石油化学の管理部門、販売部門および研究開発部門を、会社分割の方法により新日本石油に統合し、製造部門は、製造会社たる新日本石油化学として存続させた。
新日本石油では2001年、新日本石油化学にCRI推進室を設置し、グループをあげてCRI(石油精製と石油化学の一体化:Chemical Refinery Integration)を推進し、未利用留分の有効利用や統合LPの活用による製油所とスチームクラッカーの一体運営など成果を上げていた。
同社では石化事業における競争力の源泉は、これまで以上に原料面での優位性(量の確保とコスト競争力)に求められるという形に構造変化し、石油と石化の事業領域の境界もなくなりつつあると考え、国内最大の精製能力約120万BD という強みを最大限に生かすべく、原油から石油および石油化学製品までの一貫生産・販売・研究開発体制の強化を図ることとした。
ーーーー
「選択と集中」時代に入り、三菱化学の四日市エチレンの停止、三井と住友の全面統合の発表などが起こり、日本のエチレンセンターの再編が行われると期待されたが、中国バブルの発生で動きは止まった。
三井と住友の統合は破談となった。
昭和電工は、再構築が必要な事業群(再構築事業)に含め、「最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れる」とした石油化学事業のうち、オレフィン、有機化学品、特殊高分子等について、2005年11月発表の新中期経営計画「プロジェクト・パッション」では基盤事業(cash cow:高い利益を生み出す事業)としている。
一度は停止を決めた京葉モノマーや宇部興産のPE事業も、丸善石化コンビナートで生産を続けている。
集約が進むポリオレフィンでも、日本ポリエチレンや日本ポリプロは多数のエチレンセンターに工場をもっている。
立地 |
エチレンセンター |
能力 (千トン) 定修なし |
主なオレフィン需要(自社以外) |
鹿島 |
三菱化学 |
901 |
日本ポリエチレン、日本ポリプロ、鹿島塩ビモノマー、 旭硝子 |
千葉 |
丸善石化 |
525 |
宇部丸善ポリマー、京葉モノマー、チッソ、電気化学、 日本ポリプロ |
同(京葉エチレン) |
768 |
(三井化学、住友化学) |
三井化学 |
612 |
プライムポリマー |
提携 |
出光興産 |
413 |
プライムポリマー |
住友化学 |
415 |
日本アルデハイド |
川崎 |
東燃化学 |
515 |
日本ユニカー、日本ポリエチレン、日本ポリプロ、 旭化成、昭和電工 |
新日本石油化学 |
443 |
日本ポリエチレン、サンアロマー:浮島ポリプロ、 日本触媒、旭化成 |
四日市 |
東ソー |
527 |
日本ポリプロ、協和醗酵ケミカル |
三菱化学 |
停止 |
|
大阪 |
大阪石油化学 (三井化学) |
500 |
(カネカ;高砂)、(東ソー:南陽)、 (太陽石油化学:宇部) |
水島 |
三菱化学 |
496 |
日本ポリエチレン、日本ポリプロ、ヴイテック、 クラレ、ダイヤニトリックス |
山陽石化 (旭化成) |
504 |
|
徳山 |
出光興産 |
688 |
昭和電工、東ソー、トクヤマ、日本ゼオン |
大分 |
昭和電工 |
653 |
日本ポリエチレン、サンアロマー、新日鐵化学、 日本スチレンモノマー |
千葉、川崎、水島地区では各プラントがパイプラインで繋がり、「コンビネーテッド・コンビナート」を形成しており、これを通じて実質的にオレフィンを統合し、これを基に誘導品を整理することが考えられる。京葉エチレンは丸善石油化学、住友化学、三井化学にオレフィンを供給している。三井と出光の提携はこれに繋がると思われる。
しかし、石油コンビナート高度統合運営技術研究組合(RING)のように互いに利益が出るプロジェクトは実施できても、エチレンの統合までは難しい。
出光や新日本石油に見られる石油精製と石化の統合管理は、それ自体は合理的だが、エチレンセンターの統合では逆に働く。
日本のエチレン業界は従来同様、小規模多数プラントから脱却できていない。
日本で最大の三菱化学鹿島で2系例合計でやっと90万トン、平均すると60万トン以下である。
他方、中国では1系列100万トンのエチレンが建設されており、中小のエチレンを100万トン程度まで増設する動きがある。
中国バブルが破裂し、誘導品がどうしようもない状況になる迄は、エチレンセンターの再編は難しい。
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