トクヤマは2024年4月1日に、トクヤマを吸収合併存続会社、100%子会社の新第一塩ビを吸収合併消滅会社とする吸収合併を行った。
新第一塩ビは1995年7月1日に、日本ゼオン、住友化学、トクヤマ、サンアロー(トクヤマ子会社)による、日本の合成樹脂メーカーで最初の事業統合会社としてスタートしたが、同社は1982年4月1日(産構法スタートの1年前)に最初の共販会社として営業開始した第一塩ビ販売を祖とする。 呉羽化学(クレハ)は離脱したが、他の3社が共販時代の協力の結果を活かし、発展させ、第一塩ビ販売の社名変更の形でスタートした。
共販会社として1982年にスタートした会社が42年後に終末を迎えたことになる。同社はすでに実質的にトクヤマの子会社であったが、これで名実ともにトクヤマの事業となる。
同社の歴史をまとめた。(トクヤマは改称前は徳山曹達)
1982/4/1 |
第一塩ビ販売 営業開始 (設立は1982/3/12) |
住友化学、呉羽化学、サンアロー化学、日本ゼオン 各25%出資
日本塩ビ販売(三井系) 1982/8/1 営業開始 中央塩ビ販売(三菱系) 1982/8/1 営業開始 共同塩ビ販売(興銀系) 1982/9/1 営業開始 ポリオレフィン共販会社は産構法によるため、1983/7/1 営業開始
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1990/7 |
第一塩ビ製造を設立 |
住友化学36% / 日本ゼオン24% / 呉羽化学24% / サン・アロー化学12% / 第一塩ビ販売4% 工場 住友化学千葉工場内 80千トン 呉羽が開発した内部ジャケット方式を改良、4社共有特許 |
1994/12 |
塩ビ事業統合発表(呉羽を除く) |
当初、第一塩ビ販売の株主全社が参加し、事業統合の検討を進めた。 最後の段階で呉羽が離脱 |
1994/12/31 |
呉羽が第一塩ビ販売から実質離脱 |
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1995/2/1 |
呉羽の第一塩ビ販売持株を3社が買い取り トクヤマも出資 |
出資比率 日本ゼオン 40% / 住友化学 30% / サンアロー 20% / トクヤマ 10% |
1995/7/1 |
新第一塩ビ スタート 第一塩ビ販売の社名変更による |
出資比率 上記 共販時には扱っていなかったペースト等の特殊品も含む。 各社の塩ビ事業設備を買い取り 汎用品:ゼオン(水島 120千トン)、住化(千葉 35千トン)、サンアロー(徳山 125千トン)第一塩ビ製造(60千トン*) * クレハ枠 20千トンを除く (後、買い取り) 特殊品:ゼオン(高岡 65千トン)、住化(愛媛 25千トン) 原料VCMは各社が供給 ゼオン(山陽モノマー)、住化(千葉塩ビモノマー)、トクヤマ(サンアロー) |
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塩ビ業界 1996/4/1に大洋塩ビが営業開始 2000/4/1にヴイテックが営業開始 |
ポリオレフィン業界 日本ポリオレフィン 1995/10 営業開始 グランドポリマー 1995/10 営業開始 日本ポリケム 1996/9 営業開始 |
1995/12 |
新第一塩ビ、インドネシアに技術輸出 |
相手先 Siam Maspion Polymer (タイのSiam CementとインドネシアのMaspionのJV) 内部ジャケット方式 能力 120千トン |
1999 |
トクヤマがサンアローを吸収合併 |
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1999/6 |
新第一塩ビ改組 |
1999/6月末に全額減資して累積損失を一掃し、同月及び2000/3月にそれぞれ40億円、合計80億円の増資
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資本金 |
トクヤマ |
ゼオン |
住化 |
当初 |
70億円 |
30.0% |
40.0% |
30.0% |
2000/3 |
80億円 |
71.0% |
14.5% |
14.5% |
実質、トクヤマの事業(ゼオン、住化の増資払込は、トクヤマが引き継いだ事業の含み損の両社負担)
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2000/3 |
水島工場(ゼオン)閉鎖 |
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2008/3 |
高岡工場(ゼオン)閉鎖 |
水島、高岡の閉鎖で、日本ゼオンは実質全面離脱 |
2015/9 |
千葉工場(住友化学)閉鎖 |
住友化学は愛媛の特殊品のみ残る。 |
2017/10 |
ゼオン持株をトクヤマが買収 |
出資比率 トクヤマ85.5%、住友化学 14.5% |
2023/4/1 |
住友化学持株をトクヤマが買収 |
出資比率 トクヤマ100% 愛媛特殊品工場は設備を住友化学に売却したうえで、引き続き住友化学に生産委託 (2024/4/1に新第一塩ビを吸収合併をすると、愛媛の特殊品工場はトクヤマ資産となるため、これを避けて運営を簡素化した。 |
2024/4/1
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トクヤマ、新第一塩ビを吸収合併
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上記により、日本ゼオンと住友化学は完全に離脱し、関係がなくなるため、「新第一塩ビ」を存続させる意味がなくなる。 |
第一塩ビ販売は日本で最初の共販会社としてスタートした。
共販会社の組み合わせは当時の塩ビ協会長の高橋社長が私案としてつくったとされるが、三菱系、三井系、興銀系をまとめ、残った4社が第一塩ビ販売グループである。
メンバーの日本ゼオン、住友化学、トクヤマ、トクヤマの各社は、住友化学が他の3社と取引があった以外、相互に全く関係はなかった。
しかし、日本ゼオンの首脳が業界の一体化に熱心で、指導力を発揮し、他社がそれに従った。
他の共販が完全縦割りで、共同販売事務所会社(下図)であったのに対し、将来の一体化を目指し、工場の相互訪問、合理化の共同研究、将来の共同生産を目指し、新工場の共同研究を行った。
新工場の共同研究の結果、呉羽化学発案の内部ジャケット方式(リアクターの内側に水を流すことで冷却時間を大幅に節減し、生産能力を高めるもの)を完成、住友化学千葉製造所内に共同の新プラント(第一塩ビ製造)を建設した。
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日本で最初の事業統合会社である。(日本ポリオレフィンは1995/7設立で同じだが、営業開始は1995/10)
当時は共同生産はあったが、販売を統合することは考えられなかった。需要家との関係が重要であり、販売を統合すると永年の需要家との直接の関係が切れてしまう。
呉羽化学が離脱した理由はいろいろあるが、統合に参加し、大企業の一員として全国に展開するよりも、地方企業として何十年もの付き合いの同じ地域の需要家との取引を続けたいというものが理由の一つである。
1994年8月に日経が第一塩ビグループの一体化構想をすっぱ抜くと業界に衝撃を与えた。早速、検討を始める企業が出た。
1995年7月に新第一塩ビがスタートするとすぐに、
塩ビでは大洋塩ビ(東ソ-、三井東圧、電気化学)、ずっと遅れてヴイテック(三菱化学、東亞合成)が設立され、
ポリオレフィンでは日本ポリオレフィン(昭和電工、日本石油化学)、日本ポリケム(三菱化学、東燃化学)、
ポリプロでグランドポリマー(三井石油化学と宇部興産、2年後に三井東圧が参加)が設立された。
またPSでは日本ポリスチレン(住友化学と三井東圧)、A&Mスチレン(旭化成と三菱化学)、東洋スチレン(電気化学、新日鉄化学、ダイセル)が、
ABSでテクノポリマー(JSRと三菱化学)、遅れて日本エイアンドエル(住友化学、三井化学)、UMG ABS(宇部サイコンと三菱レイヨン)が相次いだ。
この結果、それぞれの石油化学製品のメーカー数は激減した。異なる共販メンバー同士の統合が相次ぎ、共販制度は解体した。
しかし、この動きに乗らない企業があった。統合して大きくならないと駄目だとの報道に反発し、単独でやっていけるとした。
塩ビ業界でトップクラスの信越化学、カネカなどがそうで、当時すでに過剰能力であったなかで次々増設をおこなった。
その結果、値下げ競争が起こり、後ぎめ価格方式の弊害もあって価格は大幅に下がり、塩ビ各社の損益は悪化した。
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「選択と集中」
新第一塩ビの資本金食いつぶしを受け、対策を協議した結果、日本ゼオンと住友化学は塩ビ事業(モノマー&ポリマー)からの撤退を決め、新第一塩ビはトクヤマが引き継いだ。同社は苛性ソーダが主事業の一つであり、副産の塩素の消費を続ける必要があったという理由もある。
一体化で塩ビ事業の生産と販売は新第一塩ビに移管したとはいえ、新第一塩ビの主株主として需要家との関係は続けてきたが、これを切ることになる。
特に日本ゼオンは古河グループが塩ビ事業進出のために設立した会社であり、当時では塩ビ事業は合成ゴム事業と並ぶ主事業であった。住友化学も日本で最初に塩ビ事業に進出した企業の一つであり、需要家のなかには他の製品を納入している企業も多い。
両社の撤退は各社にショックを与えた。
そしてこれを契機に「選択と集中」が謳い文句になり、各社の合理化が進んだ。
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第一塩ビグループは、これらの動きのなかで「第一」であった。
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